第18話 主の居ぬ間に
「すぅ、はぁ……」
何度も深呼吸をする。
久しぶりに緊張している。
理由はもちろん、明日が採用面接の日だからだ。
「御社を志望した理由は、経営理念に共感したからで……」
頭の中で用意したセリフを繰り返す。
面接なんて長い事していなかったので、いくら練習しても緊張がほどけることは無かった。
「あ……もうこんな時間か」
練習にいそしんでいると、いつの間にか夕方になっていた。
夕飯の準備をしながらも、頭の中では面接のシミュレーションをする。
そのおかげで意識が散漫になってしまい、料理を作るのに時間がかかってしまった。
「ベル様、待たせちゃったかな……」
いつもならリビングのソファでぐうたらしているベル様だが、今日は見かけない。
寝室だろうか。ゆっくりと寝室の扉を開けた。
「ベル様、夕飯の準備ができましたけど──」
「だからぁ、行きたくないって言ってるのに~」
ベル様がベッドの上でスマホ片手に呆れていた。
これも珍しい。ベル様はあまりスマホを触らない。通話をしているところも滅多に見ない。
「もう……うっさいなぁ。大体いつもはどうせ来ないだろみたいな空気なのに、なんで今回はこんなにしつこいの? 大事な話? 知らないし。都合のいい時だけ利用されるのホントに不愉快なんだけど」
す、すごいお怒りのようだ。
ここは見なかったことにしようとゆっくり扉を閉めようとしたが──。
ガタッ!
「あっ……」
やってしまった。
ドアノブを軽くつかんだつもりが、掴み損ねて逆に大きな音を立ててしまった。
「……」
ベル様も気づいたようだ。
「後でね」
問答無用でベル様はスマホを切り、ふぅと一息ついていた。
「あ、あのベル様。すみませ──」
「下僕く~ん聞いてよ~」
「わっ、とと。ど、どうしたんですか?」
先ほどまでの怒りがまるで嘘のよう。猫なで声で胸に飛び込んできた。
「さっき電話でさ、魔界に帰って来いって言われちゃった」
「え……」
心臓が大きく跳ねた。
ベル様がいなくなってしまう。その事実がこんなにも心を動揺させるとは思わなかった。
「あ、心配しないで? 行かないから」
「そ、そうなんですか? でも大事な話なんじゃ……」
「いいのいいの。どうせ大した話じゃないんだから。前だって1日中無駄話してて会議終わりだよ? イヤんなっちゃう」
なるほど。僕の働いていた時でもたまにあったな、雑談が盛り上がって本題に全く入れない会議。確かに会議を早く終わらしたい自分にとっては苦痛だった。
トゥルルルルン。
スマホの着信。ベル様はそっちのけで僕の胸にぐりぐりと頭をこすりつけている。まるで猫だ。
「あの、鳴ってますけど……」
「いいの? ん~、下僕くん成分補給中~」
トゥルルルルン。
トゥルルルルン。
トゥルルルルン。
「うっさいなぁ……壊しちゃおうかな」
「そ、それは止めときましょう! ほら、ベル様と連絡とれなくなったりしたら僕も困りますし!」
「……それもそうだね。ごめんね、ちょっと待っててね」
観念したようで、電話に出た。
「なに? ……それ、さっきも聞いた。……あ、そ。……どれくらい?」
簡素な返事が繰り返されたのち、ベル様は長い長いため息を吐いた。
「3日、それ以上はヤダ。……うん、分かった。じゃ、そういうことで」
通話が終わったようだ。
くるりと振り返ったベル様はとても嫌そうな顔をしていた。
「魔界に来いって言われちゃった……」
「そうですか……それはまた何で?」
「大事な話だって。怠け者のアタシも必要って言われるぐらいだから、ホントに大事な話なのかもね」
「いつ行くんですか?」
「明日。最低でも3日はいて欲しいって」
明日から3日……。ちょうど僕の採用面接の日と被っていた。
「ごめんねぇ下僕くん。何も予定なければ連れて行きたかったけど、確か面接の日だよね?」
「そ、そうですね。覚えててくれたんですね」
「そりゃそうだよ。下僕くんの大切な日でしょ? あ~あ、チア衣装で応援して送り出そうと思ったのになぁ~」
ベル様のチア衣装……。
きっといつもと違う髪形、ポニーテールとかになったりしてポンポンを持って可愛らしく応援してくれていたのだろう。
