第9話

拭えない過去、それでも今は①

「あいたたた…これ、顔の形変わってないかな…?」

「たわけ。人の骨はそう簡単に変形などせぬ」


思い切り締め付けられたんだけど…と思いながら、姿見で顔を確認している俺の隣にコンは立っている。ので、その尻尾をこっそりと眺めた。


ブンブンと不機嫌そうに忙しなく動いており、どうしたものかと悩むも答えは中々出ない。


しっかりとウカミと共にコンが好きそうなプリンを買ってきたのだが…果たして、それで機嫌を直して貰えるかどうか。


そうして、此方を見ようとはしないもののピッタリと付いてくるコンにもう一度謝ろうとした。その時だった。


トゥルルルとスマホに着信が入った。電話はいつでも緊張してしまうので、少し不安な気持ちで着信相手を覗き込む。


「-----」


頭が、真っ白になった。電話の音が、スマホを握る手の感触が、隣のコンの仄かな熱が、全てが遠のいていく。


「?何じゃ紳人、電話には出ぬの、か……」


微動だにしない俺に怪訝そうな顔を向け、続いて画面を覗き込んだコンの瞳孔が微かに開いた。


電話の相手は……俺の実の父と母だった。


グッ…と手に力を込めて無理矢理意識を覚醒させる。しかし、ソファに座る感覚がどうも覚束おぼつかない。


ドッドッと脈打つこの鼓動が、本物なのか錯覚なのかそれすらも分からない程に。


「紳人」

「ッ!」


そっと俺の手に小さなコンの手が重ねられる。心配そうに眉尻を下げ、此方を覗き込むコン。


その優しさに、心から感謝した。手から伝わる熱が、気持ちが。俺の中にスッと沁み渡り、凍えた体を溶かしていく。


「ありがとう、コン。君が居てくれるなら大丈夫だ」

「……うむ」


まだ心配なのか切なげに微笑むコンにフッと笑い返してから、電話を取ってスマホを耳に当てた。


「もしもし、父さん。ご飯作ってて電話に出るのが遅れちゃったよ、ごめん」

『そうだったか。いや、気にするな。こっちこそ忙しい時にすまなかったな』


父に対して堂々と嘘を付くのは躊躇われるが、貴方に対して引け目を感じている…とは言えないだろう。


「それで、どうしたの?いきなり電話なんて」

『あぁ、それなんだが。


明日母さんと2人とも休みが取れてな、久しぶりにファミレスとかで一緒に食事でもどうだ?』

「えっ!?あ、あぁ…でも最近ファミレスって高くない?」

『はっはっは、親の懐事情を気にするにはまだ早いんじゃないか?お前が一人暮らしして父さんも母さんも寂しいんだ、こんな時くらい遠慮せずに甘えなさい』


父親の屈託の無い優しさと包容力に、素直に甘えてしまいたい。これは言い訳かもしれないけど、これ以上断っては父さんたちを傷付けてしまう。


「紳人、行ってくるが良い。此方に来てからというもの、両親に殆ど顔を見せておらんじゃろう?わしらのことは気にするな」

(コン…分かった、そうするよ)

「うむっ」


やはり、こういう時には頼もしい神様だ。

頭が上がらない思いでコンに頷くと、電話の向こうで父さんの不思議そうな声が聞こえた。


『紳人?どうした?』

「ううん、何でも無い。そこまで言うならご馳走になろうかな」

『おぉそうか!母さんも喜ぶよ、明日17時頃にお前の家の前に車で行くからな。待っててくれよ〜じゃあ、また明日』

「ッ…また、明日…」


ガチャリと電話が切れると、トサッと膝の上に力無く手が落ちる。顔が引き攣ってしまうのが抑えられない、大丈夫…もう大丈夫だ…!


