4
――期限を決めましょうか。
何も決められないわたしに、真冬ちゃんは一つの提案をした。
まず、返事は一旦保留とする。代わりに今日以降、真冬ちゃんはわたしに自由にアプローチできる。わたしはそれを妨げない。期限は二週間後のクリスマスイベント当日まで。その日、改めてわたしは真冬ちゃんに返事をする。
ひとまずの落とし所まで用意してもらって、本当に情けない。
これでは、どちらが先輩か分からなかった。
*
その夜。
狭苦しい部屋でマイクを握りしめ、わたしはシャウトしていた。
華の女子高生が口にするには品のない曲を歌い続ける。知ったことではない。女子高生だってストレスは溜まるし、それを一気に吐き出したい時があるのだ。
カラオケである。
真冬ちゃんの部屋を出た後、ダメ元で美代に連絡してみたら、まだ学校の近くにいるということだったので合流した。一度は断ったのに、都合よく呼び出したら来てくれるなんて、持つべきは親友だ。
カラオケはいい。大勢で来るのも好きだけど、美代のように気心しれた友人とだけ来るのはもっと楽しい。いくらでも品のない曲を歌える。
「荒れてるねぇ」
世の苦しみに中指をたてるかのような曲を歌い終えると、ソファに身を沈める美代が苦笑しながら言った。
「こんなわたしを見せられるのは美代だけだよ……」
「好きなだけ吐き出そうぜ。あたしゃどんなお姉ちゃんでも受け入れるよ」
優しい美代が背中をぽんぽんしてくれる。
まだ帰らないでいてくれて、本当に助かった。
*
それから二時間ほど歌った。美代の選曲は多様性に富んでいたけれど、わたしはアップテンポな曲ばかりだった。美代はそのどれもにノリノリで合いの手を入れてくれた。
名残惜しさを感じながら精算をしたのは、時刻が二十一時を回った頃だ。テンションがおかしくなっていて、わたしは美代の分まで代金を支払うことにした。美代は「いやいやちゃんと払うよ」と言っていたけれど、素早く精算を済ませたら大人しく奢られてくれた。
そして、わたしたちは仲良しこよしで駅へと向かう。来週からはクリスマスイベントの準備で忙しくなるねえなんて話しながら。その途中で、すれ違った女の子に声をかけられた。
「あの。もしかして、さくらちゃん?」
振り返ると、そこには可愛らしい女の子が立っていた。制服からして、お隣の高校の生徒だろう。清楚な印象で知られるその制服にぴったりな、良家のお嬢様のような雰囲気だった。虫の一匹も殺したことがなさそうな育ちの良さを感じる。
その子には、見覚えがあった。
「……由佳ちゃん?」
忘れるはずもない。成長していても、あの頃の面影は残っている。疑問形になったのは、予期せぬ再会に動揺して言葉が喉に詰まってしまったからだ。
「やっぱりさくらちゃんだ! うわあ、すっごい久しぶり。元気にしてた?」
わたしの動揺をよそに、その子――
由佳ちゃん。
由佳ちゃんだ。
記憶にある姿と、今の姿が、次第に重なっていく。
間違いなかった。
今目の前にいる女の子は、わたしより先に自分の性的指向をクラスメイトに明かしたことでいじめられ、小学生のわたしが薄情にも見捨てた友達だ。
「うん。元気してたよ。……由佳ちゃんは? いつこっちに帰ってきたの?」
不自然にならないよう、どうにか言葉を返した。それでも途中で間が空いてしまったのは、一体どの口でそれを聞くのかと自嘲したからだ。
「高校進学に合わせて帰ってきたんだ。っていっても新しい家は前に住んでたとこから結構遠いんだけど」
なんでもないことのように由佳ちゃんは言うけれど、その裏側にある意味は明白だった。娘をいじめた子どもが大勢いる地域なんて、どこの親が再び暮らそうと思うだろう。
けれど当の由佳ちゃんは、昔のことを忘れたかのように元の性格を取り戻していた。表情に陰りはなく、声も明るい。転校先で友人に恵まれたのかもしれない。由佳ちゃんが立ち直っていたことに、わたしは心の底から安堵した。
「由佳。そろそろ時間が」
由佳ちゃんの隣にいた女の子がそう言った。同じ制服を着ているから、部活仲間かクラスメイトだろう。「あっそうだね。ごめんごめん」とため口で話しているから先輩ではないはずだ。
