第2話 メスガキ悪魔
疲れすぎて、とうとう幻覚が見えて、幻聴まで聞こえてしまっている。
でも確かに、女の子がそこにはいる。
「き、キミは……」
「アタシの事は後でも良くない? それよりそこ、危ないよ?」
「だ、誰だか知らないけど、ほっといてくれ……! 今から僕は、死ぬんだ……!」
「お~まさかのボクっ子! か~わいい♡」
何だこの子は……。
緊張感が無さ過ぎるというか、この状況を飲み込めていないのか?
「でもさぁ、飛び降りると痛いよ? 苦しいよ? そんなの、よわよわな人間には耐えられないと思うなぁ」
「う、うるさいな! 僕は本気で──」
「手も足も声も震えて、息も荒いよ?」
「っ……」
悔しいが、女の子の言った通りだ。
手も足もガクガク震えて、息をするのだって苦しい。
飛び降りる決心をしたのに。
本能なのか、この体は、死を拒否していた。
「ほら、こっちおいで? お話しよ?」
「う……」
女の子の言葉は、とても優しく、心地よく聞こえた。
震えが収まり、呼吸も自然とできるようになってきた。
「まず体を後ろに引いて……足をゆっくり戻して……焦らないでいいよ? そうそう、上手上手♡ やればできるじゃん」
女の子の言う通り、乗り出しかけた身を引いて、足もベランダに着いた。気が付くと、体は後ろに倒れて、死は遠ざかっていた。
「……はぁっ! はぁ……はぁ……」
死を避けた安堵からか、何度も呼吸を繰り返し、生きていることを実感する。
どうやら、自分には死ぬ勇気すらなかったらしい。
「良くできました~! 偉い偉い♡」
いや、この子が死ぬ勇気を消したのかもしれない。
というか普通に頭を撫でられている。どうやら幻覚ではないらしい。
「ほら、こっち来てお話しよ?」
部屋に戻り、段々と落ち着いてきた。
改めて彼女を見てみる。
異様なまでに整った目、鼻、口。
背中に届くくらいの長さでツーサイドアップの髪形は幼さを感じさせながらも、大人のような色香を醸し出していた。
服は黒を基調としており、ドレス、というよりゴスロリのような格好だ。頭にはちょこんと角が生えており、スペードマークをした尻尾も見える。
一言で言うなら……コスプレ?
「にひひ、視線がいやらしいよ?」
「いやっ……! ちがっ……!」
「あはっ、かわいいから許したげる~♡」
「……えっと、キミは……」
「あ~、そういえば自己紹介してなかったね。私はベル。ベル・フェイタル・ゴルケニール。よろしくね、おにーさん」
……なんて? 今日本語喋ってたかこの子……。
「あれ、通じない? あ、そっか。ベルフェゴールって言えば分かるかな? こう見えて結構有名な悪魔なんだ、アタシ」
確かにそんな名前の悪魔がいたような……。
どうしよう、そういう設定ですか? と突っ込むべきか……? いや、彼女が世界観を大事にするタイプだったら失礼だし……。
「あ~、信じてないでしょ」
「……ごめんだけど、今はそういう設定に付き合える余裕はないんだ」
「じゃあホラ、特別に触ってもいいよ」
自分をベルフェゴールだと名乗った女の子は俺の手を取り、頭に置いた。
「ちょ……っ!?」
そして、気が付いた。
頭の角は単に被っているものではない。しっかりと頭から生えているのだ。つまり、作り物でもなく、本物だ。
「ま、まじですか……?」
「や~っと信じた。はい、これで私の自己紹介終わり。ほら、今度はおにーさんの番」
「え? ぼ、僕は……
「ふーん、じゃあ
初対面とは思えないほど最悪なあだ名を付けられた……さすが悪魔。
「ところで下僕くんはさぁ、どうしてあんなことしようとしてたの?」
「え? ……あぁ、飛び降りのことか」
「そうそう。人間は弱いんだから、あんなことしちゃうと死んじゃうよ?」
「……死にたかったから」
もうどうにでもなれ、そう思いつらつらと事の経緯を話した。
会社で残業がひどいこと。
もう何日も休めていない事。
彼女に浮気されていたこと。
話しているうちに、段々自分が惨めに思えてきた。
こんな話をして彼女も困っているだろうな、そう思いうつむいた顔をあげると、そこには変わらずニコニコとした彼女の顔があった。
「そっかぁ。下僕くん、すごいがんばったんだねぇ」
「がんばった……のかな。でも、その結果このザマだよ。仕事でも怒られて、彼女には逃げられて。だから、もう生きる意味なんて──」
「ないよ」
「え……?」
「生きる意味? そんなこと考えるのめんどくさくない? ただゆっくり、だらだらと生きていれば幸せじゃない?」
「それは……」
「下僕くんさ、弱いくせに頑張りすぎじゃない? 何度も言うけど、人間は弱くて脆いんだよ? よわよわだよ? そんな存在が、寝ることもせずに働いて、体壊さない訳ないじゃん」
「……」
正直、ぐうの音も出なかった。
身の丈に合っていない生活をしていたのは、分かっていた。
それでも、止めてしまえば全てがダメになる気がして。
自分の心を殺して、ただ必死に、がむしゃらに生きていた。
「最近寝てる?」
「え?」
「目のクマ、ひどい。絶対寝てないでしょ。寝るのっていいよ~? 何も考えなくていいし、疲れないしいつでもできるし、最高じゃない?」
「いや、でも最近うまく寝れなくて……仕事の事とか考えると──」
「ダメダメじゃん。私はねぇ、横になったら1秒もしないうちに寝れるよ? どう? すごいでしょ」
それってもはや気絶のレベルでは……。
しかし、素直にうらやましい。最近は寝ても脳裏に嫌な光景が蘇ってきて目をつぶるのも怖い時があるのだ。
「……あ~、そっかぁ」
ニンマリ。
ベルフェゴールが悪魔のような笑みを浮かべた。
「下僕くん、一人じゃ眠れないんでしょ?」
「いや、そういう訳では……」
「恥ずかしがっちゃって……ほら、こっちこっち」
そういって彼女はベッドに腰かけ、ポンポンと膝を叩いていた。
「私の膝枕はやばいよ? トブよ?」
「いや、それは僕の社会的立場がトブのでは……絵面的に……」
「は~? アタシの誘いを断るなんて生意気なんですけど~?」
「でも、さすがにそれは──」
「え~い! 言う事きけっ!」
彼女が指をヒョイと振ったその次の瞬間、俺は彼女に引き寄せられるように足が動いていた。
「うぇ!?」
一歩、一歩と自分の意思は関係なしに彼女へと前進し、やがてベッドに寝転び、彼女の膝に頭を置いていた。
「はい、捕まえた~♡」
「な、なんだ今の……!」
「魔法だよ~。下僕くんには理解できないだろうから、何も考えなくていいの」
「いや、やっぱり……!」
断ろうと頭を上げようとしたが、彼女の手が優しく、俺の頭に置かれた。
そして、ゆっくり、ゆっくりと撫でている。今までの疲れを揉み消すように、悪夢を振りほどくように。
「……」
「下僕くんはがんばったね~、偉い偉い。ゆっくり、ゆっくりとお休み~」
彼女の声は恐ろしいくらいに聞き心地が良かった。
脳裏に嫌な光景は浮かんでこない。
目を薄っすらと開けると、聖母のような笑みを浮かべている彼女がいる。
「ん~? 寝ていいよ?」
「……はい」
こんなに気持ちの良い眠りは、何時ぶりだろうか。
彼女に言われるがまま、僕の意識は落ちていった。
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