第11話 この気持ちの名前。


 あっという間に五分は経った。キャストのお兄さんが優しく案内してくれる。俺とサワメは、向かい合せの席になっている馬車に乗り込んだ。


「太地くん、これが馬車?」

「そうだよ」

「お馬さん、動かないよ」

「そういうもんだよ」


 まじか、サワメ。本当に遊園地来たことないんだな。メリーゴーランドはお馬さんが動くんじゃなくて、電気の力で回っているんだよ……なんて、夢を奪うようなことは一応言わないでおく。


「それではー、トランプの国の旅へ、いってらっしゃーい」


 お兄さんのアナウンスに、なるほどそういう世界観か、などと思いつつ俺は頷く。そしてサワメの方を向いて言った。


「ほらサワメ、出発だぞ」


 軽快な音楽が流れ出して、メリーゴーランドが動き始めた。最初はゆっくり。だんだんとスピードに乗っていく。


「ま、回ってる……!」


 サワメが馬車の縁に手をついて、軽く身を乗り出した。


「回ってるよ太地くん! 動いてる!」


 興奮したような声を出すサワメ。近くの象の背中に乗っていた知らないお姉さんが振り返り、騒ぐサワメを見てクスリと笑う。――だよな。小柄で華奢なサワメは、童顔なせいもあり、高校生にはあまり見えない。それにさっきからの、この はしゃぎよう ……ひょっとしたら、小学生くらいに見えていてもおかしくはない。


「……いや、それは流石に言い過ぎか」


 思わず声に出してしまった。


「なに、太地くん。なーにが、言い過ぎなの?」


 サワメが不審がって聞いてくる。俺は片手をひらひらと振った。


「あ、いや? なーんでもないよー」

「太地くんのケチー。なんて教えてくんないの!」

「ほんとになんでもないって」 


 だって本当のこと言ったら、怒るだろサワメ。またあの出会ったときのように泣かれても困るし。俺は懸命にはぐらかす。


「あ、そうだ。サワメ、このあとどこ行くか決めよーぜ」

「うーん、そーだねぇ」


 よし、話逸らし大作戦は成功だ。


「あの速いやつ乗りたい!」


 サワメが指さしたのは、丁度メリーゴーランドの隣に走っているレールを滑っていった、ローラーコースターだった。目にも止まらぬ速さで、赤と黒の車体が駆けてゆくのが分かる。


「え、あれ」

「うん! 私あれがいい!」

「お前、ジェットコースター乗れんの?」

「わかんないけど! わかんないから乗るのよ」


 何故かサワメは胸を張る。


 メリーゴーランドを降りた俺たちは、サワメの望み通りローラーコースターへ向かった。表示されている待ち時間は、さすがの人気アトラクション、メリーゴーランドとは比べ物にならないくらい長い。だが俺には、ほんの一瞬だった。サワメと過ごす時間は本当に速く感じる。


 彼女と取り留めもない話をするうちに、あっという間に順番が来た。


 プルルルルルル――。


 発車音と共に、車体が揺れる。


「では、いってらっしゃーい!」


 こちらのキャストさんは女の人だった。その高らかなアナウンスとともに、俺たちはいつ落ちるかという恐怖の世界へといざなわれる。


「太地くん」


 ここまでプライドを守るために言ってこなかったが、実は絶叫系が苦手な俺。その横で、サワメという憎いほど美しい少女はニコニコとしている。


「楽しみだねぇ」


 はぁ!? 何が楽しみだねぇ、だよ!

 お前には聞こえないのか! このカタカタカタカタという恐怖のカタマリでしかない、この音が!


「……っ」


 俺が信じられないという目で、サワメのことを見たその瞬間だった――――――落ちた。



「「「きゃーーーーーー!!!」」」



 周りの乗客が一斉に悲鳴を上げる。俺も一緒になって口を開くが、それだけだ。頭の中は、怖い怖い怖い怖いでいっぱいで、悲鳴が声にならない。

 

 サワメはというと、俺の隣で「ひょえー」と気の抜けたような声を出していた。そしてケラケラと愉快そうに笑う。


「なにこれ楽しいね太地くん!」


 何が楽しいねじゃ、ボケェ!

