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今日何度目かの溜息が聞こえた。吐いた当人さえ無自覚なほどの、小さな溜息。けれど、議長席から見ているわたしにはよく分かる。
みんな、会議に集中できていなかった。重苦しい空気が生徒会室に漂っている。バレンタインの日からずっと、同じような空気が続いていた。
当たり前だ。わたしと家名くんが隣り合って座っていれば、見ている方はストレスも溜まるだろう。
真冬ちゃんや安住くんと違って、副会長の家名くんは休むわけにもいかない。卒業式に球技大会。来月の生徒会は忙しい。
どうにか会議をまとめると、みんなが疲れた顔で帰り支度を始めた。いつもの雑談も、遊びに行く予定もない。美代も今日は彼氏と約束しているらしく、申し訳なさそうにしながら帰っていった。最近はできるだけわたしと一緒にいるようにしてくれる美代だけど、彼氏との時間を潰してほしくないから、わたしは笑顔で送り出した。
どうしてこうなったんだろう。自分のせいだと理解しながらも、やはり気落ちする。
帰ろう……。一人になって、ようやく立ち上がった。
誰かが戻ってきた足音を聞いたのは、ちょうどその時だ。扉を開いて現れたのは家名くんだった。
「ちょっとだけ、時間いいかな」
「大丈夫だけど……」
こっちが緊張してしまうほど、家名くんは思いつめた表情をして俯いていた。大丈夫と言ったのに、入口から中々動かない。二人して突っ立ったまま、なんとも言えない時間が流れた。
そうして時間をかけて覚悟を固めたのか、家名くんは顔を上げて近づいてきて、勢いよく頭を下げた。
「本当に悪かった。ごめん。俺、最低なことした」
「そんな……そんなことしなくていいよ。もう何度も謝って、くれたし。わたし、怒ってないから」
怒る理由も資格もなかった。けれど、彼氏と後輩に裏切られた女であり続ける限り、わたしはその謝罪を拒めない。
頭を上げるよう言っても、家名くんはぴくりとも動かなかった。
「いや、謝らせてくれ。今ままでのは謝罪とは言えない。ごめんって言うだけで、話をしようとしてなかった。ずっと気まずかったんだ。だから謝るだけ謝って、毎日逃げるような態度とって……だから、今日はちゃんと話をさせてほしい」
家名くんの必死さに、わたしは「うん、分かった」と返すしかない。
それでようやく顔を上げた家名くんは、こうなった経緯をたどたどしく話し始めた。
わたしとの関係に悩んで、真冬ちゃんに相談したのがきっかけだったこと。相談するうちに真冬ちゃんに甘えるようになってしまったこと。それ以降、わたしとの関係が思うようにいかなくなるたび、真冬ちゃんの体を求めるようになっていたこと。
その上で、わたしにも真冬ちゃんにも最低なことをしたと、もう一度頭を下げた。
「わたしのせい、だね」
聞き終え、わたしが言えるのはそれだけだった。許しの言葉なんて吐けるはずがない。だからと言って、わたしの罪を告白して相殺してあげることもできない。その狭間で揉まれて生じたのが、「わたしのせい」の一言だった。そう言っておけば嘘をつくことなく真意をぼかせる。
「そんなわけない。全部、俺が悪い。霜月さんも……さくらと仲良かったのに、俺のせいで。霜月さんにも謝りたいんだけど、既読もつかないんだよな」
真冬ちゃんらしい。
わたしがメッセージを送ったら、既読くらいはつけてくれるだろうか。バレンタイン以来、わたしはそんなことさえしていない。もし無視されたらと考えたら怖くて、辛くて、どうしてもスマホを持つ手が動いてくれなかった。
わたしが真冬ちゃんのことを考えている間も、家名くんは一生懸命話していた。霜月さんのことは陽太に期待するしかないか。生徒会にも戻ってこれたらいいけど。その前に今の空気はなんとかしないとな。
