~夜間奇行のススメ~下


■ 六章   未来回想 Ⅱ


「何だよここ、どこなんだ……? なにもない……」

改人が次に目を覚ましたのは、何も見えず伺えずに、黒が何処までも広がる空間だった。自分の手、足、胴体などは目でしっかり把握できたので、暗闇と呼ぶべきではない。自由に歩けたし、望めば高く上がることも低く下がることもできた。ゆえに地面と呼べるものは存在せず、自分がどの程度の高さにいるのかも全く把握できなかった。ほかに窺えるものといえば、水槽の下から上へ昇っていく気泡の様なものが幾つも窺えたが、やはりそれが何かは定かでなかったし、どこから来て、何処へゆくのかも分からなかった。 

「……優理の言っていた意味がなんとなく分かる気がする……ここはまるで自分の存在する意味が無い……長く居すぎると、自分自身が把握できなくなりそうだ……」

 改人が優理の言葉の意味を自分なりに把握し始めたとき、不意に背後の黒一色だった空間が白く変化した。振り向くと空間の一部が、映画を移すスクリーンのように白くぼやけ始めている。画面は小さな映画館程の大きさがあったので、改人がすこし距離を置くと、白の部分はまるで本物のスクリーンのように、映像を映し始めた。

どこかの研究施設と思われるその中には、作業用の帽子をかぶった黒スーツの黒髪と茶髪の二人の男、そして幼さの残る少女が検査服を着て座っていた。壁には、エージェントと見受けられる三人の男が、激しく壁にめり込んで気絶している。それは裏山で夜景を見たときに聞かされた、改人と逸輝に優理が助け出された時の映像に違いない。強化ガラスは既に地面に分散しており、おそらくは未来の改人であろう黒髪の男は、優理と思われるあどけなさの残る少女に、ゆっくりと歩み寄った。

「『よう、こんばんは……手荒い登場ですまない。突然なんだが、ここでの暮らしは満足か?』」

 少女に歩み寄った男の声を聞いて、改人は一瞬混乱した。その声は紛れもなく自分のものだったが、口調は逸輝に似て聡明だった。被っている黒の帽子のつばの部分で表情はうまく見受けられないが、はみ出ているストレートの黒髪も、自分のものと相違はない。

 幼き姿の優理は一瞬動揺してきょとんとしたが、次の瞬間には、ハッと我に返り、ぶんぶんと頭を左右に振った。

「『だよなぁ……こんな日の当らないしみったれた所にいつまでも縛りつけられてちゃ、気がめいって、楽しいことなんかなにもないよな??』」

次に、幼き頃の優理は首を縦に、一度こくりとうなずいた。驚いてか言葉は出ないようだが、彼女らしいちゃっかりとした表情としぐさから、彼女は幼き日の優理だと改人は納得した。

「『そこでなんだがお譲ちゃん、俺達とここから抜け出さないか??』」

少女はその言葉を聞くと、見上げていた顔を反らしうつむいた。嬉しさ半分、怖さ半分といった面持ちで、迷っているようだ。

「『君が時間を飛び超えられる解放意思の持ち主で、実験の監査対象として幽閉されていることは知っている。だから助けに来た。――俺達は、君の世界を変えに来た』」

優理はその言葉を聞くと、一瞬固まった後、また改人を見上げた。映像の中の自分は、幼き優理の前にその右手を差し出して、説明を続ける。

「『俺達はこれから自分達の国をとり戻すために、マザープログラムの守護を担う、国内の防衛勢力と戦いを始める。そのために、君の力を貸してほしい。もちろん強制はしない……そこから立ちあがって、この手を握る気がなければ、俺達は大人しくこの場を去ろう』」

 そしてまた、つかの間の静寂が流れる。少女はやはり、決めかねているようだ。

「『改人、いつまでもここに時間を裂いてはいられないぞ。彼女にその気がないのなら、帰りの脱出ルートも計算に入れなければならない。追手もまた、次は何人でくるか分からない』」

 逸輝と思われる茶髪の男が、冷静な面持ちで口を開いた。やはり、ゆっくりできる状況ではないらしい。

「『それもそうだな……分かった、行こう。悪かったなお譲ちゃん……それじゃ』」

 スクリーンの改人はそう言って、差し出していた右手を下ろし、きびすを返して立ち去ろうとした。その時、少女は小さくかすれそうな声で、初めて言葉を口にした。

「『……待っ……て……』」 

 その言葉でまた二人が立ち止まると、少女は立ち上がり、少しずつ前に歩みを進めた。引きずっている左足にはその体に不釣り合いな、大きな鉄球が取り付けられている。

「『……いく……私も…………この世界を、変えたい…………!』」

 改人の前まで辿り着いた検査服の優理は、下ろされた改人の右手を両手で強く握りしめた。

「『……ありがとう。これで君も俺達の……名前はまだ決まっていないんだが、革命組織の同志だ。宜しく頼む』」

 そう言うと黒スーツの改人は、少女の首元の装置に右手を、左足の鉄球の枷に左手を添えると、両手から微弱な火花を走らせた。すると二つの金属は床に鈍い機械音を響かせて、いともたやすく少女の束縛を解いてしまった。

「『それじゃあ行こう。時間は動かさなくていいから、瞬間移動まがいのものでも使えると、帰りの道のりがとっても楽なんだが』」

 未来の改人の言葉に幼き優理は、またこくりと了承の合図をする。

「『それじゃあ行こう。できるだけ出口近くの、人気のない所がいい』」

 優理が解放意思を使おうとすると、

「『おい待て、二人で飛んでくれるなよ? 一人取り残されると、少しばかり骨が折れる』」

 茶髪の男の表情に、苦笑の色がみられる。間違うはずもない逸輝の未来の様子は、とても生き生きしていて楽しそうだった。未来にいる逸輝を垣間見て、改人は早くも確信に至った。やはり逸輝は、自分の友であったと。おそらく今も、改人と同じく心の奥でこの国に変革を望んでいて、今もそれを願っているはずだと。そう信じて改人は、拳を強く握りしめる。

三人が優理の解放意思で消えるとともに、スクリーン画面は砂嵐のような状態になった。目を離さず見ているとスクリーンは、また別の映像を映し出した。

 二台の黒い大型バイクは、長く続いている高速道路を、さっそうと駆け抜ける。三人とも黒のヘルメットを被っていて見分けづらいが、前を走る黒スーツが改人、その後ろに座り両手でぴったりとしがみついているのが優理、真後ろを走っているのが逸輝のようだ。無事に脱出できただろう二台のバイクは、勢いよく夜の道を駆け抜ける。ほかに車体は見受けられないため、恐らくは深夜帯だろうと思われた。何者にも阻まれない夜の車道を、風を切って駆け抜ける。その時間の何と自由なことだろうかと、改人は画面を観て思った。自分が仮にありふれた普通の人生を送ったとして、そんな機会はおそらく一生来ないだろう。画面の中の優理は、おもむろに右手でシールド部分を上にずらすと、その目で夜の大空を見上げた。月は見事に満ちていて、綺麗な円を形作っている。それを見渡す優理の表情は、見る見るうちに驚きと喜びで満たされていく。

「『……うわぁ、すごい……まんまる……きれい……!』」

 優理の言葉に応えるように、画面の中の改人も一瞬夜空を眺めると、満ち足りた表情で静かに呟く。

「『……満月か。今夜は、いい月が出てるな――』」

 そして二台のバイクがどこまでも長く続く車道の闇に消えていき、やがて見えなくなると、そこで画面はまた砂嵐になった。改人は優理が夜の景色が好きな理由を、自分なりに想像した。おそらく優理は、長い間あの施設に閉じ込められていて、外の様子をあまり見聞きすることができずにいたのだろう。改人と逸輝に助けられたその夜におそらく初めて、満ちたりた月を目の当たりにした。そしてその輝きに、きっと惚れこんでしまったのだろうと。改人は瞬きも忘れその画面に見入っていたせいで、両目に多大な負荷をかけていることに気づき、何度か目をぱちくりとさせた。

そうしている間にスクリーンは準備が整ったのか、また新しい映像を映し出した。

画面の映像として次に流れたのは、今と同じ改人のアパートの中だった。中の様子は今とあまり変わりばえしておらず、テレビが大きく薄くなっていることには気づいたが、変わっていることといえば、大方その程度だった。優理を助け出した映像の後だと考えると、おおよそ二年の歳月が経っているはずである。しかし変わり映えのないこの映像を見る限りだと、内面はあまり変わっていないのだろうと改人は思った。外見だけで今の自分と見比べると、映像の中の、二年後の篠崎改人は、落ちつきがあり冷静であって、余裕や自信の様なものを持ち合わせているように思えた。もしかすると、解放意思を携えていることも一役買っているのかもしれない。改人は先ほどの優理が隔離されていた施設にテロ攻撃を仕掛け、彼女を縛っていた首と左足の装置を難なく外してみせた五年後の自分を思い返してみる。改人は未来の自分が一組織のリーダーだったことも、いよいよ真実なのだと思えてきた。

映像の中の改人達は、どうやら先ほどの景色を駆け抜けた後に、三人で改人のアパートへと戻ってきたようだ。黒スーツの改人は現在と同様の定位置に座り、逸輝は腕を組みながら近くの柱に寄りかかり立っている。優理は検査服のまま、裏庭の戸を開けて夜の満月に見入っていた。おそらく成人に近い改人と逸輝ならまだしも、優理はもう眠りについてもいい時間帯だろうが、それでも一心に月を見つめる姿は、変身前のオオカミ少女とでもいったところか。 

「『さて、宜しくお嬢ちゃん。初めに自己紹介をしなくては。俺の名前は『いつき』。そしてこちらの一見通行人役、エキストラAが『かいと』。誰もが的を外す、俺達の大将だ』」

「『えっ、そうなの? 確かにぜんぜん予想できないよ。今私、かなりびっくりした』」

「『おい、なに勝手な自己紹介をしてくれてんだ。そのていで語るならお前は、一から十まで取ってつけた気取りまくり野郎だぞ』」

 やはり、逸輝の口調からは軽快さが感じられるように思える。まるで昔に戻ったかのようだ。

「『ははっ、それは言いすぎだと思うが? 君もそう思わないか、ええと――』」

「『……S‐0021。あの施設の科学者達は、私のことをそう呼んでた。だからたぶん、それが私の呼び名だよ』」

 画面の改人と逸輝は、一瞬言葉を失う。それが名前でないことは明らかだった。次に改人が、彼女の詳細を確かめる。

「『たぶんって……覚えてないのか? 自分の名前とか、住んでた所とか、両親のこととか』」

「『……分かんない。私が施設の中で目覚めたのが今から三年前。それより前のことは覚えてないの』」

 平坦に、当たり前のように自分の素性を短くまとめる幼き優理。しかしその自己紹介が自然でないことは、じかに聞いている未来の二人にも、それを映像として眺める現在の改人にも明白な事実だった。

「『そうか……じゃあ、名前が必要だな。今すぐに、生まれ変わるための名前が』」

 そう言って未来の改人は立ち上がると、裏口の戸に腰かける優理の近くにあぐらをかいて座った。逸輝はその様子を、腕を組んで興味深そうに眺めている。

「『確かにな。改人、なにか考えがあるのか?』」

「『ねーよ、そんなもん。けど、そうだな……例えば、好きなものはあるか?』」

 聞かれると優理は、夜空を見上げていた表情をこちらに移した。

「『えーと、さっき、お月さま見てて好きになった。満月、きれい』」

 改人と優理のやり取りを、逸輝は面白そうな表情で見守る。

「『満月か……ふむよし、ほかに、好きなものはなんだ?』」

「『うーん……これといって特にない。施設の中では、実験に付き合わされるか、注射打たれるだけだったから。後はいつも同じご飯食べるか寝るか……注射は嫌い』」

 それを聞いた画面の中の改人は、軽く困った素振りで髪をかき上げる。

「『仮の肩書きは後から用意するとして、それだけだと苗字か名前にしかできないな』」

「『どうした改人、お手上げか??』」

「『むむむ……そうだな、君がさっき俺達と共に戦ってくれるって言った、あの言葉は本当か?』」

「『本当はちょっと怖いけど。私にやれることがあるなら、できる限りのことはする』」

「『そうか……じゃあもしもこの国を変えることができたら、どんなふうにしたい?』」

 それを聞いて優理は、少しの間考える。

「『うーん。何でも自由に変えられるの??』」

「『ああそうだ。何でも、自由にだ』」

「『それじゃあ、皆が幸せな世界がいい! いつも笑って暮らせる、優しい世界を創りたい!』」

 それを聞いて、改人と逸輝はまた呆気にとられる。彼女の思想には、まだ中学生程度の年齢だというのに、個人的な感情は一切なかった。純粋に世界平和を願えるのは、彼女がまだ、なにも持っていないからだろうか。

「『これはかなりの大物を仲間にしてしまったんじゃないか、改人?』」

「『あぁ、そうかもなぁ……よし分かった。満月と世界平和、この二つだ……ふむ』」

 そう言うとスクリーンの改人は机の上に置いてあったメモ用紙とペンを持って、なにかを書き始めた。

「………………………………」

「………………………………」

逸輝と幼き優理は、その試行錯誤を見守る。画面の中の改人は、何度か紙に名前の候補を書いては破り捨てを繰り返した後、勢いよく二人に命名を告げる。

「『月が満ちていると書いて、月満、優しさの理想を志して優理! どうだ!!』」

「『はは、即席のわりにはひねっているか。さて、どうだろうな?』」

 幼き優理は、それを聞いて、きょとんとしている。不思議そうな面持ちだ。

「『これが、私の名前…………??』」

「『あっと、気にいらなかったか? じゃあ、えぇとだな……』」

「『やったーーーーっ!!』」

そう叫ぶのとほぼ同時のタイミングで、優理は改人に抱きついた。優理の表情は、満面の笑みに包まれている。逸輝は笑い交じりに驚き、改人は、それ以上に動揺する。

「『おいっ、どうしたんだよ……なんで急に、飛びかかってくるんだ!?』」

「『だって、嬉しいんだもん!! 私はもう施設で実験台にされてた頃のS‐0021じゃなくて、生まれ変わって月満優理になったんだよね!? ありがとう!! 私今から、そう名乗るよ!!』」