「もう行かなくちゃ。でもまだお話したいし、良かったら後でどうかな?」
由佳ちゃんの提案に、わたしは間髪入れずに頷いた。一方で、内心では葛藤があった。わたしも話したいことはたくさんある。けれど何を話せばいいのか全く思い浮かばなかった。わたしは裏切り者だ。悲痛な声で助けを求める由佳ちゃんから目を逸らした。そんなわたしを、由佳ちゃんは恨んでいるはずだ。だから躊躇った。今はお互い友達がいるから自重しているだけで、二人きりの会話になったら当時の恨みをまとめて浴びることになるかもしれない。自業自得だけど、その光景を想像するだけで全身が震えそうだった。
穏やかな笑顔の由佳ちゃんと互いのアカウントを教え合い、手を振って別れる。
「昔の友達?」
そう美代に聞かれたけれど、すぐには「そうだよ」とは返せなかった。由佳ちゃんは、今でもわたしを友達だと思ってくれているのだろうか。
*
『今、通話いい?』
お風呂から上がったタイミングで、そのメッセージが送られてきた。
自分の部屋で、既読をつけないよう、十分間ほどその文字列を眺める。
本当は、一秒でも早く返信すべきなのに。
怖くて、手が思うように動いてくれなかった。
けれど、いつまでもそうしてはいられない。
崖から飛び降りるような心地で、わたしは返信した。
すると、次の瞬間には画面が着信表示に切り替わった。
「もしっ、もしもし?」
緊張で少し噛んでしまった。
「夜遅くにごめんね、さくらちゃん。眠くない?」
「夜更かしはいつものことだから。大丈夫だよ」
「あ、由佳も。寝る前は明日こそ早く寝るぞってかたく誓うんだけど、次の日の夜も同じ時間に同じこと思ってるの。で、朝すっごくねむい」
由佳ちゃんの声に、淀みはない。あの頃と全然変わらない調子で話してくれている。自分のことを名前で呼ぶのも相変わらずで、懐かしい気分になった。
そう感じたのは由佳ちゃんもだったらしい。躊躇していたのが嘘のように会話はスムーズに続いた。あの頃こんなことしたよね、という思い出話から、今はどの高校に通って何をしているのか、という近況報告まで。由佳ちゃんも生徒会活動をしているようで、その共通点だけでわたしたちは大いに盛り上がった。
「そういえば、よくわたしだって分かったね。髪、染めてるのに」
「うーん、ちょっと自信なかったかも? さくらちゃん、かなあ、くらいだったよ」
「あ、そうなんだ」
「でも思い切って話しかけて良かったよ。さくらちゃんどうしてるかなって、こっち戻ってきてからずっと気になってたし」
まるで友達のような会話だった。他愛もない話なのに、すごく楽しい。
だからこそ、余計に空々しさを意識させられた。
わたしたちの会話にはぽっかり空いた大穴がある。無邪気に笑い合っていた思い出と、こうして再会できた現在との中間点。それがそのまま、わたしと由佳ちゃんの間に走った消せない亀裂だ。わたしたちは、かつて親友だったものの残骸でしかない。
「あのね、由佳ちゃん」
よせばいいのに、わたしは声の調子を落として切り出した。表面だけ取り繕った会話と、わたしたちの関係の実態との乖離が、いたたまれなくて耐えられなかった。
「あの頃、わたし、由佳ちゃんのこと助けられなくて。助けようとしなくて……」
これで「ごめん」とはっきり言えていたらまだ良かった。自己満足の清算にはなっただろう。なのに、その身勝手さに言葉が詰まってしまった。昔の罪など忘れ去った厚顔無恥にも、勝手な謝罪で清算をしようとする自己中にも劣る、救いようのない半端者がわたしだ。
情けない元親友に、由佳ちゃんは何を思っただろうか。少しの沈黙が、わたしの肩にのる空気を重くした。
「さくらちゃんのせいじゃないよ」
気遣うような声音だった。そしてわたしは、由佳ちゃんがそう言ってくれることを知っていた。あの頃と変わらない、どこまでも小賢しい卑怯者。
「さくらちゃんが何かしてくれてもきっと変わらなかったんじゃないかな。ああいうのって、一回そういう空気ができちゃったらもう止められないんだよ」
「でも……」
「たぶん、さくらちゃんが由佳の味方してたら、あの空気はさくらちゃんも吞み込んじゃってた。あの頃はつらかったけど、由佳のせいでさくらちゃんも傷つけられてたらって考えたらさ、やだなって今は思うんだ」
