あんな君、こんな俺④
コンが試着室に入ってから間も無く。
微かにしゅる…と衣擦れの音が聞こえてから、どうしても耳を澄まして聞いてしまう。
背を向け何でもない風を装いつつ全力で他の喧騒を追い出しコンの着替えに耳を澄ます。
変態だと分かっていても…男として堪えることはできない。
『紳人ぉ…』
「な、何だい!?」
そんな中で突然名前を呼ばれるものだから、動揺して声が上擦ってしまった。
『どうやら髪が引っ掛かってしまったようでな…手伝ってくれぬか?』
「分かった。じっとしていてね、下手に動くと痛いから」
しかし直後の言葉にスッと冷却棒を差し込まれた炉心のように落ち着き、すぐに更衣室へと近付く。
そしてカーテンに手を掛けようとしたところではたと気がつく。
こういう時…婚約者とはいえ男の俺が入るのは問題になるのでは?
此処は店員さんに頼むのが安牌だよね、いけないいけない。
『隙アリじゃ!』
「ちょっ…!?」
パシッと手首を掴まれるとグイッと思い切り引き込まれ、一瞬の内に俺は更衣室の中へと吸い寄せられてしまう。
「紳人…どうかの?お主の好みに、なれておるか?」
耳と尻尾が忙しなく揺れ動き、太陽のように眩く輝く金色の瞳。
橙色の髪と綺麗なパール色の肌のコントラストは可愛さの中に大人びた色香を醸し出し。
赤色のブラはコンの艶やかなお胸を覆い隠しつつ、その姿を彩りボディラインの魅力を遺憾無く引き出していた。
「あぁ…本当に大好きだ。似合っていて素敵だ、正直我を忘れてしまいそうだよ」
「そうか…良かったのじゃ。ではこれを買うとしよう!」
「良いの?もっと他のもあると思うけれど…」
「良い良い。何せ…下着姿で紳人を獣にしてしまうのであれば、帰るたびにわしらはとことん愛し合って身が保たんからなぁ?♡」
心の内を見透かすかのように含みのある声が至近距離で囁かれる。
ピトリと完全に密着しコンの温かさと女の体の柔らかさを押し当てられ、俺の胸板に両手を添えるとクスッと妖艶に微笑む様は俺の理性に爪を立てて掻き乱す。
駄目だ、これは本当に駄目だ…!
確実に理性が押し負けている。
布切れ一枚越しには人が居るのに、内緒で体を触れ合わせている背徳感と扇情的なコンに俺は強い衝動に意識が呑まれそうだ。
全てをかなぐり捨て今すぐに彼女の全てを求めたい…!そして俺の全てを知って欲しい!
「ふふっ…効果覿面のようじゃの」
「コン…?」
「明後日を楽しみにしておれ。それまでは、お預けじゃっ♪」
きゃっ♪と恥じらうように胸を両腕で隠し、笑顔で背を向けるコン。
……どうやら満足したらしい。
興奮も落ち着きも、俺の心の機微一つコンの手のひらで転がされている。
けれどやっぱり…それすらも幸せだ。
惚れた弱みとは言ったものだろう。
コンが鏡越しに俺を見つめているのに気付き、微笑みを投げかけながら隙を見て試着室から退出。
「あれ、彼氏さん何処へ行かれていたんですか?先程までいらっしゃらなかったような…」
「それはですね。その、天気雨の中に」
「?」
コンの着替えを待つ中俺に気付いた店員さんに声をかけられるも、素直に言うことはできずわざと婉曲にはぐらかすのだった。
〜〜〜〜〜
「もうすっかり夕方じゃなぁ…」
「いつの間にかこんな時間だったんだね」
帰り際に街を一望出来る展望公園に立ち寄り、夕焼けに染まる街並みを眺めながら呟く。
普段は見慣れたそれも時間が変わればガラリと顔を変えていて不思議だけれど面白い。
こっそりとコンの横顔を盗み見ると、夕焼けに濡れていて俺の目にとても幻想的に映った。
その目には、この景色はどんな風に見えているんだろう?
キラキラと輝いて見えているのかな、或いは何か違うものを見ているのかな。
何故かは分からないのだけれどどうしようもなく不安になった。
いつか俺は、コンの目に映らなくなってしまうんじゃないか…と。
分かってるんだ。そんなことはない、コンはそんな薄情な神様じゃないってことは。
それなのに言い表せない感情が、この心に影を落とす。
「ん?どうした紳人、もう帰るかの?」
「あっいや…気にしないで」
「ふむ」
ふと、視線が重なった。
そのつぶらな瞳は真っ直ぐに俺を見つめている。今俺は、コンの見る景色の中にいる。
……何だ。簡単なことじゃないか。
いつも俺を見ていて欲しいほどに、俺は君のことを好きになっていたんだ
「可愛い奴め」
「へ?」
「一分一秒とて、わしがお主から目を離すことなど有り得ぬよ。黄泉まで追いかけると言うておるのに隣の紳人を見ない訳ないじゃろう?」
「……お見通しかぁ。どうしよう、凄い恥ずかしいな」
俺に向き直り胸に手を当てて沈みゆく太陽よりも鮮明に、そして美しく微笑むコンに俺はまたしても見惚れる。
まんまと心中を見抜かれ顔が熱くなり隠そうと手を上げるけど、それすら華奢なコンの手に止められた。
「隠さなくて良い。どんな気持ちも言葉も…些細な一言でも、わしに見せておくれ聞かせておくれ。紳人のことなら何でも知りたいのじゃ」
「コン…愛してる。君のその、包み込むような優しさが好きだ」
「わしも愛しておるよ。素直に愛を囁いてくれる…可愛いところが」
俺はコンの背中に手を回し、コンは俺の首に手を回す。
そして…本日二度目のキスをした。
そのキスは、燦々と燃える夕焼けに包まれ誰にも見えなかっただろう。
「……お主、顔真っ赤じゃな?」
「ゆ…夕陽のせいってことで」
「そういうことに…してや〜らぬっ」
「ええ!?」
「ふふっ、さぁ帰るぞ紳人〜!」
「やれやれ…あぁ。一緒に手を繋いでいこう、コン」
「うむ!」
何処までも俺の心はコンに摘まれているみたい。
いつかと同じように後生大事に買い物袋を片手に抱えるコンと、いつもと同じようにその可愛さに恋慕を抱く俺。
すっかり日常となりつつあるそんな二人が、今日のデートの幕引きだった。
「またデートしよう、コン」
「約束じゃからな、紳人」
そんな、幼い子供のように約束を口にして結び合いながら。
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