 俺はしばしの間、意識を飛ばすことに決めた。


 ――恐怖のひとときが終わりを告げた。


「おかえりなさいませー」


 アナウンスと共に目を覚ます俺。隣ではサワメが安全バーを押し上げている最中だった。それを手伝いつつ、二人で出口に向かう。


 俺が意識を飛ばしていたのを見たからか、流石のサワメも少し心配そうな顔をしている。


「太地くん、大丈夫だった?」

「大丈夫なわけあるか」

「もしかして、こういうの苦手?」

「……あんま好きじゃない」


 嘘だ。大っ嫌いだ。苦手だ。大の苦手だ。


 その気持を隠して俺が笑うと、サワメがピタッと足を止めた。


「サワメ?」

「……嘘だ、太地くん」

「……?」


 俺も揃って足を止める。サワメが顔を上げた。振り返った俺の目と、彼女の目が合う。


「太地くん、嘘つきじゃん」

「え」

「ローラーコースター、『あんまり好きじゃない』じゃないよね。本当は『苦手』だよね」

「……」


 俺は、サワメが何を言いたいのか分からず黙り込む。サワメは、俺の方へトボトボと歩いてきて、俺の服の裾をキュッと掴んだ。俯きながら彼女は言う。


「……なんで、言ってくれなかったの。コースター乗ってるとき、私だけ楽しそうで、太地くんずっと怖い顔してた」


 サワメが俺のことを見た。その目には、透明な雫がいっぱいに溜まっている。


「太地くん……! 言ってよ! ローラーコースター苦手だって。サワメだけで乗ってきたらって。無理して一緒に乗らなくてもいいのに。私だけ楽しいんじゃ、だめなんだよ」


「サワメ……」


「確かに太地くんは神様みたいに優しいからさ、夏休みを私にくれるって言ったじゃん。でも、太地くんがくれた夏休みは、私だけのものじゃない。私と太地くんのものだよ!」


 一緒に楽しまなきゃ、だめなんだよ。


 ――そう、彼女は言った。


「そうだよな」


 思わず呟いた。俺は、俺が我慢してサワメが楽しめればそれでいいと思っていた。だけどそれで、「いい」と思えるのは、俺だけだ。サワメが――あの、泣き虫でワガママで常識外れだけれど、本当は優しいアイツが、俺が楽しめないのを気にしないはずがなかったのだ。


「サワメ……ありがとう」 


 口をついて出たのは、感謝だった。


 サワメ……本当にお前は、本当に。


「優しいんだな。あと俺の方も、ちゃんと苦手って言えてなくてごめん。実はあんま乗ったことなくてさ、あとはふつーに落ちる感覚が好きじゃなくて」


 でも。


 彼女の、今にも涙が零れ落ちそうな瞳を見つめる。


「俺、サワメとジェットコースター乗れて嬉しかった。なんとなく怖い思いも少し和らいだ気がするし」


 気絶したけど、ね。


 心の中で付け足して笑う。でも、怖いのが少しなくなったのは本当だ。横にいたサワメという大事な存在、彼女と過ごす時間の楽しさが、恐怖を少し取り除いてくれた……気がする。


「本当?」


 サワメが訊ねてくる。


「本当だとも」

 俺は頷いた。

「ありがとな、サワメ」


 次の瞬間――、ふわり、と。

 目の前で笑顔の花が咲いた。


「よかったぁ。じゃあ太地くん、次はどこ行こっか」


 ああ、眩しいなぁ。


 涙を引っ込ませたサワメを見て、俺は気づいてしまう。この少女が持つ魅力、そしてそれに自分自身が惹かれていること。


 出会った瞬間から思っていた。


 よく泣くけど可愛いな。

 明るいな、眩しいな。


 不思議だな、もっと知りたいな。


 誰にも取られたくないな。


 この感情に名前をつけるとしたら、それはきっと漢字一文字で片付いてしまうはずだ。


 ――――――――恋。


 認めるよ。


 俺は、サワメのことが、好きだ。

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