chapter1-1 来訪

「どうかしたかいナナ。なんだか上の空だね」

 軽い男の声がする。ナナは声の主に、落としていた視線を向けた。

「そう? フィンにはわたくしがそうみえるのね?」

「まあね、もっとも君はいつだってこういったパーティの席では上の空だったかな」

「……そう?」

「ああ、伊達に長いこと君の婚約者なんて大役を担っていないからね、それぐらいならかんじとれるようにもなるのさ。――して、きみの今の思案の種は今日から君のもとに来るという傍付きのことだね」

「……」

「まあそう硬くならないでよ。とある伝手を伝って君によこされたそれなりの腕利きだと聞いていると」

「……貴方の伝手、なのね」

「うん、そうとも。きみが知る必要が特にない伝手だ」

 そういってフィン・フィスクはグラスに入ったシャンパーニュを呑みほした。

 がっちりとした体躯に似合い豪快な性質である。伊達に裏社会でそれなりの立ち位置にいるわけではない。

 対して、小柄で細身で未成年の少女、凪色七ナギイロ・ナナは炭酸水の入ったグラスを指でなぞるようにくるくると回していた。

 黒い髪と黒い瞳がどこか物憂げに虚空を見つめている。

『東京』屈指の財閥、凪色家の一人娘で『御前会議』の次期メンバーと目される彼女は、しかして、社交界の席においてもやはりどこかボンヤリとしていた。


『東京』に住む貴族たちは表裏問わず、割とよくこうしたパーティを開く。互いの結束を深めるためだ。『東京』は発展した都市であるが狭い土地でもある。そして割合的には少数の貴族たちが運営を執り行っている。

 彼らの多くは顔見知りだ。古くからの慣習で子が親の仕事を引き継ぐ相続制がほとんどの割合を占める上に、地位のない人間が這い上がれるような社会ではないせいで顔ぶれが同じ年代において変わることはない。


 ナナもまた幼少の砌からこうしたパーティに出席している。

 そういう意味では、異国からやってきて地位を築き『東京』貴族の仲間入りを果たした婚約屋のフィスクが異端であるといえる。

「とはいえ今日は厳格な警視総監様の就任10周年記念パーティ。さしもの俺も踏まれたら痛いしっぽを出したりしないから安心しなよ」

「……別に、好きにすればいいわ」

 ボンヤリとした、どうでもよさげな様子でナナは答える。

 いつのまにか決まっていた婚約者が裏で何をしているのかなんてどうでもいい話だと、ナナは思う。

 こくりと炭酸水を呑み込む。

 シュワシュワは、苦手だ。パーティのたびに飲まされて苦い思いをする。でもそのことに誰も気が付かないし、わざわざ言ったりはしない。

 だから、ごくりと飲み下す。



 大きな体育館みたいな会場の壇上では本日の主役である警視総監が壇上に上がっている。

『東京』の警察組織においてある地点から上の人間は皆、貴族だ。

 みんな家業を継ぐように父の立場を継ぐように同じポストに就きがちである。別にそう決まっているわけではないが、慣習としてそうなる。暗黙の了解が好きな人々である。

 そんな中において珍しく彼の警視総監――古巣氏は家系の中に於いても突出した出世を成し遂げた人物である。

 もともと彼の父はせいぜい警視正クラス。どこぞの署長が関の山といった人物であり、彼の祖父、曾祖父もまたそうだった。

 だというのに彼の警視総監殿はどういうわけかそういう分不相応といわれるようなポストに就いている。先代の警視総監の家系が途絶えているからか? それだけ突出して有能であるという話なのだろうか? 

