2(前)

 今日のさくら先輩は、いつも以上に大人っぽい。リブの入ったワンピースは薄い紫が落ち着いていて、さくら先輩の雰囲気に合っている。今は脱いでしまったカーディガンも、さくら先輩の清楚さを象徴するような白だった。髪こそいつも通りだけど、大学生とかOLとか言っても通用しそう。


「女同士のデートなら水族館は外せないんだよ」


 ただ、電車に揺られながらそう熱弁する様子だけは、やっぱり子どもっぽい。

 次の土曜日はデートしよう、と決めたときも聞かされた話だった。


「確かにみんな行ってますけど。水族館」


 さくら先輩におすすめされて読んだ漫画の感想だ。さくら先輩いわく、女同士の特別な関係を扱ったジャンルらしい。存在だけは知っていたけど、試しにいくつか読んでみたらけっこう面白かった。

 そういう漫画だと、デートで水族館に行くのがセオリーじみてきているよう。実際、私が読んだ漫画でも、水族館の登場回数は異様に多かった。


「でしょ? だから憧れてたんだよね。わたしも彼女ができたらーって」


 隣に座るさくら先輩は、うきうきした様子でそう言った。


「どこ行きたいか聞いたら即答でしたよね。勢いよすぎてちょっと引きました」

「……言わないで。自分でもやっちゃったって思ってるんだから」

「でも意外かも。漫画とか全然読まなさそうなのに」

「よく言われる」

「書庫で詩集とか読んでそう」

「それも、よく言われる」


 さくら先輩のうきうき笑顔に、ほんの少しだけ自嘲が混ざった。


「でもわたしは、真冬ちゃんも知っての通りこんなんだから」

「そういえば漫画にもけっこういましたよね、さくら先輩みたいなキャラ」

「そうかな?」

「なんか、努力して優等生演じてるーみたいな」


 読んでいて、さくら先輩に似てるな、と思った。

 でも、さくら先輩としてはそういうつもりはないようだった。


「うーん。たぶん、そういうのじゃないんだよね。頑張って演じてるっていうよりは、その時々で表に出てる部分が違うだけって感じかなあ」

「どういうことです?」

「本当の自分、作った自分、じゃないんだよね。元々どっちも本当で、相手によって自然と切り替わるっていうか」

「ふうん」


 言われてみると、確かにそのほうがしっくりくる。


「てことは、私が知らないさくら先輩がまだたくさんいるってことですね」

「そうなるのかな」

「楽しみだなあ」

「ん、何が?」

「これから、いろんなさくら先輩が見れるってことじゃないですか。それが全部本当なのって、いいなって思いました」


 そう言うことで、さくら先輩がどんな反応をするかは分かっていた。

 さくら先輩は、恋愛が絡むと途端にポンコツになる。だから、こういう分かりやすく恋人っぽいことを言えば、面白いくらいにあたふたしてくれる。

 案の定、さくら先輩は数瞬ぽかんとしたあと、無駄に手をぷらぷらさせた。

 そして、


「ふっ不束者ですが……」


 なんてテンプレじみたつぶやきを漏らした。

 それで面白くなって、もっといたずらしたくなった。


「まっ真冬ちゃん?」


 電車の走行音でかき消されそうなほど儚い声で、さくら先輩が動揺する。


「手袋忘れたからすっごく冷えちゃって。カイロ代わりです」


 ガタガタ揺れる電車の中は、休日にしては人がまばらだ。向かい合う二列のシートは虫食いになっていて、暖房の働きもむなしく寒々しい雰囲気がただよっている。

 私は寒がりだ。さくら先輩もよく知っている。そういう口実で、私はさくら先輩の手に触れた。


「カイロって……。っていうか触り方……」

