【2章完結】8

 それが起きたのは、放課後になってすぐのことらしい。陽ちゃんが教えてくれた。

 学年を問わず何人もの生徒に、SNS上で謎のアカウントからDMが送られてきた。アイコンは初期設定で、ハンドルネームも意味不明。分かりやすい捨てアカだった。

 どこの誰かは知らないけど、おかげでスマホの通知が止まらない。きりがないし、しばらく通知を切ろうと決めたところで、ブロックされていたはずの亜美ちゃんから通話を求められた。メッセージでこちらの都合を聞くこともなく、いきなり直でかけてきた。なるほどね、とぼんやり思う。


「あたしからのサプライズプレゼント、喜んでくれた?」


 もう聞くことはないと思っていた声が、スマホのスピーカー越しに耳に届く。こうして自首するためだけに、ブロックを解除したんだろうか。


「あんまり嬉しくないね。でもこれも、亜美ちゃんなりの愛情表現なのかな」


 名前を口にして、その顔が記憶から消えかけていることに気づいた。おぼろげな輪郭だけが頭の中に浮かび上がる。

 私にとってはその程度の人で、もう二度と話すことはないと思っていたけど、むこうはそれで済ませたくなかったみたいだ。


「そう思ってくれていいよー。マユちゃんのことは今でも嫌いじゃないし。あ、そうだ。マユちゃん、真冬ちゃんっていうんだね。かわいい名前。こっちで呼んでいい?」

「どっちでもいいけど、できればもうちょっと穏当な愛情表現が良かったなあ」

「それはだめー。好きな人でも、仕返しはちゃんとしないと」


 あの夜、私たちと別れた亜美ちゃんは、とんでもなく大変な目に合ったらしい。浮気について彼女に謝り倒し、散々なじられ、鼻水を垂らすほど泣かされた。

 それもこれも、全部お前のせいだと亜美ちゃんは言いたいらしい。確かに、あのとき私が浮気の責任を折半しなければ、亜美ちゃんたちの仲直りは多少マシな形になっていたかもしれない。亜美ちゃんの彼女も、私に向け損なった怒りをまとめて亜美ちゃんにぶつけたんだろうし。

 自業自得な気もするけど、それを言ったら今の私の状況も自業自得だ。同類に対してとやかく言い返す気にはならなかった。


「でも、よく分かったね」

「真冬ちゃんのこと? ふっふっふ、あたしを甘くみたなー」

「得意のネトスト?」

「あたりー。真冬ちゃんのアカ、情報少なくて手ごわかったけど、あたしにかかればお茶の子さいさいだよ。ネトストのプロなめんな」

「私のことは、怒ってるんだろうからいいけどさ。でもやめたほうがいいよ。関係ない人写ってるの撒くとかも」

「やっていいことと悪いことってあるけどさ、どっちにしても、やれるならやっちゃわない?」

「まあそうだね」

「でしょー」


 心当たりはあるから、頷くしかない。私も、浮気は悪いことだと知っているのに、例えば亜美ちゃんとバレるまで浮気していた。

 けらけらと、亜美ちゃんが笑っている。基本的にテンションの高い女の子ではあるけど、今日はちょっと異様だ。仕返しがうまくいって相当嬉しいんだろう。ドヤ顔が目に浮かぶようだった。その勢いにのるように、亜美ちゃんは喋り続ける。


「そういえばさあ、見てほしい写真があるんだよね。とっておきのやつ」


 そう言って亜美ちゃんが送ってきたのは、学校で出回ったものとは別の写真だった。写っているのは私と、さくら先輩だ。手をつなぎながら歩いているそれは、昨日一緒に帰ったときのものだろう。


