第7章 ペイス=ラウンジ

 水曜日の午前中、本田佑子は州立大学の図書館でずっと蔵書をあたっている。目的は九月からの新学期にとろうかと検討している社会学の書籍である。また、木村さんの相手ができるよう、午後には合衆国の裁判制度についても少し調べている。

 そして夕方になって自動車で出発し、Jストリートを西に向かった。五時を過ぎていたが、約束には充分すぎるほど時間がある。

 二方向に行けるJストリートが三十番街で東向きの一方通行に変わり、それより西には行けないということはすでに述べた。三十番街も一方通行で、この道路は北に向かうのでとりあえず右折する。

 次の東西の道はIストリートだが、これはフリーウェイつまり合衆国道八十号支線で途切れていて西側には行けない。そういうわけでHストリートまで来たのだが、この道路は東西二方向に走れるようになっていて、フリーウェイの下をくぐり西側の街路に行けた。だが、そのまま走り住宅地を抜けて、北に向かって走る十六番街まで来ると、Hストリートはこちら向きの一方通行になっている。

 十六番街の向こうの左側には州知事旧邸がある。このときから九年ほど前、後にアメリカ大統領(一九八一〜八九)になる人物が州知事に当選したとき、ずっと東の郊外に民間の寄付だけで州知事公邸が作られた。ここはそのときから旧邸になったのだが、十六番街が北行きの一方通行のため右に曲がるとき、白い建物が左側の斜め向こうにあるのをチラッと見るだけである。

 そこを右に曲がると、また北行きの十六番街の一方通行に入り、次のGストリートで左折すると西に行く。この道路も一方通行である。そして十一番街で左折したが今度は南北二方向の通行となる。

 南に向かい、Hストリートとの交差点で止まると駐車場の入り口が交差点を過ぎた向こう側にある。その入り口から入るとウェスタン・ホテルは東側の十二番街のほうにあって、その手前が駐車場になっている。佑子はHストリートで左折しようとしていたが、ウインカー(方向指示器)を止める。

 信号が変わり、Hストリートを横切るころから、ふたたびウインカーを出し左折する。対向車がなく駐車場にすぐ入れる。Hストリート側は駐車する所が十台分ほどあったが、ホテルのすぐ近くが空いている。道路から入ってすぐには自動車三台が止められていた。

 よく見ると、ホテル建物の一階が宿泊客の駐車スペースになっている。ということはどうやらここは、チェックイン前の宿泊客と、入ってすぐ右にあるバー・レストラン「ペイス=ラウンジ」に来た人たちが使うらしい。

 ホテル入り口のすぐ前の駐車スペースは障碍者用で空いている。自分の自動車をそのとなりに止めて、佑子はホテルのロビーに入っていった。

 フロント係が電話で話していて、ちらっと佑子を見たが応答を続けている。佑子はフロントに近づかないで、正面にあった長椅子に腰掛け、腕時計を見る――六時までにまだ二十分以上あった。

 外はまだ暑いのに、中は少し寒いくらい冷房が効いている。上着を着たフロント係は電話で会話を続けているが、宿泊客がちょうど来ない時刻か、ロビーには誰もいない。

 六時の五、六分前に木村さんが客室のほうからロビーに入ってきた。上は白い半袖で下は濃い青のスカートである。どうやらシャワーを浴びて着替えたようである――オーデコロンか何かの匂いがする。佑子はいつものようにTシャツにジーンズだが、立ち上がって木村さんを出迎える。フロント係はまだ電話で話している。

「本田さん、待った? といってもまだ約束の時刻になってないわね。」

「ちょっと早く着いちゃった。まだ六時前ですね。」

「そうね。――では食事に行きましょう。今夜は私が誘ったのですから私持ちです。といっても、別に高い店に行くつもりはないですけど。」

「いやあ、申し訳ないです。普段、レストランでの外食はあまりしてないのです。」

「すぐそこのレストランではどうかなあと思ったのですが――。」

 フロント係の若い男性はいつの間にか電話を終えたらしく笑顔で見ている。木村さんはちょっとその男性のほうを見た。意見を聞こうとしたのだが、そのとき中年の夫妻らしい二人連れがロビーに入ってきた。若いフロント係はすぐに新たに出現した状況に注意を奪われ、木村さんと佑子のほうは忘れられたようになった。しかたなく二人はホテルを出て、木村さんが言っていた、すぐそこにあるペイス=ラウンジに入って行った。

 中に入るとマネージャーらしい中年の、髪の毛が少し薄くなった男性が出てきてあいさつする。木村さんは左手でチョキを出して人数を示す。マネージャーはお客が女性二人と分かったが、べつにそれを気にするようでもない。メニュー二部をさっと取ってテーブルに案内する。

 やはりここも冷房が効いている。時間のせいか、あるいは曜日のせいか、お客が少ない。バーにはケーブル・テレビの大きな画面があり野球の試合をやっていたが、消音にしているのか音が聞こえない。ムード音楽が小さく流れている。

 二人が案内されたテーブルは右奥の片隅である。

「こういうところはやっぱり女一人では入りづらいよね。来てもらってほんとうに良かった。」

 佑子はこれまで一人で合衆国のレストランに入ったことがない。アメリカは意外と女性にとって自由なようで自由でない。日本のほうがずっと自由なのかもしれない。

 二人はそれぞれメニューを広げ、そこに書いてあるものを見る。バー・レストランだけあって、食べ物はあまり多くないが、飲み物はたくさんある。だけど佑子は自動車を運転するのでアルコールはダメである。

