chapter2-5 目覚め
「これ、君のかい?」
そういうと、フィスクはエスの枕元に小瓶を置いた。
『ダークフォール』とラベルには書かれている。
「いえ、見覚えがありません」
「だろうな、君が倒れていた現場できみの傍らに転がっていただけだが、おそらく落とし物だな」
「落とし物……あ、そうです! これはアサクラの!」
「だろうね」
びっくりしたように声を出すエスの言葉にフィスクはあっさりと頷く。
梯子をはずされたような感じがしてむくれるエス。
「これ、何のビンなんですか?」
「毒だよ。これでセリザワは死んだ」
「……」
「現場検証なんかでも使われたりする。血液を汚染して殺す類の毒だ、飲むと長いこと苦しんで死ぬことになるから自殺するにしてもこれはやめておいたほうがいいよ」
そんなことを冗談めかして言うフィスク。
「まあアサクラが警察からちょろまかした物品、ということでいいだろう。どうする、俺が預かっておくか?」
「……そのほうがいいですかね?」
「別に、今更アサクラが悪党である証拠とか今更もういらないし、持っておきたいなら持っておいてもいいよ」
「え、証拠がいらないんですか?」
「ああ、そんなものはどうとでもできるしな」
こともなげにそんなことをいうフィスクであった。
その後、すったもんだのやり取りの後、結局『ダークフォール』はエスが持つことになった。
面倒なものを押し付けられたともいえる。
その後、エスのことはナナに任せるという形でフィスクはその場を後にした。
「サキ、例の件はお前に一任する。俺は報告を済ませてくる」
「承知しました」
フィスクは例によって黒いリムジンに乗り込み、彼の右腕のサキは別の方向へ徒歩で向かう。フィスクだって運転はできるのだ。単純に、嫌いだからやりたくないだけで。
さて。
彼女のむかう先は警察である。色々と行わなければいけない根回しが多く残っている。
フィスク曰く、根回しは大事であるとのこと。異人だというのに随分と『東京』になじんでいる。
しばらく歩く。
油断していたわけではなかったはずだった。
「っ――⁉」
不意に、サキの視界が暗転する。
路地裏から何者かが現れたのかと、気づき、対処する間もないことだった。
平衡感覚がぐらつき、意識が暗転する。
…………グラグラと揺れる視界の中にいる。
サキと呼ばれた女性はおもむろに瞼を開き、勢いよくかぶりを振るった。
頭の中で情報が霧散してまとまらない感覚がある。
ぐらぐらともふわふわともつかない平衡感覚を失った、傾いた視界の中で必死に意識を手繰り寄せる。
情報……情報が欲しい。
襲撃を受けたらしいのは、わかる。
視界、視界を確認する。
人影を認識する。
ひとり……否、二人だ。
長身の誰かがいてその前に背の低い誰かがいる。
二人の距離が近いから、一人に見える。
誰か……? 様子が普通の感じがしない。
「――――…………、れは、――りすぎ、です―――」
「――は、――ても、ね――」
一人は女の声、ひどく澄んだ声をしている。さながら、生き物が生きていけない湖のようでさえある。
もう一人は少年の声、聞き覚えのある声……。
「……古巣、少年?」
「おや、目が覚めたかい?」
女の声がした。酷く澄んだ、悍ましいほどに青い空を想起する声だ。
その声を、知っている気がする。
「……きさま、アサクラか……」
「おや、君とは初対面のはずなんだけどもね? ま、私もしばらくの間に有名人になったということなのかもしれないね」
「あの、大丈夫ですか……?」
傲岸不遜なことを言うアサクラと思しき女と傍らの少年。どう見ても古巣少年だ。
アサクラに誘拐されたと聞いたが、どうにも様子が違う。
彼を拘束したりする類のものも、その様子も見えない。
「じゃあ単刀直入に聞こうか? きみ、『御前会議』が何を企んでいるのか、知らない?」
「……知るか。……何より、あそこが巡らせている企みなんて両手の指ではきかんだろう」
「それはそうだね」
はっはー。とアサクラは気さくに笑った。
背筋が強張るのをサキは感じていた。
聴きたいのは簡単でね。とアサクラは前置きしたうえで。
「凪色家の話だよ。『御前会議』はなんぞあの家関連できな臭い動きをしているようだけれど……」
「―――――なぜ、そんなことを聞く」
「別に、今のは私がいちばん聞きたいことではないよ。気にはなるけれどね。今のはどちらかというと」
「僕の聞きたいことです」
そう、古巣イオリは言った。
「サキさん」
少年は知人の運転手の名前をちゃんと覚えていた。
「教えてください、僕の父は、どうして死ななくてはならなかったんですか?」
※
足取りが重苦しい。そう、フィン・フィスクは思う。
無論、普段から鍛えているし軽やかに動けるつもりだが、この場所には嫌な重力が働いているように思える。
いや――、淀んでいるのだ。空気が、気配が、人間が。
淀み、滞留し、異様な匂いを帯びて腐敗し、紫色に停滞している。
そして、その最奥の扉を開いた。
「――フィスクか」
「は。ここに」
フィスクはそういって膝まづく。
やたらめったら無意味に豪奢な長机には各々、没個性に着飾ったお偉方が並んでいる。
「それでキサマ、用件はなんだ?」
そしてその奥。上座の一番偉い――フィスクが膝まづく場所と対称に位置する場所。
豪奢な他の椅子どもとは異なり、その大きな椅子は酷く武骨で歪で、さながら座るものを拘束し搾取するためにあるような――そんな機構仕掛けの椅子に座る男がいる。
フィスクと同じ金髪の、しかしフィスクと異なり異人ではなく。ずっと長いこと『御前会議』という『東京』の中心、最奥、最高権力者たちの玉座に君臨し続けてきた男。
「陛下。――――アーサー・チューズデイ」
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