第16話 雪と風邪
「……すっかり寒くなってきたなぁ」
季節は既に12月を迎えていた。
世間も年末に向けて慌ただしく動いており、やれウィーウィッシュアメリクリスマスだ恋人がサンタクロースだと曲が流れる。そんな幸せとは裏腹に、繁忙期真っただ中な企業も少なくないだろう。南無三。
そんな時期でも、このベッドの中の時はゆったりと動いている。
そして、僕の隣にもゆったりとした悪魔がいつものように、いや、いつも以上に抱き着いていた。
「むにゃ……ぬくい……幸せぇ……」
「……最近やけに激しい気がする」
寒くなってきたからだろうか。
ベッドに入り込む時間も爆速。僕がベッドに入って数分後には潜り込む始末。
そして朝起きた時にはこの密着度。
猫とか飼っていたらこの季節はこんな感じなんだろうか。
「ぬ、抜け出せない……!」
この魅惑的かつ暴力的な拘束攻撃を抜け出すには、一人では不十分。ベル様が目を覚ますまで一生このままだ。
そこで、最近は”みがわり”を覚えた。
「よいしょ、と」
「ぬへへ……」
懐で温めておいたクッションを何とか僕とベル様の間に割り込ませる。
するとベル様の手は次第にクッションに流れていく。
これが拘束攻撃を回避する最適解だった。
「よし……朝の支度だ……さむっ」
ベッドを出ると一瞬で寒さに襲われる。
ベッドにリターンしたい欲望に駆られるが、そんなことをすれば当分は出てこられなくなることは重々承知。
心を鬼にしてリビングへと向かった。
エアコンをフル稼働して朝の支度を進める。
家電たちのおかげで、部屋の空気が暖まってきた。
朝食の用意を終え、テレビをつけると早速クリスマスソングが流れてきた。
クリスマス特集! と元気そうなタイトルコールが響き渡る。
「もうそんな時期なんだなぁ」
思い返すここ最近のクリスマス。
………………………………うん。仕事の思い出しかないからやめよっかな。
そういえば、去年は少しだけだけど、時間に余裕ができたからリサといられたんだっけ。
2人で仕事でヘトヘトになって、とりあえずお酒とおつまみを買い漁り、愚痴を言い合って泥のように眠り、次の日の仕事に行ったような記憶がある。
「今年はどんなクリスマスになるのかな」
去年とは大きく違って、今年はベル様がいる。
ベル様がクリスマスに対してどれぐらいの期待を持っているのか知らないが、ケーキでも作ってあげようか。
そんなことを考えながらスマホを見た時だった。
「ん? あれ? 選考、通ってる……」
以前登録した就活サイトで、気になった企業があったのでいくつか応募していた。
その中の一つ、一番気になっていた企業から、書類選考通過のお知らせが来ていた。
「大変だ。面接の準備しないと。日にちは……1週間後か。えーっと、えーっと」
まだ1週間猶予はあるが、焦る気持ちが抑えられない。転職用のサイトを開き、面接の定番の質問から受け答えをサラッと確認。返答の内容を考えていた。
「え~、私は前職で技術者として多大なる貢献を──」
それから1時間ほど、面接の練習に没頭した。
ふぅ、と一息ついて入れていたコーヒーを飲んだ。
「……冷た」
完全に冷えていた。温めなおす気にはならず、グイっと飲み干す。
一旦落ち着こう。テーブルから離れてソファに座る。
「ふぅ……これでうまくいけば、再就職か」
職場はここからまぁまぁ離れている。電車で通えない距離でもないが、引っ越しを考えてもいいのかもしれない。
新しい仕事はどんなことを任されるのだろうか。
職場の雰囲気に馴染めるだろうか。
前のように、高圧的な上司はいないといいが。
もし、いたらどうしよう。
仕事が自分の思っていたものと全く違っていたら?
