第14話 サワメの本当の名前。
俺はそこまで考えて、ハッと動きを止めた。図書館で調べ学習をする中で、井戸に関する記述があったことを思い出したからだ。どんな本だったかは忘れたが、確かこういうふうに書いてあった気がする。
寺社などの境内にある井戸は、異界へつながる通路との考え方が強く、神聖視されているものもある。
――本当かどうかは分からないし、それがこのお社にも当てはまるのかどうかも分からない。だけれど、蓋までしてあったということは……この小さな井戸が、何らかの意味合いを持つ、大事な物だということを示唆しているのではないだろうか。
俺は頭の中で仮説を立てていく。
こんな小さな神社にある、小さな井戸。それが意味するもの――例えば、御祭神が
「待てよ……」
鳥居の側まで行き、それを見上げる。朱塗りで石造りの、新しく見えるそれに、不自然に残る額の痕。きっとそこには社名や御祭神の名前が書いてあったに違いない。
「この大きさ……まさか」
俺は急いでさっき外したばかりの
「やっぱりだ」
石に彫られた文字らしきくぼみ。妙に平らな石だな、とは思っていたが、まさかこれが鳥居にかかっていた額だったとは。丁寧に、薄く張り付いた苔を取る。
ミニチュアの井戸に蓋をするように、文字がある方を伏せて置かれていた石板。それに記されている文字が、だんだんと明らかになっていく。
サワメの居ない静かなお社。そこで俺は一人、苔を除いて姿を現した、その文字列と対面した。
「『泣』……『
泣くに、沢に、女に、お社って……。
どういう意味だ?
俺が、彫られた漢字を一文字ずつ読み上げて、首を傾げたその時だった。
「太地くん」
背後から声がした。俺はその聞き覚えのある声音にハッとして、振り向く。
「サワメ……!?」
視線の先には、いつもと変わらぬ姿で、美少女が立っていた。竹林の緑を背景に、夏の木漏れ日に照らし出されて、彼女はそこに居た。
「サワメ……今日、遅かったじゃないか。どうしたんだよ。めっちゃ待ちくたび」
「太地くん、」
持っていた石の額を地面に置き、サワメに歩み寄ろうとした俺を、サワメの凛とした声が制す。
「……サワメ?」
足を止めた俺と、サワメの目が合う。
「あのさ、太地くん。私ね」
真っ直ぐな眼差しを受け止める。
「太地くんに言わなきゃいけないことがあるんだ」
聞かない方が良い、と本能が叫ぶ。サワメは肩を震わせながら、それでも懸命に立って、声を出している。
「太地くん……それ、見つけちゃったんだよね」
サワメが地面を指差す。その先には、俺がさっきまで持っていた文字のある石板が横たわっていた。
「……うん、見つけたよ」
正直に答える。するとサワメは、驚くべきことを口にした。
「それね、鳥居から取って隠したの、私なんだ」
「え」
「私が、その石を取ってね、伏せて置いたの」
「……なんで」
俺からの質問には答えず、サワメは続ける。
「その鳥居の額を見つけたってことは、太地くん、井戸も見つけたんだよね」
「ああ、あの小さな」
「そう。じゃあ、もう分かっちゃったかな?」
サワメが、泣きそうな顔で微笑んだ。
「私の、こと」
「ちょっと待って、どういうことだよ?」
俺は思わず聞き返した。何がなんだか、分からない。サワメが今日遅れてきたこと、俺がミニチュア井戸を見つけたこと、鳥居の額縁を見つけたこと――それで、サワメのことが分かる?
俺が戸惑っていると、サワメはまた笑った。
「太地くん、やっぱり古典苦手でしょ」
脳裏を掠める古典のナカセンの顔。
「……苦手、だけど」
「じゃあきっと、古事記とか日本書紀とかも触れたこと無いよね」
「お恥ずかしながら」
「……もう、バカ」
サワメはそう言いながらも、まだ笑っていた。
「じゃあ、おバカな太地くんに――ちゃんと、言わなきゃいけないこと言うね」
「サワメにおバカとか言われるとムカつくな」
「ちょっと! 私が今から話そうとしてるんだから、口挟まないで! ……あのね」
サワメは、言葉を選びながら。
「私、今日でお別れなんだ」
――え?
「私の
「……え?」
やっとのことで、声を絞り出す。今サワメは、何を言っているのだろう。今日でお別れ? だってそんなこと、サワメは今までに一度も――。
「急にこんなこと言って、ごめんね。でも、そう
「……どういうこと、だよ」
急展開に、頭が追いつかない。心も追いつけない。サワメの言っていることがうまく呑み込めなかった。
「あのね、太地くんには私の本当の名前、教えてあげる」
サワメは人差し指をかざして、虚空に文字を書いた。
「『泣』『沢』『女』だよ。私、
「ナキサワメ……?」
聞き返しながら、俺は例の石板の文字に目をやった。――泣沢女社。なきさわめのやしろ。
「じゃあ、サワメ……これは」
震える手で、その文字を指し示す。
「これはどういうことなんだよ……サワメのお社って……」
言葉が、続かない。涙も出てこない。ただ、俺は震えていた。震えが止まらなかった。
なんで。
サワメが「ナキサワメ」なのなら。
この文字列を、そのままの意味で取って読む。
サワメのお社。
つまりサワメは、
「か、み、さ、ま――――?」
たどたどしく、その言葉を口にした俺に、サワメは泣き笑いの顔で頷いた。
「ずっと黙っていてごめん。
太地くん、私……神様、なんだ」
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