そして、最後にこう言われた。
「俺は、さくらとやり直したいと思ってる。さくらが良ければだけど。すぐにとは言わないから、考えてみてほしい」
*
望んだ恋は遠く、そうであるならせめて平穏な日々を守りたい。
そう思うなら、答えは決まっている。
わたしは異性愛者です、とアピールする迷彩服が必要だった。
そうすれば、生徒会の雰囲気も徐々に元通りになるだろう。
けれど、わたしは家名くんの言葉に頷けなかった。
真冬ちゃんへの恋心が、わたしにそうさせなかった。
会いたい。
真冬ちゃんに会いたい。
その願いは、思いもしない形で叶った。
*
「今度さ、三人で遊ぼうよ」
発端は、由佳ちゃんのその一言だった。
耐えられないほど心細くなった夜、つい由佳ちゃんに電話してしまった。美代ではなく由佳ちゃんだったのは、わたしの事情を何も知らない人と話したかったからだと思う。何か具体的な相談をするわけでもない。けれど、色々なしがらみとは無縁の会話は、擦り切れたわたしの心を癒してくれた。
由佳ちゃんの提案は、そういう何でもない会話の流れから自然と生まれたものだった。
「三人?」
「由佳と、佐奈ちゃんと、さくらちゃんで」
歌うように言う由佳ちゃん。無邪気に指を折る姿が目に浮かぶようだった。聞けば、ずっと機会を伺っていたらしい。
「学校が別だとなかなかねー。だから今言っちゃえって思ったの」
「わたし、邪魔じゃない?」
「え、なんで?」
わたしの方が「え」と言いそうになった。けれど、由佳ちゃんは本当に分からないようだった。こういう所も変わっていない。
「佐奈ちゃんは二人の方がいいんじゃない? 由佳ちゃんだって」
「ん? あ、あーそういうことかあ。さくらちゃんは気にしいだなあ。全然オーケーだよ。佐奈ちゃんも、さくらちゃんと仲良くなりたいって言ってたし」
それでも、一応は佐奈ちゃんに聞いておいた方がいいのではないだろうか。そう思ったけれど口には出さなかった。恋人同士とは、こんな風に何も言わずとも通じ合っているのかもしれない。
「気を遣ってくれるのは嬉しいけど、由佳はさくらちゃんも大事なんだよ? 大事な彼女と、大事な友達が仲良くなってくれたらとっても嬉しいな」
そこまで言われると断りにくい。けれど、わたしはなおも言い淀んだ。
気を遣ったなんて、とんでもない。
二人の邪魔をしたくないなんて方便だ。本当は、二人の仲睦まじい姿に嫉妬しない自信がない。クリスマス会の時みたいに。ただそれだけの、醜い本音。
煮え切れないわたしに、由佳ちゃんが次の言葉を放った。
「じゃあさ、真冬ちゃん呼ぼうよ」
今度こそ「え」と声が出た。
「まふゆちゃん?」
「うん。さくらちゃんの後輩の真冬ちゃん」
「霜月真冬ちゃん?」
「他にも真冬ちゃんって名前の後輩がいるの?」
もちろんいない。
「紹介したっけ、真冬ちゃんのこと」
「してないよー。クリスマス会のときちょっとね。さくら先輩のお友達ですか? ってむこうから話しかけてきて。さくらちゃんと仲いいみたいだから、連絡先交換しちゃった。かわいい子だよね。仲良くなりたいなーって思ったけど、ちょうどいい機会だから誘いたいな」
寝耳に水だった。
真冬ちゃんは、以前わたしが話した「かつて見捨てた友達」と由佳ちゃんを結び付けただろうか。普通なら無理だと思うけれど、真冬ちゃんは勘がいい。
「それならさくちゃんも気にしなくていいでしょ? ダブルデートしよう」
ダブルデート、の一言に心臓が跳ねた。由佳ちゃんは、わたしと真冬ちゃんの関係を知らない。だからこれはほんの軽口だ。本当の意味でそれができたらどれほど幸福だっただろう。
「ちょっと今、喧嘩してて……」
「喧嘩? さくらちゃんが……珍しいね」