「本田さん、車でしょ。どうしよう、ビールくらいなら大丈夫かな?」

「いやあ、アルコールはだめです。アイスティーがいいです。」

 昔の合衆国では、ビールなら少しくらい飲んでも警察はおおめに見たと言うけれど、佑子の運転は慣れてはきたものの初心者に近いし、酒もあまり経験していないので酔っぱらうのが怖い。

 木村さんはメニューに目を通していたが、これがいいと言って顔を上げ、バーにいたウェイターに合図する。すぐにやってきたウェイターにアイスティーとカリフォルニア・ワインの赤を指差しながら注文する。ウェイターも指先を見ながら注文を取るので間違いがない。木村さんの注文をとるとバーのほうへと戻っていった。


「今日は裁判所に行って、刑事陪審の選任を見ました。事件は強盗殺人ということでした。」

「私はまだ、こちらの裁判を見たことがないのですが――。といっても日本の裁判も高校生のとき一度、ちょっとしか見たこと、ないんです。」

「ああ、本田さんは日本で裁判を見ているんですね。今は見ていない人が多いんです。」

「司法・立法・行政の三権と言いますが、日本では選挙がある立法を除いて、国民はあまり世の中のことなんかに関心を持たないようにできてるんですね。」

「そうそう。だんだんと選挙違反が少なくなってきましたが、それでもまだ買収なんてありますからねえ。そして一般の人もまだ司法に参加することが国民の権利や義務だと思わないんですね。」

「アメリカに来て陪審制度があって、ああこれも三権のひとつだ、国民主権だなんて気がつくんですね。」

 木村さんが合衆国に陪審裁判を見に来たというので、佑子も裁判に関心を持った。それで今日の午後、州立大学の図書館で合衆国の裁判制度について調べてみたのである。

「今朝、裁判所に行ったら一般の人がいっぱいいるので、どこの法廷で選任があるのか、すぐ分かりました。」

「裁判所はどこですか?」

「9番街の北、GストリートとHストリートの間です。」

 それなら、このホテルから歩いて二〜三分のところである。

「ああ、すぐそこですね。私はまだ行ったことがないんです。」

「留学生だとあまり縁がないよね。ここのホテルも裁判所の近くということで選んだんです。」

 そこへウェイターがアイスティーを持ってきた。大きなグラスに入っていて、それを佑子の前におく。その他に開けてない赤ワインのボトルとワイングラスがある。木村さんにラベルを見せ、注文したワインということを確かめる。そして、ポケットから出したオープナーでコルクを抜き、グラスに少し注ぐ。木村さんは匂いをかいでひとくち飲んでうなずき、ワイングラスを置いた。ウェイターはワインを少し注ぎ足し、瓶をおいて立ち去る。

「あら、ひと瓶、飲むんですか?」

「そうね、ゆっくり飲めばひと瓶くらい大丈夫。このワインはそんなに特徴はないけど、まあカリフォルニアらしいかな。」

 木村さんはそう言ったが、ほんとうにいつもゆっくり飲んでしゃべるタイプらしい。

「飲むのはこれでいいとして、そうねえ、何かおつまみが欲しい。」

 もう一度つぶやいてメニューを見る。そしてウェイターを呼び、チーズ、ナッツ、サラミをもらうことにする。

「それで法廷に入ったら、傍聴席が長椅子ですが八十席くらいあるんです。それが呼び出された陪審員候補でいっぱいでした。」

「傍聴席って、傍聴者は最初のころはいないんでしょう?」

「そうですね、候補だけみたいです。手続きが始まり陪審員候補に対し、最初に裁判長が自己紹介し、検察官・弁護人の紹介があり、被告人の名前だけが知らされます。そして犯罪ですが強盗殺人ということ。犯罪場所と被害者の名前が簡単に述べられます。」

「裁判官というのはその一人だけですか?」

「そうです、それが日本と大きく違いますね。日本では重罪は三人ですが、こちらでは見たところはどこも第一審の裁判官は一人だけです。」

「それでは日本との違いが大きいですね。そして、陪審選定のとき被告人がいるんですね。」

「ええ。ただし本人は何も言いません。弁護人には小声で話しているみたいですが。手錠も腰縄もなしです。」

「え、殺人容疑だというのに拘束されていないんですか?」

「全然。もっとも法廷には保安官助手が隅にいますね。腰に拳銃をつけていて、被告人は席を立たないよう注意されているのではないかと思います。とにかく被告人はちゃんとした格好をしてます。背広を着て、革靴も履いてますし。」

「日本とずいぶん違いますね。私が日本で見た被告人は、犯罪容疑は詐欺だったんですが、手錠・腰縄、そしてサンダルを履いてました。もっとも裁判の間は拘束されてなかったのですが。でも、両脇に刑務官が二人もついていて――。」

「それに日本の裁判には、ほとんど否認事件というのがないので、手錠・腰縄をされている人も有罪を認めているのが普通です。それに比べ、アメリカの陪審裁判ではすべてが否認事件です。」

「てことは、有罪を認めている人に陪審裁判は行わないんですか?」

「そのとおりです。裁判官の前に進み出て、アラインメント、つまり罪状認否で否認しなければ即決というのか、希望者にはすぐ刑期が決まります。すぐに刑期を言い渡すのが良いか、それとも後のほうが良いか、裁判官はいちおう尋ねます。でもアメリカでは裁判官の裁量がほとんどないと言われます。決めることができる刑期の幅が狭いんですよね。」