そもそも、僕はもう一度働くことができるのだろうか。
体がどんどん冷たくなっていく。
さっきのコーヒーのせいだろうか。
どうしようもない不安に、今にも押しつぶされそうになる。
「ん~」
「っ!?」
急に隣に感じる、暖かな温もり。
「下僕くん……変わり身の術使わないでぇ~」
「あ、あぁ……おはようございます、ベル様」
「んぅ~」
まだ半覚醒状態といったところだろう。目もほとんど開いていない。
というか毛布を引きずってきている。
「えへ……やっぱりこっちの方があったかぁ~い」
「ベル様、毛布を引きずらないでくださいね。床の汚れ回収してますからそれ」
「ほら~、下僕くんもあったまろ?」
そう言って問答無用でベル様は僕にも毛布を被せてきた。
「へへ……あったかい」
先ほどまでの冷たさが嘘のようだった。
ベル様の顔がとても近くにあって、少し恥ずかしいが、本当に温かくて、心地よい。
あぁ、僕は本当に、何度助けられたことだろう。
感謝の気持ちと同時に、いつまでもこの人、いや、この悪魔に頼ってはだめだという気持ちが芽生えてきた。
「ベル様。僕、がんばりますから」
「んぅ~」
そうしてしばらく、ベル様と毛布で一緒に過ごした。
「ん、ん~! いやぁ~快眠快眠」
「おはようございます。もうお昼過ぎてますけどね」
「ん~? お~、10分ぐらいいつもより早い目ざめ! にひひ、早起きになっちゃったかも」
「昼過ぎに起きる人を早起きとは言わないですよ……」
「え~、アタシにとっては早起きなんだけどな~。……っくしゅ」
「ベル様? 大丈夫ですか? 部屋の温度寒かったですか?」
「へーきへーき。ちょっと鼻がムズムズしただけだってば」
ベル様がくしゃみをするところなんて初めて見た。今日は体にいいものを作ってあげた方がいいいかもしれない。
「これからどんどん寒くなるから風邪には気を付けないといけませんね……。というか悪魔って風邪ひくんですか?」
「引くよ? それで死んじゃったりもするし」
「こわっ!? 大変じゃないですか! えっと、風邪薬、あと冷えピタは──」
「ストップストップ。悪魔にとっての風邪は超レアケースなの。普通に生活してる分にはかからないから安心して」
「そ、そうですか……よかった」
「瘴気が強いところに行ったり、怨念が溜まってる場所に行かなければ風邪にはならないよ~」
それは風邪というよりも呪いなのでは……。
「気を付けてくださいね? あぁ、外も曇ってきましたし、これからもっと寒くなるかも──あ」
カーテンを開けると、曇り空に混じって、白い塊が降り始めていた。
「雪だ……道理で寒いわけだ」
「わぁ~、きれ~。人間界って面白いよね。雨とか雪とか、空から綺麗なものが降ってくるし」
「雨はまだしも、雪は大変ですけどね……電車止まってないといいけど……って、別に確認しなくても良かったですね、ははは……」
ついいつもの癖で乗り換えアプリを開いてしまっていた。
雪が降ると公共交通機関がダメになりがちなので、仕事をしていた時などは気が気ではなかった。
「そっか~。雪だと電車とか止まっちゃうもんね」
「そうなんですよね。だから仕事に行く日は極力降らないで欲しいですね……」
「勿体ないね。こんなに綺麗なのに」
ベル様がそう言って外を眺めるので、僕もつられて外を見た。
確かに、まじまじと見ると綺麗に見えてきた。
「積もるかなー」
「どうでしょう。都会ですし、積もることなんて滅多にないですからね」
「そっかぁ。下僕くんが作る雪だるま見たかったな~」
「僕が作ること前提なんですね……」
作れと言われたら作るのだが、雪だるまなんて長い事作っていない。
「あ、ちょっと窓開けてもいい?」
「……? はい、いいですけど」
ベル様は窓を開けて、はぁ~、と息を吐いた。
「にひひ。ドラゴンのブレス~」
「あ、あぁ。やりますよね、それ」
ダメだ。可愛すぎる。
無邪気に笑う顔が雪景色と相まって訳が分からなくなるぐらいの可愛さを引き出している。
「うぅ、寒い寒い。こんな日にも外に出なきゃいけないなんて、人間は逞しいよねぇ」
そう言ってベル様は早々に窓を閉めた。
そしてソファに座り、ぽんぽんと隣をたたく。
ベル様からのサインだ。隣に来てお話しよ、というときには今のようなサインを出してくる。まるで猫みたいだ。
「失礼します」
「うんうん」
さて、何を話そうと考えたが、ベル様のことをもっと知りたいと思い、魔界にちなんでの事を聞いた。
「魔界の気候ってどうなんですか?」
「ん? 暑かったり寒かったりするよ」
「へぇ。こっちと同じなんですね」
「うん。悪魔と天使が直接的に争ってるときは暑くなるし、膠着状態が続いてると寒くなるよ?」
「な、なるほど……?」
気温の話、ですよね……?