「だから誘うのは難しいの。ごめんね」
「そんなに盛大に喧嘩したんだ」
「……もう仲直りできないかも」
思わず沈んだ声が出た。そんなことを言うつもりはなかったのに。ただ真冬ちゃんを誘えないことだけ伝えられたら良かったのに。
「大丈夫。修復できない関係なんて、ないよ」
その言葉は、声のトーンがいつもより低く聞こえた。
「そうかな」
「必要なものはたくさんあるけどね。時間とか」
わたしと真冬ちゃんの関係も、時間が繋ぎ直してくれるのだろうか。何度も触れたあの冷たい手に触れられる日がまた来るのだろうか。自信がなくて、出口の見えない暗闇を走っているような気がした。
黙ってしまったわたしに、それこそ気を遣ってくれた由佳ちゃんがこう言った。
「とりあえず真冬ちゃんのことは分かったよ。仲直りできたら四人で遊ぼうね。でもやっぱり、さくらちゃんとは近いうちに遊びたいな」
今度こそ、わたしは了承するしかなくなった。一つ気を遣わせたからには、わたしも何か譲歩しなければならない。お互いの予定を擦り合わせた頃には日をまたいでいたけれど、由佳ちゃんは眠気なんて感じさせないくらい楽しそうにしていた。佐奈ちゃんの予定を完璧に把握していたあたり、二人は本当にうまくいっているのだろう。
そうして来る約束の日――すなわち今日、わたしたちは一緒にアイスを食べている。
春が近づいてきたこの三月でも、アイスを食べると少し寒い。あるいは、この気まずい雰囲気がそう感じさせるのかもしれなかった。
そんな空気を意に介さず、終始ニコニコしている由佳ちゃん。
この中で唯一、わたしと同じ気持ちだろう佐奈ちゃん。
一切の温度を感じさせない無表情のまま、私が到着してからずっとスマホをいじり続けている真冬ちゃん。
改めて、思う。
どうしてこの四人で、テーブルを囲んでアイスを食べているのだろう。
*
「もー真冬ちゃん! スマホぼっしゅーーーー」
そう言って、由佳ちゃんは真冬ちゃんからスマホをひったくった。アイスクリームのお店で席についてから、約五分くらいが経った時だった。
あ、と真冬ちゃんが零し、スマホを取り戻そうと手を伸ばす。
「まったく見るなとは言わないけど、ちょっとは由佳たちともお喋りしてくれたら嬉しいな?」
なかなかスマホに手が届かない真冬ちゃんは、不承不承ながらも頷いた。戻ってきた板切れを、素直にポケットにつっこむ。わたしの言うことは素直に聞いてくれないのに。
佐奈ちゃんは苦笑いしている。うちの由佳がごめん……と言いたげな様子だ。
真冬ちゃんがずっとスマホをいじっていたのには、それなりに理由がある。わたしも真冬ちゃんも、由佳ちゃんにしてやられた身だ。不機嫌になるのも分かる。
「お喋りしますから、じゃあ由佳さんは、これはどういうことなのか説明してください」
真冬ちゃんが反撃に転じた。それについてはわたしも聞きたい。
いくら天然な由佳ちゃんでも、さすがに気が引けたのか、今度はしゅんとなって言った。
「ごっごめんね? でも二人が喧嘩してるって聞いて、とっても悲しくて、早く仲直りしてほしかったの」
要約すれば、こうだ。
わたしたちの喧嘩を知って、由佳ちゃんはたいそう胸を痛めた。いずれは時間が解決してくれても、それを待つのはきっと辛いだろう。自分に何かできないだろうか。そう考えた由佳ちゃんは一計を案じた。こっそり真冬ちゃんも呼んじゃおう! また一緒に楽しく遊べば自然と仲直りできると思ったらしい。その計画を実行にうつし、今朝佐奈ちゃんに打ち明け、それで盛大に怒られた時には、やっぱり今日の約束は中止ですとは言えない段階になっていた。
なんとも由佳ちゃんらしくて、わたしは怒るに怒れない。わたしたちのためにしてくれたことだ。
真冬ちゃんも「そうですか」とだけ言って、由佳ちゃんを責めたりはしなかった。