「へ〜え、そうですか。」

「でも、陪審裁判なしに罪を認めると起訴される犯罪が一ランク低くなるらしいです。検察を煩わせないということで即決の場合、刑期が短くなるということですね。もっとも取り調べで一度でも否認したらダメで、陪審裁判になるらしい。」

 合衆国での司法取引は検察官以前に裁判官が行うわけである。

「それに比べると日本では検察と被告人の裏取引があるんです。というか、取引はないことになっていますが、判断があるのだから、ないということはないでしょう。どちらにしても日本の裁判官たちはその取引にはいっさい関わっていません――検察と被告人だけの話です。」

「なるほどねえ。日本のように被告人全員が裁判を受けるわけではないのですね。」

「そうですね。起訴される犯罪が一ランク低いといっても、日本より刑罰が軽いわけではないし執行猶予もつかないし。」

「え、アメリカでは執行猶予はないのですか――。日本で執行猶予がつくのはどのくらいの割合ですか?」

「まあ、四割くらいではないですか、執行猶予がつくのは。刑期が三年までの軽い初犯だけですけどね。」

「四割も執行猶予がつくのですね。」

「アメリカでは執行猶予がほとんどないし、それで受刑者が多いのです。全世界の収容者の四分の一から五分の一くらいが合衆国刑務所の囚人だと言われています。もちろん世界でいちばん受刑者が多い国なのです。」

 木村さんは自分の専門として話している。視察から帰国したら書く報告書もすでに準備しているのかも知れない。

「裁判に関係する人が紹介されると、次は陪審員候補全員が起立して宣誓を行ないます。皆でいっしょにしますが、不思議なことに手を抜いて声を出さない人がいないようなんです。とにかく全員が右手を上げて宣誓するのです。これから行われる陪審選任手続きでウソをつかないという約束をします。」

「日本ではみんなで宣誓しましょうというと、手を抜く人が必ず出てきますよね。宣誓の意味がなくなってしまいますよね?」

「うーん難しいね――。日本では陪審裁判がないから。でも、アメリカ人はそういうことでは手を抜かないんです。というか、手を抜かない人が、裁判所に出向くんでしょうね。」

 ウェイターがおつまみを持って来て二人の間においた。ウェイターが行ってしまうと、木村さんはサラミ・ソーセージのスライスをフォークでとって食べ始める。佑子はナッツをつまんで口に運ぶ。

「面倒だから、私も立って右手を上げ宣誓のふりをして。それから、書記の前に抽選する機械がありました。抽選で選ばれて陪審員候補が呼び出され、前の法廷に出て行き陪審席に座ります。十二人と補欠四人が選ばれました。裁判を担当するのは小陪審ということですが、小陪審というのは十二人だというの知っています?」

「小陪審ですか? 図書館で見たんですが陪審は十二人ですね。」

「小陪審というからには、大陪審もありますね。グランド・ジュリーと呼ばれます。普通の陪審はプチ・ジュリーと呼ばれることがあり十二人ですが、大陪審は十六人から二十三人と言われます。」

「それは、州によって違うのですね。」

「そうですねえ、大陪審のサイズは州によって決まっているようです。大陪審は起訴するかどうかだけを決めますが、基本は多数決ですね。つまり、多数がそう考えたら起訴します。大陪審は合衆国憲法にあって、連邦の重罪は必ず大陪審の起訴によると書いてあるらしいです。もっとも州の犯罪によってはその必要がない所もあるし、州の裁判官が起訴を判断する場合もあるそうです。」

 佑子はアイスティーに口をつけ、それから頭を振りながら言う。

「普通の陪審は、『ギルティ=有罪』か『ノット・ギルティ=有罪にあらず』かを決めるんですね。」

「あら、よく知っていますね。日本では『有罪』か『無罪』を決めるとよく言いますが、アメリカでは十二人が『ギルティ』で一致すると有罪です。」

「もちろん全員が一致して『ノット・ギルティ=有罪にあらず』ということもありますよね。」

「全員一致でないときは、全員一致になるまで討議しますが、どうしても意見が一致しないときもあります。そういう時は『ハングした/ハング・ジュリー』などと言います。」

「そういうこともあるんですねえ。」

「『ハング――評決不能』の場合、もう一度、最初から裁判をやり直すのです。つまり陪審員を選ぶことから。もっとも、二度目の裁判で有罪にできる、つまり新たな十二人が有罪を選ぶという自信がなければ費用がかかりますので検察は諦めることが多いのです。そうすると『有罪にあらず』ということで被告人は放免されます。」

「なるほど、『有罪にあらず』というわけですね。」

「とにかく普通の陪審は有罪かどうかを決めるだけです。まあ、陪審がその後で刑罰を決める州も少数あることはあるようですが。」

 そして、木村さんはワインをひとくち飲み干す。疑問に思った佑子はちょっと確かめるふうに訊く。

「それで法廷で呼び出しと言っても、陪審員候補は匿名ですよね?」

「いや、匿名ではなかったです。抽選して呼び出すときはフルネーム(氏名)で。もっとも、その後の質問はファーストネーム(名前)で行われ『何番の方』というような言い方は基本的にしないです。だから、検察官や弁護人はちゃんと名前をメモしているのです。候補にファーストネームで呼びかけていますから。とにかく、それから候補一番から順に質問が繰り返されるのです。」

「有罪や無罪だと決めている人は陪審員に選ばれるんですか?」

「いや、事件を知っていて有罪と思っているとか、無罪に違いないとか言うと忌避されます。忌避って分かります? まあ有罪だとか無罪だとか明確に言葉で言うと、たいがい裁判長が忌避を認めて帰されます。もっとも、帰されると言っても、候補の部屋に戻って次の裁判に呼び出されるのを待つのでしょうけど。」