「これがどうしたの?」

「あーごまかすんだ。この子、本命でしょ?」

「……なんでそう思うの?」

「顔見てピンときちゃった。真冬ちゃん、この子を見てるときだけ全然違うよ? 他の写真だと無って感じの顔してるのに。この子のこと、好きなんでしょ」

「どうかな。亜美ちゃんの勘違いかも」

「でもダメだよ真冬ちゃーん」


 私のごまかしを、亜美ちゃんは聞く気がなさそうだった。


「この子、彼氏いるじゃん?」


 驚きはなかった。ここまできたら、それくらいは調べているだろう。


「しかもなに? この子の彼氏とも寝てるの? こっちは本命じゃないくせに、節操なさすぎー」

「そうだね。私もそう思う」

「好きな人のことは大事にしてあげなよ」

「亜美ちゃんが言うことじゃないね」

「あ、むかつくぅ。真冬ちゃんさ、自分の立場分かってる?」

「写真はもう撒かれちゃったんだから、媚売ってもしかたないでしょ」


 たしかにー、と亜美ちゃんは機嫌良さそうに、またけらけらと笑った。


「こっちの写真はなんで流さなかったの?」


 これを撒かれていても、べつに困ることはなかったという感じで、あえてそう言った。実際、私は困らないけど、さくら先輩は困るだろう。


「迷ったけどねー。でも女の子同士だし、手をつないでるだけじゃ弱いからさ。それよりは、真冬ちゃんがこの子の彼氏くんと浮気してるってとこ、強調したほうが面白いって思ったの」


 それを聞いて、安心した。この写真を、学校のみんなが見ることはなさそうだ。なら大丈夫。さくら先輩とのキスもセックスも、クリスマス会の夜以外はこの部屋でしかしていない。カーテンはもちろん閉め切っているから、それは撮られていない。


「もしかして、この子のこと攻略中だったかな。この子もなんか、真冬ちゃんに気がありそうな感じするもんね。あとちょっとで彼氏くんと別れてくれそうだったとか? だったら残念でしたー。こうなっちゃったら、真冬ちゃんの努力も台無しだねー」


 都合のいい方向に解釈してくれている。

 私は黙って、できるだけ悔しそうに聞こえるため息をついた。

 亜美ちゃんは満足したようで、また声をあげて笑った。


「あーすっきりした。寂しいけど、真冬ちゃんとはこれで最後にするね。短い間だったけど楽しかったよ」


 一方的にそう告げて、亜美ちゃんは通話を切った。そして、すぐに私をブロックし直した。

 今回は、私からもブロックしておこう。


     *


 熱が下がらないまま会話を続けたせいか、朝になっても体調は悪いままだった。お昼まで惰眠をむさぼりがちな私だけど、こうまで寝心地が悪いと目が覚めてしまう。

 さくら先輩が残してくれた品々のおかげで、どうにかまともな生活ができているのが現状だった。


「……おいしい」


 冷蔵庫の中から取り出したゼリー飲料を吸いあげると、お粥を食べたときと同じ感想が口を衝いて出た。真心こもった手作りも、買ってきただけの市販品も、等しくさくら先輩が私のために用意してくれたものだ。身に染みるに決まっていた。

 そのさくら先輩は、今頃どうしてるだろう。

 早々に今日も欠席を決めた私と違って、さくら先輩はもちろん登校する。そうなれば、誰かがきっとあのことを教えるはずだ。

 昨日の段階では、さくら先輩はなにも知らなったんだと思う。知っていたら、一も二もなく連絡してきたはずだ。でも、たくさんのメッセージの中に、さくら先輩からのものはなかった。

 今日それが来たら、なんて返事をしよう。

 一日中そんなことを考えていたけど、さくら先輩からのメッセージは結局来なかった。

 昨日みたいに、看病に来てくれることもなかった。


     *


 次の週、私は月曜日と火曜日も休んだ。土曜日には熱も下がっていたけど。当たり前のように仮病をつかった。

 中学時代の経験から、こういうときの反応はだいたい予想できる。事が明るみに出て間もない今は、きっと困惑のほうが大きい。怒っていいのか、呆れていいのか、笑ってネタにすべきなのか、周囲の反応を伺いながら、みんなが測りかねている。そういう地に足つかない雰囲気が、私はとても苦手だ。

 そして明日あたりから、大勢が態度を固め始める。嫌悪でも許容でも、どっちつかずでいられるよりは居心地がいい。だから、学校に行きやすくなる。

 明日は、どんな顔をして教室に入ろうか。

 素知らぬ顔を貫くか、やっちゃいましたとおどけるか、しゅんとした態度で反省を示すか。

 そんな思案をしながら、スマホをチェックする。溜まりに溜まった未読メッセージを読まずに削除し終えたところで、新しいメッセージが送られてきた。

 さくら先輩からだった。


『なんで来なかったの』


 さくら先輩は、私が仮病を使ったと分かっているようだった。

 私はそのメッセージを削除せず、だけど返事もしなかった。

 そのまま灯りを消して、ベッドに潜りこむ。


     *


「勘弁してくれ」


 登校する前に陽ちゃんがやって来て、そんなことを言った。

 どうやら今回の件について、周りから色々と聞かれたらしい。陽ちゃんに非はないけど、私の彼氏である以上は当事者だ。渦中の私が引きこもり、残りの当事者が二年生となると、消去法で一年生の好奇心は陽ちゃんに向く。煙に巻いたらしいけど、かなりお疲れの様子だった。