「カイロはちゃんと揉まないと」


 さわさわ、すりすり。焦らすように触ったり、たまにきゅっと握ったり。

 そうやって指を絡めていると、なぜかさくら先輩は脚をもぞもざせた。分かりやすく緊張している。昔から女の子との接触はできるだけ控えてきたのだろう。

 ごまかすように、さくら先輩はあっちを向いてしまった。


「さくら先輩はあったかいですよね」

「真冬ちゃんが冷たすぎるんだよ。え、ちゃんと生きてる?」


 視線が戻らないままの軽口は、動揺を隠そうとしているのがバレバレで微笑ましい。


「生きてますよー。何回も抱いてくれたんだから、私の体温くらい知ってますよね?」


 そう言ってあげると、ぎょっとしたさくら先輩の視線がこっちに戻ってきた。


「ちょっと。そういうの、お外じゃ言っちゃいけません」


 あまりにもびっくりしすぎたのか、それこそお姉ちゃんみたいな言い方で窘めてきた。


「誰にも聞かれたりしませんよ。両隣こんなに空いてるんですから」

「それでも、だよ」


 めっとさらに注意してくる様子は、子どもっぽくもお姉ちゃんっぽくも見えた。


「ところでいつまで触ってるの?」

「いつまで触ってほしいですか?」

「……お願いした覚えはないんだけど」

「でも触ってほしいんでしょ? ちょっと気持ちいいなって思ってるんでしょ?」

「……」

「じゃ、向こうにつくまで触ってますね」


 また無言でそっぽを向かれてしまった。

 しかたないから、私も黙ってあたたかい手を握り続けた。恋人つなぎで。


     *


 電車を降りるときに、私たちの手は自然と離れた。

 デートといっても四六時中つないだりはしない。愛が重いカップルならするかもしれないけど、私たちはカップルどころか浮気の関係にある。周りに誰がいるか把握できる電車内と違って、不特定多数がうごめく空間だとそれなりに不自由する。

 といっても女同士の関係だ。知り合いに見られたって仲のいい友達だと言い張ればいい。

 だから手を離したのは、怖がりなさくら先輩への配慮だった――つもりなんだけど。

 そのさくら先輩が、ものすこく名残惜しそうにしている。

 水族館の内装は日常を忘れるほど幻想的。抑えられた照明の中で、かすかに水槽から漏れる光を眺めるだけでも楽しめる。水の中を泳ぐ生き物たちの雄大さには、生き物にたいして興味があるわけでもない私でさえ圧倒的なものを感じられた。

 なのに、さくら先輩はその光景に集中できないようで、ちらっちらっとこっちを見てばかりだった。


「手、つなぎます?」


 何度目かの視線を感じて、私はからかうようにニヤニヤした。

 するとさくら先輩は


「え?」


 と目をぱちくりさせ、


「なっなんで?」


 とか言い出した。


「ずっと見てるじゃないですか。つなぎたいんですよね」

「……見てないよ」

「見てましたよー。ちらっちらって」

「……いつから?」

「電車降りたときからですね」

「うそお」


 さくら先輩は愕然としている。


「また自覚なしですか?」

「また?」

「こういう会話、二回目ですね。言ったじゃないですか。さくら先輩の視線はエロいって」


 さくら先輩はいつも我慢している。極力女の子に触れないようにしているし、不意の接触にも眉一つ動かさない。そのかいあって、さくら先輩がレズビアンだと誰も気づかない。

 でもその反動か、無意識の部分でボロが出ている。視線とか。なんというか、とにかくエロい。たまたま相手が視界に入っただけですって風を装うぶん、ガン見されるよりよっぽど艶めかしい視線かもしれない。

