第23話 メリークリスマス、ハッピーバースデー

 12月24日。

 今日はクリスマスイブ。

 そんなことはさておき、今日はベル様が魔界から帰ってくる予定の日である。


「……よし、結構うまくできた気がする」


 時間は昼を少し過ぎたぐらい。

 冷蔵庫やキッチンにはクリスマスにちなんで、チキン丸ごとだったり、ピザだったり、お菓子やジュースが大量だった。


 今はローストビーフが完成できたところだ。その他諸々、簡単にできる料理は肉を寝かせているうちに作っておいた。


「……ちょっと作りすぎたかな?」


 考えてみれば、ベル様が喜びそうなもの、と思って手当たり次第に作ってしまった。

 まぁ余ったら保存して次の日にでも食べれば問題はないが。


「さすがにこれだけあれば……いや、もし食べたいものが他にあったら……うーん」


 先ほどからこのループである。

 さすがに時間も迫ってきたので、もう追加の料理を作ることはできないが、どうしても不安になってしまう。


「……いや、大丈夫だきっと!」


 出来上がった料理は、冷蔵庫に入れ、入れなくても大丈夫そうなものはラップをしておく。


「そう言えば、ベル様って何時ごろに帰ってくるんだろう」


 今日帰る予定、とは言っていたが、詳細は全く聞いてなかった。

 それに、魔界と人間界で時間の流れが微妙に違うとか聞いた覚えがある。

 もしかしたら今日は帰ってこないかもしれない。


「……気長に待ちますか」


 ソファに座り、テレビをボーっと見たりスマホで動画を見たりしていると、眠気が襲ってきた。


「まずい……朝早かったし、料理ばっかしてて疲れてるのかも……」


 寝てはダメだ、と思う気持ちと反比例して睡魔は強大になっていく。

 やがて意識は闇に落ちていった。



「……くん」

「ん……」


 声が聞こえる。もはや聞きなれた声。


「……僕くん」

「んん……」

「下僕くん、寝ちゃったの~?」



「はっ!」


 ベル様の声で目が覚めた。


「ベル様?」


 暗闇の中で辺りを見渡してみるが、誰もいない。どうやら夢を見ていたらしい。

 スマホを起動して時間を確認する。

 23時40分。随分と寝てしまった。


「……」


 シーン、という静寂がやけにうるさい。

 この様子では、ベル様は帰ってこないようだ。


「はは……一人で勝手にはしゃいじゃってたな……」


 寒くなってきたので上着を羽織る。

 塞ぎ込んだ気分を紛らわそうと思い、ベランダに出た。


「……寒い」


 街頭の明かりがあちこちに広がっている。

 あれはイルミネーションだろうか。遠くの方では大きな光が天に向かって伸びており、チカチカと消えたり光ったりしている。


「ベル様と初めて会ったのも、ここだったっけ」


 あの時のことは、昨日のように思い出せる。

 楽になりたくて、命を投げ出そうとして。

 そんな時、彼女は現れたのだ。

 それから一緒に生活をして。

 ゲームや、運動も楽しんで。

 魔界のベル様のお友達をもてなして。

 旅行にも行ったりして。

 毎日が、楽しかったのだ。

 それこそ、夢の中にいるようだった。


「はは……今までの事が全部夢だったりして──」

「こんなところにいたら風邪ひいちゃうよ?」


 声がはっきりと、聞こえた。

 後ろの方から。

 いるはずがない。だって窓を開けた時は誰もいなかった。

 ゆっくり、ゆっくりと振り返る。


「人間はよわよわなんだから♡」


 異様なまでに整った目、鼻、口。

 背中に届くくらいの長さでツーサイドアップの髪形は幼さを感じさせながらも、大人のような色香を醸し出していた。

 人間というにはあまりに美しく。恐ろしいぐらいに可愛らしい。

 だって彼女は、人間ではなく、悪魔で──僕のご主人様だ。


「おかえりなさい、ベル様」