「大丈夫ですか、神守さん。顔が青いですよ…?」

「ウカミ…すみません、今は少し…大丈夫じゃないです」

「こんなに憔悴するなんて、相当怖かったのですね」

「それは…」

「そうでは無い、そうでは無いのだウカミよ」

「コン?」


俺を左右からコンとウカミが支えながら、うまく答えられなかった俺の代わりにコンが首を横に振る。


コンはずっと俺を見ていてくれたから、俺の抱える事情も全て知っているのだ。今はそのことが、強い味方に感じられる。


けど、此処で甘えっぱなしではいけない。


俺はコンに神様らしくあって欲しいわけじゃ無い、一緒に隣を歩く存在であって欲しいのだから。


「ウカミ、紳人はな…」

「コン。俺が、言うよ。ありがとう」


そっと手で制止すると尚も何かを言いたそうに口を開けたが、最後には俺の意思を尊重して閉ざしてくれた。


「ウカミ。俺は……、


車に乗るのが…どうしようもなく怖いんだ」

「車に…それは、もしかして?」


ずっと見ていたわけでは無いにせよ、ウカミも何らかの方法で俺のことを聞いている。そのため、すぐにピンと来たようだ。


----俺が、車に乗るのが怖い『車内恐怖症』とでも呼ぶべき症状になったのは、小学校3年生の頃だ。


当時の俺は家族で出掛けるのが大好きで、よくねだっていた。その日もいつもと同じで、何ら変わらないドライブ…その筈だった。


交差点にて正面が青信号に切り替わり、しっかりと左右を見て父さんはアクセルを踏み込む。


車はゆっくりと進み交差点の真ん中へと差し掛かり。


そして、悲劇は起こった。


突然横から、赤信号で止まっていたはずの大型トレーラーが暴走して来たのだ。原因は、相手の居眠り運転。


間もなく俺たちの乗った車はトレーラーと激突し、世界は…粉々に砕け散った。


耳を劈くような轟音と共に視界が暴れ回り、目を開けてられない衝撃の中必死に神様に祈る。


助けて、お父さんとお母さんを助けてと。


その祈りが届いたのかは定かでは無い。けれど、せめてもの救いに俺たちは全員正しくシートベルトを付けていた。


更には衝突箇所の中心も窓がない前後の境目だったこともあり、俺にはガラスは刺さらなかった。


そう、『俺には』刺さらなかったのである。


『お父さん…お母さんッ!』


父さんは母さんを咄嗟に庇い、その背中に細かい破片が幾つも痛々しく突き刺さっていた。


母さんも窓ガラスに頭をぶつけたようで、頭から血を流して気絶してしまっていた。


動かなくなった両親。赤々と2人から流れる血、真っ暗になり横転した車内。鳴り響くクラクション、自分だけ無事なことへの罪悪感。


『う、うっ…うわぁぁぁぁッッ!!!!』


僕のせいだ、僕のせいだ僕のせいだ!僕がお父さんとお母さんにお出掛けしたいって言ったから!お昼ご飯食べたいって言ったから!こんなことになったんだ!


何で僕だけ?何で僕だけ何ともないの?僕が悪いのに、僕のせいなのに!


僕は…僕は…!


……その後のことは、よく覚えていない。


何故か最後は温かかったということ。病院で目が覚めた時には、死にたいとさえ思っていた心がすっかりと落ち着いていたことは覚えている。


『俺』が目覚めた時には父さんと母さんの緊急手術は終わっていて、2人の病室に恐る恐る入ると涙を浮かべて俺の無事を喜んでくれた。


俺にはそんな資格無いのに。そう思っていても、2人に抱き締められるとどうしようもなく涙が込み上げてきてわんわんと泣いてしまった。


父さんも母さんも怪我そのものは大したことはなく、数週間様子を見て後遺症もなく皆揃って退院する。


『父さん、母さん!俺、1人前になれるように頑張るよ!』


久しぶりの我が家へ戻ってそう宣言した俺に、最初は不思議そうにした2人も笑顔で応援してくれた。


そうして俺は、小学生ながらに両親の家事を手伝い始める。


炊事、掃除、洗濯。最初は失敗ばかりだったけど、半年も経てばどれもお手伝いするには十分の腕になっていた。


手伝いを始めた理由を2人には『格好良いから!』と誤魔化したが、本当のところは"少しでも俺1人で出来るようになるため"であったのは言うまでも無い。


やがて、中学校を卒業し高校生になるまでの春休み。


わざと家から少し遠い高校へ進学した俺は、必死に頼み込んで今の家での一人暮らしを認めてもらった。


家事の腕は2人に負けず劣らず。何なら、俺が台所に立つ日も増えていたくらい。


それほどまでに成長していたので、多少無理を通す程度で一人暮らしは許可してもらえたのである。


流石に授業料や生活費は払えないので、それだけは毎月十分すぎるくらいに工面してもらうのが条件で。


それが…俺がコンに出会うまでの物語-----


「……あの日以来、俺は乗り物に乗ることが怖くなった。少しずつリハビリして今ではバスや電車は平気になったけど、ただ一つ…父さん達の車だけは克服できていない。


2人は悪くないのに。それが分かっているからこそ、余計に自己嫌悪で克服出来ないんだと思う。


自分で自分が、許せないから」

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