「それでもわたしは由佳ちゃんと友達でいたかったよ。なのに逃げちゃった。それがずっと頭から離れなかった」
「だったらさ、これからまた友達になってよ。それが、由佳が求めるさくらちゃんの罪滅ぼし」
由佳ちゃんはあえてそういう言い方をした。ただ許すのではなく、罪滅ぼしという言い訳で、もう一度わたしと友達になろうとしてくれている。
けれど、由佳ちゃんは知らない。わたしには、あの空気を変えるチャンスがあったことを。
由佳ちゃんの告白の直後、クラスメイトたちの反応は空気の読み合いから始まった。
なんといっても「差別は良くないと思います!」とみんなで言い合った直後だ。たとえ由佳ちゃんに否定的な考えをもったとしても、率先してそれを口にするのはたいていの子にとって難しかっただろう。
反対に、肯定的な言葉をかける子もいなかった。小学三年生だって、言葉ではなんとでも言えることを知っている。差別反対の言葉が、そこにいる全員の本心とは限らない。最初に自分が由佳ちゃんのそばについた後、もし他の全員が由佳ちゃんに石を投げ始めたらどうなるのか、きっと誰もが想像したのだ。
そこでわたしが由佳ちゃんに歩調を合わせていたら、もしかすると別の空気ができていたかもしれない。わたしも由佳ちゃんと同じであり、こんなのは別に珍しくもないんだと伝えられていたら、二人そろってクラスでの居場所を維持できた可能性はある。
誰か一人の言動でどちらにも転び得る拮抗。あの時の教室はそういう状態にあった。
由佳ちゃんにとって不幸だったのは、それでもわたしが様子見を選び、由佳ちゃんへの嫌悪感を隠そうとしなかったクラスメイトが現れたことだ。
元から由佳ちゃんを嫌っていた子だった。だからクラスの微妙な空気を読んで、これはチャンスだと思ったのかもしれない。
その口はよく回った。由佳ちゃんの存在はこのクラスにあってはならないのだということを、大げさな身振り手振りをまじえて熱弁した。その理屈はおかしなところだらけだったけれど、どちらにつくかが何より重要だった子どもたちには絶大な効果を発揮することになる。
由佳ちゃんは、想像と百八十度違っただろう展開にだんだんと青ざめていった。それはそうだろう。ついさっきまで差別反対一色だった空気が、たった一人の言葉によってあっけなく変質した光景はひたすらに恐ろしかった。
集団の空気はかくも移ろいやすい。なのに、そういう流れが一度できてしまうと、それ以降は軌道を修正することができなくなっていた。由佳ちゃんは悪だという考えが正義となり、正義が暴力や誹謗中傷を正当化する。
そしてわたしは、その全てに対して見て見ぬふりを決めこんだ。
そのことを知らないまま、由佳ちゃんはわたしを許そうとしている。
打ち明けようか、迷う。その葛藤の最中に――
「それに由佳ね、高校で彼女ができたんだ」
ふいに、由佳ちゃんがそんなことを言った。
「かのじょ?」
オウム返しをしてから、ようやく「彼女」に変換できた。
「今日一緒にいた子なんだけど、半年くらい前から付き合ってるの」
「あの背の高い子?」
「うん。……ひいた?」
「ぜんぜん。むしろおめでとう? 半年も前のことなら今さらかな?」
「今さらなんかじゃないよ。ありがと。さくらちゃんがどう思ってるか聞いてなかったから不安で……安心した」
由佳ちゃんは、わたしも由佳ちゃんと同じだということ知らない。由佳ちゃんにとってわたしは未だに男が好きな側なのだから、こうして話してくれるのには相当な勇気が必要だっただろう。
驚いてぎこちない反応にはなってしまったけれど、それでもちゃんと祝福できて良かった。
「恋人かあ。いいな、羨ましい」
「さくらちゃんは? 恋人、いないの?」
恋人の存在を問われて、ぱっと頭に浮かんだのは家名くんではなく真冬ちゃんだった。実際に付き合っているのは家名くんだし、真冬ちゃんとは付き合っていないし、そのあたりのことを電話で説明するのは厄介で、そもそも人に話せるような状況でもないからお茶を濁すしかなかった。
「いるかもしれないし、いないかもしれない?」
「えーどういうこと?」