「お誘いの熱量がすごすぎて断れなかった私も私ですね。水曜日って時点でなにかしら察知すべきでした。いきなりふたりで遊ぼうって、今考えたら怪しさ満点ですし」
いきなり通話を始めたと思ったら、由佳ちゃんはものすごい勢いで捲し立て約束を取り付けたらしい。断りの言葉を挟む隙間すらなかったとか。その光景が容易に想像できる。
その時のことを話しながら、真冬ちゃんはアイスを口に運んだ。「三月だとさすがにまだ冷たすぎますね」という感想に、「それがいいんだよ」とさっきの反省はどこへいったのか、由佳ちゃんが楽しげに応じる。
「それじゃあ、このまま四人で遊ぶってことでいいかな」
脱線しかけた話を、しっかり者の佐奈ちゃんが元に戻す。
わたしと真冬ちゃんは、一瞬だけ目を見合わせた。一秒にも満たない時間だったけれど、久しぶりにそうできただけで喜びを感じる。
わたしたちが頷くのを見て、由佳ちゃんはぱあっと表情を輝かせた。
*
四人で過ごした時間は、今のわたしには身に染みた。
アイスクリーム、ウインドウショッピング、流行りが過ぎ去った感のあるタピオカ、たまたま見つけて由佳ちゃんがやりたがったリアル脱出ゲーム。無軌道な時間は余計なことを忘れさせてくれる。
何よりも、そこには真冬ちゃんがいた。あまり笑ってはくれなかったけれど、それでも真冬ちゃんがいない日々よりはずっと良かった。この集まりの最初、寒さが戻ってきたみたいだと思ったのはわたしの願望だったのかもしれない。温かい春になっても、真冬ちゃんがいてくれないと虚しいだけだ。わたしはずっと、あの極寒の冬に戻りたかった。
たぶん、明日には消えてなくなる冬だ。
夜ごはんを食べて、あと少ししたら解散しようと話したあと、街中をぶらぶら歩いていると、
「なんかすごい人ですね、由佳さんって」
真冬ちゃんが、独り言に近い声量でそう言った。今日はじめて、直接話しかけてくれた。それがたとえ、ついに二人で歩くことになった気まずさを誤魔化すためでも、わたしの心は弾む。
わたしは前を行く二人に目をやった。二人はずっと、わたしたちが気まずくならないよう常に四人で会話を回していたように思う。ここに来てそれがなくなったのは、長いこと遊んでいて気が緩んだだけなのか、時間をあげるからちゃんと話せというメッセージなのか。
「昔からあんな感じなんですか?」
「そうだね。中学の頃どんなだったかは知らないんだけど、わたしが知ってる由佳ちゃんはそうだった」
「無邪気で、ちょっと強引で、先走りがちで、でも優しい人ですね」
無表情のまま言うものだから、褒めているのにそういう風に聞こえなかった。
「確かに小学校だといじめられそう」
付け加えられた一言に虚を衝かれた。真冬ちゃんは勘がいいから、なんて予期しながら、いざこうなると驚いてしまう。
「なんで分かったの?」
「あ、やっぱりそうなんですね。かまかけてみただけなんですけど。昔は仲良かったけど、最近再会するまでは連絡もしてなかったって聞いたから、もしかしてと思ったんです」
「そんなことまで知ってたんだ……。由佳ちゃんと話したって、教えてくれたら良かったのに」
「こっそりさくら先輩の情報を仕入れようと思ったんです。どう攻めたら付き合ってくれるかなあって、たくさん考えてたので」
それを聞いて、最初はぬか喜びした。わたしと付き合いたくて、そんなに考えてくれたんだ……。けれどすぐに、同じことを他の人たちにもしたんだろうな……と思って傷ついた。真冬ちゃんのことが知りたかったはずなのに、知れば知るほど、心がぼろぼろになってしまう。
「あんまり参考になりませんでしたけどね。小学校の頃のさくら先輩がいかにかわいかったかって話ばっかりでした。ほんと純粋で、自分汚れてるなーって見せつけられた感じ」
