-case8-

 フリークスは怯み、体勢を立て直すために獲物であるリクシから離れる。アオキは自分でも思っていた以上の衝撃だったのか、軽くしびれた手を振るといつもの射撃姿勢に戻った。間髪入れずに放たれる弾丸は、化け物の顔面、急所である目玉の付近に着弾した。

「あの気持ち悪い目玉を狙ったつもりだったんだけど・・・・・・。今ので銃身歪んだかな」

 顔の銃創から黒い液体を滲ませながら、化け物は吠え、アオキに襲いかかる。

 距離を詰める獣に向かってアオキは更に一発の弾丸を放つ。まともに標準の合わなくなった銃でも牽制にはなると思っての発砲だった。しかし至近距離で放たれたこともあり、その弾丸は予想外に、異形の胴に直撃し貫通する。しかしその突進する勢いを殺すことは出来ずに、化け物は男を地面に押し倒す。「くそ、不味いな」

 焦りを露わにするアオキ。太い前足で胸板を押さえつけられ、その爪が服の上から食い込んだ。そこから少しずつ赤い血が滲んでいく。男の目には、すでに息絶えてつい先刻自分が血抜きをした猪の死骸が写っていた。痛みに顔を歪ませていた男は、やがて悟ったようにいつものような厭世的な笑みを浮かべた。

 フリークスは牙をむき出しにして男の首に食らいついた。

 アオキは鉄のような血の臭いを強く感じた。それは自分の身体から流れる血なのか、それよりも前から地面と混じり泥濘のようになっている猪の血の臭いか、もはや分からない。 生ぬるい感覚が上半身に広がっていく、それが首と胸から流れる自分の血液によるものだろうというのは予想がついた。その一方で手足の先から徐々に体温が失われ、感覚も薄れていく。

 のしかかる化け物は一向に動きを見せない。最早、自分が獲物に与えた与えた傷が致命的なものだと分かっており、その死にゆく様を眺めているようだった。

「舐められてるってことかね・・・・・・」

 そのぼやきに応えることもなく、フリークスはアオキを踏みつける前足の力を緩める事もない。

 リクシは襲われる師を前に何も出来ずにいた。頼りの散弾銃は銃身を歪め使い物にならない。かといって、アオキのようにその銃身で殴りかかったとしても、結果は同じことだというのは、目の前の惨状を見れば分かることだった。

 ふと、組み伏せられているアオキと目が合う。出血で虚ろになっているが、その視線はリクシの背後へゆっくりと動き、背を向けて逃げろとでも言っているようだった。

 しかし、青年は視界に入ったものに駈け寄った。最初に犠牲となった猟師の死体の横に転がるライフル銃。既に使い物にならない自分の武器を手放すと、側に散乱している弾薬を拾い慣れない手つきで弾を込め、発砲した。

「・・・・・・馬鹿だな。逃げろって合図、分かりにくかったかな」

 アオキは力なく文句を零す。身体から流れる温い血液が、地面に広がり、冷め切った彼自身の指先に触れた。

 泥濘のように血が混じった土をアオキはゆっくりと握った。のしかかるフリークスは新たな武器を持ったリクシに注意を奪われて咆哮を上げている。

 刹那、アオキはその顔面に、握った血の混じる赤黒い泥を浴びせた。よそ見をしている目玉を覆うように塗りたくる。

 フリークスに先ほどまで獲物をいたぶるような余裕は最早無くなっていた。獲物を押さえつける力が強まり、肺を押しつぶされるアオキは息を詰まらせる。

 視界を奪われた化け物にリクシはしっかりと銃口を向け、引き金を絞る。

 泥を被った化け物の顔面、その中央に弾丸は吸い込まれる。衝撃で赤黒い泥は飛沫になって周囲に散った。

 フリークスの金切り声が上がる。もがく化け物はそれでも動きを止めようとしない。

 一発、更に一発、銃声が連続して鳴り響く。そのたびに血の混じった土と、化け物のタールのような黒い体液が飛び散る。

 やがて引き金の軽い金属音しか聞こえなくなり、リクシは装填された弾を撃ち切ったことに気付く。とっさに目に入ったものは、アオキが猪の血抜きの際に使った大型のナイフだった。

 視覚を失い、悶える続けるフリークスは近付くハンターに気付かない。拾ったナイフを顔の中央、急所に向けて突き立てた。

 一際大きな鳴き声を上げると、力なく組み敷いていた獲物の上に沈む。リクシはその異形をアオキから退かすため蹴る。

 まだフリークスはその身体の形状を保ったままだった。引き続き青年は化け物の口蓋、眼球、首、刃の通りそうな場所へ片端から武器を振り下していった。

 しばらく続けてようやく異形の輪郭は崩れ、乾いた灰とも砂とも言えない粒の山になった。

「アオキさん、やったよ」

 すぐに助けを呼ぶ、と続けようとしたリクシの目には既に呼吸を止め、目の光りを失ったアオキが映る。

 青年の全身から力が抜け、膝が地に着いた。

 化け物との死闘の疲れか、それとも師を失った絶望からか、リクシは意識を手放し、その場に倒れ込んだ。


「ハヤマ先生、一つ報告上がってきました」

 都内某所の施設にてタブレットを片手に部屋へ入ってきた男は開口一番そう言った。ノックもなしに入ってきた者に対して、先生と呼ばれた眼鏡を掛けた男性は一切不快な様子も見せずに顔を綻ばせた。

「どこからですか」

「九州からのものです」

 ハヤマは視線を空に泳がせながら記憶を辿る。

「九州、たしかケース8ですね」

「はい、便宜上犬型と呼んでいたものですが、今回の報告では大型の六足のものが現れたとのことです」

「六本足、もはや犬とは呼べない造形ですね」

 スーツの男がタブレットに読み込まれた文書に目を通しながら行う報告に、レンズの奥の目が楽しそうに歪む。しかしすぐに、ふと湧いた疑問が口を出た。

「大型が出たということは生存者はいなかったのでは? よくそんな断定的な報告が出てきたものだ。衛星映像のアクセス許可でも出ましたか?」

「いえ。・・・・・・生存は二人です、大型の討伐も完了されています」

 続けられる報告にハヤマの眉間に皺が寄る。

「本当ですか。たしかその地域はまだ県からの自衛隊への要請は出てなかったはずですが」

「討伐者は地元の猟師のようですね。といっても四人中二人が死亡、一人は意識不明。討伐に成功したのはおそらくこの意識不明になっている男性だと思われます」

 男はタブレットを操作して、映像データを組織内で共有されているデータベースへと移した。

「唯一無事だった男の持っていたのスマートホンで撮られた映像です。所有者が大型に遭遇して、最初の犠牲者が出るところまで確認できます」

「素晴らしい」

 ハヤマはデスクの上にあるディスプレイに目をやり、マウスを数度操作し映像を開く。しばらくそのモニターに見入っていたがやがて視線を離した。

「・・・・・・あぁ、ここで逃げてしまったわけか、勿体ない」

 映像ファイルを閉じるとため息を一つ零す。

「それで意識不明の一人は?」

「もちろん支部の方で保護が完了しています、命に別状はなさそうですが・・・・・・」

 男の含むような言い方に、ハヤマは無言で先を促す。

「変異が確認されました。今の所、体表が硬化する、という程度のものですが。……血液検査のための注射器が使い物にならないと」

「なるほど、ありがとうございます。本当に、とても良い報告を聞けました」

 ハヤマの言葉を聞くと、スーツの男は一礼して扉に手を掛け部屋を後にする。そのドアの横には『特殊生物及び変異人類対策室』と文字並んだプレートが掲げられている。

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