 サクラメントの裁判所では法廷がいくつもあるので別の裁判に行くことがあるのかしれない。

「別の裁判といっても、それは刑事事件だけではありません。アメリカでは民事裁判も陪審で行われています。つまり、民事の場合でも、そんなことはまずないけれど、一人だけの裁判官による裁判で両当事者が一致しない限り、陪審裁判で行われるのです。」

 佑子はなるほどとうなずく。

「だから陪審裁判と言えば、民事のほうがずっと数が多いのです。ただし刑事の評決では普通全員一致が条件ですが、民事では特別多数決のことが多いんです。つまり刑事ではふつう全員一致でないと『ハング――評決不能』になりますが、民事ではそういういうことがありません――だいたい決まるのです。」

 木村さんはそこでちょこっとチーズをつまむ。

「ところがまた、民事だと当事者同士の話し合いで陪審評議を経ないで『和解する』こともあります。そんなとき陪審は意見を聞かれることもなく解散し、陪審員は帰されると言います。」

 佑子はナッツをつまんで相手を見、うなずいている。

「もとの裁判に戻りますが、まあ、それでしばらくするとお昼になりました。担当する事件を仲間うちで議論してはいけないという、長いていねいな注意を裁判長から受けて解散です。みんな法廷からゾロゾロ出て行きました。」

「裁判所内に昼食を食べるとこ、あるんですか?」

「地下に広い食堂があって。そこはウェイターとかウェイトレスがいないセルフ・サービスね。」

「先生もそこで食べたのですか?」

「そうね、スプラウト・サンドウィッチを食べました。それとレモネードの大きなカップ。」

「学生食堂と変わりませんね。値段も同じくらいでしょうか?」

「そうね、同じくらいじゃないですか――。陪審員候補もほとんどがいっしょに食事をとっていました。さすがに事件のことを話していないようでしたが。でもすぐ仲良しになるんですねえ、同じ事件を担当すると。」

 午後一時半になれば、裁判長、検察官、弁護人、被告人のほか、陪審員候補たちがまた元の法廷に戻り、陪審選定が続けられる。傍聴席にはまだ名前を呼ばれていない候補者が待っている。

「カリフォルニア州では、法律で陪審員候補に質問が許されているのは裁判長だけのようですが、たいがいの裁判長が検察官や弁護人に質問を許しているようです。」

 木村さんはちょっと佑子を見て言った。

「日本人はあまり知らないようなのですが、『専断忌避』って、本田さん、分かります? アメリカの裁判では裁判長が、必ず検察側や弁護側にどうするか尋ねます。」

「え、何ですか、それ?」

「普通の忌避というのは裁判長が『この人はもう有罪か無罪かの意見を持っている』と考え、陪審員に選ばないことで控室に戻されます。これには数に制限がありませんし裁判長の判断によります。」

 普通の忌避つまり陪審員に選ばないことには、非選任の理由があって裁判長が判断する。それは分かったがもうひとつの忌避は?

「専断忌避というのは理由を言わずに陪審員に選ばないことです。だから検察官や弁護人が直感で決めます。つまり裁判長は忌避しないのですが、いろいろのことから被告人に対し無罪と言いそうな候補を検察官が、有罪と言いそうな人を弁護人が排除できます。まあ、その人の判断の特徴は分からないと言えば分からないのですが。」

 だから理由なしということである。理由を言わずに検察官と弁護人が候補を忌避できるのが専断忌避である。これがアメリカの裁判では必ず行なわれている。

「ただし、忌避できるのは双方に四人とか五人とか人数が事件によって決まっています。それに専断忌避して、かわりに選ばれる次の人が自分の側に賛成するかどうか分からないということもあるんですよねえ。」

「う〜ん、難しいですね。この事件の場合、何人の、その専断忌避が許されていたのですか?」

「検察・弁護の双方に五人ずつです。一般的に言うと、起訴された罪が重いほど専断忌避の数が多くなります。」

「そうですか。というと誰を陪審員に選ぶかというか、選ばないかが問題になってきますね。」

「そのとおりです。陪審コンサルタントという仕事が新しくできつつあります。つまり陪審員候補にどんな質問をし、どんな回答のときに専断忌避をするか。あるいはどんな答え方をする候補が望ましいかということを弁護人や検察官にアドバイスする仕事です。なかには地域住民を対象に意識調査するグループさえあります。陪審員は地域から選ばれますが、地域住民の代表という考え方ですね。」

「へえー、裁判というのになんかすごいですねえ。」

「裁判がそんな、たいしたものではないという考え方、間違ってますよ。司法というのは日本ではとかく軽く見られますが、三権のひとつだと考えられているのです。だから陪審員候補の名簿がランダムに選ばれていないということを示して、新しい名簿を作って候補をとるようにさせることさえあります。」

 木村さんはそう説明する。アメリカの陪審裁判の考え方と仕組みが、何だか少しずつ佑子に分かってきたみたいである。

「まあ、新たにとった候補の名簿とか陪審コンサルタントとか、こういう新しい『武器』を使うのは普通バイアス(偏向)が問題になる事件ですね。ベトナム戦争に反対して大きく報道された事件とか、最近に社会問題になったケースとか。普通の事件では圧倒的に使われないことが多いのです。だいたい通常の被告人はお金がない人が多くて、公設弁護でというのか、とにかく自分で弁護人を雇えないことが多いのです。」

