『後悔の海』★★★
この年になってやっと解った事がある。
死という名の扉だけは、誰の前にも平等に口を開けていて、それを潜る為の勇気だとか理屈だとかいった薄っぺらいものの為に私たちは今を生きている。
「私はエン」 「僕はランス」
同じ顔をした双子が言う。
彼らの背後には、白い扉がある。
「この先に持って行けるものは、ただ一つ」
「富や名声は持っていけない」
私は恐怖した。この扉の先へ行かなくてはならない。
でも、心細さが足を竦ませる。
「「君は、既にそれを持っている」」
二人の声が重なり、景色が歪む。
双子と扉は姿を消し、私の目の前には一本の道が真っ直ぐと続いていた。
「探して」
「見つけて」
どこからか双子の声が聞こえる。
そうだ、私は、それを見つけなくてはいけない。でないと……
「「どこにもいけなくなる」」
私は駆け出した。焦りと不安、そして恐怖を抱えながら。
道はどこまでも永遠に続いているかのようだった。
左右に色とりどりの扉が見えた。
その一つ一つを手当たり次第に開けて中を覗く。
ジャングルの奥地、会社のオフィス、誰も居ない海辺、揺り籠の中で眠る赤子、月から見下ろす地球……扉の向こう側に、世界は無限に存在するかのようだった。これでは切りがない。
「はやく」
「はやく」
双子の声が私の焦燥感を煽る。
ただあの扉の向こうへ行かなければならないという脅迫観念だけが私を突き動かしていた。
違う、違う…………これも違うっ!
私は、左右に立ち並ぶ扉を呆然としながら眺めた。
ふと、どこかで見覚えがある光景だと思った。
そうだ、子供の頃、両親が経営していたホテルの廊下である。
私の脳裏に幼い頃の記憶が蘇える。同時に、不思議な鍵の事も思い出していた。
いつからだったか、用途不明な鍵を僕は持っていた。
それは、銀色に光る普通の鍵とは違って、金色に光る素晴らしい鍵だった。
持っているだけで特別な気分になれた。
僕は、その鍵で開ける扉を色々と想像してみては、胸を躍らせた。
試しに、ホテルの一室に使ってみると、そこには見たことのない世界が広がっていた。
トイレの扉、机の引き出しなど、実に様々な扉にその鍵を使っては楽しんでいた。
その度に、僕の目には世界が色を変えて見えた。
僕には、魔法の鍵がある。
そうだ、あの鍵さえあれば、どこの扉でも望む場所に行く事が出来る。
しかし、あの鍵は一体どこへやっただろうか。
「願えば」
「想いは」
「「形となる」」
双子の声に従い、私は自分のポケットを探った。
そこには、ざらりとした感触と共に一本の鍵が現れた。
今にも崩れてしまいそうな程に錆びた鍵を私は、傍にあった扉の鍵穴へとはめた。
役目を終えた鍵は、ぼろぼろと崩れて砂になり、消えてしまった。
扉が開くと、中から大量の水が溢れ出した。
私は、濁流に飲み込まれて気を失った。
魔法の鍵は、扉だけでなく人の心さえも開く事が出来た。
僕は、それを友達に使った。
初めは面白いと思ったが、何度も使う内に怖くなった。
鍵は、僕が忘れている間に、どんどん錆びていった。
ある時、どうしても魔法の鍵が必要になり、それを使った。
結果、傷ついた自分の心に鍵をかけて、それ以来鍵の事は忘れてしまった。
気付くと私は、周りを海に囲まれた小島に一人ぽつんと横たわっていた。
見渡す限り水ばかり。途方にくれた私の頭上から声が降ってきた。
「とおさん……、父さんっ……!」
私は顔を上げて、声の聞こえる方へと意識を向けた。
次に私が目を開けると、息子の尚希の顔があった。
目にたくさんの涙を溜めて、真っ赤な顔で私の名を呼んでいる。
私の身体からは、たくさんのチューブが伸びていて、私の書斎兼寝室のベッドの上に寝かされているようだった。
目の端に、大事に飾っておいたキャラック船の模型が留まる。
ああ、これだ! 私がそれに手を伸ばすと、再び私の意識は白濁した。
私は再びあの世界にいた。霧に覆われた世界で風を受けて立っている。
周りはやはり海に囲まれていたが、私のいる場所は、小島ではなかった。
キャラック船である。
子供の頃から憧れていた船に今初めて、私は乗っているのだ。
船は漕ぎ手もないのに大海原を進んでいく。
これは今、私の心の中に吹く風を受けて進んでいるのだ。
目の前に、再び白い扉と双子が姿を現わす。
双子が言う。
「大きな船だねぇ」
「立派な船だねぇ」
そうだろう、そうだろう。
これこそが私の夢であり心なのだ。
自信に満ち足りた表情で私は答えた。
「さぁ、いこう。私の新しい船出だ」
この船は、新大陸を発見したクリストファー・コロンブスの船サンタ・マリア号、世界一周を達成したフェルディナンド・マゼランらの船ビクトリア号と同じ型である。
どんな航海だって乗り越えていける。
扉が外側へと開かれた。
その先は、真っ白い光に溢れて何も見えない。
そう、ここからまた始まるのだ。
私を乗せた船は、白い光の中へと消えていった。
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