第二章 ラインハルト
うつくしさを知る時間
私が美の神として主神様に仕えるようになって、百年ほどが過ぎました。
結局私の新しい神名は、必要ないと断りました。
ディスティニー、なんて候補が上がっていたらしいですが。
アウヅとほぼ同じ意味の言葉です。
ええ、悪くはなかったかもしれません。
ただその頃には、私はラインハルトで定着しており、
ラインハルトと呼ばれる自分が好きで、
主神様もラインハルトとしか呼ばないので。
ついでに、精霊もリンで事足りているので。
新しい神名を付けてあの重い宝玉で飾る必要を感じなかったわけです。
「主神様、おはようございます。」
今日も定刻に目覚めた私は身支度を整え、〈
「……お前は勤勉だね。極夜なのだから、朝も夜もないだろうに。」
「極北は夜に包まれていても、世界は朝を迎えますので。
さあ、本日も始めましょう。」
主神様の姿を整え、髪を梳きます。
主神様は左手が少し不自由なので、以前は昼の大精霊ウェルにやってもらっていたそうですが、色々あってもう主神様との仲が周知になった今、何も遠慮することはないのでした。
……色々あって、の部分は割愛させてください。
全部、耳の良すぎる地神様が悪いんです。
思い出すだけで顔から火が出そうなので、ちょっと……。
ところで、主神様の髪型なのですが。
主神様は髪も不老不死のようで、伸びることも抜けることもないらしいです。
切ったところで、再生もするらしいです。
少し若気の至りのような髪型で、今となっては恥ずかしいのだけどね、と主神様は笑っていました。
いつまでも少年の姿の主神様にはとてもよく似合っていると思うので、私は今日もいつものツンツンした髪型に整えます。
その……、首を傾げたり振り向いたりした時に、ぴょこぴょこ揺れるんですよね。
それが愛らしくて。
眠そうに船を漕ぐ様子なんか、何十年でも見ていられます。
私は、主神様の背を追い越しました。
主神様は認めてない!と駄々を捏ねていましたが、本当です。
しばらく私が隣に立つとスッと離れられる日が続いたので、私が怒って極北を離れる、なんてこともありました。
離れたところで、主神様には見えているのでしょうし、主神様と呼べば聞こえるのでしょうから、本当にただのポーズだったのですが……。
意外と極北の外を散策するのも楽しくて、摂らなくてもいい食事なんかも面白くて、思ったより長旅をしてしまっていました。
うつくしいと思うものは、沢山見ました。
この世界はとてもうつくしいと思いました。
空や海といった極北で見慣れていたものも、ところ変われば姿を変えていました。
森や草原、花やせせらぎ、岩肌、生き物の群れ。
うつくしいものは、うつくしくないものの中にいつも隠れていました。
美の神という肩書を抜きにしても、そういうものを発見するのは楽しいと思いました。
ヒトのいる街にも、見るべきものはそれなりにありました。
生命の輝き。誕生と死。
ヒトが作り出す有形無形の作品。
ヒトが何世代にも渡って積み重ねた石積み。
それらをあまねく蹂躙するヒトの争い。
うつくしくないものの中にうつくしいものがあると知った私は、凄惨な光景でも目を逸らさなくなりました。
楽しい。
ヒトの営み。
彼らが作る料理。
彼らが作る死体の山。
彼らの命が輝き散る瞬間。
それをうつくしく歌う、音楽。
「リン。音楽の精霊って、いないの?」
「私のこと精霊博士だと思ってるの?」
リンはその姿に合わせ、言葉遣いを女性のように変えていました。
ヒトと接する時には、その方が違和感がないからです。
本来は私の想像が失敗して胸が大きくなってしまっただけの大人の私なのですが……両性具有ということになっているそうです。
興味が無いので、確かめたことはありません。
私は街角の吟遊詩人を屋根の上から眺めながら、その場でごろんと横になりました。
リンが隣にしゃがみ込んで、一緒に吟遊詩人を見物しているこの様子を誰かに見られても、仲の良い姉弟だと思われるだけでしょう。
うつくしすぎて三度見くらいはされるかもしれませんが。
「リンでも知らないかー。」
「知ってるわよ。……食べちゃっただけよ。」
「食べちゃったのか……なら仕方ないね……」
「でも、同じ精霊は出来ないけど、音楽なんてどうせ無くならないのだから、そろそろ新しい精霊が生まれてるんじゃないかしら。」
「ふーん。」
精霊とは、不思議なものです。
生き物ではないけれど、星が生み出す。
親もなく、子もなく、しかし愛を知る。
彼らは、何故存在しているのでしょう。
この世界の管理を助けるため?
この世界の秩序そのものかも?
彼らは、この世界をどう思うでしょう。
「リン。この世界はうつくしいと思う?」
「さあね。私には分からないわ。この世界そのものだもの。」
「そうか。うつくしいと思うのは、人の心か。」
そういう話をしていると、痩せ我慢の限界を超えて、
私をうつくしいと言ってくれる人のことが恋しくなってきました。
「帰ろう。主神様が、淋しがっていると思うから。」
そしてその日極北に帰った私は、
主神様とお互いに謝罪の言葉を口にしながら、
みっともなく野蛮な、だからこそ心に残るほどうつくしい一晩を過ごしました。
「どうしたの、ラインハルト。手が止まっているよ。」
呼び掛けられて我に返ります。
今はもうすっかり私の成長を受け入れた主神様が、振り返って少しだけ上目遣いで私を見ていました。
可愛らしい、と思うことも増えました。
今でももっぱら愛されるのは私の方ですが、
主神様がお望みならば、私が愛して差し上げることも出来そうだと思っています。
主神様が望まないことは、絶対にしません。
「いえ、……以前、私が出奔して、帰ってきた日の夜のことを思い返していました。」
「……そうか。
やはり、今は夜だ。
君が最もうつくしくなる時間だ。
朝から君がそんなふしだらなことを考えるわけがない。
そうだろう?」
主神様が私の頬に手を触れてきました。
ほんのり温かい感触。
私はその手をそっと握り、わざと不機嫌そうに片眉を上げ、唇を突き出してみせます。
「無理を通そうとされてます?」
「リン。今は夜だろう?」
主神様が虚空に問いかけると、リンの声だけが返ってきました。
「ええ、そうね。愛し合う二人はいつも夜のように周りが見えていないのだわ。」
「ほら、リンもそう言っている。」
「今のは違う意味でしょうが……」
ふふ、とつい笑ってしまい、これは私の負けだな、と観念しました。
目を閉じ、小さく深呼吸。
「仕方ありませんね。」
「おいで、ラインハルト。私のうつくしい子。」
完全にスイッチの入った主神様の様子に、思わず嬉しくも呆れを含んだ笑みを浮かべてしまいます。
主神様の右手指が私の耳朶をくるりと擦り、
私は心地よさに嘆息しながら、
やはり極夜で良かった、と思うのでした。
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