 画面の中の優理は喜びながら兎のように部屋中を飛び跳ねて、また改人に抱き着いた。被験者番号などではなく、人と同じ名をもらえたことが、よほど嬉しかったのだろう。

「『ははは、よかったじゃないか改人。優理ちゃん、に気に入られたみたいだな』」

 逸輝が、嬉しそうに二人を見て告げる。実に楽しそうだ。

「『そんな悠長なこと言ってないで、早く助けろよ!』」

 まるで動物がハグを求めるかのように、優理は改人に抱きつく。改人はいささか、困っているようだ。

「『これからよろしくっ!! かいと、いつき!!』」

「『ああもうっ……とりあえず離れろーーっ!』」

 さすがは優理というべきだろうか。二人に出会って間もないというのに、早くも幼き優理は、すでに現在の改人が知る優理になった。そして画面は、また砂嵐に包まれる。今度は何が映るのだろう、そしていつまで続くんだと思った矢先、映し出された映像はその後の様々な過程を通り越して、一気に佳境へと突入していた。

 画面の中の情景は、どこかの高層ビルの真上だ。十数名の男女たちがスクリーンに背を向けて、果てしなく続く夜の街のどこか遠くを見つめていた。誰もが皆黒のジャージをはおっており、背中にはあの優理が着ていた兎のロゴマークが描かれていることから、それは革命組織、黒兎であることが分かる。さらに見れば全員の頭には、現在の改人が被っているような赤色のサンバイザーを、トレードマークのように着けていた。

 先頭に立つのが未来の改人自身、その後ろの二人はパートナーの優理、右腕の逸輝だと分かる。さらにその後ろに続く同志たちは、今現在の改人には見覚えがなく、誰かまでは分からない。おそらく、先の未来で出会うことになる者達なのだろうと、改人はそう解釈した。画面の角度が変わり、未来の改人の横顔が映し出される。背後の優理と逸輝も映るが、時間は前の場面から大きく経過しているようで、三人とも大人びて見える。優理はやっと、今と変わらないくらいだろうか。真剣な表情で、皆同じ一点を見つめているようだった。

「『とうとうこの時が来た。最後の闘いの、開戦前夜だ。おそらくは、これまでで最も熾烈を極める戦いになるはずだ。判断は各自に任せる……強制はしない。深夜零時より、残ったメンバーで作戦を決行する』」

 しかし背後に佇む同志たちが、その場から動くことはない。全員から、揺るぎない革命の意思を感じる。未来の改人は自分の右腕に取り付けた腕時計を眺めた後、一瞬口元に笑みを作ってから、再びその場の仲間たちに言葉をかける。

「『……午前0時。……ありがとう皆。ここにいるチーム黒兎総員で、マザーロードプログラムの破壊を試みる』」

 画面の中で先頭に立ち組織を束ねる人物が何者なのかと、改人は混乱してしまう。彼の姿はあまりにも、今の自分とかけ離れ過ぎている。彼の頭のサンバイザーは現在の改人のそれだが、改人にはにわかにも信じ切れない――彼の正体が、未来の自分自身であることを。あれほどの決意と覚悟の表情を、現在の改人が作れるはずもなかった。

そしてスクリーンの改人は、魂の声で、高らかに開戦を宣言した。

「『これより規律解放作戦――『未来革命』を決行する……!!』」

 その言葉で同志たちは、一人二人と、姿をくらます。その場から消失するもの、ビルを垂直に駆け下りる者、翼を生やして飛び去るもの、浮遊したと思うと高速で飛び交っていくものなど、移動手段は様々だった。そして最後に三人、改人、優理、逸輝が残る。

「『名実ともに、これが最後の解放作戦だ……二人とも、命運を祈る』」

 真剣な面持ちでそういうと逸輝は、言葉を待たずに光の粒子となってその場から消える。

 改人と、優理が後に残る。二人は手を握ると、また同じ一点を見つめる。そして画面越しに二人を見つめる現在の改人は、彼らが見つめていた物の正体が、やはりMP結社だったのだと確信する。おそらくMPのメインシステムが設置されているだろうその場所がどこなのかは見当もつかないが、他に類を見ない超高層ビルと実験施設の規模の大きさから、その想像は容易だ。

「『――革命を起こそう。未来を変えよう。定められた人々の未来を、俺達で取り戻す』」

「『……うん、行こう改人。人が人であるために……!』」

 改人と優理はその言葉を最後に、優理の時間旅行で消え去った。画面がまた砂嵐に替わる。

 改人はただ、唖然とした。自分の辿ろうとしている運命の、何と壮絶なことか。何たるその、過酷なことか。これはまさしく未来を変えるための革命作戦、最終決戦の直前シーンではないか。優理がこの五年前の世界に来るきっかけとなった、国の運命をかけた作戦の開幕。それは最後の、終わりの闘いでもあるということ。その結末は――。 

 改人に気持ちの整理をさせる時間すら与えず、スクリーンは次のシーンを映し出す。その映像を目にして、改人は動揺を隠せなかった。体中を先ほどの何倍もの鳥肌と震えが駆け巡り、改人は一瞬思考が働かなくなった。映像として映し出されたのは、改人と優理の目前に構えるマザープログラム、そのメインシステムなるものだった。写真で数回程度MPを目にしたことはあるが、その母なる機械たちをも超える最たる超電脳は、改人が思い描く空想の、何十、何百倍もの迫力があり、改人が想像できる科学技術の規模を、軽々と超越していた。その空間は人が作りだせる創造の枠をはるかに超えて広く、軽く都市一つ――改人の住む仙帝ほどの大きさがあった。その中央に圧倒的な存在感を放ち佇むのがマザープログラムのメインシステムであり、空間の地から天にかけて、巨大な塔が聳え立つように存在していた。

二人の頭上二十メートルのカ所に備わっている巨人の頭脳のようなものがMPの中核を成す部分で、緑色の溶媒液の中で何千本もの管に繋がれ安置されている。

周囲では科学者たちが、慌てふためきながら数えきれないほどの量子コンピューターのボードキーを、慌ただしくカタカタ手打ちしたり、壁一面の巨大な電子スクリーンに次々表示されるイレギュラー・エラーの数々を、下のパネルで修復したりしていた。地面にも天井にも、同じ数ほどある何千、何万本もの鉄の管やパイプたちが、その電脳機械が想像をはるかに凌駕する規模の未来機械であることを、ひしひしと伝えている。赤、黄、青、緑など、様々な警告音のランプが幾千もの規模で点滅しており、警告音を何度もうるさく発していた。究極の電子頭脳――この国を統治するその機械は、持てる技術のすべてを駆使して、状況の危機を警告していた。最深部まで辿り着いた改人と優理、その前には、MPを背に、屈強な二人のエージェントが立ちはだかっていた。改人と優理が身構えると、突如MPは、それまで繰り返していたものとは異なって、新しい警告音声を語りはじめた。

「『これよりMPは、自身の危機に対抗するため、無効化電波を発信します。これよりMPは……』」

そして言葉が繰り返されるよりも早く、MPのメインプログラムは頭脳を直につんざくような超音波を突如発し始めた。すると改人が見守る画面の中の二人の様子が、見る見るうちに悪化していく。 

「『改人っ……何これ……!? 頭が、すごく痛いよ……!!』」

「『……おそらく……解放意思の発動を阻害する類の妨害電波だ……!! 待ってろ、今っ……!!』」

改人の頭部から、一瞬火花が流れる。しかし火花が流れても、なにも起きる様子はない。

「『ぐっ……!! なんだこれはっ……!!』」

 改人は、能力を発動しようとすると、さらに酷そうに頭を抱えた。

「『改人、どうしたの!?』」

「『解放意思が……発動しない……!!』」

「『え!? そんな……!?』」 

 優理も解放意思を発動しようとするが、やはり時間旅行は無効化され、頭を抱え込んでしまった。

「『ほんとだ……時間旅行できない……!! なんで……!!』」

混乱する二人が解放意思を発動できないことを確認すると、二名のエージェントは改人と優理に攻撃を仕掛け始めた。片方の大男は、右腕を巨大化させ、どちらを狙うともなく殴りかかってくる。もう一方の長身の方は、体中に電撃を纏わせ、同様に襲いかかってきた。エージェント達にはなぜか超音波が効いていないようで、対策を企てていることが容易に予測できた。

二人は攻撃を交わすのが精いっぱいで、どうすることもできない。画面の中の改人は次の瞬間、意を決してMPの無効化に逆らうと、なんとか解放意思を発動させることに成功した。

「『うっ……!! ぐ……!!』」

 改人の容体は極めて悪そうだが、確かに次の瞬間、優理の体を縦一直線に火花が伝う。

「『改人っ!?』」

「『……やっぱりな……解放意思の、発動を……極端に規制するが……脳の負荷を覚悟で使おうと思えば……発動はできるっ……!! 完全にっ……使えなくなる訳じゃない……!!! どうだ優理……!? 瞬間移動で、いい……この空間から、脱出できるか……!?』」

 その刹那、大男の巨大化した右腕が、また二人に襲いかかる。

「『やってみるっ……!!』」

 チリンと、ベルを鳴らす。大男の一撃を回避し、二人はその空間からなんとか脱出した。しかし優理は、腑に落ちない表情で動揺する。

「『そんなっ……建物の外に飛んだはずなのにっ……結社の内部までしか飛べてない……!? 能力が……規制されてる!?』」

 二人の能力を抑止した超音波は、先ほどまでに大きな音ではないものの、拡張されて、結社全体に響き渡ってしまっている。

「『またすぐ……飛べるか……!?』」

「『少し能力を使うだけで、すごく脳に負荷がかかる。連続で使うのは……』」

「『そうか……仕方ない、なんとか脱出を考えよう。生きて外に出るぞ……!!』」

「『うん……!!』」

 二人の容体は見るまでもなく最悪だったが、それでも希望を捨てずに脱出を目指す。床にはエージェントと、別の革命組織の構成員達だろう、その亡骸が、無残に転がっている。しかし犠牲者達は、大多数が革命家側だった。

 それでも二人は走る。途中、何度も白スーツを返り血で染めたエージェントと鉢合わせになっては、改人は脳を無理に行使して、その障害を排除した。優理も瞬間移動まがいのもので脱出を試みてはいるものの、移動できる距離はたかが知れていた。エージェント達と闘いになる度に画面の改人は、限界を超え脳を酷使していく。それはまさに鬼の形相、命の危機も返りみずに修羅のごとく敵に立ち向かっていく改人。その様子が途切れ途切れ、場面が飛んでは何度も繰り返された後、画面はまた砂嵐になった。

「……っ……やっぱり無理だったんだ……MP結社には、敵の解放意思を無力化する術があったのか……」

 革命は失敗した。それが決定された未来と悟り、改人はまた、その黒い意識の空間で、地面に膝をつけた。そして再びスクリーンは改人に追い打ちをかけるように、革命に失敗した二人の末路を映し出す。

 どこかの廃墟で改人と優理は、灰色のフードのようのものを纏い、MP結社の追手から逃げ隠れているようだった。

「『すまない優理……脳を無理に酷使しすぎたせいで、もうほとんど能力は使えない……革命は……』」

「『……改人、諦めちゃダメだよ。まだ、私達は生きてる……ほかの同志たちだって、きっとどこかで……』」

二人はどうにかMP結社からの脱出には成功したようだったが、改人はその代償に脳に多大なダメージを負ってしまっているようだった。もう解放意思をほとんど扱うことができずに、ふさぎ込んでいるのが分かってしまう。かつての仲間達の行方も分からずにただ二人逃げおおせ、生き延びているようだった。

そこから先は映像というよりも、断片的な記憶のフラッシュバックだった。その中の改人達は、お尋ね者としてひたすらにMP結社から逃げ延びて、かつての同志達を探し回っていた。優理が改人を支え前に進んでいるのは、見るまでもなく明らかである。

 敗北の未来を映し出されて、今の改人は完全に戦意を喪失し、打ちのめされてしまった。どんな心境で画面を伺えばいいのかも、もう改人には分からない。

 しばらくして断片的な映像はまた、物語を回想し始めた。その場所は改人にとって馴染み深い、あの河川近くの鉄橋の側。スクリーンの中では、優理が結社のエージェントの男三人に取り押さえられていて、改人は無残にも地に這いつくばっていた。近くにはあの超音波を発する小型の拡音装置があり、そのせいで優理も、解放意思を使えなくなっていた。

「『離せっ、この……!!』」

 優理は抵抗するが、生身の力では、男達を振りほどくことができない。

「『ははっ、やっと捕まえたぜ。あちこち逃げ回りやがって。俺達が上に、どんだけ怒鳴られたと思ってやがんだ』」

 そういった一番長身の男は、優理の両手を後ろで押さえている。

「『どうする? 上に報告する前に、こいつでちょっとくらい遊んでも、バチは当たんねぇんじゃねぇか?』」

そう言って、中背の男が、優理の胸をわしづかみにする。

「『うぅっ、か、改人……!』」

「『ああそうだぜ、よく見るとこいつ、なかなかの体してやがる』」

 背の低い小太りの男が、舐めまわすように優理の体を見つめる。

「『やめ……ろ……』」

 地面にうずくまる改人は優理の危機に反応し、それだけはさせないとばかりに、枯れ果てた声を上げる。既にその姿は血と土ですさんでおり、エージェント達にやられたであろう姿が覗えた。