「わたしのことはどうでもいいの。それより、彼女さんとのこと聞かせてよ」
強引にごまかした後、由佳ちゃんにたくさんの話をしてもらった。彼女さんのどういうところが好きなのかとか、どちらから告白したのかとか。惚気話をのせた由佳ちゃんの声はとても嬉しそうで、幸せそうで、聞いているこちらが泣きそうになってしまった。
「良かった。良かったねえ、由佳ちゃん」
「うん、ありがとう……。だからね、さくらちゃん。ほんとはこれが言いたくて彼女の話をしたんだけど、昔のことはもう気にしないで。あの頃があったから今がある、とは全然思えないけど、それでも由佳は今幸せだから」
最後に、由佳ちゃんは穏やかにそう言った。
*
通話を切って、そのままベッドに大の字で寝ころんだ。背中に感じる柔らかさがいつもより心地よくて、灯りも消していないのに微睡みに落ちてしまいそうだった。
それでも瞼は一向に閉じる気配がない。興奮? 昂揚? 言葉にしにくい感情の高ぶりが、夢の世界に向かう意識の進路を妨げている。
あるいは、すでにここが夢の世界なのかもしれない。だってこんなのはあまりに都合が良すぎる。偶然由佳ちゃんと再会して、許されて……こんなことがあるのだろうか。
急に心配になって、自分の頬をつねるなんてベタなことをしてみたけれど、どうやら現実らしい。
「そっかあ。由佳ちゃん、彼女できたんだ」
呟くと、へにゃりと表情筋が緩んでしまった。なんだか幸せのお裾分けをもらった気分だ。
幸せな気分に浸りながら、由佳ちゃんとの会話を反芻する。色々と感情が忙しかったから、何をどの順番で話したかは曖昧だ。わたしが言ったこと、由佳ちゃんが言ったこと。全部がこんがらがっていて、けれど忘れている言葉は一つとしてなかった。その一つひとつを噛みしめて、由佳ちゃんと仲直りできたことを実感していたその時だった。
――恋人かあ。いいな、羨ましい。
自分が発したその一言を思い出して、すん、とあらゆる感情がリセットされたのが分かった。
直後に、愕然とした。
感情の空白地帯に、新しく発生したのが妬みだったからだ。
妬み、妬み……誰に? 由佳ちゃんに? なんで? 彼女ができたから?
単純すぎる連鎖を見出すのは容易だった。わたしには彼女がいたことがない。臆病になって、作ろうとしなかった。一方で、ある意味でそのきっかけになった由佳ちゃんは、過去の記憶に負けずに幸せを掴んだ。その差に、わたしは妬ましさを感じている。
気が狂いそう。
由佳ちゃんにかけた祝福の言葉は嘘ではなかった。許してもらうための媚びでもなかった。本心から自然と滑り出た言葉だった。
なのに今、そのことにさえ自信が持てないくらい、わたしは醜い妬みに囚われている。
衝動的に、ベッドの上に投げっぱなしにしていたスマホを手に取った。相手の都合も聞かず、考えなしに通話のアイコンを押す。
きっと出てくれるだろうと、根拠のない確信があった。
「さくら先輩? こんな時間にどうしたんですか?」
真冬ちゃんは、やはりすぐに出てくれた。
けれど、眠たそうな声だ。もうベッドに潜りこんでいるかもしれない。
悪いとは思っていても、わたしはすぐに用件を切り出せなかった。そもそも用件なんてないからだ。ならどうしてこうしているのかといえば……いくら考えても中身のない衝動は言葉になってはくれない。
「おーい、さくらせんぱーい。さくらおねえちゃーん」
呼び出しておいて沈黙するわたしに、真冬ちゃんが呼びかける。
声を聞いて、真冬ちゃんの顔がふっと思い浮かんだ。もう仕方ないですね、と微笑んでいる真冬ちゃんだ。勝手にそんな脳内イメージを作られて、真冬ちゃんもさぞかし迷惑だろう。わたしだって自分で自分にドン引きしている。ちょっと情緒不安定になったからといって後輩に縋りつくなんて。
「こんな時間に、ごめん」
「やっと喋った。何ですか、もう。私これから寝るとこなんですけど」
奇しくも、真冬ちゃんの声はわたしの脳内イメージ通りのものだった。
「えっと、わたしと――」
そこまで喋りかけて、わたしとなんだ? と踏みとどまった。
自分が何を言おうとしたか、一瞬だけ見失う。
わたしと付き合ってください? そう言おうとしたの?
