chapter1-7 撃退と一日

 学園の卒業パーティが近づいてきた。

 そこに登場する凪色七。

 彼女は学園の制服ではなく、いつもパーティに着ていく青色の上品にまとまったドレスを着ていた。

 彼女の母親からの形見である。

 そこのところのストーリーに対して何やら眩しいまなざしを受けることがあるがナナ自身は別にこのドレスに大層な思い入れはない。

 これを着ていくと受けがいいから着がちだし、何回も着たから体によく馴染むようになって結果として選択しやすくなったという循環が発生したというだけ。

 ただ。

「とても、お綺麗です。ナナ様」

「そう?」

 エスにそういわれるのは、嬉しい。

 もし、もっと派手なドレスを着ていたなら、もっと褒めてもらえたのかな?

「さ、ナナ様、お手を。エスコートいたします」

「うん、ありがとう」

 煌々と明かりが照らされていく卒業パーティの会場の下、青いドレスのナナとタキシードを着たエスが歩き出していた。



 学園のほど近く。

 約50mほどのビルが並ぶ(『東京』のビルにおいて高層と呼ばれるビル群である)一帯のとある一室。そこにセリザワはいた。

 注文し用意していた武装集団は学園のほど近くに控えている。

 学園の警備は普段と変わらない。

「……突撃」

 セリザワは一言そう告げた。

 金で雇った同族を無理に束ねた部隊は各々学園の中に突っ込んでいった。

 今日は学園の卒業パーティで今回のターゲットはそこにいるとされている。

 各々につっこみ銃声がなる。

 しばらくしてセリザワのもとに信号が届く。

『ターゲット不在』

「……なんだと」



「ナナ様、本日はとてもお美しく」

「ナナ様、どうか私とも踊ってください」

「ナナ様――」

「ナナ様……」

「ところで、お付きの方とてもかっこよくて素敵です」

「あなた」

 パーティ会場でほとんど初対面の学友たちとの交流を図るナナ。

 それと同時に女学生からどうにも興味津々で話しかけられつつ、それにたじろいでいるエスの姿がある。

 このきらびやかな世界はどうにもエスにとってはなじみにないモノであり、正直ちょっと困ってしまう。

 ふと、視界の端に見慣れた人物が映った。

「フィスクどの」

「や。モテモテだね、エスくん」

 軽く手を掲げながら彼は歩いてくる。

「獲物が罠にはまった。セリザワは今学園の敷地・・・・・に襲撃部隊をかけた。先の襲撃と同じような手法でね」

「まるで、何から何まであなたの手のひらの上のようですね」

 ふ、とフィスクは笑った。

「まさか。俺も所詮は駒の一つに過ぎないさ」



「……逃げるか」

 情報が違う。というか学園に突っ込ませた連中が逆に外側からの襲撃に会っている。袋のネズミといった状態だろうことは傍から見てもよくわかる。

 あのまま自分が突っ込んでいても死んでいただろう。

 どうにも依頼主からしてもそろそろ自分は切られる段階に来ていたらしい。

 財布から列車のチケットを取り出しコートのポケットにしまう。

 最終的な報酬は受け取れないが、受け取った前金の残りだけでも十分だろう。

 待機していたビルから抜け出し、バイクに乗り込み駅へ向かう。



 蒸気機関が煙幕を張り、雲を形成し、空を覆う。

『東京』はいつだって曇天だ。この街に太陽の光が直接さしこむことはまれだ。

 そういう薄暗さがこの街には常にあり続ける。

『東京』駅の構内はいつだって混雑している。『東京』から逃げ出す人間と『東京』に逃げ込む人間が常にごった返している。

 ここはそういう場所だ。

 セリザワはチケットを握りしめる。

 高い金を払う甲斐はあったと思う。

 彼もいいかげん、この街から足を洗いたいと考えていた。

 そしてなにより陽の光が差し込む場所へ行きたい気分だった。

 彼には理解できない。常に曇天でしかないこの場所に他所から来たがる人間に気が。

「まあ、いい」

 不意に耳触りな音声が響く。

 駅の構内アナウンスだ。

『駅構内にいらっしゃるお客様にお知らせがございます。現在、線路内にてトラブルが発生したため列車の出発を全線見送らせていただきます。お客様にはご迷惑を――』

 列車が全部動かない。そんなことあるのか?