 壇上では古巣警察署長の長々としたスピーチが続く。

 彼に対し恨みがましい視線を向ける人間は多い。立場の低い家系の人間がたかい地位に就いているのだから当然だ。

 それでも彼は十年もその地位を維持している。


 十年前。おそらくそのころにあった自分と深いかかわりのある、あの事件に関わっていたからというのも彼があの立場を手に入れ、維持している理由として大きいのは確実なので深く考察するのをナナはやめた。

 何も考えないのは得意だ。

 ずっとそうしてきたのだし。

 

 

 考えるのをやめて、だからその爆発に気が付くのに一瞬遅れた。

 


 壇上で爆発が起きた。

 総監のスピーチが途切れ、ファンファーレか何かのように彼の破片が飛び散る。

 だが問題はそれだけではない。

 ステージの裏側はそのまま外壁と繋がってる。風穴があいた壇上から無数の武装した人間が現れたのだ。

 軽装でいながら彼らの手にはごつい重火器が握られている。見た限り統一規格の量産品だ。それが二十数人。その様子から所謂、鉄砲玉と呼ばれる人間の集団だろうとぼんやりナナは思索する。

 悲鳴とともにステージの近い位置にいた貴族たちが逃げていく。

 目の前のフィンはどうするのだろうと見やると、懐から取り出した拳銃で牽制をしつつどこかに携帯で電話をかけていた。

 ぼんやりと、ナナはその様子を見ている。

 銃声が舞い、血潮が歌う。『東京』では割と珍しくない光景だ。

 

 シュワシュワが喉に痛む。

 どこか、フィルムを見ているようだ。

 武装集団が自分の近くに近づいてくる。

 フィンが何やら叫んでいる。

 どうやら弾切れを起こしたらしい武装した男の一人が銃を投げ捨てナイフを取り出した。

 走ってくる。

 どうやら自分に振りかぶられた凶刃をナナはみた。


 ――ああ、ここで終わるのか。


 そんなことを特に感慨もなくナナは受け入れた。


 その刹那のことである。


「――――ハァッッッツ‼」


 男が切断された。

 血液が天井を染め上げるが、しかしてナナを汚すことはない。


 切断された胴の隙間から光が差すような気がした。

「ナナ様っ! 大丈夫ですか⁉ お怪我はありませんか」

「え、ええ……」

 その声があまりにも切実で、切迫していて、切ないものだったから、つい反射的に返事をしてしまった。

「――ッ、良かった! よかった! よかった!」

 どこか聞き覚えのある声だった。

 まるでいつかの未練がようやく成就したかのような声。

 この声を覚えている。

 この切なさを憶えている。

 いくら当時よりも低くなっているとしても忘れるわけがない。たがうわけがない。

「エス……貴女なの?」

「はいっ! ずっと、……ずっとお逢いしたかった……! ようやく貴女をお守りすることが出来た……! ナナ様! 大変にお待たせしました! シロキ・エス、今ここに貴女様の騎士として推参いたしました」

 何とも古臭い口上だ。高揚も感動も隠しきれていない未熟さが目にはいる。けれども、それはどうでもよかった。

 

 そんなことはどうでもよくて。


 血潮が光に舞う。

 十年ぶりともいえる自分の従者との再会に。

 ナナはただ、心を震わせていた。






「おじょうさま? これはなんですか?」

 舌足らずな声がした。

 エスの声だとすぐにわかった。

 ナナはエスが大好きなのだ。イケメンだから。女の子だけど。

「ふふん、これはね、ケッコンゆびわっていうの! コンヤクゆびわとはちがうのよ! お母さまのへやから借りてきたわ!」

 余談だが無断で拝借してきたものである。もっとも、彼女の母であるナギイロ・ネネにとってはそんなことわざわざ気にするような事項ではないし、何なら凪色家にはそんな指輪なんてそれこそ腐るほど転がっていたりする。

 当然、このころのナナがそれを知るわけはないが。

「これ、エスにあげるわ!」

 ナナはそうエスにいって指輪を渡した。

「いつか私に結婚を申し込むときにつかうといいわ!」

 そういって渡した指輪を目を潤わせながら、ぎゅ、と握りしめたエスの姿を憶えている。


 それは十年以上前の記憶。

 もう忘却の彼方にあるはずの日々の欠片だ。

 きっと、でもそれは、星の欠片よりも価値のあるモノなのだろうと思う。

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