chapter1-5 少女と少年
一瞬、意識が飛んでいたようだった。
燃え盛る炎のせいで変な白昼夢を見てしまったらしい。
「ん?」
腕の中に抱かれている少年、どうやらちゃんと助けられたみたいだ。
つやのある黒髪にどこか蒼白い肌。小柄な少年はぼんやりとした黒曜の瞳で自分のことを見ている。
「だいじょうぶ?」
「……はい」
「うん。よかった」
少年と立ち上がる。
燃え盛る、車だったモノの向こう側にナナの姿を確認する。
「ナナ様―!」
手をふる。
炎の向こう側に立つナナを安心させようとしたけれど、彼女は心底から不安げな顔をしていて、あまり効果的ではなかったようだった。
※
病院の廊下を歩く。
薬品と死の匂いにまみれたこの場所が、エスはどうにも好きではなかった。
「はあ……」
と、ため息を吐く。
葬式で死人が増えるなんてことは酷い冗談のようにも思える。
それもまた気が滅入る話ではあったが、それ以上に参ってしまったのはナナからのお叱りがまあたんまりあったことである。
彼女の言葉はどこか要領を得ない感じではあったけれども要約すると、自分をほっぽってあんな危ない真似をするとは何事だということだった。
ぐうの音も出ないとはこのことだ、
もうしわけない気持ちがたくさんあるが、それでもあの時の行動に後悔はない。多分、あんまり。正しいことができたとも思っている。
その証拠に。
「や」
少年の姿を確認した。病院内のベンチに腰かけている。。
「
「……はい、大丈夫です。助けてくださりありがとうございました、
少年は立ち上がり、恭しく頭を下げた。
「エスでいいよ。ほら、座って」
少年が座っていたベンチに座り、ポンポンとソレを叩く。
少年は――フルス・イオリは頷いて、座る。
エスの隣、少し隙間を開けてイオリは座る。
少年は少しだけ微笑むような顔を作ろうとして、うまくいかなくて項垂れた。
「だいじょうぶ?」
「……だいじょうぶです」
大丈夫じゃない声音でイオリはつぶやく。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
周囲の環境音が響く。
誰かの笑う声。誰かのなく声。患者を呼ぶ声。大変な事態の中でも廻る病院ないので日常の音。
「おとうさんのこと、……残念だったね。大丈夫、哀しくない……? 辛くは、ない?」
「……っ」
イオリは少しばかり驚いた顔をしてエスをみた。
「ごめん、無神経なことをいってしまって」
「いいえ。少し驚いてしまっただけです、そんな風に父を悼む言葉をかけてくれた方は初めてだったので」
「――」
少しばかり絶句してしまった。
そんなエスの様子に。イオリは張りつめた表情を弛緩させた。ずっと俯いて険しい貌だったから気づかなかったけど、その緩い表情は十代になったばかりの少年とは思えないほどに穏やかで、彼がびっくりするほどの甘い顔立ちだということに気づく。
「エスさんが『東京』に出戻りしてきた方だっていうのは本当だったんですね」
「うん。そうだけど、どうして?」
「『東京』に父のことを快く思う人間はいません。僕にとっては良い父ではありましたが、社会的には難点の多い人間であったように思います。他の貴族たちが葬儀に参列していたのは、社会的な立場によるもの以外ではありませんから」
「……それは、そうかもしれないけど……」
「いいんです。それが普通だし、僕はそのことを薄情だとかは思いません。ただ、貴女に気を使ってもらって、……そうですね。少し、自分が寂しかったことに気が付きました」
そう、少年は言った。年齢には不相応なほどに大人びた声に、なんだかエスは泣きそうになってしまう。
「すごいね、古巣くんは……わたしも、そんな風にありたいよ」
「そうですか?」
「うんそう。わたしもね、ナナ様の手前ではいつだって強くて正しいひとでありたいと思っている。だけど、それは難しくて今回のことでも、あの人に心配をかけてしまった。わたしは未熟者だ」
「でも、僕を助けてくれました……あの瞬間、貴女は主人であるナギイロさんを優先して僕を見捨てることもできました。でも、そうはしなかった。どうしてですか?」
エスは腕を組んで目を瞑り、じっと考え込んだ。
カチカチと、どこからか響く時計の針の音。
いくつもの時計がある病院の中。カチカチ、といういくつもの針がそれぞれにずれながら音を鳴らしている。
カカチチ、カカチチカチ。
「わたしは、ただしい人間でいたいと思っているの。そして、その正しさを貫ける強さがほしい。昔、そうであれなかったから。だから、きみのことすごいと思ったんだ。お父さんを亡くして、泣かない君が強いひとだと、葬儀の時、わたしはおもったの。その小さな背中に何を背負うのだろうかと……ごめんね、なんだか年下の男の子に変に自分を重ねて気持ち悪いこと言っちゃって……やっぱり駄目だね、わたし」
「いえ。……でも僕は、傷心の僕に声をかけてくれたやさしい貴女を素敵だって思います」
「…………照れちゃうな。恰好いいお姉さんとして声をかけたっていうのに、逆に気を使われちゃった」
少し照れて俯くエス。
ふと、時計の針が随分廻っていたことに気づく。
「……わたし、そろそろいかないと」
「あ、エスさん」
席を立つエスを少しだけ引き留めるイオリ。
立ち上がり、彼女の目をまっすぐに見つめて告げる。
「僕のことを助けてくれて、ありがとう」
うれしくてむずがゆい気分になってしまった。
「うん。どういたしまして、また会おうね」
二人とも微笑んだ。
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