遠く離れて、故に近くに③

あたしは、奪って欲しいと言う願いから生まれた神だった。守護神とは正反対の存在である。


あの人から想い人を奪って欲しいという負の願いから、お金を奪いたいという邪な想いから。


それらから生まれたあたしは、当然ながら神の間でも疎まれ『神隔世』に居場所は無くて。


世界の端っこの方で細々と暮らしていたの。


そんなある日、アイツがやってきた。"奪って欲しい奴がいる"なんて、せせら笑いを浮かべつつ。


何でも、1人の人間とその守護神が仲睦まじく暮らしているらしい。しかし、神と人が一緒に居過ぎて責務を果たせなくなっては良くないだろう…なんて言ってたけど。


そんなものは建前で、ただその人間が妬ましく神を手篭めにしたいだけの浅慮な理由だと言うことは一目で分かった。


当然、あたしも断るつもりだったよ。けれどアイツは、その後にこう言ったんだ。


「お前も一度降りて見れば分かる。きっと、欲しくなるぜ」


本来、あたし達神が肉体ごと人の世に降りるのは許されていない。


人の世に干渉し過ぎるのは神として良い行いではないから…らしい。


でもあたしは元より良い神ではなかったので、言われるがままにひっそりと降りた。


アイツが見かけたという街の中で暫く探していると、1人の人間の男子高校生とその傍らで浮遊する狐の神を見つけたの。


……それは、あたしが知らない景色だった。


その2人の間に人間だの神様だの、蟠りは何一つなく。早く帰ってこいと催促する神に、男の子は微苦笑しながら歩いていた。


ありのままの姿で、ありのままの心で。並んで同じ時間を過ごしていたのである。


2人とも幸せそうだった、嬉しそうだった。お互いを信じて疑わない、確かな絆が見えた。


……欲しい。あたしに優しく笑いかけて欲しい、境遇なんて気にせずあたし自身を見て欲しい!