「なんでこんなんなってんの?」

「油断、慢心、不注意、かな」

「他人事みたいに」


 陽ちゃんが呆れた顔をする。「ごめん」と謝ると、「いいけど」と返してくれた。大らかなのが、陽ちゃんのいいところだ。


「学校はどんな感じ?」

「そりゃ良くはねえよなあ」


 陽ちゃんはそう言ってから


「でも、中学んときよりはマシだよ」


 と、付け加えた。


「あんときは石でも投げられそうだったからな……」


 当時を思い出したのか、陽ちゃんはげんなりした。確かに、あれと同じ感じだったら登校する気がしない。


「じゃあ生徒会は?」


 さくら先輩は? とも聞こうとしてやめた。


「行けるわけないだろ。来いって言われても無理」


 それはそうだ。


    *


 陽ちゃんの言うとおり、中学時代よりはマシだった。

 露骨に私を避ける人が四割、あえて何事もなかったかのように接してくれる人が二割、苦笑いを浮かべながら事務連絡だけはしてくれる人が二割、こいつやりやがったなあ! と面白がる人が一割。残りの一割は色々なタイプがあって、わざと聞こえるようにディスってくる人や、AIじゃないの?と言っている人もいた。

 平和な一日だった。

 次の日からも、似たような雰囲気が続いた。

 ただ時折、生徒会の子が教室まで会いに来たみたいだった。同じ一年生の生徒会事務局員同士、話を聞きたかったらしい。

 休み時間の私は人のいない場所に避難していたから、その子たちと顔を合わせずに済んだ。本当に避けたかったのは、実を言えばあの子たちじゃなかったけど。


『生徒会は来なくていいから、どこかで話がしたい』


 そんなメッセージが、一日に一度だけ、さくら先輩から送られてくるようになった。

 クラスの友達も、「桐咲会長来てたよ。そこまで来て、すぐ帰っちゃったけど」と言っていた。「逃げてないでさ、さっさと怒られてきなよ」と、友達は面白がっている。

 でも私は、さくら先輩からのメッセージを無視し続けた。


     *


 でもそれも、今日で終わりみたいだ。

 もうひとつ週が変わって、月曜日。

 ホームルームが終わってすぐ、教室を出ると目の前にさくら先輩がいた。


「やっと捕まえた」


 その声は物静かで、なのに有無を言わせない感じがした。

 私のうしろから、そして他の教室から一年生が廊下に出てきて、すぐにざわつき始める。


「話、あるから」


 周りの空気に気づいていないかのように、さくら先輩は私の手をとって踵を返した。私は無抵抗で、その背中についていく。


「良かったんですか」


 黙ったままのさくら先輩に、階段を降りながら声をかけた。二年生のフロアを一瞥すると、人の姿はどこにもない。さくら先輩は前をむいたまま、さらに下へ下へと降り続けた。


「さくら先輩のクラス、ホームルーム終わってないんじゃないですか? 誰も出てこないし」


 二年生のフロアに人影はなかった。きっとどのクラスも、まだホームルーム中だ。


「またサボったんたんですか?」


 そこまで聞くと、やっとさくら先輩も返事をしてくれた。


「そうだよ。保健室行きますって。仮病。真冬ちゃんと一緒だね」

「私はちゃんと病人でしたよ。さくら先輩が看病してくれたんじゃないですか」

「それは最初だけだよね」


 やっぱり見透かされていた。


「……なんでこんなこと」

「だって真冬ちゃん、すぐ帰っちゃうでしょ? いつも教室いないし。マンション行っても開けてくれないだろうから、絶対ここで捕まえたかったの」


 さくら先輩がそう言ったのと同時に、私たちは二階まで降りてきた。そのとき突然、さくら先輩が立ち止まった。


「真冬ちゃん、もしかして忘れてる?」


 私は首をかしげた。


「やっぱり。真冬ちゃんってそういうとこ……。もういい。ほら行くよ」


 なにを怒っているのか明かさないまま、さくら先輩はもう一度私の手を引いた。その力が、心なしか強くなった気がする。

 連れていかれたのは、あの資料室だった。生徒数の多いこの学校で、ふたりきりで話せる場所は少ない。でもここなら、たぶん誰も来ないだろう。さくら先輩は鍵を開けて中に入ると、やっと私の手を離してくれた。


