chapter2-4 くるくるまわる2

「これから、どうしようね」

 実に何げなくそんなことを言うアサクラ。

 ここは彼女の持つセーフハウスの一つであり、なんだかんだ古巣邸からは距離がある場所である。

 ここに、彼女はイオリとともにいた。

 手負いのまま急いで長距離を移動したものだから、涼しい目元とは裏腹にその息は切れている。

「ああ、もうそんなこと言っている場合じゃないですよ。アサクラさん、傷口を見せてください」

「ええ? ああ、うん」

 するすると上着を脱ぐアサクラ。細く引きしまった上半身が露出する。

「どうしたのきみ、そういう気分になったの?」

「ちがいます。傷の手当てをしますよ」

 一応、応急処置用の道具はハウスの中にある。少年はそれを使う気なのだろう。

「自分でもできるよ」

「それは、そうですけど。でも……アサクラさん、ずっとそのままほったらかしにしてしまうそうだったから」

 傷口にガーゼをあてがら、イオリは苦い表情をする。

 傷は思いのほか深く、鎖骨が剥き出しになっていた。

「……もしかして、私のこと、心配してるの」

「はい」

「どうして?」

「負傷した人を心配するのは、人として当然のことです」

「……そっか」

 少し困った顔を、アサクラはした。

そんな風なことを言う人間は初めてであったから。

「どうして……」

 ふと、イオリが疑問を呈する。

「うん?」

「どうして、彗透さんと戦いに?」

「言っておくけれどね、私ではなく彼女のほうから斬りかかってきたんだよ。私はそれに応対しただけ」

「……彗透さんは、どうしてそんなことを?」

「きみ、彼女に私の言っていたことを話したんだろ?」

「はい」

「私の推論はそれなりに角度が高かったとみていいだろうね。だって凪色家にとっては都合の悪い話だよ。だって私が話したことを纏めると今は空席の凪色家の椅子に今の当主――ナナ嬢が座ることを快く思っていない『御前会議』のメンバーがいたこと、ないし、いることだという話になる」

「それは、確かに」

「そして今、当時の関係者の口封じが行われているわけなのだけれど――」

 痛。とアサクラはつぶやく。

 我慢してください。と言うイオリ。

 思いのほか毅然とした少年だよなぁとおもう。

「で、だ。エスという少女が私に襲い掛かってきた理由は現状二つ考えられる」

「はい」

「一つ、私が関係者の口封じを行っている可能性を彼女が見たということ。十年前の凪色ナナの誘拐事件、シロキエスはまだ幼子であったとしても、やはり関係者ではあるわけだ。当時のナナ嬢の付き人だったわけだからね。私はセリザワを殺害している、後任者と類推することもできる」

「しかし、それはどうしても類推の域を出ません。問い詰めるならまだしも、いきなり斬りかかるとしては材料が弱いのでは?」

「そうかな? 私だったら普通に斬るけど」

「……」

「二つ、十年前の誘拐事件、これを掘り返されたくないという理由。彼女の主人である凪色ナナにとっては酷く痛ましい事件だったと聞いている。できればもう過去の事件としておしまいにしたい。関係者殺しもセリザワの逮捕を以って幕を閉じた。ということにしたいのだろう」

「……確かに、彗透さんは凪色ナナさんに対し強い忠誠と親愛の念を持っていると思います。その様子は溺愛では済まないように思うほどに。しかしそれは現状から目を逸らすことです。十年前の関係者殺しの実行犯が捕まったからと言って、それを指示した人間もその意図も明らかになっていません。そのうえ、実行犯の謎の不審死。ことは終わっていないと考えるのが普通です、凪色ナナさんの危機は未だ去らない以上、貴女を始末しても事の先送りにしかなりません、僕は彗透さんがそんなに短絡的な方だとは、思いたくないです」

「ふむ……」

 アサクラは小首を傾げる。

「どうしたんですか?」

「……きみはまるで凪色ナナは未だ危機の中にいる。と考えている節があると思って」

「違いますか?」

「まったく違う、とはおもわないよ。その可能性は現状、多分に含まれている。でも私はこうも考えているんだ。『御前会議』が十年前の口封じをしている理由は凪色ナナが改めて『御前会議』入りを果たすための措置であると」

