chapter1-2 再会

 シロキ・エスは物心ついたときから凪色家に仕えていた。

 そのこと自体に全く疑問がなかったわけではないが、反発があるわけでもなかった。

 自分の人生とはそういうものなのだろうという納得がある。

 ずっとナギイロ・ナナという自分と近しい年齢としの少女(エスの実年齢はどうにも怪しいので年齢そこらへんは曖昧だ)に仕えてきた。

 そのことに不満はない。それが当たり前だし、当たり前である以上にエスはナナが好きだった。

 しかしながら、十年前の事件――ナギイロ・ナナの誘拐事件――を契機にエスは凪色家から引き離されることになる。

 

――アーサー・チューズデイの意向だった。

 

 警察の取り調べを受けた。

 警視総監の古巣氏が死亡する事態だったのもあって動きが早い。『東京』の警察はどうにも勤務態度が悪いことで有名だが実体としては、なんというか、普通だった。

 自分の身元を聞かれ、些か返答に困るエスではあったが――生まれながらにずっと凪色家に仕えてきたものという話はともかく、その後の十年の空白は何かと説明のし辛いものがある――いい感じの所で乱入者が入ってきたのがよかった。

「やあ。きみがシロキ・エスか。うん。なるほど、聞いてた通りの美人……というより美形だな。男役といわれたら信じるかもしれない。背も高いし、体型もすらりとしていながら引き締まった筋肉質さがある。きみがナナのものでなかったら間違いなくウチにスカウトしていたところだった。獲物が日本刀ソードなのも好みだね。まあ婚約者に恨まれるのも嫌なのでやらないが」

「貴方がフィン・フィスク様ですね。ナナ様の……婚約者の」

「そうだとも。ふふ、やはり奥歯にものが挟まったような顔をしたな。思った通り、いい関係性らしいな二人は」

「……口数の多い方なのですね」

 フィスクは角ばった顔をにやりと歪ませた。

「皮肉も好きか、いいね気に入りそうだ。きみも俺のことは嫌わないほうがいい、きみはナナの従者でボディーガード、付き人。そして俺はナナの婚約者だ。何かと顔を合わせる機会は多いだろうからね」