「なるほど。その場合、公設弁護人事務所が弁護人を割り当てるわけですよね。」

「そうです。私の見た事件も公設弁護人が担当してました。そのための弁護費用もあまりないようでしたけど。でも弁護人はちゃんとやっていました。無罪になったら自分の手柄だとでも言うように。」

「専断忌避もしていたのですか?」

「そうですね。五人を忌避していました。検察官も同じく五人を専断忌避していました。」

「手を抜かないんですねえ。」

「それに、無罪になれば弁護人の勝ちですからね。そこで裁判は終わりで、検察官側は控訴など、できないんです。」

「え、無罪で裁判は終わるんですか? 日本と違いますねえ。」

「控訴できるのは弁護側だけで、有罪だけど何か問題があるとか。とにかく無罪なら裁判は終わりです――検察官は控訴できません。結局、事件を審理する陪審が選ばれたのが午後四時のちょっと前でしたね。そして選任された陪審が就任の宣誓をし、選ばれなかった候補がもとの待合室に戻されるのを見ました。さすがに私も疲れました。まだまだ裁判は続く、というよりそこから始まるのですが、そこで法廷を出ました。まあ、いちおう目的を達しましたから。」

 木村さんはそこで一息入れてワインをちょっと飲み、サラミを口に持って行く。昨夜も飲んでいる――お酒が好きに違いないが、それ以上に強いのである。ワインももう瓶の半分くらいしか残っていない。


「そこから州議会議事堂までそんなに離れていないのね。歩いて行きました。」

 裁判所があるのがHストリート、カリフォルニア州議会議事堂があるのがMストリートの代わりのキャピタル=モールという道で、十番街を南に歩けば議事堂のまん前に出る。1/2マイルほどで約十五分である。

「議事堂の写真を取りました。バッグに小さなカメラ(写真機)を入れてましたから。あれは立派な建物ですね。」

 この当時はカメラで写真を撮り、写ったものを見るにはフィルムの現像・焼き付けをしなければならず、手間がかかった。現像・焼き付けなどは日本に帰ってからゆっくり行う。だからまだどんな写真が撮れたか分からないのである。

「私も一度だけ、外から見ました。なるほど、これがカリフォルニアの州議会議事堂かと思ったのを覚えています。」

「もう遅いと思ったので議事堂の中の見学はしませんでした。というわけで、そこから敷地の南側を東のほうへと歩きました。」

 議事堂の敷地は東西が十番街から十二番街までで、南北はLストリートからNストリートまでの長方形である。同じ幅で十二番街から十五番街まで公園のようになって続いている。

 周りを囲む塀のようなものはまったくない。十五番街は南行きの一方通行である。もちろん州議会議事堂と続きの敷地を通過する街路はない。十番街から十五番街までも1/2マイルほどで、これもゆっくり歩いて十五分くらいである。

「十四番街から木立の中に入り、斜めに突っ切って歩きました。公園みたいで何も建物はなく植木がたくさんありました。十五番街で州議会議事堂の真うしろに来たみたいですね。バラの木のたくさん植えてあるところに出ました。」

 そのまま十五番街の歩道を北に歩くと、Lストリートとの交差点に出る。この通りは西行きの一方通行である。

「四時半を過ぎていたのでそのまま帰ろうと思ったのですが、昨夜に行った和食レストランが十六番街にあったのをふと思い出し、そうだ外から見てみたいと思いました。それでLストリートを十六番街まで歩いたのです。」

 十六番街は北行きの一方通行である。そのJストリートとの交差点の手前に「日本料理タカノ」というレストランがあった。

「なかなか良いレストランで料理もすごくおいしかった。ただ値段が少し高いのではと思いましたね。メニューを見たのですが、なかなかの金額でした。」

 山崎先生とリチャードさんは木村さんを歓迎して少し高めの店に案内したのかも知れない。

「昨日の夜はカリフォルニアの白ワインを一本、開けたのです。だけど山崎先生もリチャードさんもグラスに少し注いだだけであまり飲まなかった。結局、私が全部飲んだようなものです。」

 二人は別々に運転していたのであまり飲まなかったのかもしれない。それに山崎先生は次の日の――つまり佑子たちが話し込んでいた日だったが――朝が早い。飛行機でロサンゼルスに行くことになっていたのである。

 昨日の自動車での帰り道で、Jストリートは逆方向つまり東行きの一方通行だから、Iストリートまで行って、そこから十一番街まで西に行く。そこを右折して北に行きウェスタン・ホテルまで、木村さんは山崎先生に送ってもらっている。

 そのとき、十六番街を北へそのままHストリートまで行くと州知事旧邸があることを山崎先生が説明していた。それを思い出して今日は州知事旧邸の前まで行ったのである。旧邸を十六番街の歩道から眺めて、それからホテルまでHストリートを歩いて帰った。

「ホテルに帰ったら五時を過ぎていました。汗をかいたのでシャワーを浴び、すっかり準備ができたとき、あなたと約束した六時前になっていたのです。」

 二人がそんな話をしていたとき、バーの端に座って静かにビールを飲んでいる男性がいた。その男性は木村さんのほぼ正面に腰かけていたが、木村さんと向き合っている佑子の後のほうにいた。つまり佑子はその男性がバーにいたことを知らなかったのである。