「……あ」

「だってそうだろう? 十年前の件は、ある意味では凪色家、そして『御前会議』の失態ともいえるんだ。その事実を葬り去る行為は凪色家にとっても都合のいいことだと思うよ。エスさん自身もそのことを分かっていたから、わざわざ掘り返そうとしている私を始末しようとしたのかも」

 イオリ少年は沈黙した。

 信じたくない、というのが本当のところだった。

 少年にとって、エスという女性ひとは、自分が苦しい時に救ってくれた人なのだ。その在り方を美しいと、思ってしまう人だったから。

「………しかし、それはやはり成立しないです」

「うん?」

「それなら、僕の父が殺された会場にナナさんがいる理由が付きません。危険すぎます。そして何より――追い詰められたセリザワがナナさんを直接的に狙いに行った理由の説明がつきません。そうすれば『御前会議』は自身のメンツを再び潰されて、火に油を注ぐ結果になりかねません。伊達に十年前から裏世界でやってきた男がそこを理解できないわけではないと思います」

「……確かに。凪色ナナにとって一連の口封じ事件は脅威である。という点は間違いない要素ではあるのだろうね」

 そのように結論付けたそのうえで。

「でも……なんだろうね、私は、それでもこの二つ目の理屈が強いと思っているよ」

「それはどうしてですか?」

「凪色家は、何かを隠している。十年前の誘拐事件、そして凪色ナナ自身について」

「それは、どういった根拠で?」

 イオリは尋ねる。

 アサクラはふんわりと笑った。

「勘さ」

「えぇ……」

 イオリの反応にアサクラはケラケラと笑った。

「まあいいじゃないか、ミステリをやってるわけじゃないんだから」

 はっはっは、いたた。というリアクションを取るアサクラであった。



 病室にエスが眠っている。

 傷の手当を終え、穏やかに。

「ふぅん。随分可愛い顏をしている」

 エスの寝顔を見ながらポツリとつぶやくフィン・フィスク。

 エスのという少女が気を抜いているその貌はいつもの騎士然としていたものではなく、どこかあどけなく幼い少女のそれであった。

「……サキ、そう気配を消して後ろに現れるのはやめたほうがいい」

「申し訳ありません、フィスク様。これが性分なもので」

「で、何の用だ」

「ナナ様をお連れしました」

「そうか」

 フィスクは立ち上がり、病室を後にする。

 一瞬、エスを一瞥する。

 その幼い少女をどこか哀れなものを見る眼差しで見ていた。

 

 

「エスの容態は?」

「大事ではないよ。急所は外しているし、傷もそう深くない。すぐにでも回復して退院するんだろね」

「そう」

 そう。と実にあっけなくナナは返答した。

 そうして教えられた病室に向かってすたすたと歩いてく。

「………ああ」

 少し困惑した様子で生返事をするフィスク。

 彼女の後を追うようについていく。

 病室にナナが入り、エスの眠るベットの傍らに座った。

 そして、そのナナはエスの手を握る。

 その横顔は彼女の長髪に隠れてよく見えない。

「……」

「いかがいたしました、フィスク様。そのような鳩が豆鉄砲を食ったかのような顔をして」

「いや……思いのほか動揺が見えなくてな。もう少しわかりやすく取り乱すかと思ってたんだが……」

 少しの困惑を覚えるフィスクであった。

 正直、古巣邸で血を流しながら悶絶している彼女を見つけた時、一番最初に思い浮かんだのはナナの顏だった。

 もともと、およそ感情らしいものを持ち合わせているのか怪しい女ではあったが、エスが現れてからは、その限りではなくなった。

 当然、そのエスがこうして傷ついたのだというのだから、相応に取り乱す可能性を踏んでいた。

 泣き叫ぶ女を宥めた経験は相応にあるが、それは往々にして扱いやすくわかりやすい女の話だ。長い付き合いで凪色ナナという少女のことはある程度理解できているが、事がエス関連となるとどうにもわからない。

そもそも人前で泣いたり笑ったりするような女ではないナナがことエス関連では微笑んだりなどするのだ。二人が並んで微笑わらいあっている光景を初めて見た時は自分の目を疑ったものである。

そんな人間が感情を高ぶらせたとき、どうなるのか、未知数だった。いきなりひっぱたかれる可能性もあるだろうとさえ考えていた。

いたのだが、実際の反応は実に淡白なものである。

無論、その顔に全く心配の色がなかったかといえば確かに存在していた。これは長い付き合いの自分だからわかるものだろう。

だが、こんなものなのだろうか?