「……」

 複雑な表情を見せるエスには関せずフィスクは取り調べを行っている警察官のほうに顔をむけた。

「そういうわけだ。上に話は通してある。これが許可証ね。じゃあ、この娘はもらっていくから」

「……え⁉ ちょ、ちょっと待ってくださいよ! そんな横暴が――」

「うん? 俺が誰だかわかって言ってる?」

 抗議の声を上げようとする警官の青年をフィスクは一言で黙らせた。

 青年は俯くしかなかった。

「うん。賢い人間は好きだよ、俺」

 というわけで早々に取り調べが終了し、エスはフィスクに連れ出されることになった。



 やたらと長いフィスクのリムジンのなか、エスは目の前の得体の知れない男と向き合っていた。

「そう警戒するなよー。何も取って食おうってわけじゃないんだ。俺だって婚約者に嫌われたくはないんだ。普通に仲よくしよう?」

「……わたしも、ナナ様の婚約者であるフィスク様とは良好な関係を築きたいとは考えています」

「その割には警戒心が剥き出しだ。腕のいい殺し屋のもとで修業を積んだと聞いていたけれど、どうにもだね」

 顔をしかめるエス。予想はしていたが、やはりというか正直かなりやりづらいタイプだ。



 目の前のこの男、フィン・フィスクのことは知っている。

 もともとアーサー・チューズデイの手紙に書いてあった、自分を手引きしてくれる人間とは彼のことである。

 だから彼が、敬愛するナナの婚約者であることも、

異国からやってきていつの間にか『東京』の裏社会の一角を担うだけになっていた人物であることも知っている。

「そういう、マフィア崩れのような人物であることも知っています」

「マフィア崩れか、手厳しい物言いだね。ま、事実だからしかたがないけれど」

 フィスクは椅子の横に備えてある棚からワイングラスを取り出し、備え付けのシャンパンを開けた。

「君もどう?」

「飲めませんので」

「ふーん。残念」

 フィスクは口を湿らせる程度にシャンパンを口に含んだのち、それを机に置いた。

「……ひどく水面が揺らいでいる。運転手はクビだな」

 とつぶやいた。

 ふん、と鼻をならす。

「……察するに、君が心配しているのは、俺がナナに危害を加える、ないし俺の存在がナナの危険に繋がっているのではないかということではないかな?」

「……、まあ、概ね、はい」

「それについては問題ないんじゃないかと俺は思うよ」

「それは、どうしてですか?」

「『東京』に生きていて命の危機がない人間なんていないでしょ? むしろ、あいつのことは俺がちゃんと守っているといってもいい」

 どこか遠くで爆発音と銃声がした。

 窓のそと、遠くで煙が立っている。

「立地的に、銀行強盗かな? 治安が悪いよねこの都市は」

 世間話でもするかのように、フィスクは語った。



 まもなく凪色家の屋敷の場所だ。

「十年ぶりの再会――とはいっても先の総監襲撃の時に再会しているか――だけれども、どうなんだい? うまく話せそう?」

「余計なお世話です。それに、わたしの役目はただ、ナナ様に身も心もお仕えすることだけです」

「ふーん。その割には十年も――いや、これは詮索無用な事柄だった。じゃあここで下ろすよ。待望の再会だ、ナナと二人で気兼ねなく仲良くするといい」

「はい。送ってくださり感謝します、フィスクさま」

「どういたしまして。それと俺のことはフィンでいいんじゃないか? どうせ遠くないうちにナナもフィスク性になるのだし、そのほうが混同しないだろう」

「……検討しておきます」

「いいね。初対面で事前印象最悪だったにしては割と悪くない会話が出来ていると思うよ。俺たち」

 軽口をたたくフィスク。初めて会った時から一貫して軽い口調で話している彼だが、エスはどこか油断してはいけない人間特有の空気感をフィスクから感じていた。


 まもなく二人を乗せたリムジンが停車する。その時、結局二人ともほとんど口を付けなかったシャンパンの水面が大きく揺らいだ。


停車したリムジンの扉が開き、石畳の玄関。その門の柵の前にエスは降り立ち、フィスクとリムジンの運転手に会釈をした。

「フィスク様、一つお聞きしてもよろしいですか?」

「なんだい?」

「フィスク様はナナ様を、愛しておいでですか?」

 フィスクが口角を上げる。

「じゃあまたね」

 彼は軽く手を掲げた。自動でリムジンの扉が閉まり、玄関先から走り去っていってしまった。

 結局、彼は質問に答えなかった。

油断ならない人物であるとエスは感じた。

「さて」

改めて正門に向き直る。

古び、さび付いている玄関口ではあるがその奥に見える屋敷は十年前と変わらぬ威容を放っている。

ごくりと喉を鳴らす。

屋敷にはナギイロ・ナナが一人でずっと住んでいるらしい。十年前からずっと。そのことを、彼女のことを、想う。

錆びた門を開き、荒れた石畳の上を歩く。

嘗ては鮮やかだった庭の花たちもいつのまにか枯れていた。

それは今が寒い季節だからというわけではないだろう。

正門から少し歩いて玄関口に立つ。

手汗がひどい。

喉が渇く。

緊張しているのだ。

がんがんと、呼び鈴をたたく。

すぐに扉が開いて、びっくりした。

「エス!」

 軽やかな声が響く。

 小柄な体躯。白い簡素な洋服でまとめられた服装。長い黒髪。

 そして、細い体。色白の肌。

 記憶の中の彼女が今こうして目の前にいた。

「ナナ様」

「エス」

 どちらからともなく抱きしめた。

 ナナの体は記憶の中にあるそれよりも小さくて細かった。

 だから抱きしめた。もう離れないように。

「ナナ様。わたしは、こんどこそ貴女のために尽くします」

「エス。こんどこそ、ずっとわたくしの傍にいてね」

 こうして改めて二人は再会を果たした。

 それが、幸福なことであったのかは、誰にも分らない。

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