無駄弾
アオキのライフルから轟音が鳴るとそれを追うようにさらに三つの銃声が響いた。フリークスの体が跳ねるように倒れ、その口にくわえられていた猪の脚はそのまま千切れて胴体から離れた。
アオキの放った弾は狙い通りその眉間を貫通した。その空いた穴からはタールのような光沢のある黒い液体が溢れるも、重力に従い地面に辿りつくまでに気化していく。
一方、リクシの散弾銃から放たれたスラッグ弾は、フリークスの右前脚を削るように当たっていた。そこからも眉間からのものと同じ、黒い液体がとめどなく流れている。他の二人の猟師が放ったものもそれぞれ胴体にあたっていた。一つは生物であれば心臓があると思われる場所に黒い染みを作っている。
四人とも倒れた化け物から目を離さず、次弾の準備を進めている。
「たしか死んだら砂になるんだよな、こいつらって」
銃口を獲物に向けたまま、リクシは尋ねた。
「砂かは定かじゃないけど、死体は残らないって話だったはずだ」
「……だよな」
目の前のフリークスは動きを止めたものの、まだ生き物としての形を留めていた。
青年は再度引き金を絞り、轟音を鳴らす。空いたばかりの眉間の穴を、更に広げる形で命中したスラッグ弾が、化け物の頭を貫通して地面に突き刺さった。
「無駄弾……って言ってる場合でもないか」
日本の規制上、二発までしか込めることができない散弾銃で、装弾されたものを躊躇なく撃ち切った弟子に対して、叱るに叱れず苦笑するアオキは、徐々に崩れ落ちる化け物の死骸を視界に収めながらようやく銃を下げた。
周囲に広がる火薬の臭いの中で、リクシは打ち切った散弾銃に弾を込める。
獣の足跡はまだ森の奥へ続いていた。痕跡からまだ複数はいるはずだ。ここではぐれた一匹を仕留めることが出来たのは猟師たちにとって僥倖だった。
足跡が続く木々の間に目を凝らす。男たちは己の目と耳を頼りに、周囲を警戒しながら森の奥へと進む。しかし、やがて異常に気付いたのは視覚で聴覚でもなかった。
足を進めるごとに血の臭いが濃くなっていく。先ほど嗅いだ、フリークスに食い荒らされた猪の死骸から発せられるものと似た血の臭い。臭いの元は鬱蒼とした木々を抜けた拓けた場所だった。
猪の幼体を咥えて奪い合う様に引っ張り合う異形が二体。既に息絶えてフリークスのされるがままになっている幼獣は、おそらく最初に見た猪の子どもだろう。
猟師たちは誰が何を言うでもなく、銃を構えた。一体でも手こずるような存在が目の前に二匹。仕留めたばかりの獲物に夢中になっている今が好機だと誰もが思った。
「僕とリク坊で右をやる。もう一体を頼むよ」
アオキは獲物に悟られないよう小さな声で仲間に声を掛けた。
「・・・・・・リク坊、二発撃て。撃ちきったらすぐに装弾。次はスラッグじゃなくて散弾で頼むよ」
「わかった」
指示の意図を理解したリクシは、肩に銃床を一層強く押し当て狙いを定める。
「……いくよ」
アオキの言葉を合図に、銃声が連続して鳴り響いた。撃たれた化け物はそれぞれ口から死骸を離し、衝撃で飛ばされる。しかし、致命傷にはなっていない。すぐに地にしっかりと四足を据えて身体を持ち上げた。
その獣の目玉は銃弾が飛んできた先の猟師たちを見つける。化け物は己を攻撃しきた相手を見据え、血がしたたる口を大きく開けて威嚇した。その口に再度、リクシが放つ銃弾が叩きこまれた。口から入った弾丸は化け物の喉を突き破る。それでもその獣の視線は男たちから焦点を外さない。リクシはアオキの指示通り、スラッグではなく散弾を込め始めた。
アオキが指示の際、散弾でとあえて付け加えたのは、仕留め損ねたフリークスが距離を詰めてくるはずだと考えたからだ。
散弾銃でも発砲可能な一発弾頭であるスラッグは中距離から長距離での狩猟に適している。有効な距離に於いてはライフルよりも殺傷力が高いことすらある。リクシとしても日頃は散弾よりもスラッグ弾を多用している。しかし近距離で、かつ外してしまえば後がない状況では、弾が広範囲に広がる散弾の方がメリットが大きい。
リクシは師が言外に含んだ意図を理解していた。それが故に、化け物が自分目掛けて距離を詰めてくる焦りと緊張で、弾を込めるが震えた。
アオキたちに撃たれたフリークスとは別のもう一体は、すでに距離を詰めるためにその体躯を走らせていた。弾を込めるリクシに向かわせまいと、二人の男は行く手を塞ぐように間に入り、正面から照準を定めた。
すぐに轟音が一度鳴り、化け物の前足を貫いた。バランスを崩し、勢いそのまま転がったフリークスは、転がった先で続けざまに銃弾を撃ち込まれると動きを止める。その体が崩れ始めてようやく、猟師たちは残るもう一体へと視線を移した。
喉を貫かれた化け物は、仲間がやられたことに一切関心を示さず、なお目の前で弾丸を放ったリクシに襲い掛かる。しかし、陸士はすでに装弾を終えていた。十分に引きつけたリクシはしっかりと目の前の化け物に銃口をむける。その手の震えは、もう止まっていた。