まるで、エスがある程度傷つくことがわかっていたかのような様子だ。

「…………」

 腕を組み、首を傾げる。

 フィスクはナナとエスの関係性を測りかねていた。

 無論、対外的には主人と従者であるのだが、フィスクが測りかねているのは個人的な関係値だ。

 仲の良い幼馴染であり、立場を超えた親友――であればもう少しわかりやすいし素直に仲良くしてもらって結構なのだが、その割には距離があるように思える。

 ではある種の恋人関係なのか? それも別にフィスクにとっては構わない。婚約者ではあるが、別に実際に自分とナナの間に恋愛感情があるわけではないし、なくていいと思っている。好きに浮気すればいいし相手が近しく見知った相手ならフィスクとしても安心ではある。間に挟まろうとも思わない。

 が、これもどうも違うとフィスクは思っている。

 確かに二人には恋愛関係に近い感情がうっすらと流れているように思うが、少なくとも恋人関係ではないだろう。そうであるには二人の間の空気感はどうにもぎこちない、硬いといってもいい。そのうえ、エスという少女はどうにもそのへんの情緒が幼く見える。行ってしまえばどこか初心だ。

 では親密な仲ではないのかといえば、そうではない。それはない。ナナとエスの間には二人にしかない独特な感情の渦がある。それも決してさわやかなものではなくどろどろのした情念のような渦だ。

 それが何なのか、フィスクは頭を悩ませる。

 決して覚えのないものではないのだ、喉の奥まで出かかっているのだが。

「……………ナナさま?」

「エス、おはよう。起きたのね」

 フィスクが頭を抱えている間にエスが目を醒ましたらしい。

 ナナが穏やかな声音でエスを迎える。

「エス様、申し訳ございません、ご心配を……」

「いいのよエス。大事がないようで安心したわ」

 そう告げるナナ。その口調は普段と変わらず穏やかなように思える。

 対するエスは、どこか不安げで焦りがあるように見える。

「ナナ様、イオリくんは……イオリくんは無事ですか?」

「知らないわ。フィンが貴女を見つけた時点ではほかに人はいなかったそうよ」

「フィスク殿……」

 寝ていたエスはおもむろに起き上がり、扉の所にいるフィスクに視線をやる。

 フィスクはゆるゆると首を横に振った。

 がっくりと項垂れるエスを気の毒には思う。フィスクとしても彼の少年は割と気に入っていたっから無事でいてくれるといいと思う。

 そう思いながら、ちらりとナナを見やる。

 ナナはエスから視線をずらすことはなかった。

 そのまなざしはやはり、彼女の黒髪に阻まれて伺うことはできなかった。



「さて」

 傷の手当てをしてもらったアサクラは一息つくとソファから立ちあがった。

「色々と考察を巡らせはしたものの、やはりこういうのは実際に動き出してみないとわからないね」

「アサクラさん、まだ傷は癒えてもいないですよ……」

「きみは心配性だし潔癖だな、これくらい私みたいな仕事をしている身からすればどうということはないんだよ、さて」

 アサクラは装備の用意をする。

 エス戦で使用したナイフを研ぎ、ロープや水、その他見たことのない道具の数々を引っ提げる。

「何を為さるつもりなんですか?」

「ちょっとね、考えてもわからないことのほうが多そうだから――そもそも私の目的は『御前会議』に一泡吹かせることだ、そのためにとりあえず接触しやすそうなきみから接触したが、うん。気が変わった。直接的に知ってそうな人間から聞き出すことのほうがはやい」

「は、はぁ……?」

 どうにも要領を得ない。要するにアサクラは何がしたいのか。

「私はねイオリくん。まず、きみに接触したのには二つ理由がある。一つは、きみが御父上から何か聞かされてないものかという期待。きみの御父上は十年前『御前会議』と直接かかわっている、もしかしたら連中の情報を何か掴んでいるのかもしれない。だがまあそれは会ってすぐないなという結論を付けた」

「それは、どうしてですか?」

「目を見ればわかる。きみは純真に過ぎるからね。さて、では二つ目だ。それはきみの地位そのもの。私はそれが欲しかったのだ」

 にやりと笑うアサクラ。

 イオリとしては、実に嫌な予感がした。

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