第8話 お次は本屋で。


「おーい!太地くーん」


 道の向こうで手を振る、細身の女子のシルエットが見えた。


「サワメ……朝から元気な奴だな」


 はあ、とため息をついて、手を振り返す。今日も太陽はじりじりと容赦なく俺を照らし、サワメも負けじとさわやかな笑顔を振りまいている。今日は夏休み三日目。サワメとともに本屋へ行く約束をしていた。


「おはよ」


 ようやく彼女の元へたどり着いた俺を、サワメの挨拶が出迎えた。


「ああ、はよ」


 その零れ落ちそうなほどの黒目に見つめられ、反射的に目をそらしてしまう。どうも、朝から胸に悪い。


「たーいちくーん?どうしたのぉ、目そらして赤くなっちゃって」


 サワメがにやにやしながら聞いてきた。


「いや、なんでもない。それより、お金は持ってきたか?」


 俺は逆に聞き返す。サワメはいつも手ぶらのイメージだ。しかし今日は本を買いに行く……つまり、お金がいる。初めて会った時も、お社で話した時も、昨日の図書館でも、サワメはカバン一つも持っていなかった。

 「サワメ一文無しだから、太地くんあの本買ってよぉ~」そうねだるサワメの姿が目に浮かぶ。……そんな状況は、避けねばなるまい。


 俺は少し不安だったが、目の前の美少女は「もちろん」と言ってポケットから何やら取り出した。


「ほら、お金」


 それは、細長い白封筒だった。


「お前、財布は?」

「んー、なかったから、これに入れてきた」

「なるほど」

 

 全然なるほどじゃないけど、とりあえずそう言っておく。やっぱりサワメは、この市に住んでいる人じゃないのかもしれない。夏休みを利用して親の実家にでも帰省してきているのだろうか。祖父母からのお盆玉の袋に、お金を入れて持ってきた……そう考えると、つじつまが合う。


「まあ、とりあえずお金を持ってるってことで、よかった」


 俺はサワメに笑いかけながら言った。


「じゃあ、今日は本屋さんへ行こう」


「やったー!」


 心底嬉しそうに飛び跳ねるサワメを見て、なんだか俺まで幸せを分けてもらったような気になる。俺も久しぶりに本でも買おうかと心を躍らせながら、灼熱の道を歩いた。



 *



 その本屋は、市内中心部の駅ビルの中にあった。友達と買い物するときに、市内の学生たちは大抵ここに来る。そう言っても過言ではないくらい、大きなターミナル駅。そこに隣接する駅ビルの中に、俺とサワメは足を踏み入れる。


「うおー涼しい。さすがエアコン」


 サワメの言葉に、全力で頷きたくなる。


「本屋は……三階だな」


 フロアマップでお目当ての店舗を見つけ、俺はまっすぐにそこを目指そうとするが……。


「うおー、おいしそー」

「ねえねえ、太地くん!あの人形なに?」

「うわあ……かわいい。ねー、私あれ着てみたい」


 ドーナツ屋の前で立ち止まったり、携帯ショップの公式キャラクターの着ぐるみをべたべた触ったり、ウエディングドレスのガラスケースにへばりついたりする美少女約一名のせいで……なかなか三階に上がることができない。


「おい、サワメ。本屋はエスカレーターあがらないと無いぞ」

「えすかれーたー?」

「何バカみたいな顔してんだ。ほら、エスカレーターこっちだってよ」


 まったく……当のサワメは、タピオカ専門店の看板を見てよだれを垂らしてやがる。


「ほら、まだまだお昼どきには早いだろ。とりあえず本屋行こうぜ」


 まだミルクティーの写真を見て立ち止まっているサワメの襟首をつかんで、俺はエスカレーターに飛び乗った。


 ようやく、本屋まで来た。図書館と同じくらいの本の量に圧倒されているサワメ。俺は彼女に言った。


「サワメ。俺はこっちの文庫コーナー見てるから、お前は昨日図書館で見てた、図鑑みたいなの探して来いよ。ほしいんだろ?」

「うん。ほしい……けど、どこにあるのかわからない」

「そんなん俺もわかんねーけど」


 ふと上を見上げて、案内版を見る。


「あ、図鑑コーナーはレジの向こうにあるってよ。ほらあそこに看板があるだろ」


 天井からぶら下がっている小さな長方形のプレートをみとめ、俺はサワメをそこに連れていく。


「んじゃ、見つけたら俺のとこ戻って来なよ」

「うん!わかった!」


 サワメは無邪気にうなずき、図鑑コーナーへと駆けて行った。


 俺はまた、文庫本のところへと戻り、ときおりパラ読みをしながら、めぼしいものを探す。

 ……うーん、これは読んだことあるな。

 ……あ、これ、亀広がオススメって言ってたやつ。

 ……これ、表紙の雰囲気良い。


 もともと読書は趣味だったが、高校に入ってからの一年間は、新しい生活になかなか慣れず、自分の時間を取れていなかった。この夏休みに、長編を読破するのもいいな。どうせ、読書感想文の宿題も、あるんだし。


 そう思った俺は、一冊の本を手に取った。月の写真が表紙を飾っている、分厚い文庫本。どうやら、時代ファンタジー小説らしかった。あまり読んだことないジャンルだが、何やら面白そうだ。たまにはタイトルだけで買うのもいいと思い、それを持ってレジに行こうとすると……。


「あ、太地くんも買い物終わった?」


 本棚の向こうから、タタタっとサワメが駆け寄ってきた。


「私もね、見つけたよ」


 サワメが得意げに言う。みると、彼女の腕の中には、昨日と同じ本が抱かれていた。


「おお、よかったな。俺もちょうど、今から会計しに行くところだから」


 二人してレジに並ぶ。サワメは左手にその本を、右手に白い封筒を持って準備万端のようだ。俺もリュックから財布を出して順番を待つ。


「次にお並びの方ー、どうぞ」


 レジの人がサワメを呼んだ。


「お願いします」

 恭しく本を差し出すサワメ。

「お会計、千四百八十円になります」


 ここまでは、よかった。ちょっと変わってるサワメだけど、きちんと会計はできるんだな。俺がそう安心していた次の瞬間。


 じゃらじゃらじゃらじゃら。


 突然サワメが白い封筒の中身をトレーの上にぶちまけたのである。


「お、お客様!?」

「サワメ!」


 店員さんと俺の驚きの声が重なった。


「すみません」

 サワメは律儀に謝りながら、トレーにいっぱいの小銭の中から百円玉を探し出していた。

「一枚二枚三枚……あ、十枚ありました」


 「千円です」と言いながら店員さんに百円玉を十枚渡すサワメ。そして、「あと四枚」と言いながらまた百円玉を探して、手渡す。そのあとも五十円玉と十円玉三枚を丁寧に数えて、代金ぴったりに支払った。


「これで、お願いします」


 そしてサワメは、その白い手でトレーの中の小銭たちを再度封筒にしまった。店員さんはと言うと、両手いっぱいに小銭を乗せたまましばらくぼーっとしていたが、ようやく我に返ったのか急いでレジスターに向かう。


「お買い上げ、ありがとうございましたー」


 まだ戸惑っている店員さんの目の前を、上機嫌のサワメが通り過ぎて行った。俺は苦笑いしながら、レジのカウンターに本を出した。


「すみません、お願いします」

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