FREAKS

メニエール

prologue

異形の獣

「リク坊、緊張してんのか」

 リク坊と呼ばれた青年、栗本リクシは隣を歩く、自分の指導役とも言える中年男性のからかいの言葉に思わずむっとした。緊張しているのは事実で、言い返す気にならなかったのだ。

「そりゃそうだろ。俺は止め差しくらいにしか銃撃ったことないんだ」

 やっと考えついて放った言葉は、彼自身でも言い訳がましい、情けないと思えるものだった。彼は猟師といっても、父方の実家の畑を害獣から守るためだけにやらされているだけだ。畑の周りと、獣がすみかにしている付近の山に罠を仕掛け、それに掛かった動かない獲物に向けて引き金を引くといったもの。今回のような獲物を探し出すところから始める猟なんてものは初めての経験だった。

「それを言うなら僕だってそうさ。この辺の猟師なんて罠猟が主流なんだから、日頃から動く獲物撃ってるヤツなんて滅多にいないって」

 そうは言いながら、中年男性の足取りは軽く、まるで緊張なんてしていないようだった。

「リク坊は面に似合わず心配性だよなあ。まぁ猟師続けるんならその方が怪我せずに済むってもんか」

「面に似合わずってなんだよ・・・・・・。というかアオキさん、そのリク坊ってのいい加減やめない?」

「坊主扱いが嫌ならもうちょっと堂々としてなよ」

 意地悪く口角を上げながら軽口を叩く彼、アオキという猟師。リクシの父方の実家が持つ畑が猪に荒らされたとき、地元の猟友会から派遣されたのが彼だった。丁度年末、祖父に顔を見せに行っていた彼は師匠とも呼べる存在に出会ったのだ。

 当時大学生だった陸士は、無精ひげを伸ばした胡散臭い風貌の猟師の口車に乗せられて、本業ではないにしても猟師としの師事を受けるに至った。

「この辺で報告されてんのは一匹だけだよ。こっちは四人いるんだ、そんなにビクビクする必要はないって」

 我ながら小物みたいな台詞だなぁ、と気の抜ける言葉を続けながら顎を撫でる青木に、リクシ以外の猟師二人も苦笑していた。

 彼らは猟友会の招集で、ある害獣の駆除に向かっている最中だ。獣と呼べるかも定かではないそいつらは、突如として各地に現れた存在だった。

 フリークス、従来の生物とはかけ離れた異形たち、人類に対して明らかな敵意を見せる化け物だ。

 当初は数も少なく人の目に触れることも稀だった。偶然見つけた周辺地域の住民もちらほらいたようだが、目撃情報のそのほとんどは空目や都市伝説のような扱いで済まされた。しかしやがて目撃情報が増え、行政や自治体が無視できない存在になった。

 最初に討伐に成功したのが、その地元の猟師だった。そのときの化け物は、散弾を何度も撃ち込まれてようやく動きを止め、その体は砂のように崩れ落ちたという。対応に難儀していた各自治体はこれ幸いと地元の猟友会へと要請を出すようになったのだ。一度前例ができあがると、意地でもそのレールに乗せようとするのが行政ってもんだからね、とは目の前で飄々と歩を進めるアオキの言だ。

「そろそろ報告があった地域だね」

 先ほどより声を低くして、他の猟師たちに目配せをすると、彼らは持っていた猟銃をそれぞれしっかりと握り直して、周囲に目線を這わせた。

 しばらくしてその内の一人が、口を開く。

「ここ見ろ、足跡だ」

 彼は地面のある箇所を指して、他の者の注意を促した。

「なあ、報告されたのは一体だけって言ってたよな」

「そのはずなんだけどね」

 青木は男の問いに答えた。しかしその視線の先には、一体の動物にしては多い足跡が重なっている。

「三匹はいるね」

「・・・・・・念のために聞くんだけど、鹿とか猪、普通の野生動物って可能性は?」

 足跡を見つけた猟師に別の男が、おずおずと問いをぶつける。

 「ないね。あんな足の鹿やら猪がいるかっての。どっちかっていうとオオカミとかキツネが近いけど・・・・・・」

 続く言葉はこの辺の猟師なら聞かずとも分かる。この山にキツネをはじめとしたイヌ科の生息は確認されていない。

 彼らは一匹ならまだなんとかなると思っていたのだろう。しかし、数度の散弾を耐えるような強靱な体躯と、異常とも言える凶暴性をもつ存在を、複数体相手にするのはさすがに危険すぎる。

