chapter1-6 追跡と罠
「エス。どこへ行っていたの? 心配したわ」
「すみません、先の少年――フルス・イオリくんに会ってきたんです」
「そうなの」
「はい。とても素敵な少年でした」
「……そう。まあどうでもいいけれど」
興味ない風なリアクションをとりつつ、エスの前方をカツカツと歩くナナ。
四方をベタ打ちのコンクリートに囲まれた大きな建物。
屋敷と呼ぶにはあまりにも無骨すぎるその建物はフィスクの居である。
誰がどう見てもマフィアだなとわかるような無骨な黒スーツの異人が壁際でナナとエスの歩みを見つめている。
「や、呼びだして悪かったね」
「ほんとう。いきなりよびつけるのは、私どうかとおもう」
「ナナ様のおっしゃる通りです。色々たいへんなこの時期にいきなり呼びつけるのはいかな了見か」
「酷い言われようだ。せっかく一連の事件の実行犯を突き止めたのだから、その情報を共有しようと思っていたのに」
※
「このセリザワという男が一連――総監殺しの実行犯だ。この男、すでに他にも何人かの貴族用心を暗殺している」
ぽんっ、とフィスクは自身が座るデスクの上に無造作に写真を投げた。
写るのはスキンヘッドで頬骨の浮き出た低身長の男だ。
「例えば、どのような方々を?」
「それは秘密。あとこの男の情報をどうやって手に入れたかとかもいえないからね」
ほら。と、フィスクは彼の後ろに控える黒服たちをしゃくる。
「……では、なぜこの情報をわたしたちに共有しようと? 警察の仕事ではないのですか?」
「ははは。
「……はい?」
衝撃的な内容をこともなげに言われるものだから、面食らってしまうエス。
「そうなの?」
「うん。そうなんだよ」
そして存外にあっさりとナナはその話を受け止めた。
「貴方がそういうのなら、何か根拠があるんではないの?」
フィンを尋ねるナナ。
うん。と頷くフィン・フィスク。
「殺された人間の共通点を洗いだしたらね、十年前の君の誘拐事件。みんな、それの関係者だったんだ。そしてこのセリザワという男、当時の誘拐の実行犯だったんだ」
※
セリザワ。
仕事人。何でも屋。犯罪屋。
凪色家令嬢凪色七誘拐事件実行犯。懲役十年の判決。
その他、強盗、傷害、殺人、放火、爆破、脅迫等の容疑。立件ならず。
スキンヘッド。やせた頬。低い背丈が特徴。
男性。出身不明。年齢不詳。名不詳。
金で何でもする男であり。誘拐事件を始めとした諸々の犯罪も他に依頼人がいたと考えられる。
※
「どうしたのエス? 顔色が優れないわ」
「いえ。ただ、少し昔のことを考えていました」
「十年前のこと?」
「はい」
エスは首肯した。暗い夜の中の凪色屋敷。
空っ風が窓を叩く。
「エス、貴女が何をそんなに気にすることがあるの? 別に嫌味でもなく当時の私たちはまだ年齢が一桁もいかない子供だったわ。何もできやしなかったし、どこへも行けなかった。でも今は、貴女が私の傍にいてくれるのよ。きっとこれ以上はないほどに素敵なこと。だからねエス、貴女もそんな顔しないで……貴女が辛そうだと私は哀しいわ」
「ナナ様、…………そうですね。勝手に思い悩んでも仕方がない話です。今はただ、貴女をお守りすることだけを考えればいいのです」
「そう硬くならなくてもいいわ。貴女が帰ってくるまでの十年間の間、命の危険が全くなかったわけではないもの。けれども私はこうして現存しているし、今回もそんなに気にすることではないわ」
「ナナ様、それはきっとフィスク殿が裏から貴女に危害が加わらないように手をまわしていたからではないかと、しかし今回、かの人物は直接的にナナ様に警告を告げてきました。このようなことは以前にもあったのですか?」
ナナは顎に指先を当てて小首を傾げる。
「そういえば、こんなのは初めてね。フィンが私に直接に警告をくれるなんて」
「ならばきっと、今までとは違うということでは?」
「ええ。でも、それはきっと貴女がいることよエス。私を直接にも守ってくれる騎士様がいる。きっとそのことが彼の対応を変えさせたのではなくて」
「……」
こめかみに屯痛がするのをエスは感じていた。
彼の婚約者殿に、どうにも試されているような気がする。
「……ナナ様」
エスは主のことを見つめる。
彼女は整った、どこか幼い顔立ちをただまっすぐにエスに向けていた。
思わず、目をそむけたくなる。
それを必死で抑えて微笑を作る。
違うのだ。自分は貴女にそんな顔を向けてもらうような人間ではないのだといいたい。
けれど、言えなかった。それは酷い裏切りのように思えたし、わざわざ彼女のもとに戻ってきた理由ではない。
「……。ええ、この十年。わたしは貴女をお守りできる人間になるために頑張ってきました。こんどこそ、貴女をお守りするのです」
そう宣言した。
ナナは嬉しそうに微笑み、その貌には月の光が陰る。
そんな彼女の姿を、エスは美しいなと思った。
と同時に脳裏に小さな疑念が生まれる。
自分の十年間については気になってはくれないのかな、と。
わたしは、貴女がどんな十年を過ごしていたのかを知りたいと思っているのに。
でもそんな疑念はすぐに霧散してしまった。
※
女が死んだ。
喉からどくどくと赤く濁った血液がこぼれている。
セリザワは夜道を歩きながらナイフの血を拭い、近場の公衆電話から指定された番号へ電話をかけた。
「完了した」
「―――」
電話の相手は答えない。
それが首肯の合図だった。
セリザワは電話をきる。
それから思わずため息が出る。
金払いのいい仕事だ。破格だといっていい、自分には不相応だと思えるほどに。
金さえ払えば何でもするという体でここまでやってきた。だからこの仕事を引き受けた。提示された額はあまりにも高額で、前金もたんまりだった。この金があれば人生は「あがり」を迎えることが出来るだろう。
だからこそ不可解だった。
仕事屋だなんだといってもい実体はフリーランスの鉄砲玉のようなものだ。安い金で安い命を売る、『東京』にはそれなりにいる仕事。所詮はしょっぱい貴族の端切れを始末するのが関の山、いままでで一番でかい仕事は凪色七の誘拐事件であり、それも
そんな自分が破格極まる仕事を受けている。
どう考えても怪しい。何らかの罠を疑うのが普通だ。
……
どう考えても不可解だが、不可解な仕事何ぞいつものことといえばそうだ。
セリザワは考えるのをやめた。リスクなんて概念がある人間ではなかった。
さてと女の死体を片付けるために再び近づく。
ふと、その顔を見て思う。
……どこかで会ったことがあっただろうか?
見覚えがあるような気がしたがそんな訳ないかとその思考は消す。
家族も友人も同業者ともうまくやれないからこそフリーランスなのだ。
およそ知人と呼べる人間はセリザワには存在しなかった。
先の警視総監襲撃のために人員も前金で雇った自分と似たような連中だし、彼等とはあの仕事以前に交友関係も仕事関係もなかった。どうでもよい。
死体の処理が済むと懐から写真を取り出した。
どこかで見た記憶がある少女が映っている。
依頼人から渡された、こいつだけは絶対に殺してはならないと厳命を受けている人物だ。
「……」
セリザワは考えるのをやめた。
言われた通りの仕事をすればそれでいい。
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