 本当にさりげなくて、視線に敏感な私でも気づいたのは偶然だった。


「前から気になってたんだけど、そのえっちな視線? ってどんな感じなの?」


 後学のために……と、さくら先輩は切実な表情で付け足した。さくら先輩にとっては死活問題なんだろう。


「獲物を前にずっと舌なめずりを繰り返しているような感じ、ですかね」

「獲物……舌なめずり……なんか獣みたい」


 素直に教えてあげると、さくら先輩はショックを受けたのか肩を落とした。


「かっこいいじゃないですか。それでどうしますか、これ」


 手を差し出して、ぷらぷらさせてみる。するとさくら先輩はぐっと息を詰め、手を伸ばしたり引っ込めたりを繰り返した。


「優柔不断」

「だってえ」

「だって、なんですか?」

「これで握ったら、ほんとにえっちな先輩ってことになっちゃわない? 大丈夫? 無意識に後輩をえろい目で見てる変態になるの、やだよ?」

「はいはい、ほら次行きますよー」

「あっ」


 埒が明かないから、引っ込んだままの手を取って、強引に引っ張っていくことにした。


「手の話ばっかりしてるじゃないですか。せっかく水族館に来てるのに」

「真冬ちゃんのせいだと思うんだけど……」


 さくら先輩の文句を黙殺して、水族館デートを続行する。

 水族館なんて小学生以来だけど、ほんの数十分回っただけでここがデートスポットに選ばれがちなことに納得してしまった。どこも似たような雰囲気に見えて、実は飽きがこないようにたくさんの工夫が施されている。

 大小様々な水槽のおかげで観賞には緩急がつくし、所々に設置された体験型コーナーはデート相手とのコミュニケーションのいい媒介になる。これはかなり楽しい。渋面になっていたさくら先輩も、いつの間にか笑みを浮かべている。私はサメとかエイが気に入ったけど、さくら先輩はヒトデやら小さな魚やらの地味なやつが好きなようだ。こういうところに性格の違いが出て、会話が弾む。


「楽しい。こんな風にできるなんて、思わなかったなあ」


 クラゲの水槽を眺めていると、ふいに、さくら先輩がそんなことを言った。

 さくら先輩は、ちゃんと約束を守ってくれているようだ。

 デートを決めたとき、ふたりでした約束。


 ――その日だけは、私たちがどういう関係か、全部忘れましょう。


 この一か月、さくら先輩は後ろめたさを感じているようだった。元が真面目な生徒会長だ。浮気なんて、本来はできる人じゃない。

 そういう性格なのは、しかたがない。だったらせめて、デートくらいはと、なにかのついでみたいな軽さで提案してみた。

 最初は躊躇っていたさくら先輩だけど、少し考える様子を見せたあと、そうだねとうなずいた。一日限定であることが、後ろめたさを忘れるハードルを下げたのだろう。さくら先輩の心は、そうした息抜きなしに耐え続けられるほど強くない。


「それは良かったです」

「……わたし、何か言った?」

「また無意識ですか? んー。言ってましたけど、内容は教えてあげません」

「え、何それ。気になる」


 約束通りにしてくれるなら、あえて教えなくていい。

 おかげで、私も楽しかった。ずっと手をつないでいることさえ、忘れるくらいには。

 だから、


「そこにおわすはさくらさんかい?」


 途中ですれ違った誰かに、不意打ちで呼び止められたのには驚いた。

 さくら先輩の驚きは私の比ではなかっただろう。つないだ手を介して、さくら先輩の心臓が大きく跳ねる音が伝わった気がした。

 さっと、さくら先輩の手が離れていく。


「美代?」


 さくら先輩が、平静を装ってその人の名前を呼んだ。

 宮藤美代先輩。さくら先輩の友達で、同じ生徒会だから私もそこそこお世話になっている。外見の第一印象と違って快活で、そのちぐはぐさがある種の魅力になっている人だ。

 そのはずなんだけど、今日は様子が違っている。


「びっくりした。なんか、いつもよりおしゃれだね」


 さくら先輩がそう褒めると、宮藤先輩はなぜか気まずそうな顔になった。


「あー、うん。その、なんていうか、なんていうかね?」


 ほとんど何も言っていないに等しい返事だった。

 その歯切れの悪さも含めて、やっぱり今日の宮藤先輩はいつもと違っている。

 宮藤先輩といえば、ほぼ誰も守っていない校則通りの装いで有名だ。真面目というよりファッショに興味がないんだろう。何回か見た私服姿も、箪笥の一番上から出してきたっぽいパーカーで済ませていた。

 そんなおしゃれとは縁遠い宮藤先輩が、今日はとんでもなく輝いていた。

 レースのワンピースが華やかで、ワンポイントにかわいらしいファーマフラーもつけている。おなじみの三つ編みヘアーも今は綺麗におろされていて、全体的に大人っぽい雰囲気。唯一眼鏡だけはいつものやつだったけど、それすらおしゃれアイテムのように見えるくらい洗練された佇まいだった。