「由佳ちゃん、自分こそかわいいのに、他の子のことよくかわいいかわいいって褒めてたんだよね。全部本心だって分かるから、わたしは由佳ちゃんのそういうとこ好きだったなあ」
でも、とふいに真冬ちゃんが言った。
「今はそれだけじゃなさそうですよ」
「え」
「言葉は慎重に選んだほうがいいと思います。たぶん」
「由佳ちゃんに?」
「そうです」
どうして? と尋ねたけれど、真冬ちゃんは何も教えてくれなかった。ずっとあっちを向いていて、その表情さえ見せてくれない。
その時一瞬だけ、由佳ちゃんがこちらを振り向いた気がした。
「見て見て佐奈ちゃん! おいしそう!」
そう言って、由佳ちゃんが遠くを指さす。少し後ろを歩くわたしたちにも聞こえる声だった。その方向には、こじんまりとしたたい焼き屋さんがある。この距離からよく見つけたものだと、由佳ちゃんのアクティブさに妙に感心してしまった。
「由佳、買ってくるね!」
言うが早いか、由佳ちゃんは走り出した。本当に元気だ。
「あ、ちょっと由佳!」
奔放な恋人を、佐奈ちゃんが慌てて追いかける。「ごめん、二人はゆっくり来てね!」と言い残していくあたり、由佳ちゃんのフォローが板についている。
息の合った二人と違って、わたしと真冬ちゃんの会話はそこで途切れてしまった。
何か話さないと。そんな焦りが生まれる。気負えば気負うほど、何を話せばいいか見失う。人混みのざわめきだけが耳に纏わりついて、急に頭がぐわんぐわん揺れ始めた。
「まだ、あの人たちと付き合ってるの?」
そんな質問が口を衝いて出た。
写真にうつっていた男、女、男、女女女男女。あの人たちと、真冬ちゃんはまだ体を重ねているのだろうか。そう考えたら全身に鳥肌がたつ。わたしが知らない間に、真冬ちゃんの特別な顔を誰かが見ていたらいやだ。
「さあ、どうなんでしょう」
わたしの気持ちなんてどうでもいいみたいに、真冬ちゃんははぐらかした。
「やめたほうがいいよ。そういうの」
「そうかもしれませんね」
「分かってるなら……」
「さくら先輩には関係ないことですよ」
そう言って、真冬ちゃんは足を速めた。
関係ない。
関係ないかぁ。
心臓を切り裂かれたような痛みが走って、真冬ちゃんに置いて行かれそうになる。もう二度と追いつけない気がしたから、必死に足を動かして横に並んだ。
けれど真冬ちゃんは、あっちをむいたまま。
心が折れかけて、それでもわたしは話し続けた。
「じゃあ、わたしに関係あることを聞くけど……なんで、本当のことを話さないの?」
ずっと気になっていたこと。
安住くんは、わたしを怒らなかった。真冬ちゃんが何も言わないなら、そういうことなんだろうって。だったら、真冬ちゃんはどういうつもりで……。
「べつに……必要もないので」
「あるよ。完全に真冬ちゃんが悪者って思われてる」
「家名先輩もね。でも間違ってないですよ」
「間違ってるよ。わたしだって……」
「ずるいって、さくら先輩は言いそうですね。それでいいじゃないですか」
「……良くない。真冬ちゃん、前も同じこと言ってた。本当のこと、話してよ。真冬ちゃんは、本当はどう思ってるの?」
ふいに、真冬ちゃんがこちらを向いた。
「さくら先輩こそ」
反射的なことだったのか、その言葉は先へ続かず、真冬ちゃんはあちらへ向き直ってしまう。
「なんでもないです」
「何、最後まで言ってよ」
自分の口調が少し荒くなったのを感じた。何かを聞けそうで、なのにはぐらかされて、わたしははっきりと苛立ちを覚えた。
「聞いてどうなるんですか」
安住くんと同じ質問だった。わたしに見えない部分で二人が繋がっているようで、それがまた苛立ちを積み重ねる。聞いてどうなる。そんなの――
「わかんないって」