一発の銃声と共に、火薬の臭いが一層濃くなる。リクシの放った散弾を全身に浴びたフリークスは跳ね返るように後方に吹き飛ばされる。顔面の中心にある目玉の弾痕から、黒い液体が滲み出す。左右上下に視線を動かしながらも、その瞳孔はすでに機能を果たさず、獲物に焦点が合わなくなっている。
フリークスは金属を擦り合わせるような不気味な鳴き声を上げ始める。リクシは警戒しながらも横たわる獲物にゆっくりと近付くと、弾倉に残るもう一発を焦点が合わず動き続ける眼球に放った。耳を塞ぎたくなるような、一際大きな鳴き声を上げると獣の体は徐々に形を失い始めた。
その光景を見下ろしながら、リクシは空になった銃に、ゆっくりと使い慣れたスラッグを装填する。
呼吸を落ち着けようと深く呼吸をし、硝煙を吸い込み咽せそうになった青年を見て、アオキはいつものからかうような表情で口を開く。
「なんて顔してんだよ。……まぁともあれ、お疲れ、よくやった」
フリークスの消滅を確認した他の猟師たちも各々緊張を解き、武器を下ろした。
一息吐いた男たちは、それぞれ自分の持つ銃の点検と装弾を終えた。咽せるほどに充満していた火薬の臭いは木々の間を抜ける風によって薄まっている。
ふと気付いたように一人の猟師が、チームのリーダーである青木に訊ねる。
「討伐の証拠とか、なにか持ち帰った方が良いのか?」
「それなんだけど、特に何も言われてないんだよね。写真だけでも取って帰ればいいかな」
仕事を終えたものの、それを猟友会や自治体に報告するための証拠が何もないのだ。
通常の害獣駆除であればその死骸を持ち帰れば事足りる。しかし、フリークスは実際に討伐してしまうとその体は崩れ落ち、後には灰とも砂とも言えない塵残るだけだ。その塵をかき集めようにも、その大半は硝煙と一緒に風が運んでいってしまっている。
「歯形とかは残ってる訳だし、襲われた猪だけでも持ち帰るか?」
「うん、そうしようか。写真だけだとさすがに何か言われそうだ」
リクシの提案にアオキは苦笑しながら頷くと、手の空いている猟師に周囲の写真を撮るように指示した。そして自分は少しでも荷物を軽くするために、猪の死骸の血抜きを始め、すぐにあることに気付いた。
「食べるために襲ってる訳じゃないのか……」
その死骸を見ると、損壊は激しいものの、欠如している部位がない。野生動物に襲われた場合、真っ先に内臓を狙われ、胴体を食い荒らされる。しかし猪に残っている大きな傷は、致命傷となったものと考えられる首への噛み傷と、引きちぎられた脚の傷ぐらいだ。通常残るはずの食いちぎられ、抉れるような傷がどこにも残っていなかった。
「腹が空いてなかっただけか? いやそもそも餌を必要としない? ……まぁ死んだら砂になるような意味わからん存在だしな」
推測を重ねるも、生物学の権威でも何でもない自分では答えには辿り着かないだろうと、アオキは止めていた作業の手を再び動かし出す。
「次の駆除依頼が入った際には、ウェアラブルカメラでも付けようか」
「……こんな化け物の相手は二度と御免だけど」
「うん、それもそうだ」
なんとなしに改善案を口にするも、確かにリクシの言うとおり、できれば二度目はご遠慮したいと同感し、苦笑を浮かべる。
噛み傷を避けるように猪の頸動脈にナイフを入れたあと、頭が下になるように位置を調整すると、赤黒い血がゆっくりと出始めた。
「内臓は?」
「抜かなくていいさ、別に食用にするわけじゃないからね」
アオキの言葉で、一先ずやる仕事はないと悟ったリクシは、血で濡れていない地面を見繕い腰を下ろす。血が抜けきるまで、少しの休憩時間が与えられたものだと判断し、リュックから水の入ったペットボトルを取り出す。
「ビールが飲みたいね」
「持ってきてるわけないだろ」
唐突に飲酒を希望するアオキに、リクシは胡乱げな視線を向けた。
「帰ったらって話だよ、まったく」
「アンタこの前、狩猟帰りにそのままキャンプするとかほざいて飲み始めただろうが」
当たり前だと言わんばかりの返答にリクシは少しむっとして言い返す。
「あぁ、そんなこともあったねぇ」
まるで他人事のように笑うアオキに呆れながら、青年はボトルに口を付けて水を流し込んだ。
「向こうも終わったみたいだね」
周囲の写真を取り終わったのか、男性二人は煙草を吸い始めていた。
突如、完全に気を抜いて談笑している猟師の一人に黒い影がぶつかる。木々の間から気配もなく飛び出してきたその影は、男の肩に深々と牙を突き立てていた。
唖然とその光景を見ていた男たちが、それをフリークスだと認めるまでに数秒かかった。
「くそ、まだいたのかよ」
飲みかけのペットボトルを投げ捨て、リクシは再度銃を握った。
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