その後も色々な話をしていた時だった。
「くしゅん」
またくしゃみだ。一度ならず、二度まで。
さすが心配になってきた。
「ベル様、寒いですか?」
「うん……窓開いてたりしない?」
「しっかり閉じてますし、暖房も結構温度高めですけどね」
「へぇ、そうなんだ……」
受け答えも曖昧だ。
「失礼しますね」
一言断ってから、ベル様のおでこに手を当てた。
「下僕くんの手、冷たくてきもち~」
「あっっっつ!? 高熱じゃないですか!!」
熱すぎて思わず手を放してしまった。それぐらい高熱だった。
「すぐに病院に行きましょう……!」
「ん~、人間のお医者さんに見せるのはいや~」
「そんなこと言ってる場合じゃ……で、でも確かに……悪魔と人間で対処法が違ったら……」
「だいじょーぶだいじょーぶ、寝てれば治るし~」
「いつも寝てるのに風邪ひいてちゃ説得力ないですって……! あぁもうどうしたら……そうだ!」
スマホを取り出し、LINEを起動する。
連絡先は、サタン様だ。
「サタン様なら何か知ってるかも……!」
「え? 下僕くんいつの間にサンちゃんと連絡先交換してたの? 聞いてないんだけど? は? は? ごめん、詳しく聞きたいんだけど?」
い、いつもより圧が強い気がする……! これも風邪のせいか……!
しかし今はベル様の体調優先。お説教なら後でと一言断り、通話ボタンを押した。
「頼む……出てくれ……」
そもそもサタン様が魔界にいた場合繋がらないのではないだろうか。
そうなったらどうしよう、と焦り出した時だった。
「もしも~し」
「あ、サタン様ですか!?」
「あれ~総司くん!? 嬉しい~、私の使い魔になってくれる気になったんだね~!」
「全く違います!」
「そ、そんなに真っ向から否定されるとさすがに凹むなぁ……」
「あぁすみません! 実はベル様が──」
高熱があること、くしゃみをすること、寒気があること。
ベル様の症状を事細かに話した。
「風邪だね」
「悪魔でも風邪引くんですね……」
「うん。私も人間界にいた時になったことあるよ。確か、魔力が魔界と人間界とで濃度が違うからうんたらかんたら……って言われたような……」
なるほど、全然分からない。
「死ぬようなものじゃなかったと思うけど」
「そ、そうですか……」
そうは言っても心配だ。
さっきからベル様は毛布にうずくまり、何度もくしゃみをしているし。
あと何話してるんだよ、と言わんばかりに訴えてくる目が怖い。
「あ、ちょっと待ってね~」
ガサゴソ、ドン! ガラガラガラ! パリィン!
とスピーカーから多種多様な音が聞こえてくる。一体何をしているんだろうか……。
「ふぅ~、あったあった。薬、まだ余ってたらあげるよ」
「い、いいんですか!?」
「いいのいいの。困った時はお互い様だし、貸しも作れるしね♡」
「ありがとうございます!」
これで体調が少しは良くなると良いのだが。
「ちょっと今魔界で手が離せないから、クロネコヤマトに頼んどくね
「え? 今魔界にいるんですか?」
「そだよ?」
「電波通ってるんですね……」
「うん。ウチWi-Fi引いてるし、よゆーよゆー♪」
すごいなWi-Fi。魔界でも通用する技術だったとは。
「それじゃ、特急で配送依頼出しとくから」
「本当にありがとうございます」
「お大事にね~」
そう言って通話は切れた。
次の瞬間、くいくいと服の裾を引っ張られる。
振り向くとベル様が体を起こして頬を膨らましていた。
「ベル様?」
「ねぇ、何話してたの」
「ベル様の体調についてですよ。サタン様がお薬持ってるみたいなので、譲ってもらえることになりました」
「……ずるい」
「え?」
「サンちゃんばっかずるい! アタシも下僕くんにゆーのーなところ見せたい見せたい見せたい!」
幼児化してないか!? これも風邪の影響……!?