 非の打ちどころがない美人さんだ。歯切れが悪く、挙動不審でさえなければ。

 私とさくら先輩は、うーん? と顔を見合わせた。いつもの宮藤先輩なら、元気よく私たちをランチにでも誘いそうなものなのに。

 よく観察してみると、宮藤先輩はむこうにあるお手洗いを気にしているようだった。


「あっちに何かあるんですか?」


 と、聞いてみる。

 でも宮藤先輩は


「いや、そのー、どうかなー」


 などと、やはり歯切れが悪い。


「どうなの?」


 と、これはさくら先輩が言った。

 二人して訝しむ視線を向ける。すると、宮藤先輩はとうとう観念した。


「あーもういいや。考えなしに声かけちゃったのが悪い」


 がりがりと頭をかく宮藤先輩を見て、さくら先輩が「せっかく綺麗にセットしてるのに」と止めに入る。

 そのとき、私は察した。

 水族館なんて場所に、一体何をしにきたのかだ。

 実は宮藤先輩が生物オタクなんです、なんて話は聞いたことがない。

 つまり。


「彼氏と来てるんだよね」


 驚くさくら先輩の横で、私は答え合わせをしてもらった気分だ。でも意外は意外だった。


「彼氏? 美代の? わたし聞いてないんだけど!」

「言ってないし……付き合い始めたの先週からだし……」


 またまたの新情報だった。

 それから私たちは、ばつが悪そうにしている宮藤先輩から全部を聞き出した。付き合っているのは、幼なじみの後輩であること。告白してきたのは相手のほうからだということ。相手の好意には全然気づいてなくてとても驚いたこと。そして、その熱心さに負けて交際を承諾し、今では宮藤先輩自身まんざらではないこと。

 説明をする宮藤先輩は、心なしか顔が赤いように見えた。


「ほんとびっくり。つい最近まで、あたしには恋愛は分からんぜ、とか言ってたのに」

「だから言いにくかったんだよ。いつか言わなきゃとは思ってたけど……」


 そういう会話を続けている間に、くだんの彼氏くんが戻ってきた。なかなか体格がいい男だ。同学年のはずだけど、残念ながらその顔も名前も記憶になかった。

 私たちはどちらからともなく挨拶をした。会話の主導権はさくら先輩だ。優しそうな彼氏で良かったよとか、美代をよろしくねとか、そんな感じ。そこはさすがの生徒会長で、彼氏くんは芸能人と話しているみたいに緊張していた。

 経緯が経緯だから、しばらくは宮藤先輩たちの話をしていた。でも、ふとした拍子に話の流れが変わった。


「しかし二人は仲いいよなあ」


 宮藤先輩がぽつりと漏らした一言だった。

 言うまでもなくそれは私とさくら先輩のこと。

 きっと、私たちが手をつないでいたのを思い出したんだろう。

 宮藤先輩はにんまり笑って続けた。


「もしかして付き合ってたりして?」


 宮藤先輩からすれば、それはほんの冗談のつもり。自分たちばかりいじられたことの軽いお返しなのかもしれない。

 でもそれは、私たちにはかなりクリティカルなお返しだった。

 特にさくら先輩にとっては。


「そっ」


 そんなわけないでしょ、と言いかけたさくら先輩の口は途中で止まったから、そのあとは私が引き継いだ。


「私たち、仲良しですから。そういう風にも見えますよね」


 こういうのは必死に否定しようとすると逆に怪しまれる。相手も本気じゃないのだから、その軽いノリに合わせたほうがいい。そうすれば話を簡単に流せるし、後々も友達同士のスキンシップで通せる。

 そのために、私はあえてさくら先輩と腕を組んだ。


「お熱いねー」


 とからかう宮藤先輩は、さくら先輩ががちがちに固まっていることに気づかない。

 そこにはもう、誰もが慕う立派な生徒会長はいなかった。

 約束の効力もここまでかな、と思う。


     


 

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