疲れきったよわよわ社会人にはメスガキ悪魔が一番効く

Ryu

第1話 死ぬのなら、きっと今日だった

 死ぬなら、今日だ。今日しかない。


 僕、高坂総司こうさかそうじ30歳はそう思いながら、自分の部屋のベランダに立つ。

 僕の部屋は10階にある。この高さなら、一瞬ではないかもしれないが死ぬことはできるだろう。

 今は深夜の2時。ほとんどの住人は寝静まっているだろうから、助けがすぐに呼ばれる可能性だって低い。


 この状況に至るまでの経緯を思い出していた。



 まず、僕は社畜だ。

 残業は当たり前。定時で帰ったことはここ数年で一度も無いだろう。

 それどころか、日を超えてから帰れるのが当たり前になりつつあった。

 休日なんてあってないようなものだ。そもそも休日の記憶がない。

 そして、残業代も休日出勤の手当てもない。


「おい高坂ァ! この仕様どうなってんだぁ!?」

「え……ここは先ほど大田おおたさんがこの書き方でいいって……」

「はぁ!? 俺のせいにする気かよ!」

「い、いえ……すみません。やり直します」

「当たり前だ馬鹿野郎が。それが終わったらこのタスクも終わらせろよ、もちろん今日中な」

「そ、その機能は1週間の工数が必要で……」

「は? 聞いてねえけど。つか1週間なんてかけてたら客先に文句言われるだろうが、俺に怒られろって言いたいの? お前」

「す、すみません……」

「はぁ……お前さ、人に文句言う前に自分の仕事終わらせてからしろな?」

「……すみません」


 自分のデスクに戻ると、ヒソヒソと声が聞こえてきた。


「大田さん、高坂さんに当たり強いよなぁ……絶対嫉妬だろ」

「なんでも大田さんのミスを高坂さんが指摘したことが発端らしいぜ……。災難だよなぁ」

「しっ、聞こえるぞ」



「っうし! 俺あがるわ」

「「「あ、お、お疲れ様です」」」

「あ、お前らさ、今日飲み行こうと思ってんだけど来るよな?」

「え? いや、今日の分の仕事がまだ……」

「おいおい、そんなの高坂にやらせればいいだろ?」

「で、でも高坂さんはもうタスクを大量に抱えてますし……」

「あ? 俺と飲みたくねぇってこと?」

「……いえ、行きます」

「というわけだから、後頼むわ、高坂」


「……はい」


 こんなやり取りが、もはや日常になっていた。

 たった一度のやり取りで、僕は陰湿な大田に目を付けられ、こうして理不尽に仕事を振られている。

 周りの人も最初は助けてくれようとしたが、大田に止められ、半ば脅しのような形で俺に関わることを止めさせた。


「はぁ……今日も終電かな」


 誰もいなくなったフロアでスマホを見る。

 ラインの通知が1件。

 相手はリサからだった。


『今日はどう? こっちは仕事あがったよー』


 可愛らしいスタンプと一緒に文章が送られてくる。この少しの時間だけは苦しみを和らげてくれた。


『ごめん、今日も帰れそうにないや』

『また? いい加減転職した方がいいんじゃない?』

『転職する時間も取れなくて。ホントごめん。落ち着いたらどっか食べに行こうよ』

『オッケー! といいつつも、私も今日残業地獄だよー(泣)』

『マジかー。お互い頑張ろう!』

『うん!』


 ふぅ、と息をついて伸びをする。


 リサとは1年前、会社付き合いで無理やり行かされた合コンで会った。僕もリサも騒がしい雰囲気はあまり得意ではなかった。そんな共通点もあってか会話も弾み、いつの間にか連絡を取り合うようになって、気づけば恋人になっていた。