「うん、ただいまっ! 下僕くん!」


 ぴょん、と抱き着いてきたので思わず抱き留めた。


「わっ、とと……!」

「ごめんね、遅くなっちゃって。心配した? した?」

「はは……。はい、それはもう」

「にひひ、だよねぇ。こんな時間に黄昏るくらいだもんね。甘えん坊さんだなぁ、下僕くんは」


 返す言葉もない。

 実際のところ、もう帰ってくることは無いんじゃないかと思って少し泣きそうだった。


「ほら、中入ろ? 色々とゆっくりお話したいこともあるし」

「はい。……ん? ゆっくりお話し?」


 何だろう。妙に含みがあるような言い方だ。

 とにかく寒いので中に入ることにした。



「そうですか……まさか見られていたとは……」


 ベル様から魔界で何があったのかざっくりと教えてもらった。

 リサと偶然会っていたこと、楽しそうに話していたこと、そしてリサに似た悪魔に襲われていたこと。


「全く……下僕くんは目を離すとすぐに誰かに連れて行かれそうになるんだから」

「いや、そんなことは……」

「サンちゃんの時も結構危うかったと思うけどなー」

「う……」


 ジト目で見られてしまい、何も言えなくなる。


「……ま、今回はしょうがないか。アタシも下僕くんに何もしてあげられなかったし」

「そんな、ベル様は悪くないですよ」

「だーめ。これは連帯責任なんだから。使い魔の下僕くんを守れなかった主人のアタシにも非があるの。でもどうしようかな……下僕くんの身を守るもの……そうだ! 鎖とかどうかな?」


 ベル様は何故か懐からチャリチャリと音を鳴らせながら鎖を取り出してきた。

 身の危険を感じて思わず後ずさりしてしまった。


「さ、さすがに怖いですよそれは……」

「にひひ。冗談冗談」


 目がマジだった気がするが……冗談としておこう、うん。


「下僕くんの防護策は今後考えるとして……いい匂いがするね」

「え? あぁ、料理はたくさん作っておいたので、それですね」

「んも~、ホントによくできた使い魔なんだから♡ 食べてもいい?」

「いいですけど……深夜ですよ? 明日にした方が……」

「いーの。下僕くんが作ってくれた料理、久しぶりに食べたいし。それに今日は──聖夜、クリスマスでしょ?」

「……そうですね。食べちゃいましょうか」

「うんうん!」


 ベル様の提案通り、冷蔵庫から作った料理を次々と運び出す。

 スープも温めなおしたりして皿によそい、その結果テーブルの上には収まり切れないぐらいの料理が並んでいた。


「わぁ~、すっご……」

「すみません……さすがに作りすぎましたよね……」

「ん~ん。すっごく嬉しい。アタシの帰りが待ち遠しくてたまらなかったって、ひしひしと伝わってくるよ~」

「な、なんか改めて言葉にされると恥ずかしいですね……」

「にひひ、照れちゃって♡ ね、食べていい?」

「はい、どうぞ」

「いっただっきま~す。……ん~! 美味しぃ~!!!」


 ベル様に続くように、自分も食べてみる。

 うん、自分にしては良くできたと思う。

 ベル様は次々と食事を口にしていく。この光景も3日ぶりだというのに、随分と久しぶりな感じがする。


「ベル様、久しぶりの魔界はどうでしたか?」

「ん? つまんなかった♪」

「そ、そうですか……」


 笑顔で返された。あまり聞かない方が良かったかもしれない。


「気になるの?」

「それは、まぁ。想像もつかないですけど、興味はあります。ベル様の生まれ故郷ですし」

「やめといた方がいいと思うよ~? 治安は良くないし、空気は悪いし、空は赤いし。人間界の方がよっぽど快適だよ。……あ、でも連れて来いって言われてたんだっけ」

「え?」

「ほら、悪魔とのやり取りを見てたって言ったでしょ? アタシだけじゃなくて、他の悪魔たちも見てて、下僕くんにみんな興味津津だったみたいで。連れてきて欲しいって言われてるの」