「『ああん? なんだ、まだ喋れたのか。あんだけボコボコにしてやったのによ』」

 長身の男が、這いつくばっている改人を睨みつける。

「『ムリムリ、いくら俺らが下っぱっつっても、一端のエージェント様だぜ。勝てるはずねぇだろ、一般人がエージェント様に』」

「『それでもやるってんなら、喜んで相手になってやるがな』」

 中背の男が自分達との力の差を語ると、小太りが、いかにも下っ端じみた口調で、両手を組み合わせパキポキと音を鳴らしている。

 改人は、下っ端達の言葉など聞く耳持たずに、ゆっくりとうつむいたまま立ち上がった。そしてこの危機的状況で、一度はっと鼻で笑った。

「『……確かに俺は、もうろくに解放意思を扱えはしない……けどな、命捨てる覚悟で、頭がぶっ壊れる前提で戦えばお前らなんて……何人いたって敵じゃないんだぜ――』」

「『あ? 何言ってんだお前? この状況分かってんのか??』」

「『いいぜ、もうこいつは殺っちまおう。女の方だけ生きてりゃ……男のほうは壊れた不良品だ、死んでたって、差し出しゃ文句は言われねぇよ!!』」

「『……絶好の機会だ。こっちもちょうど――死に場所を探していたからなぁっ!!!』」

「『……っ、ダメっ!! 改人―――っ!!』」

画面の改人の表情はまた、鬼人のそれと化す。ただ一身に、純粋な怒りをその目に燃やし、エージェント達に向かって心の底から叫びを上げた。映像として目の当たりにした現在の改人は、彼が未来の自分だということも忘れ、恐怖で肩がすくみ上がった。しかしその後、スクリーンは続きのシーンを映さずに、ザーッと砂嵐の画面へ移り変わった。改人が何も考えられずただ茫然と立ち尽くしていると、スクリーンは新たな映像を流した。

 

錆びれた鉄橋の下、空から降り注ぐ雨を避ける。目の前の河川は流れを変えることなく、荒々しい轟音を立てている。


それはおそらく、先ほどのシーンの続きだろう。今しがた改人が生身で打たれていた雨に劣らぬ勢いで、画面の中では土砂降りが地面を濁している。辺りは先ほどと打って変わり薄暗く、光のさす気配はない。自分よりも遥かに歳月が上だろう、その鉄橋の下、改人と優理は、轟音を立てて降りしきる雨から身を守っている。

まさに時は一人の男の――終焉を指していた。

「『……改人! しっかりして改人!』」 

 映し出された改人は既に満身創痍、言うまでもなく体中ボロボロだった。ひときわ目を引いたのは、頭部から止まることなく滴り落ちている、流血の赤だった。おそらくはエージェント達から受けたダメージではなく、自らで活動限界を超えたことによる、脳内組織の崩壊が原因だろう。そのせいで彼の顔部のほとんどは、鮮血の色の『赤』だ。

「『ダメだよ、死なないで……生きて改人……! こんな、こんな最後なんてっ……!』」 

 それでも画面の中の改人は、満ち足りた表情だった。口元が、笑っているのが覗える。

「『改人…………改、人っ……!』」

 しかし改人の表情から、笑みは消えない。自分の命の最後を悟り、その運命を受け入れなお笑っている。そして血の赤の改人は、今にも消えてしまいそうな声で、ゆっくりと言葉を放つ。

「『最後じゃないだろ……優理。確かに俺はここまでだけど、お前は、まだ……』」

 改人は最後の力を振り絞り、神経の満足に行きとどかぬ震えた手で、優理の首のベルを握る。その手の中で火花が弾け、同時にチリン、とベルの音色が鳴り響く。

「『っ、改人……!』」

 直後優理の体は、謎の青白い球体に包まれる。それは考えられる限り、解放意思で作られたものだろう。

「『そんな……いやだよ私!  改人を置いてなんて行けない!』」

 別れを何度も拒みながら、優理の瞳から大粒の涙が溢れだす。しかし球体には、次第に火花が伝い始め、激しさを増しながら徐々に宙へと浮かんでいく。改人は構うことなく、解放意思を使っているようだった。額から再び血が、とめどなく流れ始める。

「『やめて、そんなことしなくていい! 私は……』」

 優理はなおも声を荒げ、改人との別れの時を拒絶する。しかし優理の未来を思う改人の意思も、また揺らごうはずもない。

「『ここから先は……お前自身で選ぶんだ。お前が望めば、きっとすぐに会えるさ。俺とはここで……お別れだ』」

「『改人! 改人、改人っ…………改人ぉっ……!』」 

 擦り切れた言葉にならない言葉で、優理はその名を繰り返す。

「『――ありがとう優理。お前がパートナーで……良かった』」

「『改人―――――っ!』」


 大きく轟いたその言葉を最後に、優理はベールに身を包まれ、世界から姿を消した。一人残された血染めの改人は役目を終え、安堵の表情で鉄橋にもたれかかる。そして弱々しく息をしながら、これまでの軌跡に感謝する。

「『――お前がパートナーで……本当に、良かった』」 

 その言葉を最後に、画面の中の改人は動かなくなった。雨と水流の音だけが画面に響き渡り、その後ブツンと音を立てて、スクリーンは機能を停止した。

「『っ………………………………』」

 改人は言葉が見つからず、ただ立ち尽くした。そして自分自身が迎える末路を垣間見て、どうすればいいのか本当に分からなくなった。

「……間違いだった、のか……この国を統治……支配する存在に仇なすこと自体が、間違っていたんだ……俺は…………」

 自分自身の犯そうとしていることの愚かさに、体の震えが止まらない。絶望で心が折れそうになる。自分自身の決意が薄れ、どうすればいいのか分からなくなっていく。

気付けば改人は自らの足場を失い、ただ空間を漂っていた。もうなにかを考えることや、行動する気も起きなくなっていた。結局どこまでいっても愚かな例外思考の篠崎改人は、破滅の運命を変えられそうにない。自分の想像をはるかに超えて勇ましく、全てを賭して立ち向かった未来の自分にすら、世界改定の物語は成し遂げられなかった。たとえ小さな物事の未来を変えられても、その先に待ち受ける大きな運命の流れを、改変させることなどできるのだろうか。すでに自分には戦うか、逃げるかのどちらかしか選択肢が残されていない。しかし戦った未来での自分の末路を見せられて改人は、結局どちらを取ってもあの最後に行き着くことになるのではと、結局絶望を振り払えはしなかった。

改人は消えてしまいたくなった。命を絶つことなど怖くてできないが、現実に戻り脅威から逃げ続けるのも、ひどく困難なように思えたからだ。もう何も、したくはなかった。

「なにもかも無意味だ……ずっとここで、このまま……」


「何言ってんだ。お前にはお前の世界で――やるべきことがあるだろ」


背後から聞こえたその言葉は、改人を即座に振り返えらせる。

「だっ……誰だっ!!」

声を震わせ叫んだ改人だったが、何者かなど考えるまでもないほどに、それは一目瞭然だった。振り向いた改人の後ろに立っていたのは革命組織『黒兎』の兎ジャージをはおり、頭に赤のサンバイザーを着け、先ほどまでスクリーンに映っていた――五年後の改人本人だ。

「危ない所だったな……言われただろ、気を強く持てって。時間の流れに、意識を飲み込まれる寸前だったぞ。五年前の俺」

「……本物なのか? 今画面の中で血まみれで……」

「本物さ。精神体、と言った方が正しいかもしれないけどな」

「精神体?」

「俺は元々ベルを時間旅行の安定装置として、優理に渡していた。それは覚えているか?」

「ああ……」

「あれの安定装置の役目を果たしていたのは、俺の意識の分身みたいなもんだ。俺は自分の命が尽きる瞬間、解放意思で自分の意識をベルの中の分身に移した。そういうことだ」

「移したって……そんなことができるのか……??」

「ああ……もともと解放意思って力自体、精神を現実に干渉させる、超常的なものだ。中でも俺の能力は、結構自由度が高いんだよ。まぁそれ言ったら優理と逸輝の解放意思も、同じくらいぶっ飛んでるんだけどな」

 五年後の改人は冗談を交じえて、自分達の規格外な異形を皮肉ってみせた。しかし彼らの解放意思の力を垣間見えても現在の改人は、依然理解などできない。

「……なんで……革命なんて起こそうとしたんだよ。分かってただろ、それがどんなに困難なことなのか。どんなに苦しい道のりなのか……」

「ああ、分かってたさ。答えを言葉にするなら簡単だ。俺自身が心からこの世界の変革を願った。共に革命を志してくれる仲間がいて、その為の手段を携えていたからだ」

 五年後の改人は真っ直ぐに現在の改人を見つめ、澄んだ瞳で答えた。迷いのないその眼差しは、優理の決意の瞳と、とてもよく似ていた。

「そんな簡単に答えるな……無理だって、不可能だって考えるのが当たり前だろ……!! 意思を統一されているこの世界で人は……そんな簡単に常識を振りきることなんてできない……!!」

「ああ、確かにその通りだ……なにも間違っちゃいない、真っ当な正論さ。けど考えてみろよ俺、本当に答えは一つなのか?? だったら今お前の心の内で、憤り滞っているその感情は何だ?? なんでお前は、俺と意思を違え声を荒げる??」

「それは……お前がなんで革命を……起こそうとしたのか、答えを知るためだ」

「そう、つまりは俺の持つ未知に、お前が疑問を持っているからだ。人は誰もが、問いに答えを求め、それを解き明かすために戦っている。自分の知らない、他者が持つ答えを見つける為に。変わらない……俺もお前も最善と理想を、天秤にかけて生きている」

 言いたいことは分かる。常に誰もが叶えたいこと、手に入れたいものがあって、けれど正しさと間違いの感情を持ってして、物事の合否を見極めなくてはならないのだ。

「誰にとっても正しいことを、正しいと答え実行に移すのは簡単だ。けれど周囲に否定された、自分だけの正義を貫き生きること……それはおそらく、並み到底の選択じゃない」

「そうだ……その通り、お前の言うだよ! だったらなんで……!!」

「……俺の掲げる正義が、誰もが悪と定める鉄の規律だったからだ。お前は……誰かにこの国の変革を願ったところで、それを成す存在が現れないことくらい、分かり切っていたはずだ。だから俺が、その規律を壊した。現れるはずのない誰かに改変を願うんじゃなく、俺自身が、その誰かになることを望んだ……俺はこの国に革命を願って、その意思は解放意思としてこの身の内に宿った」

 まさに運命に導かれるかの如く、異能に目覚めたということか。解放意思を手にした五年後の改人は、見渡す限りの世界に改変を願った。 

「俺は……お前は本当に幸せ者だよ。振り向けばすぐ後ろに、志を共にする仲間がいたんだから」

 それが誰かと聞かずとも、逸輝のことを指しているとすぐに分かった。改人は、逸輝のことについて尋ねる。

「逸輝が……MP結社のエージェントだったんだ。逸輝は……どうやってお前に力を貸してくれたんだ?」

「……ああそうさ、初めは俺も、驚いたよ……んで戦った。負けた方が、勝った方に従うってルールで」

「戦ったって、それは…………」

 戦ったということは、やはり争いは避けられないのだろう。随分簡単にサラッと言い放つので、二人の戦いがどんなものだったのか、改人には想像もつかない。

「俺が勝ったよ。あいつもむちゃくちゃな解放人類だったけどな……けれど最後にものを言うのはいつも、心の奥の、本当の言葉だ」 

「何だよそれ、どういう……」

「素直になって、腹の中見せ合えってことさ。根っこの部分では、お前もあいつも同じだよ。全部隠さずさらけ出せば、ぶつかり合えば、必ず分かってくれる。あいつは、そういう奴だ」

 ずいぶん砕けた口調だが、本当に命がけで戦った想像が浮かんでくる。そんなことが、喧嘩もろくにしたことのない自分にできるのか、改人は酷く不安になった。そしてやはり五年後の改人がとても大きく、自分とはかけ離れている存在に感じた。

「なんで、どうしてお前も優理も……そんなに強いんだ。そんな不安定な理想を、確信持って言い切れるんだよ……!? 解放意思を手に入れれば、俺もそんな風になれるのか……?」

「ああ確かに、解放意思を手に入れたのも一つのきっかけかしれない。初めはただ……自分達の思うままに考えて、戦った。けどそれを繰り返すうちに、共に革命を志す仲間が増えて、自分を支えてくれる人達ができて、思ったんだ。強くありたいって。大切なものを、失いたくないって……まぁその結果がこのざまだ。そこんとこは、笑ってくれて構わない。同志たちには、いくら謝っても足りないだろうな」 

 五年後の改人からは僅かに憂いが見て取れたが、それでも口元の笑みは消さずに、けれど、と続けた。

「ほかの奴にはできない、俺だけの選択をしたつもりだ。俺は最後まで、本当の俺自身の意思で未来を選んだと思っている。本当に、そう思っている。同志たちもきっと、そう思ってくれたと信じている」

 その言葉で、改人の胸は焼けただれたように熱くなってくる。この締め付けられるような感情は、一体どこから湧き出てくるのか。

「……本当に良かったのかよ。それだけのことをした結果としてお前は……夢叶わずに、河原でのたれ死ぬんだぞ……!!」

改人は下をうつむき、両手の拳をかつてないほど握りしめ、その感情を露わにした。

「……悔いはないかと言えば嘘になる。だけどこれは、俺が全力で革命を望んだ結果として訪れた未来だ。それならなにも、後悔する必要なんかない……それにな、お前と優理を、再会させることができた。今ここにいるってことは……もう、どうするかは決まったんだろ??」