 リサと恋人らしく過ごす時間を作ってあげたいが、最近はこの有り様で、更に会えない時間が多くなっていった。


「……よし。何とか終わらせなきゃな」


 リサも頑張ってるんだ。リサのためにも頑張ろう。

 その思いだけで目の前の大量のタスクに取り掛かるのだった。



「お、終わった……」


 時刻は日付が変わる少し前。この時間に帰れるのはまだマシな時間帯である。

 帰る前にスマホでリサに連絡する。


『そっちはどう? こっちは何とか終わったよー!』


「運が良ければ一緒に帰れるかもな」


 リサと働いている会社は別だが、距離はそこまで遠くない。以前は帰るときに偶然会う、なんてことも珍しくなかった。


 帰り支度を済ませ、会社から出る。

 もう上着を羽織らなければならない季節になってきた。季節は冬に差し掛かろうとしていた。

 会社を出た時スマホを見たが、まだ既読にはなっていなかった。


「もう終わって寝ているのかもな」


 仕方ないか、と割り切って駅の方へと歩いて行った。

 その途中だった。偶然リサに会ったのは。


 普通なら喜んだ。 久しぶりに一緒に帰れるね、なんて言って。

 ラブホテルから、見知らぬ男と一緒に出てくるところを見なければ、素直に喜べたのに。


「え……リサ……?」

「え? あ……総司さん……」


 頭の中が真っ白になる。目の前の光景は本当に現実なのか、疑いたくなった。


「えっと……リサ? その人は……」

「なに? こいつ知り合い?」


 リサと一緒にいた男は自分とは正反対のような男だった。髪も金色に染めて、耳にはピアス。高身長でイケメン。男として全てが負けているような気さえした。


「えっと……彼氏。元、ね。もうずっと会ってなかったし……」


 何だろう。うまく聞き取れなかった。いや、しっかりと声は聞こえていた。頭が理解しようとしていない。


「あー、そういうことか……。すんません、俺らもう行くんで。ほら、行こリサ」

「うん……。ごめんね総司さん。そういうことだから」


 そう言って、2人はどこかへ行った。


 その場にどれくらい立ち尽くしていたのか分からない。通りがかった警察の人に「キミ、大丈夫?」と声を掛けられ、ようやく歩き出すことができた。


 それから、何とかして家に帰ることができた。帰るまでの記憶が曖昧で、どうやって帰ってきたのかも分からない。


「ご飯……はいらないや」


 いつもなら帰ってから適当にコンビニ飯かカップ麺で済ますのだが、それすらも今日は食べる気にはなれなかった。


 ベッドに倒れるように飛び込む。先ほどの出来事が頭の中でリプレイされる。


 何がいけなかったのか。

 誰が悪いのか。

 どうすれば良かったのか。



 そんな考えがぐるぐると頭の中で回り続けて、結局眠ることすらできなかった。


「会社行かなきゃ」


 ベッドから立ち上がった時だった。


「うっ……!!」


 強烈な眩暈。その後に襲い掛かる吐き気。

 急いでトイレへと駆け込み、吐いた。


「うおぇぇ……!!」


 ただ胃液だけが排出される。喉が痛い。


「はぁ……はぁ……」


 少しして吐き気はマシになったが、視界はぐるぐるとしている。


「まいったな……休むわけにはいかないのに……」


 こんな時でも体はいつものように朝のルーティンをこなそうとしていた。

 食事はヨーグルトだけにして、最低限身だしなみを整える。


「あれ……」


 支度も済ませ、後は玄関から家を出るだけ。

 それなのに、足が前へと進もうとしない。


「はは……相当疲れてるみたいだ」


 足を二度三度殴るように叩き、何とか動けるようにする。


 よし、会社へ行くぞ。

 そう思い扉を開けた瞬間、視界はブラックアウトした。



「……」


 気が付くと、ベッドの上だった。

 視界には知らない天井が広がっている。


「ここは……」

「あ、気づかれましたか? そのまま寝ていてくださいね、先生呼んできますから」

「え……」


 看護師さんに声を掛けられ、ここが病院なのだという事に気が付いた。

 少しすると、先生がやってきた。


 掻い摘んで事情を説明される。どうやら玄関先で僕は倒れてしまったらしい。偶然通りかかった住人が救急車を呼んでくれたらしい。


「過労ですな。疲れがたまっていたんでしょう」

「過労……ですか」

「ゆっくりお休みを取るべきです」

「で、でも……!」

「診断書、出しときますんで。あと一歩遅かったらヤバかったですよ。とにかく、会社に事情を説明して最低でも1か月、休職されることをお勧めします」


 医者は適当にそう言ってのけた。



 結局、その日家に帰れたのは日がとっくに落ちて、仕事の定時時間付近だった。


「一応医者からは簡易的だけど診断書も貰えたし……確かに休むべき、かもな……」


 家についてスマホを開いた。

 何件もの不在着信。上司の大田からだ。


「れ、連絡しないと……まずい、よな……」


 怒られることは確定している。

 しかし、こちらは医師のお墨付きだ。事情を説明し、休ませてもらえるはずだ。

 そう思っても、通話をするにはかなりの勇気と時間を要した。


 何度目かのコール音。その後、つながった。


「あ、大田さ──」

「高坂ァ!! てめぇ何サボってんだ!!!」


 ビクッ!! と肩が跳ねてしまう。目の前には誰もいないのに、必要もないのに姿勢を正してしまう。


「す、すみません。じ、実は今日、た、たた倒れてしまって」

「はぁ? 倒れた?」

「は、はい。診断書もあ、あります。それで、医者からは長めの休みを貰った方がいいと……」

「……ほーん。ま、そういうことならいいよ」


 ほっと胸をなでおろした。さすが診断書。効力はちゃんとあるみたい──。


「1日、多くても2日あればいいよな。あんま休まれると仕事回んなくなるし」

「……は? い、いや、医者からは一か月と……」

「一か月ぅ!? 無理無理! お前さ、自分の立場分かってんのかよ。仕事抱えたまま、引継ぎもせず休むって、それヤバいって。新人でもやらねぇぞそんなこと」

「す、すみません……」

「はぁ……とにかくお前さ、明日会社来い。面と向かって話さねぇとめんどくせぇし」

「……すみませんでした」

「いいって、優しい上司に感謝しろよ? ま、今日は、ゆっくり休めや。明日待ってるからな、逃げんなよ、はは」


 一方的に電話は切られた。


 その場で立ち尽くす。

 スマホを耳から離し、画面を見るとLINEの通知があった。


『ごめん。でも、総司にはもっと私との時間を作ってほしかった』


 その一文だけ、リサからのメッセージだった。


「……僕が、悪かったのかな」


 何が、いや、どこから間違えてしまったんだろう。


 時間を作れもしないのに恋人を作ってしまった事か。

 言われるがまま長時間労働しすぎたことか。

 配属された部署がいけなかったのか。

 今の会社に入ってしまったことか。

 就活の時か。

 出身大学か。

 学歴か。

 頭の良さか。

 顔か。

 性格か。


 ぐるぐると思考が回りに回って、結論が出た。


「生まれてきたことが、間違いだったんだ」




 そして、今に至る。

 ベランダの壁に足をかけ、後少しでも身を乗り出せば、空を飛び、自由になれる。


 未練はない。

 生きていることに希望もない。

 ならば、後は一歩を踏み出すのみ。


 決意した、次の瞬間だった。


「死んじゃうよ?」


「っ……!!!」


 声が聞こえる。

 後ろの方から。

 いるはずがない。だって窓を開けた時は誰もいなかった。


 ゆっくり、ゆっくりと首だけ振り返る。


「人間ってホント、ざこざこなんだから♡」


 そこには、悪魔のような笑みを浮かべた女の子がいた。



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