また黙ってしまう。自分の安易さに吐き気がする。さらに救えないことに、安易でいいから言ってしまいたい衝動にかられている。
もう楽になりたい。望むままに、好きな女の子と付き合いたい。みっともない妬みなんて抱きたくない。
「もしかして、付き合ってくれる気になりました?」
「ううん。まだ分からない」
「ですよね。知ってました」
落胆した感じはない。真冬ちゃんなりの冗談だったのだろう。真冬ちゃんの冗談は分かりにくい。そのことを、今のわたしはもう知っている。
「……そういえばなんですけど、私、クリスマス会出られないかもしれないんですよね」
「え?」
急な話題転換に、一瞬ついていけなかった。けれどすぐに、気を遣ってくれたのだと理解した。わたしの様子がおかしいのは察しているはずで、それでも何も聞かずにいてくれたのだろう。
とはいえ、何かよろしくないことを聞いた気がする。
「クリスマス会に出られない?」
「期末テストがやばくて」
その説明で、一瞬で事態を察してしまった。
先週行われた期末テスト。その結果が来週判明する。規定に満たない点数が三教科以上なら、強制的に一週間の補修行き。特別な理由がない限り免除はありえない。ちなみに、その期間にはクリスマス会当日も含まれている。もちろん優先されるのは補修だ。
「どの教科がまずいの?」
おそるおそる聞いた。
「んー全部です」
「それは確かにやばい。勉強しなかったの?」
「しましたよ。五分くらい」
「五分……」
それは勉強したと言えるのだろうか。
困ったなあ、どうにかならないかなあ、と思案する。別に補修になったら留年するわけではないけれど、単純にクリスマス会の運営として困る。はじめての試みで当日は大忙しだろうから、猫の手一つだって手放したくない。
「でもですよ、まだ赤点ぎりぎりって可能性も残ってます」
わたしの心情を読んだように、真冬ちゃんがそう付け足した。
「そうであってほしい。心から。でも今度のテストは一緒に勉強しようね」
今回もそうしておけば良かった。真冬ちゃんの成績がよろしくないのは知っていたのに。けれど、まさか全教科赤点の危機に陥るほどとは思わなかった。
「でも今まで補修になったことってなかったよね。ずっと赤点ぎりぎりで凌いできたの?」
「そうなんですよー。だから今回もいけるかなって思ったら」
予想以上に難しかったと。
「ま、赤点も二つまではセーフなので。私は私の運を信じることにします」
そう言って、真冬ちゃんはこの話題を締めくくった。運ではなく実力を信じてほしかった。
話題が一つ終わっても絶え間なく続くのがガールズトーク、とは限らないけれど、わたしたちの会話はテンポ良く続いた。来週からのイベント準備や冬休みの予定の話。進路の話は真冬ちゃんがいやがった。本当に勉強が嫌いらしい。それを含めて、全部が他愛もない内容だった。真冬ちゃんが気を遣ってくれたのもあるし、わたしが難しいことを考えたくなかったのもある。わたしの心に根付いた嫉妬心が、この時間だけは姿を隠してくれていた。
しばらくして、真冬ちゃんの呂律が怪しくなってきた。何やらふにゃふにゃ言っている。そういえば就寝間際だったことを思い出し、「ごめんね、もう寝ようか」と提案した。返事はなく、スピーカーからは穏やかな寝息だけが聞こえる。
くすりと、小さな笑みが漏れた。できるだけ慎重に通話終了のコマンドを押す。むこうに音が聞こえることはないのに、なぜかそうしていた。
真冬ちゃんの寝息に誘われたのか、わたしの意識も徐々にぼやけ始めた。眠気に従って、就寝の準備を整える。部屋の電気を消す頃には二時を過ぎていた。
ベッドに潜り込み、瞼を閉じる。
すると、鈍っていた思考が再び動き始めた。眠れないかもしれない。意識を落とさないといけないのに、日中よりずっと頭の働きは活発だ。そのせいで、隠れていた嫉妬心が再びにょきっと顔を出した。気付いてしまった醜い心に、わたしの目は釘付けになる。瞼を閉じているから、他の何かに意識を逸らすこともできない。
「……真冬ちゃんと話したい」
目を逸らせない代わりに、口で現実逃避を呟いていた。
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