「それは……」

 改人は、言葉を渋ってしまった。先ほどの映像の壮絶さは以前、改人の内で恐怖として蠢いていた。やはり自分は、弱い人間なのだと思う改人。

「いいか五年前の俺……今のお前は確かに弱いよ。それはなぜか分かるか?」

「……え……??」

「答えは……これから強くなるからだ。最初から強い人間なんて、世界中探し回ってもどこにもいやしない。絶対的に、皆、最初は弱いんだ」

返す言葉を失ってしまった改人に、未来の自分自身は、けれどと言葉を付け加える。

「強い人間なんてのもいないのさ。ただそうでありたい。果たすべき目的の為に、守るべきものの為に強くありたいと、願う意思があるだけ……それが俺に見える、強さの在り方だ」

 改人の目の前にいる人間が、弱い人間であるはずがない。改人には五年後の自分が、真の強者に見えた。それゆえに、信じられなかった。目の前の人物が、未来の自分であることが。体中の震えが止まらず、心臓は熱を帯びて惹きつけられる。改人はその揺るぎない意志を携えた姿に、自らの理想すら感じた。それほどまでに自らとかけ離れた五年後の自分に、改人は、いつの日かきっとそうありたいと、そう強く、恋い焦がれた。けれど、それでも。

「俺には到底思えない……本当になれるかよ。俺なんかが、あんたみたいに……」

 瞳に涙を浮かばせ、五年後の自分に姿を重ねることができなかった改人は、言葉にして問わずにはいられなかった。自らの非力さを隠せずにいる改人の姿は、五年後の改人にも明白だろう。

「……まったく、しっかりしろよ。なんて格好の悪い、サンバイザーの被り方だ」

「え…………?」 

「そんな斜めにずらして被ったら、そもそも日よけの意味すら怪しいぞ。こうビシッと、真っ直ぐに被るもんだろ、普通は」

 そう言って未来の改人は、横にずらしていた改人の赤いサンバイザーのつばを、正しく真正面に被せ直す。照れ臭さからいつもつばを横にずらして被ってしまう改人だが、よく見れば五年後の改人は正しくつばを正面に合わせて、同じ赤のサンバイザーを被っている。

「これでだいぶまともになったんじゃないか? はは、それみろ瓜二つだ」

 次に五年後の改人は自分のサンバイザーのつばに触れると、現在の改人を見つめながら心の深層に秘めた赤の色の意味を、自信に満ちた表情で語る。

「この赤の色は……主人公の色の赤だ。そう願ってお前は、このサンバイザーを選んだ」

先の改人の問いに答えるように五年後の改人は、依然揺るがない意思で、信念を持って答える。

「それが答えさ。お前はどこにでもいる脇役なんかじゃない………お前の世界の主人公は――誰でもないお前自身だ。誰もお前を縛ることはできない。お前の物語は、お前だけのものだ」

「っ………………!!」

 そして運命に導かれるように――未来の自分の言葉で改人は、ずっと知れずにいた世界の秩序への解答を見つけられた気がした。それはこの国の誰もが忘れてしまった、一番大切な事柄。そんな当たり前のことを、改人は未来の自分の言葉で、今確かに取り戻した。

ずっと分からなかった。正解を見つけられずにいた。これがその問いへの答え――ああそうか。そうだ、『未来』は…………!!

「てか何言ってんだよ、まだ若かりし頃の俺。このまま行けばお前には、こうなる未来が待ってるんだぞ? まぁ優理が来たから、未来は……変わるかもしれないけどな」

 真顔で決めた後に未来の改人は、てれ隠しからか、わずかにはずんだ軽い口調で、そんなことを言った。

「お前には、俺を超えて、革命を成功させてもらわなくちゃならないんだ。責任重大だぜ? お前がそれを成せば俺が、俺達が戦ってきたことにも……きっと、確かな価値が生まれる。今ここで……俺の意思をお前に託す。この世界の――未来を変えてくれ」

「未来を……変える……!」

唱えるように改人は、その言葉を繰り返した。そうだ、俺がこの国の運命を、と。

「あぁ、いい目になったな。もう大丈夫そうだ。さて……と。それじゃそろそろ、戻ってやれよ。優理が、心配してるはずだからな」

「ちゃんと、戻れるのか……??」

「ああ。俺がもっかい意識を、現実に送り帰してやるよ。俺はお前の一部になって、今後の行く末を見守ろう……あぁ、そうだ」

「わっ!?」

 現在の改人の体に、一瞬バチリと火花が走る。僅かに、痛覚が刺激される。

「おっ、この能力、自分自身には掛けられなくても、過去の自分には対応するらしいぞ」

「えっ、一体何したんだよ!?」

「これは俺からのとんでもない餞別……ある一つの手段への耐性さ。役に立つどころじゃないレベルのな……!」

そう言って五年後改人は、改人へその手を差し出した。改人の視界の先、未来の改人の奥の空間に亀裂が入り、徐々に闇が剥がれていく。代わりに空間へは光が差し込んでいき、それまで黒一帯だった空間は白へと姿を変える。五年後の改人は改人の手をつかむと、その白い空間に飛び込んでいった。

「優理に伝えてやってくれ。俺はいつでも、お前達を見守っている……いつも、お前達の傍にいると……それじゃあいくぞ、五年前の俺」

「……あぁ。望むところだ、五年後の俺……!」


「「――未来を変えに。革命を起こしに…………!!」」 

 

 二人の改人の体と意識が、白の空間の中に溶けていく。光の中にその身が飲み込まれるのと同時に改人は、自分と五年後の自分の意識が、部分的に重なる感覚を覚えた。

全てが白く染まってゆき、やがて意識は途切れた。

改人は瞬時に、ハッと意識を取り戻す。そこは、改人が記憶を遡る前のあの路地裏で、改人は優理に膝枕をされていた。雨はつかの間の通り雨のように、自然と降り止んでいた。そして視界に飛び込んできた二つのものに、改人は目を奪われてしまう。それは驚きを隠せずに目を丸く見開いた優理の瞳と、何者にも縛られず悠然と自由な――夜の大空。

「……改人……! よかった、意識を取り戻したんだね、戻ってきたんだよね……!」

「…………………………優……理……」

改人は意識を取り戻した後、優理を見て安堵の表情を浮かべた。そして優理の膝の上で輝く夜空を見渡しながら、右腕を夜空に伸ばし、ゆっくりと拳を握りしめる。

「……優理、俺は……俺も確かに好きだったよ。この夜の、何者にも縛られない世界が」

「……うん。知ってるよ」

 優理は、意識が戻って間もない改人の昔話を、穏やかな表情で聞き入る。

「まだガキの頃……夜遅くに逸輝と外に飛び出したことがあるんだ……はしゃぎ回って……警察官の目を間一髪で凌げて……ただひたすら楽しかった。草むらの上に寝転がって……それで俺達は、野望を誓い合うんだ」

「それも知ってる。『夜間奇行』、だよね」

「え、知ってるのか?」

「何度も、何度も聞かされたよ。それが未来の改人の、一番の自慢話だったから」

「はは、そうなのか……やっぱあいつは、俺なんだな」

 そして静かに起き上った改人に優理は飛び付いた。本当に、改人を心配していたようだった。

「改人……! よかった、改人が戻ってこれなかったら、私、私っ……!」

「……あぁ、待たせてごめんな。けどちゃんと会ってきた、五年後の俺に……!」

「……やっぱり、意識をベルに移していたんだね。さすがだよ、改人は……それじゃあ、解放意思は……!!」

「……ああ、未来の改人が、俺に託してくれた……解放意思、その知識、感覚も……!!」

 改人は抱きしめられたまま、彼から託された言葉を優理に告げる。

「未来の俺が言ってた……俺の一部になって、ずっとお前たちを見守ってるって……!」

「改人が……!?」

 すると優理は一瞬の驚きの後、救われたというように微笑んだ。

「うん……改人。私達を、見守ってて……!!」

「さぁ、行くぞ優理」

 そう言って夜空を仰ぎながら立ちあがった決意の改人を見て、頼もしそうな表情を浮かべながら優理も立ちあがる。

「うん、行こう改人」

 改人の瞳に、夜空は広く晴れ渡り、澄み切って映る。熱い胸の鼓動は、未だおさまる気配を見せない。まさに今、この瞬間。俺達にぴったりじゃないか、これはあの夜の続きだと、改人は静かに笑みを作った。幼きあの夜の日より連なる、誓いの続きを。友と本当の言葉を交わしに。その開戦を。今この時に、確かな声で告げる。


「今、この時より俺たちは……!! 宮代解放作戦、『夜間奇行』を開始する……!!」

 


■ 七章   始まりの声


 おそらくは自分達が通う学び舎、そのクラス一つ分ほどの広さだろう。もう帰ることのできない日々を噛みしめながら、前後が閉鎖され一室となった空間で、ランスロットは二名の反逆者を待ち構える。そこはMP結社最下層、MP稼働場へと続くとある通路の一角。表情を険しいものに変えて、かつての友に思いを馳せる。事は、一時間前まで遡る。


 MP結社仙帝支部地下最下層――マザープログラム稼働場にて、危険信号を告げる何千、何万という幾多の信号ランプが、様々な色に点滅を繰り返す。何度も同じ音声で、わめくように騒ぎたてる。小規模なドーム球場を模したような形状の稼働場の中心地点で巨大な中枢頭脳核――マザープログラムは、天高くそびえたつ塔の頂点、その培養液の中で未来演算によって導き出した自らの危機を、うるさく何度も警告していた。まさに宮代の未来の危機、三百人前後の科学者たちがその対応に追われ四苦八苦している中、それでも人手が足りずに、何十人かの皇室守護士達も人員として駆り出されている。

『ランスロット、君が思っている以上に、私は君を評価している。君は間違いなく、この国で十個のみが成せる――母の最たる代行者だ。本来、国家を守護するエージェントとして選び抜かれることそれ自体が、名誉ある栄光に違いない。しかし母の機械はその中へとさらに実力を示す階級を形作った。市民の平和と安全を守る三級エージェント・生命守護士(ライフガード)。この国の秩序と調和を束ねる二級エージェント・秩序守護士(オーダーガード)。この国の中核たるMP結社を守護する一級エージェント・皇室守護士(ロイヤルガード)。そして存在を秘められたそれらの真の最上位、母の寵愛を受けし十指の執行者……零級エージェント・皇女守護士(インペリアルガード)。それが君だ、ランスロット』 

わめき騒ぎたてるMPを見つめていたシュバルツは語りかけながら、背後でかしづくランスロットの方をゆっくりと振り向く。静かに鋭く、険しい表情で逸輝を見据える。

『…………はい』

『その若さで、この国のエージェント10000人の上に立った皇女守護者としての実力、偽りなどでは決してない。君はすでに他から逸脱して強く、十二分の資質と才能を兼ね備えている。君の力は人間を――いや、すでに解放人類をも凌駕している』

しかしその言葉が今の己を称えるものではないことを、忘れるランスロットではない。

『……今の私には、身に余るお言葉……』

『ゆえにだ。たかが反逆者二名を捕える程度、君には造作もなかったはずだ。しかし君は先の任務で珍しく、唯一とも呼べる弱さを見せた……それは若さゆえの甘さ、驕りだ。いかに親しい友といえど、既に秩序に背いた罪人に変わりはない……ランスロットよ。MP結社仙帝支部局長シュバルツの名において――母の規律に抗いし反逆者二名の抹殺を命ずる。彼らを亡き者とせよ』

『………………………………』

 シュバルツが下した勅令の後、ランスロットが纏う強者の風格に一片の歪みが生じた。それは彼がこの場において、唯一危惧する展開だった。

『お言葉ですが、篠崎改人は現状例外思考を持つのみの真人間。命を奪うまでの必然性は……』

『……やはり君はあれにこだわるのだな。君が御ヶ条逸輝たりうる最後の断片……それがあの篠崎改人というわけだ。しかしすでに手遅れなのだよ、この国で母を裏切った者は何人だろうと、その命をもって刑に処される。理解のできぬ君ではない』

その後でランスロットは、シュバルツに返す言葉を持ちえなかった。MPの調和に叛くことはこの国において何よりの大罪であり、いかなる処分が下されようとも意見することは叶わない。先の河原でベルの譲渡を拒んだ時点でもう改人は――命の尊厳を失っている。

『ここの科学者たちから、話は聞いているはずだ。侵入者をおびき出す手はずは既に整っている。あとは君が、この一件の幕を下ろすのみだ』

侵入者は必ず、何らかの解放意思でMPの前に姿を現そうとするはずだと。解放意思でMP稼働場に侵入しようとする者をとある一室に電磁誘導する仕掛けを施した、と科学者たちは力説していた。

『……まもなくこの宮代の意識はMPの規律の統治下に落ちる――夜空に降り注ぐ数多の流星群の奇跡によって。この統治が完成されたとき、私の傍らにいるべきは同じく完成された君だ。ランスロットよ、皇女守護者として――最後の弱さ、捨て去ってみせろ』

『――御意のとおりに』

告げると同時にランスロットは体を光の粒子に変え、その場から消え去った。


ランスロットは、両手を広げ不意に思う。自分はこの国に存在する、全てのエージェントの頂点の位にいる。その地位の数は、わずかに自らが両指の数と同義。自分はその内の一人に違いなく、失敗が許されるはずもないことは、考えるまでもなく明らかだった。なぜなら自分はすでにこの国において――全ての規律の守護者なのだから。

そしてランスロットは、静寂に包まれる隔離空間で、おもむろに瞳を閉じた。自らが庇護してきた友に、敵として構えねばならない。これほどまでに不可解を極める任務があっただろうか。どこぞの発展途上国での戦争を第三勢力として制圧した時も、協定国で起きた大規模なクーデターを完膚なきまでに無力化した時も、これほど心が震えはしなかった。

これまでの御ヶ条逸輝を形作ってきた最大の要因――その唯一の友を規律の闇から救うことが自らに課した真の任務だったはずだと。シュバルツも自分の地位を輝かせるために大いに必要な存在ではあるが、そもそも彼が真に求めてきたものは、そんな当たり前の栄誉ではなかった。