言ったのと同時、わたしは立ち止まっていた。
「急に止まったらあぶな――」
振り向いた真冬ちゃんの両肩を、力任せにつかむ。
「わかんないって! だって何も聞いてないんだもん! 言ってくれなきゃ、どうなるかもどうしていいかもわかんないよ!」
「ちょっと、さくら先輩」
「なんなの、真冬ちゃんも、安住くんも、のらりくらり躱すようなことばっかり。話してくれなきゃ、わたしだって……」
「なんでそこで陽ちゃんが……」
「色が見えないって何? わたしそんなの聞いてない。何かの比喩表現? 分かりにくすぎるって。比喩でも何でもいいけど、どういうことが教えてよ。知らないのは、いや。何で安住くんが知ってて、わたしが知らないの? わたしだって、こんなに、こんなに、真冬ちゃんが……好きなのに」
最後の方はほとんど枯れた声になってしまった。喉の痛みで自分が何をしてるのか理解する。人混みの中、大声で叫ぶヒステリックな女に突き刺さる無数の視線。それでもまだ言い足りない。先を続けようとして、けれど喉が痛んで言葉が詰まる。喉は枯れ始めているのに、涙はあとからあとから零れて止まらなかった。
「じゃあ」
わたしが何も言えない隙間に、真冬ちゃんが言葉を落とす。それは、ずっと堰き止められていた水がついに一滴、地に落ち弾けたような言い方だった。
「それ、証明してくださいよ……」
「証明?」
「好きって……分かんないですよ、私だって、さくら先輩のことなんか、全然……」
真冬ちゃんの手が、わたしの手に重ねられる。相変わらず冷たい手。まだ寒さは残っているのに、また手袋を忘れたのだろうか。そんなことにも、今の今まで気付いていなかった。
「聞いてないから分からないって、じゃあ、聞いたら分かるんですか? 言葉って、そんなに信用できますか?」
「それは……」
「結局、聞いたってなに考えてるか分からないじゃないですか。さくら先輩だって、だからたくさん秘密にしてるんでしょ? 宮藤先輩のことも、他のみんなのことも、なんにも分かんないから。私たちずっと友達だよって、その言葉が信じられないんですよね」
「そうだけど……そうだけど……わたしは、真冬ちゃんには話してるよ? 隠し事なんてしてないよ? だって、好きだから。わたしのこと知っていてほしいし、わたしは真冬ちゃんのこと知りたいと思って……」
さっきまで張り上げていた声が、みるみるうちに萎んでいく。真冬ちゃんの肩を掴む力も。一本ずつ、真冬ちゃんに手を引き剥がされた。
「それが嘘じゃないって、私はどうしたら納得できるんですか?」
「わたし、そんなに信用ならない?」
言いながら、一体どの口がとも思う。カモフラージュの彼氏を作り、裏で本命の子と付き合おうとする奴のどこに、信用に値する要素があるのだろう。けれど、好きな子に嘘つき扱いされたことへの苛立ちはどうしようもなかった。真冬ちゃんが好きな気持ちは、それを伝える言葉は、決して嘘なんかではなかったから。
言葉を返してくれない真冬ちゃんに、ついにわたしは言ってしまった。
「自分が嘘つきだからって、わたしを一緒にしないで」
最悪なことに。
自分の耳にも届いたその声は、吐き捨てるような響きを帯びていた。
口にした瞬間から後悔する。言葉が信用できないなら、今のも聞き流してほしい。
けれど、真冬ちゃんは傷ついたように目を伏せた。
遠く、由佳ちゃんと佐奈ちゃんが戻ってくるのが見える。なかなか追いつかないわたしたちを呼びに来たのだろう。近づきながら、こちらの様子がおかしいことに二人は気付いたみたいだ。迷惑をかけてしまった。頭の片隅ではその理解がありながら、それ以上のことを考えるのが億劫でしかたない。
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