 あるのだろう。どうする? このまま息を潜めて――。

『――迷子の呼び出しをお伝えします。『東京』は×××地区在住のセリザワ様。お母様が及びです。直ちに警備員室へいらしてください。繰り返します――』

「――……、」

 いつの間にか追い詰められていた。

『東京』から逃げることは、できない。



「ねえエス、『御前会議』ってどんなものだったか覚えている?」

「ええ、『東京』の政治経済の中枢を握る限られた貴族で作られた組織であると記憶しています」

「そう。実質的に『東京』の総てを牛耳っている組織。そして『東京』の総てを牛耳るということはこの国の総てを牛耳るということでもある。そういう代々続くこの『東京』で一番偉い貴族。凪色家はその一員」

「―――。」

「だからね、私があんなにちやほやされていたのは」

「いえ。いいえ、それは、そればかりはナナ様ご自身の魅力によるものです」

 フッ、とナナは嗤う。

「そう? ありがとう、エスはいつも私に素敵な言葉をかけてくれるのね」

「いえ、……だって、そうでなければ、わたしは……」

 どこか狼狽したような様子を見えるエス。

 そこは学園の卒業パーティの一室。

 パーティは学園ではなく別の会場で執り行われていたのだ。

 だがセリザワという自分たちを狙う男は見事にそうとは知らず学園に突入した。

 おそらく何らかの形でフィン・フィスクが情報網に介入したのだろう。彼はどうにもナナの知らないルートで『御前会議』と繋がっている節がある。

 学校に通ったことのないセリザワをだますのは容易かっただろう。

 すでに卒業パーティは終了している。

 学園に働きかけて学生はとっとと帰らせたし、『御前会議』に働きかけて駅の列車は止めた。

 メンバー一族の一員であるナナにはそれぐらいのことはできたし、裏を返せばただの小娘の一言で片手間にそんなことをできてしまうのが『東京』における『御前会議』という組織に立ち位置なのだ。

 もっとも、自分がなにか働きかけなくても勝手に男は追い詰められたであろうことはなんとなく感じるが。


 ふと、炸裂するように扉が開かれた。

 セリザワと呼ばれた男が拳銃を片手にナギイロ・ナナの前に現れた。

『東京』から逃げることはできない、そのことを彼は悟ったのだろう。

 であれば、またもとの場所に戻るしかない。そしてそのためには何らかの手土産が必要でそれはやはりナギイロ・ナナの首以外にはなかったのだろう。

 どうやってこの場所を突き止めたのか、彼にかかるおびただしい返り血を見ればなんとなく察しが付くが。

「別にどうでもいいわ」

 同級生か、学園の人間か、その関係者か若しくは赤の他人か。結局、そのいずれかがどうなろうとどうでもいいとナナは思う。

「っ!」

 セリザワは引き金を引こうとするが、それは叶わない。

 その腕ごと、あらぬ方向へ拭きとんだ。

 エスの居合が彼の腕を切断したのだ。

 彼は自身の腕を切断した少女の顏を見る。腕を切られてなお、眉一つ動かさなかった無表情の男がその時、初めて眉をひそめた。

「――――お前は、」

「ハッ、――!」

 返す刀。

 腰を深く落としたエスが切り返した刃はセリザワの足首にかかる。

 腱が断ち切られ、どさりと横転するセリザワの体。 

 倒れた男の首元に刀の柄で殴打を加える。

 男は信じられないものを見た顔をした後、やがて口を噤み動かなくなった。気を失ったのだ。

 ことは凡てそれで終わった。

「お疲れ様、エス」

「いえ、お目汚し失礼いたしました。ナナ様」

「そんなの気にしないでいいのに。でもね、エス、ありがとう。ほら、返り血がついているわ」

「……」

「どうしたの、エス? 顔色が悪いわよ?」

「……いえ」

 ナナは懐からハンカチを取り出してエスの頬をぬぐう。

 やめてください、ハンカチが汚れてしまいます。と、言うべきだったし言いたかった。

 けれど言えなかった。

 喉の奥がカラカラに乾いたみたいな感じがした。

 人体を切断したのは二度目だ。一度目は警視総監のパーティ会場、あの時は必死でその事実を認識することが出来ていなかった。

 そしてセリザワという悪党を切り伏せた今しがたが二度目。

 今度は、ちゃんと、意識的に。

 殺さなかったのは、生かしてこの男の口から依頼した人間の言を聴くためでしかないし、利き手と両足を切断されたこの男は仕事はもちろん通常の生活に戻ることもないだろう。

 口を割る必要がなければ、果たして男を「ちゃんと」殺していたのだろうか。

 指先が震えているのを感じた。

 肉を絶つ感覚が残る。

 ―――私は、もうとっくに殺しているのだ。慣れなければならない。

「ナナ様……わたしは……」

「うん? どうかした?」

 正しいことを、したはずですよね。

 ……そう彼女に問うのは、間違っている。

「お怪我は、ありませんか……」

「ええ、何ともないわ。あなたのおかげよエス」

「そうでしたか……」

 ならよかった。それでよかったのだ。それがよかったのだ。

 そのためにわたしは恥知らずにも貴女のもとに戻ってきたのです。

 やがて、窓の外が暗く暮れる。

 こうして一日が終わり行く。

『東京』のなんてことのない一日が終焉を迎えるのだ。



 後に連行され、留置所に送られたセリザワは数か月後に死亡した。

 傷が祟ったのではなく、何者かに殺害された痕跡があった。

 血液の汚染が見つかり、毒殺であると考えられている。

 しかし。その事実は残らず、自殺として処理されることになった。

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