御ヶ条逸輝という人間は、真っ当な輝きなど必要とはしていない。光るものを輝きと呼ばずに、一般人なら見向きもしない無価値に輝きを見るだろうと、他愛ないことを考える。

ランスロットは、静かに瞳を開いた。直後、自分の視線の先で何とも奇怪に、バチリと空間に亀裂が走る。亀裂はすぐにその目を拡散していき、中から火花をまとった反逆者たちが姿を現す。逸輝は自分の心臓がドクンと一度、静かに鼓動したのを感じた。


改人と優理は、僅かに動揺の色を露わにした。時間旅行でマザープログラムの目の前に飛び出たはずが全く違う一室であり、さらに問題の逸輝自身が仮面の貴公子ランスロットとして、その場に待ち構えていたからだ。

「さすがだね……瞬間移動まがいのものだと策を練られてると思って、ちゃんと空間を裂いて移動してきたのに。それでも誘導されちゃった」

「当前だ、MP結社の科学技術を見くびってもらっては困る。言わばここは、皇女の城だ」

優理の敵をたたえる言葉に、逸輝はランスロットとして、銀の仮面に素顔を隠しながら、へりくだることなく強気の姿勢を見せた。敵として優理と牽制しあった後、ランスロットは言葉を続ける。

「……月満優理。悪いがこの件の原因は、全て君にある。君が改人を巻き込んで、この混乱を引き起こした。君が大人しく降伏すれば、多少は状況が好転する」

「逸輝、それは違う。これは俺が、自分自身で選択した未来だ。確かにきっかけは優理だったかもしれない。けどこの未来を選んだのは、他でもない俺自身だ……!」

「改人……そうか」

 改人の瞳に映る逸輝は、まだ何か言いたそうにも思える。しかし改人の返答で、逸輝はその口を閉ざした。代わりに今度は、改人が逸輝を問い詰める。

「いつから気付いていた……優理が転校してきた時にはすでに、疑いがあったのか……?」

「……なに、簡単な話だ。俺は触れた人間の記憶を読み取る、『読心』の能力も持っている。好んで使ったりはしないが……お前の素振りが目に見えておかしいときには、この能力を使わせてもらった。例えば茶番を装うていで、お前の肩の上に手を乗せたりしてな」

 改人が冗談交じりにエージェント疑惑をかけた放課後、あの帰宅途中のタイミング。なんと錯乱めいた改人の予想は見事的中してしまっていた。しかし、改人があの場で正体を見抜けるはずもない。なぜなら逸輝は絶対にありえないと断言までしていたのだから。もちろん、極秘中の極秘はあったのだろうが。

「……ずいぶん意地の悪い劇を見せてくれたもんだな。ああまで言っといてやっぱりエージェントでしたなんて、観客が納得してくれるか?」

「初めに認識の誤りを一つ正してやろう。すでに俺の存在は御ヶ条逸輝ではない……それは今や、もう仮の姿という話だ。俺の真の正体は――皇女守護者、ランスロットだ。ここまで言って俺の真意を、理解できないお前ではないだろう」

 もちろん動揺の色は隠しきれなかったが、改人には逸輝の思わくがすぐに理解できた。いつの日のどこかで、逸輝は自分自身を移し替えた。逸輝が持つ何よりの才能は――演じることだ。

「そんな、お前は……かつての自分自身を演じてたってことなのか? 本当の正体である、ランスロットとして……なんでだ、あの時のお前の言葉は嘘じゃなかった! もし解放意思に目覚めたなら、俺と一緒に革命家の道を歩むって……たとえ話半分だったとしても、それがお前の望む答えだったはずだ……!」

 いったいどんな悲劇の幕が上がれば、運命は逸輝にエージェントの仮面を被せ、受け入れられるはずもない未来へと彼を駆り立てるのか。その真意に違和感を覚え仕方がなくなる改人だったが、

「それは運命の流れに逆らった、御ヶ条逸輝であった時の……俺の単なるわがままだ。別段、お前に告げなければならないような理由でもない。この場に際しその意義も、全て徒労に終わったわけだが……まったく、滑稽な話だ」

 唐突なタイミングで、ランスロットは自身の背負ってきた命運の真意を、仮面の内に閉ざしてしまった。当然のように、納得ができない改人。

「俺には、言う必要があることのように聞こえるぞ」

「……それなら、実力行使で訴えてみせるがいい。俺が屈服させられることなど、万に一つもありえないだろうが」

 そのランスロットの不自然なほどに冷めた態度から、改人の知る逸輝なら梃子でも動かないだろうと察する改人。そして、今ランスロットがその身に纏っているのは、自らの常勝を微塵も疑わない強者の――深淵にも値する、絶対の風格。

本当に、敵に回してしまうとこれほど厄介な相手はいないと改人は思う。そして仲間になってくれれば、彼ほど頼もしい人物は他にいないとも。

「……頼む逸輝、俺達に力を貸してくれ! 宮代の空に流星群が降り注いでしまうと、絵美、彩夏……皆の意識が完全にMPに乗っ取られる……! その前に宮代を、MPの束縛から解放しないといけないんだ! お前が協力してくれれば、まだ間に合う!」

ランスロットは改人の言葉に一瞬だけ間を置いたが、答えは一つしか有り得ないのだと決意の表情で言葉を返す。

「改人……やはり変わらないな。……あの頃のままだ。だが俺は今やエージェント達の最たる証を掲げ国を守護すべき立場にいる。お前のやろうとしていることは、俺が命に変えても防がなければならない使命……俺にはもう、お前達を排除してこの宮代の秩序の守護とすることしかできない」

「戦うしか、ないのか……逸輝」

「俺は初めから、そのつもりでこの場に立っている。全うな交渉の機会はあの河原を去った時点ですでに過ぎ去ってしまっている……月満優理、君が相手になるのか?」

「…………っ!」

優理がランスロットに身構えた直後、改人は自分の片腕を彼女の前に伸ばし、その歩みを遮った。

「改人…………!?」

「俺がやる。ここは、俺に任せてくれ」

「一人でやるの、改人……?」

「ああ。戦わせてくれ、俺に……!!」

 そう言って改人は、足を一歩前に進めた。僅かに体の震えを感じる。しかし改人は、自分がやり遂げなければならないのだと、その身に使命を刻み込む。やはり逸輝は、そう簡単に仲間になってくれる程、自身にも他者にも甘くはない。この機会を逃せば、改人の求める未来は永遠に失われてしまうだろうと思われた。そして決意を固める。本当の言葉で語り合えと、未来の自分が言っていたことの、真意を確かめる為に。

「到底、正気の沙汰とは思えんな。この場に降り立った時点で、そんな言葉はかける意味もないだろうが。本当にこの皇女守護者――ランスロットと、お前がか?」

 ランスロットの声色が、僅かに緩んだ。彼がまだ改人をただの例外思考だと思っていることを、改人は見逃さなかった。その事実をせめて、自身のメリットにしようと。

「ああそうだ。お前の相手は、俺にしかできない」

「……言い忘れていたが、この一室は特定の脳波……俺意外の解放意思での脱出ができなくなっている。やはり手に負えなくなり一度退散しようとしても、それは不可能だ」

「そりゃそうだろうな。わざわざおびき出しておいて、簡単に逃がしてくれるなんて、そんなやわな話あるはずがない」

「……俺がいざという時に助力に出るなどと、甘い想像もしないことだ。お前がテロリストとして現れた以上、俺もエージェントとしてここにいる……それを忘れるなよ」

「だからそんな話――聞くまでもないって言ってんだ」

「……そうか」

 ランスロットが最後の忠告を促し、改人がそれを当然のごとく受け入れると、つかの間の静寂が空間を支配した。そしてランスロットが瞳を閉じるとともに、その静寂は破られる――。

 次の瞬間、と認識することもできぬほどの速さで、ランスロットは改人の視界から姿を消した。そして瞬時に、改人の懐へと身をかがめて現れ、それを改人に悟らせるよりも早く、腹部に右のストレートを打ち込む。

「がぁっ!?」

 またたく間にランスロットは超スピードの拳で、改人を一メートル先の壁に叩きつけた。激しく壁に打ちのめされた改人が床に倒れ込むよりも早く、ランスロットは念動力を用いて、激しい衝撃音と共に、改人を地面にたたき付ける。

「改人っ!」

 改人が床にめり込み、優理は叫び声を上げる。その声に、ランスロットが反応する。

「来るなら来い、二人一度に向かって来ても、俺は卑怯だとは思わない」

「っ……!!」

 優理はまた身構える。しかし弱々しくも、改人は助力を拒んだ。

「……やめろ……優理。俺が、戦う……!」

 改人はぐらつきながら立たせた右足の膝に手をつくと、ゆっくりと立ち上がる。

「は……なんだかんだ言って、やっぱ手ぇ抜いてくれてるよな、お前。その気になれば一発で仕留めることくらい、簡単にできるんだろ?」

「……当前だ……だがお前には、その身で痛感してもらう。この国の秩序を統治するMP結社に逆らうことが何を意味するかを。その無謀さを皇女守護者として、お前に再認識させる必要がある。このランスロットが直々に、お前に灸を据えてやる」

「後悔なんて、もう死んでもしねぇよ……俺は、自分で覚悟を決めてここにいる。お前は……どうなんだ、逸輝……!!」

「まだ世迷言を語るか。ならばその、幻想が消え去るまでっ……!!」

 そう言うとランスロットは、超加速で改人の後ろを取り、そのまま右足で改人を床に叩きつけると、それだけでもかなりのダメージを与えたにもかかわらず、さらに念動力を用いて、先ほどの何倍もの衝撃で改人の頭部を踏みつけた。

「がっ、ぁぁぁ、ぐうぅぅぅ……!!」

 そのあまりの衝撃に頭脳が揺れ、改人は意識を失いかけた。改人の、悲鳴とうめき声が混ざった声が、その空間に轟く。逸輝はランスロットとして、非情を帯びた言動で、改人に相対する。

「諦めろ、篠崎改人……お前はこの国と戦うどころか、俺一人手に負えやしない……これが現実だ。変革の意志を貫けるほど、お前は強くなどない。いや、そんな理想を叶えられる奴は、この国にはいない……! 遂げられるはずもない……誓え。もうこんなバカげたことは、金輪際考えないと。大人しく、これまでと変わらずに、定められた日常を望むと」

 改人の頭部へさらに負荷を加えながら、ひびの入った床とうつむく横顔を見つめ、ランスロットは改人へと改心の選択を強いる。

「……………………」

しかし改人から、ランスロットの望む言葉は帰ってこない。

「……どうした改人、気を失ったのか? それならまた――」

 ランスロットは改人を見下ろしながら、また立て続けに攻撃を加えようとする。酷い頭痛と朦朧とする意識の中、改人はその身でランスロットの思惑を理解した。

「……違げぇよ……ただ、随分必死なもんだなと思ってな。天下の皇女守護者ともあろう男が、丸腰のテロリスト一人殺せないなんてよ。あくまで改心させて、少しでも俺が生き残る可能性を増やそうと考えてやがる……お前こそ、理想高すぎだろ?」

「なんだと…………!」

 表情を酷くゆがませるランスロットに、抗う兆しを見せ、改人は言葉を続ける。

「けどもう十分だぜ……お前の考えは分かったよ。それにこれ以上一方的に殴られ続けるのなんて、ごめんだからな……!」

 そう言って改人は、自分の頭を踏みつけるランスロットの足を、ゆっくりと、しかし確かに、強く握りしめた。


「……やっぱり、お前抜きじゃ始まんねぇよ。――さぁ、反撃開始だ……!」


 改人が掴んた足を伝い、一筋の火花がランスロットの頭上まで走り抜ける。その意味を、ランスロットが知らぬはずはない。反射的に逸輝は改人から離れ、間合いを取った。

「どういうことだ改人、なぜお前が……!」

 ランスロットの疑問を受けながら改人は、ゆっくりと立ち上がる。

「人の心を読める力も……体を光に変えて移動する力も、高速で動ける力も、念動力で思うがままに物質を動かせる力も……全部お前の能力の創造って訳だ。ふつう解放人類は、経験を積んで能力の精度が磨かれることはあっても、異なる能力をいくつも持つことなんかできないからな。びっくりしたぜ、お前の能力を知った時は……自らの不可能を可能に変える解放意思、『偽身神器(エクスマキナ)』…………!!」

大方月満優理か、それに関連する何者かから情報を得たのだろう――彼女は、時間歩行者なのだから。過去や未来を知っていても何もおかしくはない……そう考えたランスロットは、素直に自分の能力を白状した。

「……確かに自身の不可能を可能に変える力、それが俺の異能、『偽身神器』だ。自分にしか能力を行使することはできず、また世界最強の力、といった途方もない願いだろうと、望み続ければいつか手に入れられるかもしれないからな。この偽身神器が可能にできる不可能は、俺自信が生身の人間として実現不可能な事柄に限る。基本的にそれらの願望は、解放意思として創生されこの身に宿る……まったくもって、ある程度のことがこなせてしまう俺とは、噛み合わない能力だ」

 自らの皮肉を交えつつその手の内を語ってみせたランスロットはその後に、しかしと言葉を付け加える。

「それが分かった所で、お前に何ができる。いくつもの能力を使役できるようになるまでの俺の過程など知るはずもないだろうが……解放意思を自在に使いこなすには、長い時間と努力が必要だ。それを手に入れたばかりのお前が、この俺と対等に戦えるとは到底思えない」

「戦えるさ。俺の解放意思はお前にとって、本当に最悪の相性だ。お前はもう解放意思を、ろくに扱うこともできないんだからな……!」

 ランスロットへの能力の発動に成功した改人は、にやりと笑みを含んでこの状況に五分の勝機を見出す。ランスロットはその言葉に、僅かに動揺の色を見せた。解放意思を発動しようとするが、頭上で僅かに火花が散るのみで、能力は発動しない。