 二人はまた裁判の話に戻った。初めて聞くことがたくさんあり、専門家の話はおもしろい。

「どうも合衆国と日本では裁判のやり方がだいぶ違うようですね。」

「そうねえ。でも本田さんは日本の裁判を――その特徴とかを、あまり知らないのでは?」

 そう言われれば、そうかもしれない。木村さんは酔っぱらっているのだろうが、なかなか鋭い。

「日本でも陪審裁判が行われていたって知ってる?」

「えぇ〜、そうですか? 知りません。――行われていたって、いつのことですか?」

「陪審法の成立は大正時代で一九二三年です。施行はそれから五年後の二八年です。」

「え〜と、施行は昭和三年ですね。日本にも陪審法があったってこと、ちっとも知りませんでした。」

「しかも現在、停止されているんです。つまり法律はまだ残っているのです。」

「え、まだあるんですか、陪審法が日本に――?」

「四三年四月一日に停止させられました。廃止されたのではないのでまだ法律は生きています。」

「いやあ、今現在、陪審法が日本にあったなんてびっくりです。」

「十月一日が『法の日』なんて言われますが、ほんとうは『陪審裁判の日』です。二八年のこの日に陪審法が施行されたのです。昭和天皇が東京地裁に行って陪審裁判が始まるのを祝っています。」

「なるほどねえ、日本でも陪審裁判が行われていたんですね。でもどうして停止されたんですか?」

「陪審裁判が止められた四三年と言えば、第二次世界大戦のまっ最中でした。陪審員は男性がなれるだけだったのですが、市や町や村では徴兵の負担が重くなり、陪審員候補の名簿を作るのがたいへんでした。結局いろいろあって、四月に停止させられたのです。」

 「陪審法ノ停止ニ関スル法律」というのが成立したのだが、その中には『陪審法ハ今次ノ戦争終了後再施行スル』とある。

「戦争が終わってずいぶん経ちますが、陪審裁判はまだ戻っていません。」

 佑子は少し考えたが、それがなぜだか分からないようだ。

「四五年八月には終戦ですよねえ。その時は、陪審裁判どころではなかったのかもしれませんが――。」

「ところが四七年の裁判所法には第三条三項に『この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない』と書かれています。それに停止をやめて陪審裁判を戻そうと閣議決定までしてるのだそうです。」

「えー、そ〜ですか。」

「戦前に陪審裁判をやってたころ、無罪率が約十七%にもなったんです。でも陪審裁判て、どこでもこんなものでしょう。六件に一件は無罪というわけ。まあ、それを今の検察は高いと思っているみたいですけど。」

「今の日本の裁判では、無罪率は一%を切るんでしょう?」

「そうですね。でも、日本の数字の中心はそのほとんどが最初から有罪を認めているものです。実際に無罪を主張する事件では、無罪率はもっとずっと高いはず。」

「あ〜、なるほど。どうも裁判の形が違うというか、統計の形式が違いますねぇ。」

「合衆国で裁判(トライアル)と呼ばれるものは無罪を主張し陪審の評議を経るものです。日本の場合、有罪を認めるものも無罪を主張するものもいっしょに裁判と呼んでいます。」

「ああ、なるほど。無罪率と言った場合、初めから有罪を認めたものも母数に含んでいるのですね。アメリカだったら裁判を行わず、裁判官が判決を言い渡すんですね。」

「そうです。そして、アメリカの裁判で日本と違うのは、日本で多い『書面の証拠』が用いられないことですね。つまり『直接主義・口頭主義』が徹底していて、裁判に書類が出て来ないのです。」

 話がだんだんと専門的になってくる。

「合衆国の裁判に慣れてくると、日本の裁判で検察官の手もとにある分厚い書類に違和感を持つようになります。それが裁判長のもとに提出されるからです。日本の裁判では書類が多いんです。」

「書類?」

「書面での証拠ということです。アメリカでは証拠として認められないことが多いので、陪審の前に提出されません。」

 木村さんはそこで少しためらったようだが、続けている。

「そういう書類は日本的な裁判、つまり『調書裁判』における『精密司法』のひとつの側面ですね。日本の『専門家』に言わせると、アメリカの裁判は『ラフ・ジャスティス(荒っぽい司法)』だということになります。」

 そこまで言うと、木村さんはワインを少し飲む。

「日本では書面だけは整っているかしらないけれど、アメリカでは口頭主義が徹底しているのです。」

 そして急に思い出したように付け加える。

「もっとも、日本でそういう書類が裁判官に渡されるようになったのは第二次世界大戦のときからだと言います。それまでは許されなかった調書が、戦争中に裁判に提出されるようになったのだそうです。だから、日本の裁判問題のいくつかは、前の大戦のときに始まったといって良いんじゃないですか。」

 佑子は「なるほど」と木村さんにうなずきながら、ナッツをつまんでいる。

「また、日本には被告人質問と呼ばれているものがあります。アメリカの裁判では被告人が話すことはほとんどありません。だけど、しゃべるときは証人としてです。日本では被告人がしゃべります。反対にアメリカでは、しゃべることはほとんどないのです。」

「それは、大きな違いですね。」

「つまり、アメリカでは被告人がしゃべると、偽証罪が適用される証言となります。それも理由になっているのか被告人が証言することはほとんどありません。それに比べると、日本では被告人質問とされ、偽証罪が適用されることがありません。」

 木村さんは佑子を見ながら言う。

「日本では、ほとんどすべての裁判で被告人が質問されます。もちろん質問されるだけでなく、被告人はほとんど全員が答えます――。そういう質問に対する回答もちゃんと証拠となるのですけど。」