……メチャクチャ見たかった。
「下僕くん、アタシがいなくても平気?」
「大丈夫ですよ。こっちは一人でも何とかなりますから」
「むぅ……それはそれで面白くないなぁ」
ぐぅ、とベル様のお腹が鳴った。
「えへへ、お腹減っちゃった」
「あ、温めなおさなきゃな……ちょっと待ってくださ──」
急いでリビングに向かおうとした時、ベル様から手を握られた。
「……ベル様?」
「今日は、できるだけ一緒にいたいな」
「……」
「だめ?」
上目遣いで見つめられ、何も言えなくなる。
肯定する以外の返答は、できるはずもなかった。
2人でリビングに行く。ご飯を温めなおし、ベル様にお出しする。
「はぁ……美味し。このご飯が3日も食べられないなんて……はぁ……」
「すみません。いつも通りで。ベル様が家を空けるのなら、もう少し特別感のあった方が……」
「ううん。いつも通りで、いつも通りがいい。アタシは下僕くんに作ってもらうご飯が、もう当たり前になっちゃってるから」
「そ、そうですか」
「にひひ、照れてる♡」
思わず顔をそらしてしまった。
そこまで手の込んだ料理ではないのだが、これだけ喜んでくれると嬉しくならないはずもなく。
「下僕くんはどう? 面接ダイジョブそ?」
「そうですね……久しぶりなので、緊張してます」
「だいじょーぶだいじょーぶ、下僕くんは優秀なんだからきっとできるよ」
「そうでしょうか……自分では全く実感ないですけど……」
「こんなに美味しいご飯を作れて、家事も完璧。精神力も申し分なし。文句のつけようがないほど、下僕くんはできる子なんだから。それに……」
「それに?」
「もし落ちても、使い魔として雇ってあげる♡」
「……ははっ。それなら、怖いものなしですね」
その日の夕飯は少し寂しかった。しかし、それ以上にベル様から勇気を貰えた。
面接、頑張らなくては。
「さて、そろそろ寝ようかな……」
寝室で何度か面接の練習をしたのち、眠くなってきたので寝ようとした時だった。
「下僕くん」
ドアが開かれ、ベル様が入ってきた。
「どうかしましたか? ベルさ──」
ベル様の方を見ると、いつもと違う寝間着を着ていた。
桃色のネグリジェを身にまとい、肌があちこち露出している。
軽くメイクをしたのか、髪や唇はいつもより艶やかに見える。
香水だろうか。ある程度距離があるのに、既にいい匂いがしてきてる。
いつもはかなり適当で、ぶかぶかのTシャツだけだったりするのだが、今日は圧倒的な色気が滲み出ていた。
「そ、その格好は……」
「えっと、ね。下僕くん明日大事な日でしょ? だから、元気になってもらおうかなって」
「えーと……」
「一緒に寝よ? 寒くして風邪ひくと、良くないでしょ?」
げ、元気にはなるかもしれない。主に下半身が。
どうする……。ベル様は100パーセントの善意で言ってくれているのかもしれない。
「……」
ベル様の頬が心なしか赤い。ここで断るのは、ベル様に失礼だろう。
「……分かりました」
「やった♡」
サッとベル様がベッドに潜り込んだ。毛布を押し上げ、ちょいちょいと手招きしている。
「で、では失礼します」
「にひひ、緊張しなくていいのに~」
緊張しないわけがない。
直視すると色々マズいのでベル様とは反対方向を見る。
「ありゃ、こっち見てくれないんだ」
「そ、それはさすがに。その、色々と」
「……アタシがいると、迷惑?」
「そうではなくてですね。……正直に言うと、今のベル様は魅力的すぎて、歯止めが効かなくなりそうなんです」
「そ、そうなんだ……」
「はい、それはもう明日に響くくらいに。だから、このままでご勘弁を」
「わ、分かった。下僕くんがそういうなら、仕方ないかな、うん」
背中にコツンと何か当たるような感じがある。おでこだろうか。
「明日はがんばってね、下僕くん」
「……はい」
翌日、僕が起きた時にはベル様はいなかった。
リビングに置手紙で、「がんばれがんばれ♡」と可愛らしい丸文字で書かれていた。
「……よし」
朝食を食べ終えて、スーツに着替える。
ネクタイを身に着けた時、少し胸が苦しい感じがしたが、ベル様のがんばれという置手紙が見えて、心が随分と楽になった。