「どういうことだ、これは……無効化能力…………!?」

「いいや違う……お前の『偽身神器』で身に備えた可能を、また不可能に変えたのさ。今のお前は、俺と同じただの人間ってことだ……!」

「何だと、それは……!!」

 そこまでを口にしてランスロットは、残されたその頭の回転力で、改人の能力を考察した。ランスロットが己の名を轟かせる術を能力として欲したように、解放人類が手にする解放意思の裏側には必ず、自身の強い願望が存在する。篠崎改人という一個人をこれまで間近で垣間見てきたランスロットには、彼の能力がどんなものか、すぐにある程度の憶測がついた。そしてさすがに動揺を隠せずに、表情を僅かに崩しながら笑う。

「はっ、まさか改人……だとするとその解放意思は、本当にこの国を根本から覆す為の力だ。秩序の理を破壊する、最凶最悪の能力だぞ……!」

「ああそうさ……けどこの能力には完全な変換と一時停止があって、俺がお前にかけたのは一時停止のほうだ……で、それが天下の皇女守護士サマともなるとこっちも一気にキャパシティの限界ってわけよ……どうする? お前が素直に仲間になってくれれば、話は早いんだが」 

「……それはこちらのセリフだ。退路はすでに断たれている。やることがなくなったのなら、大人しく降伏したらどうだ」

「残念ながら……それだけは、聞けねーんだ」

「言うだけ無駄な話か。……さて、それならどうする?」

「そんなの、考えるまでもないだろ。まだ勝負はついてないんだ」

改人がまた口元で不敵に笑みを作ると、ランスロットはふっ、それもそうか、と涼しげな表情で開き直った。お互いに察し合い、空間の中央に立つ。見守っていた優理が、改人に駆け寄る。

「改人、本当に大丈夫? あれだけ一方的に叩かれた後で仕切り直しなんて、体が……」

優理は、表情を酷く険しいものにしながら改人の顔をのぞき込んでくる。まぁ、無理もないかと妙に納得してしまう改人。

「……どれだけ無理でも、死ぬ気で説得してやるさ。あいつは、そんだけの有望株なんだ。俺を信じて……祈っててくれ」

「改人……」

優理は最後に一言だけ呟くとそれ以上は言葉が出てこないようだった。本当は、これ以上改人に無茶をさせたくないのだろう。

「はっ、こんな所で、空気も読まずみせつけてくれるとは」

「何言ってんだ、普段学校で呆れるくらいちやほやされてるくせによ」

「ふん、言ってくれるな。では、早々に白黒をつけるか」

「ああ、そういうことだ」

 二人が互いに同意を示すと、また空間は静寂に包まれた。トクン、トクンと、高鳴る自らの心臓の鼓動に改人はほんの少しだけ耳を澄ました。――そして。

「――おらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「――うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

二人はどちらともなく、拳をかざして、足を踏み込ませ、お互いの頬にパンチを入れた。


反動でランスロットの目元を隠していた輝く銀の仮面は――地に落ち砕け、離散する。


二人の体は同時によろめくが、双方ともに後ろ足でなんとか踏みとどめ持ちこたえた。改人は殴られた方とは反対の手で、頬をぬぐった。

「何だよ、意外とゆるいな。逸輝の素のパンチは」

「改人の方こそ、人を殴ったことなどないだろう? 素人感丸出しだぞ」

「ああそうだよ、こんな殴り合いの喧嘩するのなんて、生まれた始めてだ……! お前はどうなんだ、逸輝!!」

「同じだ、戦闘するときはいつも能力で加速して敵を打ってたからな……生身で人を殴るのなんて、生まれて初めてのことだ!!」

「はは、どうりでぬるいパンチな訳だ!!」

「冗談を言え! お前ほどじゃないな!!」

 そう言って互いに、第二撃を繰り出す。逸輝の拳は改人の右胸に、改人の拳は逸輝の腹部にヒットした。

「がっ……何だ改人、今のは効いたぞ。お前でも、やればできるんだなっ……」

「お前のパンチも……重いぜ、さっきの何倍も……!!」

 そう言って冗談交じりに二人は、まるで遊びごとのようにお互いを殴り合う。

「くくっ…………」

「ははっ…………」

 皇女守護者でありながら生身の人間と化して拳を振るう逸輝と、見果てぬ先の彼方にいる友と対等な殴り合いをする改人。

 二人は顔にあざを作りながら、それでも腹の底から込み上げてきた笑いをこらえきれなかった。この狂った状況に、確かなあの日を覚えながら。そしてまた拳を振りかざし、大声で笑い声を上げながら双方共に殴りかかる。

「「――ははははははは!!!」」

お互いの顔面に直撃した拳で、二人はまた、先ほどよりも激しくよろめき、しかし再び後ろ足で踏み止まる。二人は肩で呼吸をして、態勢を整える。

「ははっ…………なんだか清々しいな改人。こんなのいつ以来だ?」

「はぁ、はぁっ……覚えてるか逸輝、俺達が施設で出会いがしらに、取っ組み合いの喧嘩をしたときのこと……!」

「……ああ、もちろんだ……最初は口だけの奴だと思ってたが……案外骨のある奴で驚いた……!!」

「じゃあ、あれは覚えてるか……!? 二人で施設を抜け出した、あの夜間奇行を……!!」

「忘れる訳がない……あの時ほど痛快で、自由だと思えた瞬間なんて、もうこの先一生訪れないな……!!」

仮面が外れ本心を語る逸輝に、改人も記憶を噛みしめながら、さらにあの日の夜を振り返る。

「なら忘れてないよな……その時に二人で、野望を誓い合ったこと……!!」

「――――!」

『おまえとなら、できるかもしれない。おれには、まだ誰にも言っていない野望があるんだ』

『野望……? 奇遇だな、野望ならおれにもある! おれも、まだ誰にも言ってない! ――っていうか、おまえと仲間になってからできたんだけどな』

『ははっ、なら大方、共通の野望か……!』

『――いつき、おれたちでいつか――』

『――かいと、いつの日か二人で――』


『『この日本を、もっと自由で、楽しい国に変えよう……!!』』


改人の言葉で、逸輝の中に幼き日の誓いが蘇る。心の最奥にしまいこんだ約束をかみしめ、感情を言葉に乗せて答え返す。

「ああ……!! 二人でこの国を変えようと……俺たちは、確かにそう約束した……!!!」

 そう言ってまた殴りに掛る逸輝に改人も対応する。互いの鳩尾に、衝撃が加えられる。二人は前かがみになって、共にその場から動けない。

「……吐き出せよっ……逸輝……! 本当の言葉を……お前も、同じだろ……!? この世界の改定を、現れもしない誰かに……願っているはずだ……!!」

 改人の言葉通り、逸輝はランスロットであることを止め、その胸の内を告げる。

「当たり前だ……!! こんな何もかも決めらてばかりの世界にいるよりも、お前と、世界を変える為に戦った方が、何千何万……何億倍も楽しいに決まっている……!! 望めるのなら、命だって惜しくはない!! けれど改人、それでは失うものが大きすぎる!! そんな平和とかけ離れた世界で、俺達は思いを遂げられるか!? それは無理だ!! 自分達のいた世界の、全てが敵になる!! 俺は俺のかけがえのない人たちのために、そんな不幸は願えない!!」

「そのかけがえのない人達の未来が、機械の選択で全部決められてしまっているんだ……!! お前はそれを、何とも思わないのか!? お前には、世界を変えるほどの力があるんだぞ!!」

「違う!! この力は、その世界で強くあるための能力だ!! 守るべき者たちの為に、その平和の順守に振るうべき力だ……!!」

 改人の、世界を願う形に変える為の力。それに対して、逸輝の自分が世界に適応する為の能力は、似ているようで、それでいてことごとく非なるものだった。二人は、拳でぶつかり合いながら、理想と現実の、その先の答えを探す。

「……それじゃあ、今度はっ……未来の話を、する……か…………」

「……未来……だと…………?」

 お互いに体をゆらりとふらつかせる中、改人は、優理に時間旅行で見せられた自分の未来の行く末を、逸輝に語る。

「俺は優理の意識間の時間旅行で……自分の未来を見せられた……そこでは俺は……革命組織のリーダーで……優理は俺のパートナーだった……けど、それ以前に俺には、俺を助けてくれる心強い右腕がいたんだ……それが、お前だよ逸輝……!!」

「なっ……俺が、お前の仲間!? 革命組織の一員!? そんなっ…………」

 逸輝は最初に信じられないといった顔をしたが、次に少しだけ嬉しそうな、それでいて悲しそうな、複雑な表情をした。改人は、未来の語りを続ける。

「俺達は二人で優理が幽閉されている施設に潜入して……優理を救い出すんだよ……そして俺達はMP結社と戦って……何度も戦って遂に、この国の未来を賭けた、最後の大戦をおっぱじめるんだ……」

「…………何!? クーデターはまさか……成功したのか!?」 

「いいや……最後の最後に、結社側の奇策で、革命は失敗した……組織の同志たちの消息は不明、未来の俺は命を落とす直前で優理をこの時代に送り届けて、息を引き取ったよ」

「当然だ……そんな未来を賭けた大戦まで駒を進められたこと自体が奇跡に等しい。革命は失敗に終わる!! なぜそれを分かっていて、その未来を繰り返そうとする!?」

「違う逸輝、未来は決まってなんかいない……それはMPのまやかしに過ぎない。だからこそ俺は……革命を望む!! あと一歩の所まで、望む未来が広がっていたんだから……おおよその未来の筋書きを知っている、時間旅行者が、仲間にいるんだから……そして逸輝、お前もいる。エージェントとして最強の名を冠するお前が。お前なしじゃ、この国は変えられない。俺達の仲間になって、その力を貸してくれ……!!」 

「…………っ、それが、未来の俺の選んだ選択……なのか……? 俺は……」

 逸輝はおそらくその時初めて、己の心の迷いを見せた。いつも常に弱さを見せているであろう改人とは違って、逸輝のその表情は、初めてと思えるほどに真新しかった。逸輝は床に目線をそらし、そして目を閉じると、顔を上げまた改人に向き直した。

「……やはり不可能だ。確かに……初めはただ演じているだけだった。だがしかし……もう俺はすでに、皇女守護者・ランスロットだ。敵に寝返れる道理などない」

「な…………」

その言葉を聞いて、改人は愕然とした。自分の願い、思いは全て言葉にし尽くした。これ以上何をどう説得すればいいのか、改人には手段が浮かばない。

「もう言葉での説得など、意味を成さない。それでも語りかけようとするのがお前らしいが……俺の意思は変わらない。今よりこの先にお前が切り開ける未来があるというのなら、それは俺を倒しMPの玉座へと歩みを進めることのみだろう。ここに来てまで俺に甘えようとするな。全てを捨ててでも手にしたい未来があるというのなら……俺の屍を越えてゆく覚悟で、自分の力で掴んでみせろ」

 もしかすると、すでに未来は望まぬ形に運命を歪めてしまったのかもしれない。仮にそうなのだとしても、すでに選択を終えた改人は逸輝の言葉通り、己が定めた道を進んで行くしかない。

「っ……そうか。それなら、いい加減蹴りを着けよう。運命ってやつも、そんなに暇じゃあないんだな」

「その通りだ。お前がこのまま勝負を続けると言うのなら、互いに殴り合い、最期に立っていた方の勝ちだ」

「分かった……分かったよ逸輝、ありがとう。それでも俺も、未来に進まなくちゃいけない」

「……さぁこい、受けて立とう。次の一撃に、お前の全力を込めてみせろ」

「行くぞ、逸輝…………!」

「……ああ、来い改人……!」


「「――うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」


 もちろん言葉に嘘など交えずに、改人は自らの拳に込められるだけの全身全霊を込めて逸輝の右の頬を殴った。逸輝の方もそれは同じだったようで、実は能力が使えてまた人の枠を超えたスピードで殴っているのではないかと思うような、そんなスピードが改人の右の頬を打った。 

「「っ……………………!!」」

ゴッと鈍い骨のぶつかる音が確かに響き渡った後、二人はたまらず反動でのけ反るように倒れ込む。改人は本当に、一瞬の間意識を失った。それほどまでに容赦なく、本当に激しい衝撃だった。そのパンチは初め逸輝が能力を用いて振るった拳よりも、はるかに強く改人の意識に衝撃を与えた。

「改人ーーっ!!」

優理のその叫びで、改人は再び意識を取り戻した。ぐらぐらと揺れる視界の中、なんとか立ち上がりながら振り返ると、逸輝は意識を保ちながらも、立ち上がることなく感慨深そうな表情で天井を見つめていた。

「……おいどうした、降参か?」

「ああ……残念だ。悔しいが俺の、負けのようだな…………」

 しかしそれでも改人は、勝利の余韻に浸れるはずもなく、まだ胸の内で滞っている疑念を逸輝に問いかける。

「なら約束通り……答えてもらうぞ逸輝。お前が、エージェントになったことについての真意を」

「……本当に知りたいのか? 改人、この世界には、知らなければよかったと、後悔させられる真実もある」

「あぁ、それでもだ。お前がこれまで何を背負ってきたのか、それを俺に教えてくれ」

 自分になら守れると思った。自分になら、未来を繋ぎとめられると信じてきた。しかし己が求める未来はすでに――その手の内にはないのだと。

逸輝はわずかに表情を歪めながら、心で任務失敗の悔しさを痛感した。そして、自らが一人で背負ってきた命題を今共に背負おうとしている友の意思を、とうとう無碍にはできなかった。

「…………改人。お前は例外思考の枠組みの中でも、特別異例の存在だ。特異監視対象と呼ばれる、MPの統治を歪める恐れのある危険人物として……本来死していなければならない」