 そういうことを佑子は初めて聞くようである。

「さらに、アメリカと日本の裁判の大きな違いは『情状証人』ですね。裁くことがあまりない、つまり検察官の主張をまるっきり認めているようなとき、アメリカでは裁判官の前に立って裁判なしに刑期を言い渡されます。そこには情状証人が入り込む余地がありません。ところが日本では、被告人側の証人として裁判後に『しっかり見守る』と情状証人は言います。そして、そういう証人がいると被告人の情状は良くなり、刑期は短くなると言われています。そういう情状証人というのも、基本的に合衆国の裁判にはありません。」

「え、そうですか? いやあ、ふたつの国の制度には大きな違いがありますね。」

「それにね、日本では判決文の中で通常、裁判長が被告人に言い渡すのです。『妻がいるのにもかかわらず身勝手極まりない』とか、『被害者が味わった恐怖は想像を絶する』とか。」

「それは判決の理由ですよね。」

「そうです、よく知ってますね。」

「新聞に書かれた判決文によく出ていますよね。」

「いかにも日本的で、裁判長が人格者みたいな感じですね。合衆国では有罪か有罪にあらずか、それが言い渡されるだけなんです。」


 テーブルにあったメニューを開けて木村さんは中をのぞき込む。「さ〜て食事にしますか。今日は少し疲れたので何がいいかな。」

 佑子も何がいいか迷ったが、結局、平凡なところでここの売り物のベーコン=バーガーを選んだ。木村さんはグリルドチーズ=サンドイッチに決める。

「飲み物は何がいい? 温かい紅茶にする? 私ももらおう。」

 ウェイターを呼んでベーコン=バーガーとグリルドチーズ=サンドイッチ、それに温かいミルクティーを二つ頼む。

 ウェイターは紅茶を持って来るのを、すぐのほうが良いのか、それともゆっくりのほうが良いのか尋ねる。早く持ってきてほしいと木村さんは答え、ウェイターは下がっていった。その後、木村さんはワインをグラスにあけてしまう。

「先生は陪審論者みたいですね。合衆国にわざわざ調べに来ているのを見ても。」

「まあ〜ね。今の日本の裁判を知れば知るほど、官僚主義におかされていると思えますからね。」

「そうですか、日本の裁判は官僚的だというのですか?」

「たとえば、民主主義というのは司法、立法、行政の三権が国民の手元にあるのです。官僚が司法や行政を牛耳っているのは、先進国では日本だけくらいなのです。」

「ああ、そうですか。そのこと、あまり考えませんでした。」

「イギリスとその植民地だったところ、つまりコモン・ロー諸国は陪審制で、それ以外のヨーロッパでは参審制と言われますが、北欧では陪審制と参審制の両方が使われていました。イギリスの植民地だったところは多いですから、世界で多いのは陪審裁判です。それにフランスは判事三人に普通の人が九人だけど地元の人は『陪審』と呼ぶらしいのです。」

「裁判を行うのが判事だけというのは先進国では日本だけだったんですね。」

「そうです。また、日本では弁護士の立ち会いなしで取り調べを行いますが、他の先進国では違います。そうするのは日本だけぐらいです。それに今では、東アジアの韓国、台湾でさえも、弁護士の立ち会いが認められようとしています。」

「え、取り調べに弁護士が立ち会うのですか?」

「そうです、それが当たり前なのです。取り調べで誰も助けてくれる人がいなくて自白してしまう被疑者があとをたたない。それが日本の現状ではないですか。とにかく自白する気がなかったら、というか罪を犯していなかったなら、取り調べなんか受けなくっていいんです。アメリカでそう言えば取り調べは止まります。日本ではそうはいきません。取り調べが十日間、続くんですね。それで自白しないなら、あと十日間、弁護士の助けもなしに続きます。」

「取り調べは検察の自由になるんですか?」

「逮捕から二十三日間、弁護なしに取り調べができます。もちろん逮捕状が必要で裁判官が発布します。もっとも裁判官の誰が担当するかによって逮捕状の審査が違うから、日によって逮捕状の請求件数が違うらしいです。ともかく、日本の制度は『人質司法』と言われています。被疑者を人質にとって弁護士も接見が制限されて、被疑者に会うことも自由にならないからです。」

「そうですか。いやあ日本は怖いですね。」

「しかも、だいたいみんな『代用監獄』に入れられるのです。」

「代用監獄?」

「警察署にある留置施設は代用監獄と呼ばれています。逮捕されて三日間は警察署に身柄を拘束されます。そして裁判所に行ってその後は拘置所に移されるはずなのですが、また警察に戻されます。代用監獄に入れられるのです。」

「え、拘置所の代わりに警察署の留置施設ですか?」

「そうです。代用監獄に入れられて自白を迫られるのです。」

「え〜ぇ、そうなんですかぁ。」

「代用監獄があるのは日本だけです。他の国にはないのです。」

「日本というのは他の国と違うのですねぇ。」

「弁護士の立ち会いもないし代用監獄だし。人質司法というのが働いているのです。」

「日本というのは民主的なんですかねぇ。」

「あんまり民主的ではないですね。だいたい被告人というと犯罪者ばかりだと考えられていますが、業務上過失致死傷というか交通事故の加害者、責任者というのもあります。運転する者なら誰にでも可能性がありますよ。実際、裁判のかなりの部分を占めます。」