「説明してくれるよね」

「しないとダメですか?」


 反抗するみたいに、私はへらっと笑って返した。


「家名先輩にはなにも聞いてないんですか?」

「聞いてはいるけど……謝るばっかりでよく分からないの。そうじゃなくても、わたしは真冬ちゃんの口から聞きたい」


 私はなにも言わなかった。無言の時間が続いて、少し気まずい。視線を逸らしていても、さくら先輩が私から目を離さないのが分かる。そんな根比べが永遠に終わらないように思えたし、終わらなくていいとも思った。


「分かった」


結局、根負けしたのはさくら先輩だった。


「これあげるから、ちゃんと説明して」


 さくら先輩のリュックから出てきたのは、やたらとお洒落な手提げ袋だった。

 なんですか、それ、と言おうとして、ようやく今日がなんの日か思い出した。あっ、という顔をしていたのか、さくら先輩は呆れている。


「やっぱり忘れてた……。真冬ちゃんが作ってって言ったんだよ」


 ……バレンタイン。すっかり忘れていた。さくら先輩から逃げることばかり考えていて、その約束ごと頭からすっぽ抜けていた。


「……覚えてましたよ」


 本当は、今日が二月十四日だということも認識していなかった。


「嘘ばっかり。真冬ちゃんって、ほんと嘘つきだね」


 ぐうの音も出ない。

 その嘘つきのためにチョコを作るとき、いったいどういう気持ちでいたんだろう。怒って、作ること自体をやめても良かったはずだ。それでもチョコは完成して、今ここにある。チョコの中に、さくら先輩の涙が一滴くらい混ざっていたら嬉しい。

 袋の中身は見えないけど、小箱もチョコも、きっと綺麗に飾られているに違いない。さくら先輩は凝り性だ。それがさくら先輩の好意だと分かる。形にされると分かりやすい。信じられはしないけど、そうらしいと受け入れられた。

 でも、それだけだ。


「そうですよ。私、嘘つきです」

「言い訳しないの?」

「しないっていうか、できないっていうか」

「じゃああの写真……」

「見たまんま、事実です」


 息をのむ気配がした。それがさくら先輩のものか、私自身のものかは朧気だった。でも次に聞こえた、肺の中身を一気に吐き出すような呼吸音は間違いなくさくら先輩のもので、それはしばらく止まらなかった。視界の隅に、さくら先輩が苦しそうに胸をおさえる姿がうつる。この期に及んでも、私はさくら先輩と目を合わせようとしなかった。

 荒い呼吸音だけが聞こえる中で、


「……なんで?」


 ようやくさくら先輩が口にしたのが、その一言だった。

 どれに対する「なんで」だろうか。

 なんで、何人もの人とあんなことをしていたのか。

 なんで、そのことをさくら先輩に黙っていたのか。

 なんで、その上でさくら先輩にも手を出したのか。

 答えたくなかった。

 そうしたら、私たちの前提が完全に崩れてしまう。


「べつにいいじゃないですか」


 気づけば、最低なことを口走っていた。


「元々、陽ちゃんとは付き合ってたんだし。それが何人になっても」


 すねたように言いながら、さくら先輩と寝たときのことを思い出す。

 色々あった、水族館デートの最後。


――いやだけど……平気だよ。だってお相子だもん。

――わたしだって、家名くんがいるし。これで一対一。


 この資料室で、こういう話もした。


――恋人らしさって、なんですか?

――対等であること、かな。


そして、その話はこう続いた。


――じゃあ、どういうのが恋人の対等?