 改人の意中を突き、逸輝の口から知らされた真実は、改人の意識に、大きな衝撃を加えるものだった。しかし、今はすでに慌てふためいていられるような局面ではない。

「本来、死んで……本当なのか。非適応数値があり得ないくらい高いのは自覚してるけど……」

「非適応数値の真実とは、例外思考が潜在的に秘める、MPへの抵抗力の数字だ。そしてその数字は解放人類として解放意思を手にしたときに具現化される願望の強大さ……能力の力量に比例している。……この数字は並の例外思考で40程度、解放人類で80から100、異例の俺であっても200だ……お前の300オーバーは、この国の秩序を崩壊させるレベルの数値を指している。この事実を、MP結社はどう扱うと思う」

「能力の強さの数字……そうか、それでMP結社は俺を殺めようとしてたのか……それなら、なんで今まで俺は」

 そこまでの話の流れから逸輝の回答が予想できた優理は、その代わりに真実を告げる。

「逸輝が、改人を守ってくれてたんだよね。そのために、逸輝はエージェントに……」

「その通りだ……これは改人、お前の未来を守るための、俺個人の攻防戦として始まった運命だった。当初、中学への進級前に解放人類として目覚めた後の俺の非適応数値200……これをMP結社は、早期から皇女守護者の器と判断した。しかし、エージェントへと至る道を真っ向から否定した俺に――MP結社は一人の人間の命の危機を告げた。それが、非適応数値300オーバーを抱える、お前の人命だった。齢十二年を生きた俺にはその運命がこの世のどんな事象よりも無情で、理不尽に感じた……どんなに自分を諭しても、その未来を受け入れることはできなかった……俺は葛藤の末、お前の命の存命を条件にMP結社の軍門に下った」

「本当なのか……お前は、俺の命を……未来を繋ぐためにエージェントに……? そうしなかったら、俺はずっと前に、MP結社に消されてたっていうのか……!?」

「正確には、エージェントの責務を与えられてから三年で皇女守護者となることが条件だった。これにもなかなか手を焼かされたが……結果として三年後、俺はこの地位に立ち、お前の解放人類化を阻止し監視する任に就いた」

「…………俺は、俺ってやつは……本当に…………」

 もう何度目なのかも知れないが、隠されていた自分自身の真実を聞き入れた後、改人はまた胸の内を強く引き締められてしまった。それは、これまでの逸輝の存在が改人自身を生き長らえさせてきたことへの言葉にできないほどの感謝。そして、これからも続くはずだった平穏の未来を壊してしまったことへの、不義に近い感情だった。そうして改人は、調和の流れに大きく逆らっている自らの意思の選択に、また歩みを止めてしまいたくなる。

「……この際だ、お前も一つだけ答えろ。お前にそんな度を超えた能力があるのなら、月満にその能力をかけて、ここから難なく出られただろう? それに閉鎖されたゲートも、簡単に開くことができたはずだ」

しかし、それでも――今は、逸輝が繋ぎとめてくれたこの今と共に、携えた意志を、明日の未来へ。そして改人は、自分自身に再確認するように、穏やかに逸輝へと返答を返した。

「皇女守護者のランスロットとじゃなく……御ヶ条逸輝と交わしたかったんだ。心の内側の……本当の言葉を」

「っ……………………」

 改人の言葉を聞いて、逸輝はまたわずかに表情を曇らせた。逸輝にかかった能力を解除した後で改人は、MPの稼働場へと続くロックの掛ったゲートを能力で解放。ゲートには何重にも扉が重なっており、いかに物理的な解放意思で壊すにしても、そうとう骨が折れそうに思えた。

「改人……本当に、この先へ進むのか……? MPの稼働場にはまだ数多の皇室守護者と、シュバルツが待ち構えている……」

「あぁ、それでもだ……約束するよ。俺は死なない。絶対に、お前が繋いでくれたこの命で、あの日の約束を果たして――そして未来を変えてみせる。だから逸輝、俺に負けたからって凹んでる場合じゃないぞ?」

最期に口元に軽やかな笑みを作ってみせる改人へ、不意に逸輝は、自分の右腕を目元に被せ、表情を隠す。

「それは、こちらのセリフだ……失敗など、絶対に許さないからな……」

 返ってきた逸輝の声は、珍しく震えていた。というより、そんな風に喋る逸輝の声を、改人は初めて耳にした。逸輝が今どんな表情をしているのか、改人はそれが無性に気になったが、しかし振り返りはせず、優理と共に稼働場へと歩みを進めた。


 改人と優理が消えた後で、逸輝は自分自身の気持ちと、改めて向き合わなければならなかった。ランスロットであることをやめた逸輝には、まだ一つだけ、改人に打ち明けなければならない秘密があった。それを彼に、告げなくてはならないと――そう直感で感じた。

「ふふっ、……あいつがどんな顔をするか、今から楽しみだ」


「『侵入者の進行を確認! 侵入者の進行を確認! 依然こちらに接近中! まもなくMP稼働場に到達! 速やかに人員は第一級戦闘配備に……』」

いよいよマザープログラムが、最終警告の通達を始める。科学者は慌てふためき、エージェント達はこれから行われるであろう戦闘の準備に入る。そしてシュバルツはその不測の事態にランスロットの守りが崩れたことを悟るが、どうしてもその事実を受け入れきれない。

「バカな……ランスロットが……破れたというのか……!? たった一人で、この国の軍事勢力にも匹敵する皇女守護者の一角が…………!! 一体何をやっているのだ、ランスロットは……!!」

 科学者の一人が、シュバルツに駆け寄り、あの空間での事態を、ありのままに伝える。

「映し出されていた映像では……初めはランスロット様が侵入者の一人を圧倒していたのですが……一般人のはずの男が突如解放意思を使ったらしく、ランスロット様はその直後から、解放意思が使えなくなってしまわれたようです……」

「……無力化したのか、ランスロットの解放意思を……!?」

「その後にロックの掛けられているはずの最終ゲートを解放意思で開きこちらに向かっています……! 無効化の能力と断定するのは、危険かと…………」

「ええい!! この役立たずどもが!! それを調べるのがお前達の使命だろう!! もういい!! こちらも全力を持って対処するまでだ!! 侵入者どもがここに出現しだい、MPに『あれ』を作動させろ!! それで奴らも、ただの猿になり下がるのだ!! その後に、どうとでも処理してやればいい!!」

「しかし……あれはまだ試作段階……操りきれる代物ではありません……!! こちら側へも影響が、デメリットが、大きすぎます……!!」

「そんなことは問題ではない……!! 性能自体はすでに完璧と言っていいほどの完成度だろう!! あと六分、六分足らずだ! それでこの県域はMPの完全洗脳によって保管されるのだ! 全ての責任は私が持つ!! 無効化システムを作動させろ!! 何をしてでも、この宮代の意識を掌握するっ……!!!」

「……は、はいっ…………!」

 科学者はそう言葉を返すと、白衣を翻し、自分の持ち場に戻っていった。禁じ手を使わなければならない程、シュバルツは必死だった。この国最強の戦闘兵器と言っても過言ではない、皇女守護者。存在そのものを秩序の保持と呼べるほどの、ランスロットが守護するこの仙帝支部の守りが、謎のテロリストによって突破されてしまった。絶対無敵の存在の敗北など、それがいかにシュバルツであっても、想像することはできなかった。

「そう、私だ……この宮代で私がやらねば誰がやる……命に変えても秩序は私が守らねば!!」

 シュバルツが決意を口にしたその時、シュバルツの視界の先一メートルほどの高さで一瞬、バチリと火花が縦一直線に伸びる。そして火花は一筋の閃光となって火花を伴いながら空を裂き、空間に出口を作った。そしてその中から――改人と優理が現れる。

「…………随分派手な登場だ。それが、時間旅行と言うヤツか?」

「そんなこと、教える義務も、義理もないよ」

 平然とした態度で、動揺を隠しながら語るシュバルツに、優理は短い言葉で受け流す。

「フン、丁寧に教えて貰おうなどと考えてはいないよ。篠崎改人……どのような手段で解放意思を手に入れたのかは知らないが、ランスロットを倒してしまうとはね……しかし皮肉な話だ。一国の秩序を歪めてしまうほどの強大な力など、この国は望んではいないのだから」

「初めから、お前らに理解してもらうつもりなんかない。俺は自分の世界を守るためじゃなく、変えるためにここに来た……!」

「……まぁいい、どの道私が何を語った所で、君たちの未来はすでに閉ざされたのだから……この先に待っているのは裏切り者の末路だけだ、やれ!!!」

 シュバルツが鋭い剣幕で指示を下した直後、塔の形状を模しているMPは全身を赤く点滅させ、その広大な地下空間は、耳障りな電磁波に包まれる。

「無効化システム!? 五年前のこの時代に……もう完成していたの!?」

 驚きを隠せず、声を荒げる優理。無効化電波がもたらす負荷に耐え切れず、すぐに自分の頭を押さえこんでしまう。自分の頭の中を酷くかき回されるような、そんなイメージ。味わうのが初めてでないからと言って、耐性があるはずもない。頭を押さえたままかろうじて瞳を見開くと、数十人はいる敵のエージェント達も、自分と同じく苦しんでいる様子が覗えた。そしてその様子は、目の前のシュバルツにも見て取れる。しかしシュバルツは苦悶の表情を浮かべながらも、すぐに狂気にも似た歓喜の声を上げた。

「残念だったな、すでに手遅れだ。今から五分後……この宮代全域の上空へ数多の流星が降り注ぐ。その時のMPの深層心理への洗脳で、この県域の意識は完全にMPの支配に落ちる……この洗脳からは逃れるすべも回復する手段も存在しない……!」

そしてシュバルツは胸元から一丁のピースメーカーを取り出すと――優理にその銃口を向ける。

「全く、母の規律を乱す反乱分子……逆賊めが! 面を合わすことすら腹立たしい……!」

 修羅のごとく優理を睨みつけながら、あとは引き金を引くだけの右手の人差し指に力を込めるシュバルツ。成す術のない優理にとって、その瞬間はまさに絶体絶命に思えた。

「っ…………!! …………え!?」

しかし優理は、次に目の前で起きた異変にまるで理解が及ばなかった。シュバルツが持つピースメーカーにバチリと一度、微弱な火花が流れたのだ。よく見れば、優理の傍らに立つ改人だけが唯一、真っ直ぐに前を見据え毅然とした態度で構えている。

「何……!? 貴様っ……今何を……! 私の銃に何を……!!」

「残念だったな……その銃は今、機能としての矛盾を抱えた」

シュバルツが引き金を引くと銃は――弾丸を発射する役割を果たせずに、構造の内部崩壊を起こし、鉄くずと化しながら床へと離散してしまった。

 改人の解放意思が依然効力を有していることに動揺を隠しきれず、ついに声を荒げるシュバルツ。

「バカな……貴様! なぜ解放意思が使える!? この空間は、無効化システムで全ての解放意思の発動を規制しているのだぞ……!!」

優理もシュバルツと同じくして、問わずにはいられない。

「改人!? どうして……MPの無効化システムが効かないの!? いくら改人でも、無効化システムを使われたら――」

「未来の俺がくれたのさ。俺に、解放意思をかけた」

――これは俺からのとんでもない餞別……ある一つの手段への耐性さ。役に立つどころじゃないレベルのな……!

 五年後の改人の意識が改人と繋がり、そして何を得たのかも、改人の意識に流れ込んできた情報の一つだった。現実世界へと帰還し、未来の自分が改人にもたらしたものがMPの『無効化システム』への耐性だったことを知った後、改人は本当に、役に立つどころではないとそう思った。まさに二人は表裏一体と化し、未来の自分が唯一攻略しきれなかった敗北への根源を、打開策として手に入れた。さらには自らの解放意思の情報、発動の感覚、実戦経験まで、未来の自身と知識を共有。例えるなら――ゲームを終えた後のセーブデータをそのまま引き継ぎ、二週目に突入する感覚だろうか。もっともバットエンドでデータを引き継げるゲームなど、存在するかなど定かでないが。

改人は、確信を持って自らの心の内に告げる――今こそが、革命の時だと。

 改人は後ろを振りかえり優理の肩に手をそえると、解放意思を使い、優理にかかっている無効化システムの効力を打ち消した。優理は一瞬えっ……と短く声を上げた後で、ありがとうと言葉をかけ、改人と同じく毅然とした態度で、マザープログラムを見つめ直した。そして改人はゆっくりと、しかし確かな足取りで、マザープログラムへと歩みを進める。シュバルツは必死の形相で改人の行く手を阻もうとするが、その刹那に改人の解放意思が火花を散らすと、彼の体は意に反し、そこから一歩も動けなくなってしまう。

「くっ、一体なんだというのだ、この能力は……!! 体が前に……進まない…………!!!」 

「改人の解放意思の能力は、この世界の理がもたらす効果の『影響』の反転。進もうとする者の歩みを止め……灼熱の温度を絶対零度に変え……空を裂く戦闘機を地にたたき落とす……!!」

 騒ぎ立てるシュバルツではなく、優理は視線の先の改人の背、そしてMPを見つめながら異能の力の働きを思い描く。今宮代に訪れようとしている、変革の未来に思いを込めて。

「自らの世界の改変を願う改人の解放意思は……自分自身にはかけられない。だからそれは本当に、自身の見渡す限りの世界を変えるための能力……未来の日本国を革命前夜に導いた、MP結社がこの国で最も恐れた解放意思――反転国家(ランドリバース)……!!!」 

「この世界の……法則を反転させる能力だと……!!? バカな、そんなことがっ……!!!」

 秩序に対してこの場の誰よりも命を賭すシュバルツにとって、改人の能力を受け入れることもまた不可能だった。MPの無効化システムの超音波は、いつの間にか鳴りやんでいたようだったが、解放人類であるエージェント達どころか、真人間の科学者達ですらも、苦痛の表情を抱えおののいている。