戻ってきたあたしは、二つ返事で協力することを伝えた。その時に気付いたことだけど、多分アイツは嫉妬や独占欲から生まれた神だったんだと思う。


あたしは1が出来た。何処で聞きつけたかのか知らないけれど、アイツもそれを見越して近づいてきたらしい。


こうして、あたし達は2人して成り変わり人の世へ降りた。


あたしの誤認させる力はただ誤認させるだけじゃなく、あたし達自身も誤認されている人物の記憶を得ることが出来る。


そしてのだ。


つまり、今朝の間は全員同じあの家に居たの。


けれど、見えなければ聞こえず触れられない。故にその場で重なったとしてもぶつからない訳である。


そしてあの子達…神守くんとコンは、離れ離れになって。確実に堕とせると、思ったのだけれど…あたしが入る余地のないくらい2人の絆は固かった。


見破られ強い拒絶を受けた途端、あたしの誤認は解ける。見破られた瞬間、彼の顔はあたしでさえ一度も見たことのない怒りに満ちたものになった。


恐ろしくて…彼が背を向けて玄関へ向かう瞬間。あたしは心底ホッとして…同時に、未練がましくいかないでほしくなる。


ほんのひと時だけ向けられた、あの優しい声と笑顔が恋しくて。曲がりなりにも神様でありながら、切望した。


『悪いが君は俺のタイプじゃない!君自身凄く美神なんだから、ありのままでアピールするんだね!さよなら!』


初めて、美しいって言ってもらえた。あたし自身を見てくれたのだ、あの子は。


「うっ、くっ…ぁ…!」


漸く分かった。あたしは、あたしだから忌み嫌われていたんじゃない。生まれに拘り諦めてる、その心が嫌われていたんだ。


今までの後悔と悲しさを全て洗い流すかのように、さめざめと泣き続けた。泣いて、泣いて…やがて、顔を上げる。


あたしは神様だ。神様が下を向く時は、人間の願いを聞くときだけ。


微かに熱の残るソファから立ち上がり、あたしも外へと駆け出した。裁きを受ける前に、自分で清算しなければならないと思ったから。


〜〜〜〜〜


「てんめぇ…神を足蹴にしたなぁッ!?何様のつもりだッ!」

「自分を様だと言うつもりはないけれど…お前のような奴は、馬に蹴られて笑われるのがお似合いだよ」

「…潰す!」


ただの人間である俺が、神とは思えない神に勝てるはずはない。挑発するようなことを言うのは愚の骨頂、そう分かっていても啖呵を切らずにはいられない。


俺の中で、コンがどれほど大きい存在になっているか。改めてそれを思い知りながら、再度身を屈めた相手を睨み付け苦し紛れのファイティングポーズを取る。


「紳人、後はわしが。神の不始末は、神が付ける」

「コン…」

「よそ見してんじゃ…ねぇ!」

「ッ!」


矢のように迫り来る爪からコンを守るため、両腕を広げて面積を大きくする。その脇から、コンがすり抜け…俺の前に立った。


まずい、間に合わない!それでも守るために必死に手を伸ばし…!