「今回は罠だけ仕掛けて帰るとか・・・・・・」

 リクシの提案にアオキは首を振る。

「そうしたいのは山々なんだけどね。数が増えてるなら、早めに駆除しないと危険かも知れない」

 真剣な面持ちのまま彼は言葉を続ける。

「山降りたところに一つ家があっただろう」

「ああ、あの古い家・・・・・・」

 青年は山に入る前、遠目に見えていた今にも崩れそうな古い木造の家を脳裏に浮かべながら師の次の言葉を待った。「あそこに住んでる爺さん、知り合いなんだけどさ、頑固だから避難しろなんて言っても絶対聞かなさそうなんだよね」

 その表情はいつの間にか、こちらをからかうようなものに変わっていた。

「まぁ、やれるだけやってみようか。なんとかなるさ」

 アオキは手元のライフルに視線を落として、まるで自分にも言い聞かせるように小さく呟いた。

フリークスと思しき足跡を辿って数分ほど歩いていると、見慣れた動物の足跡それに混じるようになった。おそらく二ホンイノシシ、それも痕跡からすると成獣のものだった。

「襲われてたみたいだ」

 猪の成獣にとって野生動物の天敵は存在しないというのが通説だ。山の王者が襲われるという事態を目の当たりにした猟師たちは一様に動揺を見せた。

 猟師の一人が足跡をさらに追った先で、地面に赤黒い飛沫が散っているのを見つけた。おそらく猪のものだと、誰もが何を言うでもなく分かった。ほかの猟師を率いるアオキは焦りからか、先ほどまでよりも少しだけ足取りを早めた。

「近いぞ、警戒しろ」

 声を低くして、呼びかけるリーダーに他の男たちも無言でうなずいた。耳を澄ますと落ち葉が踏みにじられる乾いた音が彼らにも聞こえた。物音がする方に目を凝らすと、木々の間で何かが動いている影が見える。

 すでに息絶えた猪の後ろ脚を咥えたまま、そのまま引きちぎろうと振り回す獣が一匹。一見すると犬のような相貌だが、従来の生物にあるべきはずの二つの目がなく、代わりに眉間にあたる場所に一つだけ、視線を忙しなく動かす目玉が見えた。

 リクシはフリークスという名が表す通り、これから討伐する生き物が異形の化け物だということは分かっていたはずだ。だがいざ不気味ともいえる存在と対峙して、その場から逃げ出したい衝動に駆られる。

 外貌だけで言えば想像していたよりも、知っている生物に形は似通っていた。一つ目の犬、言ってしまえばそれだけだ。しかし、猪の死骸を闇雲に振り回す異様な狂暴性と、ギョロギョロと動く一つの目玉が生物としての違和感が、見るものに不気味さを与える。

 ふと陸士は自分の師である男を見やる。青木はすでにライフルを構えていた。化け物から視線を外さないように瞬きを堪え息を飲む姿は、先ほどまで軽口を叩いていた男とはまるで雰囲気が変わっている。

「構えろ、リク坊。多分一発じゃ仕留められない」

 視線を一切投げかけずに掛けられた声に青年は我に返り、師に倣い銃を構え始めた。獲物は散弾を何回も食らってようやく動きを止める化け物だ。いくら貫通力のあるライフルだとしても、一撃で倒れることはないだろう。そもそも貫通力のある火器は、生き物の急所を確実に射貫いてこそ殺傷力が高くなるものだ。この生物の脳や心臓にあたる急所が果たして犬と同じ場所にあるのかわからない。

 だからこそアオキは一目見てわかる明らかな急所、化け物の眉間にある目玉に銃口を向けた。その貫いた先に、普通の動物と同じく脳があれば儲けものだという考えもある。

 異様な存在を前に呆然としていた他の二人も、次第に冷静さを取り戻しそれぞれに猟銃を構えたことを察したアオキはゆっくりと引き金に掛ける指に力を込めていった。

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