――好きって気持ちを相手にあげられるかどうか、とか。


 形は歪でも、私はさくら先輩の求める恋人だった。私には陽ちゃんがいる。さくら先輩には家名先輩がいる。それぞれ表の恋人がひとりいて、その両方が本気の恋じゃない。だからお相子で、この裏の恋こそが本物だと思える。さくら先輩はそう言っていた。

 詭弁だらけの理屈だ。でもさくら先輩にとって、途方もなく切実な理屈だった。

本当は私たちふたりだけで完結していたくて、堂々と私たちは恋人ですって言いたくて。私が陽ちゃんとセックスするところなんて、きっと想像もしたくないだろう。

 だから対等であることにこだわった。どう転んでも正しくはならないこの関係をせめて、さくら先輩はどうにかして恋人らしくしたかった。お互い表向きの彼氏がいるという対等さが、そのための唯一の方法だった。

 でもそんなのは、最初から成り立っていなかった。

 それを言ったら、全部がおしまいになる。

 なのに。

 さくら先輩は、私から決して目を離さなくて。

 私の最低な物言いに、ただ黙って耐えていて。

 私は、いつまでも目を合わせられなくて。

 ただ、その視線だけを感じていて。

 もう、耐えられなくなった。


「私とさくら先輩は、対等なんかじゃなかったんですよ」


 流されるように、言ってしまった。

 そのとき、さくら先輩の体が揺れた気がした。


「そっか」


 消え入るようにつぶやいて、さくら先輩は俯いた。

 震えるさくら先輩の手を見ながら、されるだろうか、と思う。

 これも、水族館デートのときにした話だ。


――裏切ったら……ビンタする……かも。


 してほしいな、ビンタ。

 マゾじゃないけど、それでもしてほしい。

 頬の痛みは、それ自体すぐ消えてなくなっても、きっとしばらく消えない思い出になる。

 そのとき、鼻の頭あたりにささやかな衝撃を感じた。ビンタにしては、本当にささやかな痛みだった。一瞬だけ、目の前が暗くなる。

 視界が明るくなるのに合わせて、ぽとり、となにかが地面に落ちた。

 足下を見ると落下の衝撃のせいか、それの中身がわずかに飛び出していた。

 その小箱は、やっぱり綺麗にラッピングされている。ブラウンの包装紙に、クリーム色のリボン。地味だけど、さくら先輩らしい大人びた装い。シンプルなこの形を整えるのに、いったいどれだけの手間と気持ちを込めてくれたんだろう。


「真冬ちゃんなんか……」


 手提げ袋ごと、チョコをおもいっき投げつけられたんだと理解したとき、さくら先輩の嗚咽交じりの声が聞こえた。

 顔を上げると、今日はじめてさくら先輩と目が合った。

 さくら先輩の涙が、ボロボロこぼれ落ちていた。体中の水分がなくなって、崩れ去ってしまいそうなくらい。地面に落ちていくその一滴一滴を、なんとなくかき集めたくなった。


「真冬ちゃん……なんか……」


 その先は出てこなかった。

 嫌い、と言おうとしたんだろうか。大嫌いだろうか。

 聞きたかった気がするし、聞きたくなかった気もする。

 どちらも言わずに、さくら先輩はこの部屋から出て行った。

 ひとりになると、とても静かだった。

 さびしい。そんな気持ちを紛らわすように、地面に落ちたチョコを拾う。包装を慎重に解いて、小箱の蓋を開けると、そこには綺麗な形のカップチョコ。小ぶりで、かわいくて、おいしそう。

 たくさん並んているうちのひとつを摘まんで、ぽいっと口の中に放った。コリコリ噛み砕く。舌の上で転がせるくらいのサイズだったものが一瞬でバラバラになり、溶けてなくなってしまう。その過程で、凝縮されていた味が口内に広がり、染み渡る。


「あ、正解」


 甘いか苦いか、私の好みを当ててくれるようお願いしていたんだった。そんなことも、チョコを口に入れるまで忘れていた。

 さくら先輩はちゃんと当ててくれた。教えてないのに私の好みぴったりの味だった。

 さくら先輩は、私のことをよく分かってくれている。

 私の嘘だけは、また見抜いてくれなかったけど。


「あーあ」


 私は、さくら先輩の好意を信じられない。

 私は、さくら先輩が好き。

 私とさくら先輩が対等じゃないって、そういうこと。

 さくら先輩は逆だと思ったみたいだけど。

 見抜いてほしかった。

 そうしたら、いつか私も、さくら先輩の気持ちを信じられる気がした。

なかなか、思うようにはいかない。

 当たり前か。

 未練をごまかしたくて、私はもう一粒、さくら先輩のチョコを口に入れた。やっぱり、私の大好きな味がする。

 それは、さくら先輩に恋をしたときと同じ味がした。

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