「----そうですね、コン。と言えど、神様ですから」


その手が届き抱き寄せると同時に、俺とコンを囲むように青白い焔がゴウッ!と巻き起こった。腕を巻き込まれた黒狼は、劈くような悲鳴を上げながら大きく跳び退き転げ回る。


「ギャァァァァ!!」

「ウカミ…!」


コンがバッと上空を仰ぐと、ウカミが空からゆっくりと舞い降りてきた。その手には焔が揺らめいている、この焔の主は彼女のようだ。


「まつろわぬ神…なるほど、そういう訳じゃったか」

「コン、それって…?」


腕の中のコンが俺を凛とした眼差しで見つめながら、こくりと頷いて話し始める。


「まつろわぬ神、それは神ならざる神じゃ。わしらのように真っ当に神として振る舞うことを忘れた、或いは元よりそうあれと生まれた者たち。


要するに悪い神じゃ。『神隔世』では、見つけ次第討伐するのを命じられているほどにな。


……そういえば、お前の名を聞いておらんかったな狼よ」


ザッ、とウカミが俺とコンに並び立った時焔は霧散した。黒狼の焔も消えたらしく、痛々しい焼け跡の残る腕を庇いつつ俺たちを睨め付けてくる。


「へっ…誰が、名乗るかよ…」


鼻を鳴らして精一杯嘲ることを読んでいたかのように、一拍すら空けずにコンはかぶりを振った。


「良い、今しがた知れたこと。お前は…アマツ、そうじゃろう?」

「なっ……」


正解だったらしい。まさか言い当てられるとは思っていなかったか、あれだけ回っていた口を開け放ち絶句する。


「やはりな…なれば、わしを狙ったのも頷ける。今でこそわしは守護神ではあるが、元は逸れ神じゃからな」

「えっと…どういうこと?」

「神気から生まれた逸れ神も言ってしまえば役割を持たない=神らしくないわけで、それ故にまつろわぬ神が引かれやすいのです」


コンの説明に頭を捻っていると、ウカミが補足を入れてくれる。なるほどと手を打ち合わせ、今回の一件の諸々を理解した。


「流石に…ウカミが来たんじゃ、分がわりぃか。次こそぜってぇ俺のものにしてやるからな!」

「……次があると思っているのかの?」

「何…?」


コンがスッ…と裾の長い袖を揺らし両手を前に出すと、パンパンと柏手を2回打つ。


瞬間、


「ガァッ!?」


アマツの全身を、何もない地面から現れた金色の鎖が縛り上げた。あれだけ暴れていたアマツがどれだけ抵抗しようと、引き千切ることは叶わない。


「無駄じゃよ。それはお前の肉体ではなくこん、つまり内なる物を縛り上げておる。死なぬ限りは自由にはなるまいて」

「こ、殺すのか?同じ神を…お前が!」


ぴくり、とコンの眉が反応する。コンは迷っているのだ、どれだけの狼藉を働いた相手であろうとその命を断つことを。


「俺にやらせて、コン」

「紳人…?」


……なら、その罪は俺が背負う。コンの綺麗な指を、あんな奴の血で汚すなんて許せない。


「どうしたら良い?俺でも出来るかな」

「だ、ダメじゃ!彼奴を消すのを許されるのは神のみ、人が神を殺すなど…!ウカミも止めておくれ!」

「命を奪う…神を殺す覚悟が、貴方にありますか?神守さん」

「ウカミッ!」


目に見えて焦り出すコン。落ち着いて欲しい、俺はただ…君に手を出そうとしたアイツが許せないだけなんだ。そんなに大それた理由も、立派な意志もない。



「じゃあ、それはあたしがやるよ。そいつが好き放題した原因も、あたしにあるし」

「お前は…?」

「クメトリ!どうして…」


俺の体に抱きついてグイグイと押し止めるコンを、横にどかして進む直前背後から声が響く。


夕闇の中でも眩い金髪と現代的な衣装を纏った彼女の名は、クメトリ。もしかしたら彼女も…。


「神守くん。君はあたしをまつろわぬ神だとか関係なく、真っ直ぐに見てくれた。ごめんなさい、貴方と彼女…コンには謝る」

「……どうやら、まつろわぬ神のようですね。今の貴女から邪なものは感じられない」


俺とコン、ウカミの間を通りアマツの前に立つ。そして金の鎖に手をかけ、グッと力を入れて握る。


恐らくだけど…あれを強く引けば、鎖が食い込み永遠にアマツの魂魄を縛り上げ命を奪い去るだろう。


「お前だけ、良いやつ気取りかよ!てめえだって散々…!」

「うん、分かってる。あたしも…すぐにそっちに行くよ。ごめんね、アマツ」

「ま、待て!俺はまだ…!」


緊迫した表情で何かを言いかけたアマツは、静かに鎖を引いたクメトリによって泡沫と化す。そして、夕焼けの中に吸い込まれ消えていった…。


「……クメトリ。貴女も、私達は裁かなければなりません。今までのこと、そして今回のことを」

「分かってます、ウカミ様。それでこそ私の贖いは終わり…いえ、始まるのですから」

「……お主はどう思う?紳人」


ウカミの前に跪き、首を垂れて裁きの時を待つクメトリ。俺とクメトリの間に何があったかは察しているだろう、感情がうまく読めない声でコンは俺に訊ねた。


ウカミとクメトリの視線が、俺に集中する。


正直、未だにコンを騙ったことは許せない。何処かで歯車が狂えば、俺もコンも互いを誤認したまま一生を奪われていたのだから。


だけど。瞼を閉じれば、アマツの散り際がフラッシュバックする。もう…終わらせよう。


「出来れば…温情をかけてほしい。どうして彼女が俺を狙ったのかは分からないままだけど…俺にもコンにも実害はなくて、何よりもう十分苦しんだと思うから」

「……はぁ、お主は底抜けにお人好しじゃな」

「仕方ないだろう、性分なんだ。それにアマツはもう消えてしまったんだし…」

「あら?まだ完全には消えてませんよ?」

「へ?」


俺とクメトリが、揃って目を丸くする。だって今、目の前で…ええ?


「あれは『魂迷の鎖』と言ってな、縛ったものを永久に魂だけにして異空間に閉じ込めてしまうのじゃよ」

「じゃあ、あれは…」

「脅しじゃな。ハッタリ、ブラフ。全くの嘘じゃ。まぁでも解放しなければ永久に囚われの身、死んでるのと変わらなかろう?」


……敵を騙すにはまず味方から、ということだろうか。相変わらず心臓に悪い神様達である…が、そうか…まだ生きているんだ。


「…良かった。コンに手を出そうとしたことは本気で許せないけれど、完全に死なれるのも寝覚めが悪いからね」

「まぁ、男心って難しいんですね…。ですが他ならぬ彼がこう言うのです、今回だけ優しい罰にしてあげましょうか」

「神守くん…!」


今にも泣き出しそうなほど潤んだ瞳で俺を見て、泣き笑いの顔になるクメトリ。その視線がくすぐったくて、腕を組みながらぷいと顔を斜めに俯かせる。


その先には…ジトッとした横目で、クメトリとは対照的に不服そうな顔で俺を見上げるコンの姿が。


「…わしとしては、お主に手を出そうとした此奴を本気で許せないんじゃからな?」

「今度、特別なプリン用意するから…」

「わしがいつでもプリンで釣られると思うでないぞ!」


乙女心も難しいみたいだ。クメトリが立ち上がる中コンにうがぁ!と怒られ、大袈裟に肩を竦めて見せる。すると、誰からともなく笑い出し暫しの間賑やかに笑い合う。


「えー、こほん。それでは、クメトリに判決を言い渡します」


ウカミはわざとらしく咳払いを挟むと、背筋を正したクメトリにその判決を言い渡すのだった。

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