chapter2-7 捨て駒②

「ねえ、エス」

 それは、いつかの記憶だった。

 それがいつだったか、うまく思い出すことはできない。

「あなたは、自分の将来について、どう考えているの?」

「ナナ様、わたしは――」

 果たして、何と答えたのか。

 エスはその記憶を失っていた。



 何者かの襲撃を受けている。

 病院にはあちこちから銃声が響き、黒づくめの男たちが次々に手負いのエスに襲い掛かっている。

 十人ほど切り捨てたところで彼らがフィスクの部下たちであることに気づいた。

「……な、何故⁉」

 次々と刺客が迫りくる。

 雪崩のように押し寄せる。

 考える暇もなく、襲撃は続く。


 そして――まもなく――。



「こんにちはフィン。先ほどぶりね」

 フィン・フィスクは凪色邸に戻ってきていた。

 大広間の真ん中にある来客用に机でワインを呷っている。

「ああ。少し仕事を片付けてね、しかし、ここはひどく埃っぽいな。しかも薄暗い」

「明かりを点けたりはしないわ。どうせすぐに出て行ってもらうもの」

「厳しいな。俺たちは婚約者だろう?」

「……」


 かつかつとナナは歩く。

 大広間を横切り、フィスクの背中側においてあるテーブルに手をかける。

「珈琲、好きだったかしら?」

「うん? ああ、頂こう。今は気分がいい」


 カチャカチャと音がしていた。

 

「ねえ、フィン。エスを見ないのだけれど、貴方知っていて?」

「いや、知らないな」

「そう」

 当然知っていた。病院のエスを襲撃し、捕えていた。

 だが、そのことをフィスクはナナに伝えたくなかった。

 伝えなくても、エスの消息が絶たれれば勝手にナナは憔悴し、かつての彼女のように扱いやすくて、自我の薄い、理想的な妻に戻るだろう。

 

 そうすれば――俺は――。


「ねえ、フィン」

 カチャカチャとなる音がやんだ。

 珈琲を入れる水音も、香りもしない。

「私、フィンのこと好きよ。貴方のお嫁さんになって、全てを捧げてもいいと思っていたくらいには、好きだったわ」

「え?」

 不思議な物言いにフィスクは振り返った。


 彼が目にしたのは銃口だった。


「でも、駄目ね。エスに手を出しては、駄目よ。私、貴方を赦せなくなってしまったわ」


 銃声がなった。



「終わりましたー?」

「ええ。終わったわ」

 死体となって倒れているフィン・フィスクを見下ろしながらナナは答えた。

 屋敷の入り口からは女が入ってきていた。

 

 フィスクの部下だったサキだった。

 彼女はナナのネズミだったのだ。

「じゃあ、エスのところに案内して」



 薬で昏睡しているエスを、ナナは大きな天蓋のベットに寝かしつけた。

「『御前会議』がフィンを焚きつけたのね」

「ええまあ大まかにはそうです」

 ナナの問いにサキは答えた。

「とはいえ、あくまでこの件はフィン・フィスクの独断で、」

「少し予定を早めましょうか」

 サキの言葉を遮るようにナナは言った。

「ついに始めるのですか?」

「ええ」

 ナナは目をつむり、眠るエスに頬ずりをした。

 動くはずがない表情に、なにかが見えたような気がした。

「『御前会議』を、襲撃するわ」

 

 コップの中で、嵐が起きようとしていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

閉鎖幽隔都市『東京』物語 葉桜冷 @hazakura09

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