3.

「鋭!鋭!父さんが来たぞ!」

広は、叫び声を聞いて、自室からすっ飛んできた。しかし、変わり果てた息子の姿を見ても、広は驚かない。

「もう大丈夫だ、さあ、落ち着いて。おじいさんのところへ行こう」

「ギャァァ!グァァ!」

暴れようとするキツネを必死に抑えつける。そして、広の部屋のクローゼットにしまってあるカゴの中になんとか入れて、広はそれを持って家を出た。





家から車で10分のところに、大して登るのに苦労しない、小さな山がある。ただし毎年3人ほど、この山で遭難することがあるが。

広は途中で車を乗り捨てると、カゴを抱えて山道を無我夢中で駆けた。やがて、ぼんやりとした明かりがついた洞窟が見えて、広は叫ぶ。

「おじいさん!俺です、通してください!」

「…静かにしろ。人間にばれたら終わりだ」

ほどなくして中から背中の曲がった老人が出てきた。そして広のカゴを見てため息をつく。

「…。またこの子か。何回目だ」

「去年よりは減りました。去年の今頃でもう3回はここへ来てたから…」

「まあいい、中へ入りなさい」




外からの風で、ろうそくが揺らぐ。老人が眼鏡を外して、机に置いた。眼鏡の横に、キツネがぐったりと横たわっている。

「処置は終わった、…すぐに治る」

「あ、ありがとうございます!毎度お手数おかけして、本当にすみません…」

広が何度も頭を下げた。老人が洞窟の外に顔を向けたが、どこか遠くを見ているようだ。

「この子はまだ、ヒトとキツネの血のバランスが整っていない。今年でいくつになる?」

「17です、今月末で」

「遅いな。普通は遅くても15になれば、キツネの姿になることはないのだが…」

老人が思い出したように立ち上がって、本棚から分厚い本を持ってきた。

「昔もいたんだ、そういう子が。名前は…。───たっくん。そう、たっくんと呼んでいた。…あの子は特別だった。150年に一度の狐人間だった…」

風が強く、冷たくなってきた。本がパラパラとめくれる。老人はろうそくを広の方に近づけた。

「それで、たっくんという子は、何が他の狐人間と異なっていたんですか?」

「彼は人間の血よりもキツネの血の方が強かった。だから、キツネになってしまう時期が長かったし、それに…。化かす力も特殊だった。お前さんも、小さい頃は化かす力があっただろう」

広はかたく握りしめた手をちらりと見た。

「はい、ありました。今は消えてしまいましたけど」

「そう、普通は大人になるにつれてキツネになること、化かす力は消える。それがあの子は、大人になってからもたびたびキツネになり、人を化かして生きていた。すごいのはここからだ。彼は、自分がいなくても自分の分身を作ることができたんだ。例えば、彼がアメリカにいても、日本で自分の分身が生きているというふうに…」

「…そんなこと、できるんですか?」

老人はゆっくりと息を吐いてうなずいた。

「彼が25のとき、自身の口からそのことを教えてもらった。私も驚いたんだ。だから彼の血を採って、今でも研究している。いろいろ聞きたいと思っていたのに、彼とはそこで縁が切れてしまってな。もう今となっては、彼の本名すら覚えていない…」

老人の、深く刻まれた皺。広は複雑な気持ちになって、立ち上がった。

「よかったら、またその子について教えてくれませんか。この子となにか共通点があるかもしれないので」

「ああ、いつでも来なさい。私もその子を詳しく調べたい」

息子を抱えて洞窟を出ると、風が木を揺らしていた。ざわざわと響く漆黒の森の中を、一歩一歩踏みしめながら歩く。点々とついている町の明かりと、明るく輝く星空を見て、広はキツネ姿の鋭をよりいっそう強く抱きしめた。









スマホのアラームが鳴る。鋭は目を開けた。いつもの自分の部屋の天井。反射的に飛び起きた。

俺、昨日…キツネになっちゃった…。

「鋭ー!起きろー!」

広の声。肩が震えて、もう一度布団をかぶる。返事がない鋭を不審に思ったのか、広が階段を登ってくる足音が聞こえてきた。

「鋭?起きてる?学校遅れるぞ?」

ドア越しに聞かれる。鋭は聞こえるか聞こえないかくらいの声で言った。

「今日は行けない…、行きたくない…」

「…そうか。欠席連絡、しとくから。会社行ってくるよ、ゆっくりしな」

「ごめん…」

広が出て行く音を聞いてから、鋭は布団の中で縮こまる。

去年よりは減ったとはいえ、鋭はキツネに変身してしまうことに強い嫌悪感を持っている。自分が自分ではなくなってしまう感覚。夜の記憶が飛んでしまうので、昨日自分が何をしてしまったのか、分からなかった。迷惑かけてない?人を傷つけてない?──見放されるようなこと、してない?

スマホのアラームを解除していなかったのか、もう一度音が鳴り、鋭は驚いて息をのんだ。布団から手を出して止めると、二度寝した。






「コン休み?マジか…」

泰晴は朝のホームルームでそれを聞いたとき、思わず声が出た。ただしみんなには聞こえていない。休み時間に一人悶々としていると、男子生徒が人混みをかき分けてやって来た。

「手塚ぁ、古文の予習写させて!ありがとう!」

1人で頼み了解し、勝手に机の中を探される。

浪川なみかわ、お前は去年となんも変わんねえなあ!自分でやってこいよ!」

「でも、手塚は断ったことないじゃん。サンキュー、助かるわ」

浪川は1年生のとき同じクラスで、中学の頃サッカーをやっていたという共通点があって仲良くなった。

「手塚、元気ない?どした?」

浪川が猛スピードでノートを写しながら尋ねてくる。

「いや、今野がいないからさ…」

「あー、今野?よくしゃべってるもんな。あいつ、面白い?」

「うん。一緒にいて面白い」

「ふーん」

尋ねた割には関心がなさそうだ。

「おけ、手塚マジサンキューな!今度英語教えるわ」

「お前、英語の授業で起きてたことないだろ!!」

そそくさと立ち去る浪川に向かって怒鳴る。しかし、憎めない奴ではあるのだ。泰晴はふっと笑った。

「手塚くん!」

「?」

浪川と逆方向からやって来たのは、比賀だ。

「手塚くんにお願いがあります!」

「なに?」

仁王立ちした彼女に圧倒されて、泰晴は目を逸らしてしまう。

「今日の放課後、一緒に今野くんのおうちにお邪魔しましょう!!」

「──────は?」




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