鏡を見て、身だしなみを整える。時間は予定通り、十分余裕がある。
「よし……いってきます」
何日ぶりだろう。スーツを着て、こうして外に出るのは。
妙な感慨深さを感じながら、会社に向かうのだった。
「では、以上で面接を終わります」
「あ、ありがとうございましたっ」
面接が終わり、外に出てふぅと一息ついた。
結果から言うと、悪くなかった、と思う。
会社都合で退職したという事もあり、ニュースにもなった会社だったので、あそこで数年働いたのはすごいと忍耐力を評価してくれた。
また、こちらの質問にも気兼ねなく答えてくれたため非常にリラックスした状態で面接ができたのではないだろうか。
「よしっ……! 帰って報告……あ、そっか」
ベル様に報告しよう、と思ったがベル様はいないんだった。
「……帰るか」
嬉しい気持ちがあるはずなのに、寂しさを抱きながら帰路に着いた。
「ただいま」
自分の部屋に戻り、一応ただいまと言ってみたが、帰ってくることは無かった。
いつもならベル様が「下僕くんおかえり~」と言ってソファで寝転んだまま手を振ってくれたりするのだが、今日はとことん静かだった。
「なんか……静か……いや、うるさいな……」
シーン、という音がうるさく感じた。たまらずエアコンをつけて、静寂はいくらかマシになった。
「ベル様、どうしてるんだろう」
まだ一日、いや、一日も経っていないというのに、ベル様のいない空間が違和感でしかなかった。
「はは……こりゃ重症だな」
自虐気味に笑ってみる。
その日の食事は、味がしなかった。
ベル様がいなくなって1日が経った。
1人朝食を口にする。
こうしていると、ベル様が目をこすりながら起きてくるのではと思ったが、そんなことはなかった。
外は曇り空だ。もう少しで雨か雪でも降るのかもしれない。
「買い物、行っておかなきゃな」
ベル様は3日魔界にいなければいけないと言っていた。明日には帰ってくるかもしれない。
「何かスイーツでも作って待っていようかな」
少しワクワクとした気持ちを抱きながら、買い物に出かけるのだった。
いつもの食材を買いつつ、普段買わないようなものをいくつかカゴに入れていく。
店内ではクリスマスソングがひっきりなしに流れており、装飾や商品がクリスマス寄りのものとなっていた。
それに充てられてか、ベル様への食事もクリスマスっぽいものをチョイスしてしまった。
ベル様、喜んでくれるといいな、なんて思いながら買い物を終え、スーパーから店を出た時だった。
「うわ……」
雨がぽつぽつと降り始めていた。
幸い、まだ本降りではない。
「傘持ってきて正解だったな」
念のためと思い持ってきておいた置き傘が功を奏した。
本降りになる前にさっさと家に帰るのだった。
結局、帰る途中にかなりの大ぶりの雨になってしまった。
置き傘があったので多少マシだったが、風も強かったのでかなり濡れてしまった。
シャワーでも浴びようかな、なんて考えながらエレベーターに乗り込む。
自分の部屋の階で降りた時、すぐにいつもと違う光景があった。
「……?」
部屋の前に誰かいる。
彼女はこの雨の中傘を持っていなかったのか、随分と体が濡れてしまっている。
ベル様? いや、彼女ならあの黒いモヤモヤを通して直接部屋に来るはずだ。
一体誰だろう、と思いながら近づいていくと、見慣れた面影だと気が付いた。
「リサ……?」
思わず声を出すと、向こうにも聞こえていたようだ。
ビクッと一瞬方が跳ねて、ゆっくりこちらを見た。
「総司、さん……?」
彼女を見たのは何カ月ぶりだろうか。
今の彼女は、最後に見た時よりかなりやつれて見えた。
「ど、どうしてここに?」
「えっと、あの……」
「いや、それよりもその体……! めちゃくちゃ濡れてるじゃないか」
「あ、あはは。傘、持ってなくて」
「と、とにかく入って。お風呂沸かすから」
思わず家にあげてしまった。
雨に濡れて弱り切った彼女を見ているのは、良い心地はしなかった。
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