「そ、そうなんですか」


 ベル様だけにとどまらず別の悪魔にも見られていたとは……。なんだろう、笑いものにでもされるのだろうか。


「……連れて行くとなったらホントに鎖が必要になっちゃうじゃん」

「え?」

「なんでもな~い」


 それから、他愛ない会話が続き、料理は減っていった。お互いお腹いっぱいになったので、残りは明日だろう。


「ふぅ~、食べた食べた。ごちそうさま」

「お粗末様でした。片付けるので、ベル様はくつろいでいてください」

「え~、片付けは後にして、おしゃべりしようよ~。ほら、今日は聖夜聖夜♡」


 そう言って、ベル様はソファに移動し、隣をポンポンと叩いている。


「……そうですね。ちょっと待っててください」


 シンクに食器を運び、水につけておく。残った料理はラップして冷蔵庫へ。

 最低限の片付けを終わらせて、ベル様の隣に座った。


「えへへ」


 すぐにベル様は肩に頭を預け、すりすりしてきた。ホントに猫みたいである。


「ねぇ、下僕くん」

「はい、何でしょう」

「あの時の言葉、ホント?」

「あの時?」

「とぼけちゃって~。ほら、僕はベル様の使い魔だーってやつ」

「あぁ……」


 そう言えば、しっかりと言ってなかった。自分の答えを。


「はい。僕は、これからもベル様の使い魔でいたいです」

「……そっか。そっかそっかそっかぁ~♡」


 スリスリスリスリスリ。

 これでもかと頭を肩に擦られる。


「ちょ、ベル様。くすぐったいですって」

「にひひ。我慢して♡」

「……分かりました」


 それからしばらくの間、スリスリを容認した。

 何度目かのスリスリの後ようやく満足したのか、ベル様は立ち上がり、こちらを振り返った。


「じゃあ下僕くん、契約の儀式をしよっか」

「儀式、ですか?」

「大丈夫。儀式って言っても、そう堅苦しいものじゃないから」


 そう言ってベル様は、部屋の電気を消した。

 部屋には月明かりだけが入っており、ベル様の存在がより神秘的で、どこか色っぽく見えた。


「アタシの体のどこでもいいから、キスして」

「ど、どこでもって……」

「ちゃんとした儀式だとキスする箇所は決まってたはずだけど……うーん、結構際どいところだったような……ま、いっか。アタシはどこでもいいから。下僕くんがしたいところに、して?」

「そう言われても……」


 ベル様の体を上から下までざっと見る。

 頭、口、胸、手、おなか、腰、足。

 どこでもいいと言われると逆に困ってしまう。



「ベル様、一つだけ条件を付けてもいいですか?」

「ん? なになに?」


 僕は確かに、ベル様の使い魔になると決めた。

 だけど、譲れない事もあったのだ。


「─────────────」


 ベル様は、僕の条件を聞いた後、ふぅとため息をついていた。

 呆れられたのか、と思ったが全く違った。


「うん。いいよ」

「……すみません。あんまり、使い魔っぽくないかもしれないですけど」

「下僕くんらしくていいんじゃない? まぁ? アタシ的には堕落させがいがあるからいいけど♡」

「はは、ありがとうございます」

「それよりほらほら、早く~」


 ベル様は目を閉じて少し上を向いていた。完全にキス待ち顔である。


 ここは口に行くべきか……いや、儀式というぐらいだから、漫画やドラマで見る手の甲にキスをする、という方が様式的には合っているかもしれない。


 しかし、ベル様は言った。自分のしたいようにと。

 僕は、決めた。


「では──失礼します」


 一言断って、ベル様の両肩に触れた。

 壊れそうなほど華奢な体。

 月明かりに照らされて輝く綺麗な髪。

 恐ろしいまでに整った顔立ち。

 それらの距離が全て、近づいたのち。


 僕はゆっくり──彼女の唇に口づけをした。


 今まで味わったことがないくらい、唇から伝わる柔らかな感触。

 彼女は分かっていたのだろうか、全く動じていなかった。

 頭をくらくらさせる蠱惑的な香りを至近距離で感じる。


 ゆっくりと、離す。

 数秒の出来事とは思えないほど、濃密な時間だった。


「……こ、これで契約は成立──」


 成立ですね、と言い切る前に僕の胸倉は掴まれ、ぐっと引き寄せられた。

 そして、数秒ぶりのキス。


「~~~~~~~~!?!?!?」

「ん……ちゅ……れろ……」


 しかも舌まで入って、口の中も頭もぐちょぐちょになるような、貪るようなキスだった。


 唾液の糸を垂らしながら、ベル様の口が離れて行く。

 ベル様は目を開けて、舌なめずりをした。


「意気地なし♡」


 今ので理解した。

 僕は彼女に、一生勝てないのだろう。


 その後の記憶は正直曖昧だった。

 朝日で目を覚ました時は、とてつもない疲労感と、受け止めきれないほどの幸福感と、最終選考のお知らせの通知が一気に来ていた。

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