第3話 出勤? しなくてよくない?

 窓から薄っすらと差し込んできた日の光に、意識は覚醒した。

 こんなにゆっくり、しっかりと眠れたのは何時ぶりだろうか。気だるさもなく、体が軽い。


 そして寝返りを打つと、そこにはとてつもない美少女が……。


「……うわあ!?」


 なぜ!? 誰!?

 と一瞬混乱したが、昨日の記憶が鮮明に蘇る。

 そうだ。僕はこの子に、命を救ってもらったんだ。


「むにゃ……」


 幸せそうな寝顔をしていた。改めてみると、人間とは思えないぐらい顔立ちが整っており、可愛らしい。いや、人間じゃなかった、そういえば。


「……と、とりあえず、朝ご飯を食べない……と……」


 そう思い壁にかかった時計を見て、絶句した。


 午前10時45分。


 始業時間などとっくに過ぎていた。いや、それどころか昼休憩までも近い。

 完全なる遅刻。

 そして思い出される、昨日の上司の言葉。

 恐る恐るスマホを手に取る。


「っ……!」


 不在着信、15件。

 ほぼ10分おきに電話がかかってきている。相手はもちろん、上司の大田だ。


 トゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥルン♪


「うあ……っ!?」


 軽快な着信音と共に表示される、通話画面。

 表示されている文字は、大田。

 電話に出れば、怒られる未来は確定している。しかし、このまま放置しても怒られることは免れない。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 胸が締め付けられるように痛み、呼吸が荒くなる。