「そう言えば、私にもその可能性がありますね。その犯罪者というのが――どんなに気をつけても。」

「そして、合衆国の州で一審の判事になるのは、弁護士や検事になり一人前になってから、基本的に希望者が立候補して地区民の選挙で選ばれます。日本では判事補といって、司法修習を終わったらすぐ裁判所に所属します。つまり判事になる前に弁護士や検事にならないし、選挙もないのです。だいたい、日本では各県に弁護士会というのがあって弁護士はそのどこかに所属しなくてはいけないのですが、アメリカの各州にあるのは法曹協会です。判事も検事も弁護士も、みんなそこに所属しているのです。もちろん、日本の弁護士会には判事も検事も入っていません。アメリカでは、判事も検事の長も法曹協会に入っていて、みんな選挙で選ばれています。」

「ずいぶん、やり方が違いますね。」

「日本の判事補は最初、左陪席をやります。というか、官僚的な世界に入って上下関係の厳しいところのいちばん下に入ります。五年間は左陪席で『しごかれます』が、六年目からは特例判事補として単独で裁判ができるようになります。『特例』というのですが、ほとんど例外なく全員がなると言われています。」

「アメリカでは弁護人や検察官の経験がまず必要なのに、日本では直接、裁判官になるんですね。」

「そうです。そして、三年か四年経てば転勤ということで判事補・判事は日本中どこへでも行かされます。」

「う〜ん、転勤かぁ。アメリカではもちろんありませんよね。ヨーロッパはどうかな?」

「日本みたいな転勤の仕組みはありませんよ、フランスだってドイツだって。日本は官僚的なのです。」

「そうですか。」

「判事も検事も、もともとは弁護士という合衆国のやり方を『法曹一元』と日本では呼ぶけど、合衆国では当たり前すぎて名前がないんじゃあないかねぇ。」

「なるほどねえ。」

「もちろん、日本では法曹一元は実現していないわけです。そしてまた、『判検交流』という、とんでもない仕組みもあります。判事が検事になって、その期間だけ検察の仕事を体験するというのですが、反対に弁護士になるという経験をするのは、ほとんどいないらしいです。だから、判事が検事のかたを持つのは仕方がないと言うか――。」

「うーん、有罪にする仕組みいろいろ、ありますねえ。」

 紅茶が来た。冷房が効いているのか、二人は寒いくらいになってしまっている。それで熱いのがいいと言ったので、急須のようなもののなかに紅茶が入ったもの二つと温めたミルクが来て、カップも温めてあるのが二組である。それぞれの前においてウェイターはサンドイッチもすぐ来ると言う。

 自分でミルクを入れ紅茶をカップに注ぐ。木村さんはそれを、音をさせないで飲む。音を立てるのはあまりマナーが良くないというのだろう。そしてまもなく、ウェイターは注文したサンドイッチとハンバーガーを持ってきた。

「それで、死刑があるのは先進国では日本と合衆国だけです。そのアメリカでは合衆国法と州法が別です。合衆国法には死刑がありますが、州法で死刑がないのが1/3ほど。執行がないのを考えると約半数の州で死刑をやっていないのです。今、死刑がないのは世界中で百カ国以上にのぼります。ヨーロッパにはひとつの国も死刑がありません。まあしかし、裁判官だけの裁判というのが日本で死刑が残っている理由のひとつではないですかねえ。」

「なるほどねえ。そういうのを知らないということは支持しているのと同じということですね。」

「そのとおりです。国民の司法がないのと死刑制度が残されているのと、どちらも国民性のせいにしていますがおかしいですよね。日本人の国民性というのはそんなに後進的で残酷なんですかねえ。」

 なんかよく分からないが、たしかにそうかもしれない。そういうふうに説明されると日本の民主主義がねじ曲げられている気がする。

「それと戦後の沖縄では合衆国風の陪審裁判が行われたそうです。つまり停止された日本の陪審法ではなく、合衆国で行われていた陪審裁判です。施政権返還が七二年でその前の十年ばかりの間、刑事裁判と民事裁判の両方で合衆国流の陪審が用いられたと言います。」

「えっ、戦後の沖縄の裁判が陪審で行われたのですか? 民事裁判も陪審ですか?」

「そういう話です。まだ沖縄は返還されたばかりですが。」

 沖縄の刑事陪審を扱った、伊佐千尋著『逆転』は七七年発行だから、木村さんと佑子の会話のときには準備中だったのだろう。同書は沖縄であった刑事裁判の様子をこと細かに報告している。陪審裁判というものを丁寧に、しかも正確に述べている。刑事陪審がどういうものか、知らない人にも分かるのではないか。

 木村さんはグリルドチーズ=サンドイッチを食べながら言う。

「やっぱり、本場物はおいしいねえ。」

「そうですね。私のは売り物のベーコン=バーガーというだけあって、しっかりしていますね。」

「ところで、明日はどうしようかと思っているんですけど。」

「私は、明日も図書館くらいしか、とくに予定はないのですが。」

「明日の午後二時半出発でバスに乗ってサンフランシスコに行く予定です。というわけでお昼ごろまでどうしようかと考えています。何か良い考えはないですか?」

「それだったらサター砦に案内しましょうか? 私も行きたいと思ってたのです。」

「サターって最初にサクラメントに入植した人?」

「そうです。その当時カリフォルニアはメキシコの一部だったようです。メキシコ戦争でアメリカになったのと同時にゴールドラッシュが起きたでしょう。そのとき『サクラメント地方を所有していた人』らしいです。」

「ああそうですか。たしか、この地方で金が見つかってますよね。」

「そうです、そうです、サターはそのきっかけになった人です。そんなにたくさん黄金を入手しなかったようですが――。」

「それ、いいですね。行きましょう。」

「では私の自動車で。そうですね、午前十時にホテルではどうですか?」

「十時ですね。いいですよ。」


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