「べ、ベル様は僕にとって十分助けになってますから! 大丈夫ですから!」
「……ほんと?」
「はい。だから今は体を休めましょ、ね?」
何とか落ち着いたようで、ソファから移動させて、ゆっくりとベッドに体を寝かせる。
「これでよし、と」
「ん~、汗が気持ち悪い……」
「今タオル持ってきますね」
浴室からタオルを持ってきて、ベル様に手渡した。
「ふいて」
「いや……色々と見えちゃいますし触れちゃいますからそれはマズいのでは……」
「じゃあ見て触って」
「いやいやいや! わ、分かりました。拭きますから、後ろ向いてください」
「ん……」
ベル様はボタンをはずして、ゆっくりと服を脱いでいく。
布が擦れる音が妙にうるさくて仕方がない。
脱ぎ終わり、ベル様が背中にかかっていた髪を体の前へと動かした。
白くて美術品のような美しさの肌が露になる。
汗が肌を伝っており、尋常ではないぐらいの艶めかしさを滲みださせていた。
「……し、失礼します」
「ん……」
傷つけないようにゆっくり、ゆっくりと体を拭く。
これは看護……看護……と心の中で言い聞かせて、煩悩を押し殺した。
永遠とも感じる長い時間が過ぎて、体を拭き終わった。
「終わりましたよ」
「ん、ありがと。前は?」
「ま、前はさすがに……」
「にひ、じょーだん」
ちょっと調子が戻ってきたのか、揶揄うぐらいの元気はあるみたいだ。
ベル様にタオルを手渡し、体を拭いてもらい、着替えてもらって再びベッドに横たわらせた。
「後は薬が届くまでの辛抱ですね」
「うん……ありがとね、下僕くん」
「いえ、これぐらいならいくらでも。お腹とか空いてませんか?」
「ん……ちょっとだけ」
「分かりました……消化にいいもの作りますね。おかゆか、うどんかな。どっちがいいですか?」
「じゃあ、おかゆ」
「分かりました。ちょっと待っててください」
立ち上がり、キッチンへと向かおうとした時だった。
「はなれちゃ、やだ」
ベル様は弱弱しい力ながらも、ぎゅっと服を掴んだ。
離れたくない気持ちが勝りそうだったが、グッとこらえ、手の上に自分の手を乗せた。
「すぐに戻ってきますから。おかゆ作ったら、一緒にいますよ」
「ほんと?」
「はい、本当です」
「ん……早く戻ってきてね」
その後超特急、かつ気合を入れて丁寧におかゆを作り、ベル様に食べさせてあげた。
おかゆを食べたベル様はスヤスヤと寝息を立てて寝てしまった。
「ふぅ、ひとまず安心、かな?」
そんなタイミングで、窓の方からコンコンと叩く音がした。
「な、なんだ……っ!?」
驚いて音のした方向に顔を向けると、黒猫がいた。
「ね、猫……? どうやってここまで来たんだ……? というか、なんかめちゃくちゃ渋い顔つきだな……」
片目に傷がついており、枝を加えている。
コンコン、コンコンと前足で窓をたたいている。
「い、入れて欲しいって言ってるのかな……?」
「荷物、確かに届けたでござる」
「しゃべった!?」
確かにそう言い残し、猫は去っていった。
窓を開けてみると、そこには箱と『黒猫・ヤマト』と書かれた名刺が添えられていた。
「クロネコヤマトってそういう……」
兎にも角にも、薬は無事受け取ることができた。
ベル様に飲んでもらい、後は回復を待つだけだった。
「ん……」
暗闇の中で目を覚ました。
おでこにはまだ冷たさが残ってるタオルが乗っていた。
手には温もりがあった。
「……下僕くん、ずっといてくれたんだ」
寝る直前の記憶はおぼろげだが、傍にいて欲しいとわがままを言ったような覚えはある。
使い魔はそのワガママを忠実に叶えてくれていた。
健気に看病してくれて、こうして片時も離れず、傍にいてくれていたのだ。
疲れてしまったのか、すうすぅと寝息を立てて眠っている。
「ホントに、いい子だね。下僕くんは」
空いている方の手でナデナデする。
「下僕くん無しの生活は、もう考えられないなぁ」
毎日付き添ってくれて、ワガママも聞いてくれる。
あれが食べたいと言えばすぐに作ってくれて、どこかに行きたいと言えば一緒についていってくれる。
もはや彼の居ない以前までの生活が思い出せないぐらい、最近は幸せだった。
「下僕くん、大好き」
おでこにそっと口づけをして、再び眠りについた。
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