第20話 吐き出し

「ぼんやりしていたら、病院で一泊することが決まってた。Dさんが病院に連れて行ってくれて、手続きも支払いも多分、全部済ましてくれた」

「折れた伊達眼鏡とか、騒いでるDさんとか、座り込んだCさんとか、覚えてるけど、本当、ずっと何だかぼんやりしてた」

「頭を打っているから、念のため入院で様子を見ると言われた。Dさんの彼女が看護婦さんで、次の日の朝、病室で紹介された。頭の良さそうな、肌のきれいな、感じのいい人。それはよく覚えてる」Aは笑った。「だけど、他はあんまり覚えてないんだよねぇ」

「Dさんから会社に電話を入れてくれていた。Dさんが電話しながら病室に入ってきて、途中で換わってくれた。相手は所長だった。

心配しなくていいから、しばらく休みなさい、一週間でも二週間でも、って。

それから、誰かに相談しなさい、誰か信頼出来る人に、全部話しなさい、って。

会社のこととか、守秘義務とか、考え過ぎずに、信用出来る人に一度全部吐き出して、思う存分泣いてきなさい、って」

それで、友達は私に会いに来た。

専門学校から、何でも話してきた友達に。

全部吐き出したけど、Aは泣き喚いたりはしなかった。


私たちは、時々会っていた。

Aが痩せていくのを見ていたし、暗く不安定になっていくのも知っていた。

前回怪我をしたことも知っていたし、Aが「色とりどりになってきた、秋めいて来ました」とか呑気なことを言って、治りかけの状態も見せてきた。

だけど、今回、腕を三角巾に釣り、眼帯をしているAには、前回と違う迫力があった。

暴力の怖さがあった。

満身創痍のAは、以前のような不安定さは無く、落ち着いていた。

ただ、影の薄さが気になった。

やる気の無さ、生命力の無さ、みたいな。


「綾波レイみたいでしょ」Aが言うので、

「確かに」笑ってしまった。

「使途と戦ってます?」「ええ。負けました。頑張りましたが、惨敗しました」

こんなときでも、私たちは相変わらずだった。

「グロいの見る?」「え。なに」「綾波レイの眼帯の中身」「え。結構グロい?」「結構グロい」「……見たらどうなる?」「魚が食べづらくなる」「…………見る」

Aの片目は、鈍い銀色に光っていた。

「うわ、なにこれ」「目のなかで出血したらこうなるらしい」「うわー、本当に魚の目じゃん…」「美味しそう?」「いや、正直グロいわ」「食べれない?」「うん。生だし、ちょっと無理かな」「火を通せば…」「うん。ちょっと無理かな~」


いつものように笑っているのに、向こう側が透けそうな、存在感の薄さ。


「こんな弱々しい女相手に、よく殴れるなぁ…」


真っ黒な窓の外を伺っていたAが、こちらに振り返って少し笑った。

「病院でちょっと考えてたんだけどさぁ」と話し始めた。

「よくさぁ、子どもがお母さんに怒って、馬鹿馬鹿馬鹿~、ってポカスカ殴り掛かるのあるじゃん?なんか、拗ねちゃって、甘えて」

「うん」

「結局、あれと同じなんだと思う」

「………うん…」

「一番甘えたい相手に、思う通りに行かなくて、受け入れて欲しくて、どうしようもなくなるんだと思う」

「でも、子どもじゃないし」

「そう。怪我しちゃう」

「母親でもないしね」

「そう。いい加減、付き合い切れなくなってくるよね…」

窓際から戻ってきたAが、私の向かいの椅子に腰を掛ける。

「今は会ってないの?」

「うん。会ってない」

「電話もメールも?」

「うん。今は何も」

「そっか…」「うん」

ふーう、と深呼吸したAが、背中を丸めながら呟いた。

「私に、もっと根性があったらなぁ…」

「馬鹿。そしたら死んでるよ」思わず大きな声が出た。

Aはびっくりした顔をして、「そっか。そうかも。うん。そうかもしれない」

「目から鱗が」と少し笑った。


Aが、Cさんより自分を責めていることを知って、驚いた。



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