 出ないと。

 出ないと。

 出ないと。


 そう思い、通話をタップしようとした時だった。


「うるさいにゃあ……」


 切断。


「え」


 突如、隣からぬるりと伸びてきた手が切断をタップしていた。


「な、何しちゃってんのおおおおお!?」

「ふあぁ……下僕くん、おふぁよ~。よく眠れた?」

「あ、はいそれはもうぐっすり……じゃなくて! 通話! 切れちゃったじゃないですか!!」

「え~、だって私たちの睡眠を邪魔してるんだよ? 消すに決まってるじゃん」

「だからって……あぁ」


 怒る気にはなれなかった。なぜなら電話に出なくてホッとしている自分がいるからだ。


「さっきの、電話だったよね?」

「……そうですけど」

「誰から?」

「……上司です。会社の。今日出社する予定だったけど、見ての通り大遅刻で──」


 そう言った瞬間、ベルフェゴールさんの顔は引きつっていた。


「下僕くん、もしかして今日会社に行くつもりだったの……?」

「え? そ、そうですけど……平日ですし……」

「いや、昨日倒れたって言ってたじゃん! まだ全然体力回復してないんだよ!?」

「でも、昨日はよく眠れましたし……」


 あちゃ~、と言ってベルフェゴールさんは盛大に呆れていた。


「下僕くんって体だけじゃなく頭もよわよわだったんだね……」

「そんなことは無い……と思いますけど……」


 しかし、改めてそう言われるとまともな思考が戻ってきた気がする。

 そもそも昨日倒れたばかりで、次の日出社して仕事なんてあり得るのだろうか。


「とりあえず、ご飯食べない? アタシお腹空いちゃった~」

「……そうですね」


 まぁ、次に電話をかけてきたらちゃんと出よう。それまでは束の間の休息を楽しむとしよう。


「……あ」

「ん? どったの?」

「すみません、今冷蔵庫に何もなくて……いや、正確に言うとゼリーかエナドリぐらいしかなくて……」

「えぇ~? アタシ絶対ヤダ。朝はパンがいい。下僕くん、こっからコンビニってどれくらい?」

「すぐそこですけど」

「じゃあ買ってきて♡」

「えぇ……」

「ほらほら~、適度な運動も大事だぞ~? 大丈夫、お金は後で払うから、ね? お願い♡」


 ぐ……なんて破壊力のある上目遣いおねだり……。これも魔法の一種なのか、抗うことができない……。


「分かりましたよ……」

「やったー! ほら、急いで急いで! アタシお腹ペコペコ! サッと行ってサッと戻る!」

「は、はいっ」


 彼女に押されるように、外に出された。


「……というか、なんでウチで一緒に朝食取る流れになってるんだ……?」


 まだ頭がぼんやりしている。僕は現実感を取り戻すためにも、コンビニに行くのだった。



「さて、と。そろそろかな……」


 総司が家を出た直後、ベルフェゴールは総司のスマホを見つめていた。

 外に出るよう急かしたのはわざとだ。そうしないとスマホを持っていかれるところだったから。


 トゥトゥトゥトゥトゥトゥトゥルン♪


「来た来た♡」


 ベルフェゴールは魔界の録音機片手に、スマホの通話をタップした。


『テメェ高坂ァ! やっと電話出やがったな! 今日会社来いって言ったよなぁ!? 何サボってんだよ! 会社の迷惑になってんぞコラァ!』


「うわ~、清々しいほどクズだね~」


 ベルフェゴールは小声で率直な感想を言った。


「もう一押し欲しいかな~、ん゛っ、んん゛っ」


 喉の調子を整え、できる限り総司の声を真似た。大きな声だと別人だとバレるので、小さな声で。


「す、すみません……。昨日あの後また倒れちゃって……さすがに今日は……」


 これで優しい言葉が返ってきたらどうしようかな、と考えたが、杞憂に終わった。


『はぁ!? 知らねぇよバカ! テメェのタスク山積みだぞ!? もう許さねぇ! テメェのタスク更に増やしとくからな! 明日来なかったら更に倍だ! おい! 聞いてん──』


 切断。すぐに着信拒否設定にした。


「にひひ、バカで助かった~」


 今の会話はしっかりと録音できた。どう有効活用しようか、考え出すとウキウキが止まらなかった。


「アタシの下僕くんに手を出したんだもん。それ相応の覚悟はしてもらわないと、ねぇ?」


 悪魔のような笑い声が、誰もいない部屋で響き渡った。



「やばいやばい……!」


 コンビニで買い物を済ませた直後に、スマホを持っていないことに気が付いた。もし大田から連絡が来ていたら大変だ。また電話をすっぽかしたことになる。


 急いで部屋に戻り、扉を開けた。


「あ、おかえり~」


 のほほんとした声が返ってきたが、それよりもだ。


「あ、あの! スマホ、着信とか無かったですか!?」

「ん? あったけど?」

「あぁ、やっぱり……」

「アタシが代わりに出たよ?」

「代わりに出たぁ!?」


 なんてことを……。会社を休んだ挙句、一時的とはいえ一緒に住んでる女の子に電話を出させるなんて……大田が知れば怒鳴り散らすのは目に見えていた。


「もう2、3カ月は休んでいいよだって」

「え……?」


 今なんて? 良く聞き取れなかった。


「2、3日……ちょっと多くないですか?」

「いや少なすぎ! 2、3カ月って言ったの!」

「えぇ!? それこそ多すぎな気が……それってもはや休職では……」

「そうだよ? 当たり前でしょ、過労で倒れるぐらいなんだから。手続きもあっちでやっておくってさ。今はとにかく休めって言ってたよ?」

「そ、そうですか……」


 大田よりもっと上の役職の人が気を利かせてくれたのだろうか。

 思っていたよりもかなり長く休みを貰えるようだ。

 休職なんて今までしたことなかったが、こんなにスムーズに休ませてもらえるものだろうか……。


 一応、明日確認を取ろう。

 ひとまず安堵したところで、お腹の音が聞こえてきた。


「ほら、アタシもうお腹ペコペコ。早く朝ごはん食べよ」

「もうお昼ですけどね……」

「そういえば下僕くん、私に敬語使ってくれるんだ」

「え? あぁ、まぁ……見た目は年下の女の子ですけど初対面ですし、ベルフェゴールさん、どことなく年上な可能性も踏まえて、敬語の方がいいかなって」

「ふ~~~ん。にひひ、ますます気気に入っちゃった♡」


 兎にも角にも、今日は休みになったらしい。その事実に胸をなでおろした自分がいた。


「敬うなら食べさせてよ~、ほらほら~あ~ん」

「そ、それぐらいは自分でしましょうよ……」


 堕落しきった悪魔に餌付けしながら、食事の時を過ごした。



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