「……まぁ残念ながら、お宅のランスロットさんと殴り合ったせいで、もうほとんど立ってるのがやっとだ。脳の許容限界ってやつか……残念ながら、MPを、破壊することはできない」

「……なんだと…………!?」

「……改人……?」

 シュバルツと優理は、ほとんど同じタイミングで言葉を口にした。ならばこの状況をどうするのかと。目前のMPに、一体何をするつもりなのかと。

「それにMPがこの国を支えていることも確かな真実……だからどのみち、MPは破壊しない」

 そう言うと改人は、目の前にそびえ立つ巨大な頭脳核、MPに向かって右の掌を添えた。

「貴様っ……! 一体何を……!!」

「マザープログラム『耐性効果』――反転……!!」

 シュバルツの言葉などすでに気にも留めず、改人がMPへ自らの解放意思を発動すると、母の足元から天井へと、長い火花が走った。改人の反転国家はMPが備える耐性効果の『ルール概念』に干渉し――なんとか『MPへの解放意思攻撃を無効にするプロテクト』、その機能停止に成功する。

「っ……さすがMP……能力一つ掛けるのにも、かなりの精神力を消費する……けど、これで準備は整った。これはおそらくシュバルツ、あんたと五年後の俺の、中間の選択だ。ひどく中途半端な答えかもしれない……だけどこれが俺自身の意志で選んだ、俺だけの答えだ……!!」

 決意の言葉を自分自身に刻み込んで、改人は右手のひらをMPへと添える。そして己が願いを果たすため、解放意思でMPの統治概念へとルール改変を訴え始めた。


「――――っ、うおおぉぉぉぉっ………………!!」  


改人の右手から何度も、MPへと激しく火花が伝っていく。MPはさらにうるさくウー、ウー、と警告音を発信し騒ぎ立てながらも、その体表を底辺から徐々に紅潮させていく。MPは今にもオーバーヒートしそうな様相をみせたが、それを起こしている改人も、すでに脳が活動限界に達しかけていた。やはりMPの統治ルールへの干渉はそう簡単になせる事象などではなく、介入難易度はゆうにSSSランクとでも呼ぶべき最高ランクに該当するだろうと思われた。それを初陣に、もろもろの障害を越えた後のこの状況であり、その脳の負担は、当然のごとく過大なものとなる。今にも意識を失いそうな極限の中で、それでも自分の使命を全うするために改人は、命を賭して望みを成そうとしていた。

(ここから、変わっていけるはずなんだ。絶対にやり遂げる……! その先の未来でなら、きっと俺は……自分自身を認められる! この革命が、俺のやるべきことなんだ! だから……!!)

改人の内の改定意識の訴えと、MPの統治概念が備える規律の抵抗力。その二者間の精神戦の戦局は、赤く紅潮していたはずのMPが、徐々に上空部分から状態を元に戻していく様から明らかだった。このままでは、MPに反転国家を発動することは叶わずに、改人は力のすべてを使い切ってしまう。自分は、未来の改人が成し遂げられなかった、革命の意思を託され今ここにいる――絶対に、この革命を成し遂げなくてはならない。しかし現実は無慈悲に残酷に、改人が遂げなくてはならない未来への一歩を奪おうとする。もうほとんど、どうすることもできない。

「ちくしょう……! 俺は、こんな所で……くっ…………!!」

 己の無力さを痛感して、思わず両目を閉じる改人。すると――。

『カラン。カラン。カラン、カラン、カラン――』

 酷く聞き覚えのある音色に再び両目を見開くと、また徐々に体表を紅潮させていくMP。目を丸くし背後を振り返る改人。

「あの時とは違う……! 解放意思が使えるなら、私も改人を支えられる! 始まりの、革命を起こそう……一緒に……っ!!」

 周囲への認知が皆無に等しかった改人は、改人の左肩に両手を乗せ、共にMPに改定を訴えかけている優理の姿に、今やっと気づく。意識の活動限界が、超過されていくのを感じる――驚くべきことに優理が首から下げたベルは現在の改人の精神意識とリンクして、優理との改定意思の共有を可能にしていた。優理も自らの解放思力を反転国家へ変換し、改人の活動限界を補っている。

「私はほとんど……何もしていないから……! 能力いっぱい、使えるよ……っ!!」

 柱の紅潮面積が三分の一程度だったMPは、一気にその面積を八割ほどまで赤く染めていく。しかし、頭脳核まで残りわずかの高さからまた、上に染まることなく止まってしまう。

「そんな……あと少し……もうちょっとなのにっ……!!」

「……さっきのプロテクトを解いた時とは訳が違う……っ!! それほどまでにMPのルールへの干渉は、真理に反することなのかっ…………!!」

 赤く染まった制圧面積はあと一歩のところで、また徐々に低下していく。もう本当に、成す術がない。

「……お願い、誰か……! 力を、改定のための、干渉の意識を…………っ!!」

 優理は、来るはずもない誰かに助力を求める。当然のように、エージェント達がそれに加担することはない。そもそも、さきほどの無効化システムのせいで、解放意思をろくに使えないのかもしれない。

「くっ……うぅっ…………!!」

 改人はもう、訪れもしない誰かに助力を願うことしかできなかった。まさにそれは神頼み。もう本当に、それしか自分にできることはなかった。しかしこの状況では気休めにもならないことを自覚し、悔しさと無力感から両目を閉じる。

「――改人っ!!」

 再び、奇跡が輝きを帯びて訪れる。優理がまさに、神を見たような、そんな歓喜の声を上げ、改人が天上を見上げるとMPは、また徐々にその制圧面積を赤く染めていく。

「……どうした、ピンチか司令塔?」

 背後にはなんと、光り輝く粒子をまといつつ、りりしい二枚目を顔中あざだらけにしたまま、クールな笑みを崩さず逸輝が立っていた。逸輝は、今まさに改人の右腕のように。優理と対になるように改人の右肩に左手を乗せ、改人に助力しようと身構える。バチリと手の甲から火花を走らせ『読心』の能力で状況を把握。なるほどな、と呟いた後、

「ならばこんなのはどうだ? 自身と他者の脳内メモリを共有する解放意思――『思考接続(コネクト)』」

 逸輝が再び左手から火花を散らせる――すでに、口元の笑みを隠さずに。

「まったく、大方こんな所だろうと思った! やはり俺がいないと、何もできないなお前は!」

「ははっ……! 知ってんならもっと早く気やがれ、遅すぎだろ…………!!」

「何を、呼ばれてもいないのに駆けつけたんだ。優秀な参謀だろう、俺は!」

「――あぁ、全くその通りだよ! それじゃあ、最後の一手を指すとするか……!」

「ありがとう逸輝! やっちゃえ改人、いつでもいいよっ! いっけぇぇぇーーっ!!」

 そして例外思考の篠崎改人は――真に革命家を志す。この非理想郷(ディストピア)を、すべての国民の理想郷(ユートピア)へと変えられるような、そんな愛と平和の革命家であることを望んで。没個性でありながらも自らの世界の、ただ一人の主人公として。

「――マザープログラム『統治概念』、反・転!!」

 改人の反転国家の完全発動の後、MPはその一面を赤で染め上げ、次の瞬間、爆発を起こしたのかと思うほどのまばゆい、赤く輝く光を放った。


そして――まさにその時、宮代の全ての夜空を、幾多もの流星が降り注いだ。


流星たちは、改人がたどり着いた問いへの答えを電気信号で――宮代中の深層意識へと伝えていく。その思いは、改人のパートナーの優理に。今まさに右腕として力を貸した逸輝に。改変の全てを否定するシュバルツに。今はもう床につき伏せるエージェントと、科学者たちに。先ほどまで、油絵を一心に描き続けていた絵美に。テニスのラケットを握り、心の内で思いと語り合う彩夏に。この仙帝の人々に。そして――宮代全域の国民に。人を縛る全ての規律の代わりとなり、一つの思いが意思となってそれぞれの深層心理に刻み込まれる。

「…………この意識は……思いは……改人の…………!」

優理は不思議そうに呟いてから、頭の中に語りかけてきた意識、それが改人のものだと理解した。

「これは嬉しい誤算だな……わざわざ俺の、胸の内の言葉で訴えかけてくれたのか」

逸輝は笑いながら軽やかに、改人に称賛を贈る。

「ふっ、はは。なるほど。やってくれたな改人、これは確かに革命だ……!」

「ランスロット…………どういうことだ!! 貴様、MP結社を裏切るのか…………!!」

「すまないなシュバルツ氏。俺は自分の本当の願いには、抗うことができなかった…………俺は今この時をもって、彼の革命組織の一員だ」

 逸輝の迷いのない表情のあまりのすがすがすがしさに、シュバルツは破顔しながら言葉を失う。唖然として立ち尽くした後、己の意思で改人を問いただす。

「貴様っ……! 一体MPに何をしたのだ…………この国が、どうなってもいいのか!!?」

「そんなこと、はなから思っちゃいないさ。俺は、この日本国を想う愛国者だ……俺が反転させたのはMPの、人々を束縛するルール――それを自由意思の選択へと変えただけだ。固定概念に囚われることを不義とする強力な洗脳、と言ってもいいか。これからこの宮代の人たちは、母の機械に可能性の提示を受けながら、自分の意思で悩み、迷い、葛藤して選択した未来へと歩みを進めていく。MPは、何も悪くなんてなかった。正すべくは、人々の選択の自由を奪っているMPの意思決定権……それを解き放つように、改変させてもらった。言うまでもないが、このメッセージは深層心理への完全洗脳だ。もう後から書き換えることはできないぜ」

「何を勝手なことばかりを……! マザープログラムのおかげでこの国は安定を、世界の均衡を保っている!! 人は弱い……!! 些細な困難ですぐに立ち直ることができなくなる!! 答えを見つけられずに何度も同じ所ばかりをさ迷い歩いている!! MPはその安定装置なのだ、規律の改定などその資格と権利を持つ者以外に、断じて認められない!! 檻籠の中で限られた安定を保ち進む未来をこの国は選んだのだ、お前のやったことはこの国を、MPが支える以前の暗黒時代に戻してしまうきっかけになりかねないのだぞ!!」

 シュバルツの言葉は途切れない。我を忘れてただ怒りの感情をあらわにしている。

「……楽だろう……幸せだろう…………! 全てMPが決めてくれる!! 迷う必要も……苦しむ必要もない……!! その何がいけない…………!!」

「……全然ダメだよ…………!」

 優理が、シュバルツの言葉を否定する。そして自分の意志を言葉で、ありのままに語る。

「この世界に完璧な答えなんてない……だから人は、自分だけの答えを探すんだよ……!!」

「確かに人は弱い。けれど信じ、願い、挑み続けた先の未来で、限界の壁を越えていく……!!」

 優理と逸輝の意思、その最後に、改人が自らの内の問いへの答えを――目前のシュバルツへと告げる。

「この国は忘れている。人が人である限り、一番大切なことを……! 価値は、喜びは、悲しみは、選択は、答えは……それは、MPに与えられるものじゃない……!」 


「――未来を決めるのは、いつだって自分自身の意思だ!! それは誰も代われない!!!」


 改人はむき出しの心で、ありのままに告げる。未来の自分の言葉で取り戻したその意思を、この革命の今へと刻み込む。それは改人がMPに託した、この国への自分だけの答え。生まれて初めて自分自身の答えにたどり着き改人は僅かに、未来の自分に近付けたような気がした。そしてそれが嬉しくて、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。

「ふざけるな……! 認めん、認めるものか…………!! それは子供の理想論だ!! そんなもので自由に生きていける程、この世界は甘くはない…………!! 貴様ら、何をしている!! 侵入者を捕えっ…………!!」

必死の形相で後ろを振り向いたシュバルツは、語り尽くさぬままに言葉を失ってしまった。改人達を否定するのに必死だったシュバルツの振り向いた視界の先では、エージェントたち、科学者たちですら、床に崩れ去って、全員意識を失っていた。

「な…………お前たち、なにを悠長に寝て…………!!」

「無効化システムの代償は、かなりデカかったみたいだな。まぁ、あんたが見切り発車してくれたおかげで、こっちはずいぶん助かったが」

 そのありさまに改人がコメントを付けると、シュバルツは再びこちらを睨み返して、腹の底から憤怒の言葉を吐き出す。

「ふざけるなよお前達……!!! 必ず後悔するぞ……! MP結社に歯向かって、ただで済むと思っているのか!!?」 

「初めから、分かってもらおうなんて思っちゃいない。俺は、俺達は、この時に耐え難い幾多のものを失って……代わりに唯一を手に入れる。けどその唯一つは…………いつかこの国を変える為の、かけがえのない意思だ……!」

「っ、貴様はっ……!」

 シュバルツの言葉を許さず、改人は続けざまに自らの意思をぶつける。もう誰にも――彼らを止めることなどできない。

「今なら分かる。俺はこの時を……自分自身を誇れる。この国のはみ出し者……例外思考だったから、逸輝と出会えた。優理が俺の元にやってきた。俺自身と向き合って……答えにたどり着くことができた。俺が俺であったから、この今がある。そうやって俺は、俺達は…………! 自ら未来(あす)へ、進んでいく……!!」

 決意の後に改人は、シュバルツに反転国家の能力をかける。歪んだ形相に火花が散って、シュバルツの意識はまどろみへと誘われる。

「…………貴様ら…………はっ、間違って、いる…………正しいの、は…………」

 そう言ってシュバルツは、静かに床に崩れ去った。改人はできるだけ平静を装って、優理に指示を促す。

「優理。一応こいつの記憶を、ある程度過去に巻き戻してほしい。どれくらい遡れる?」

「うーんそうだね。とりあえず、30年分くらいは巻き戻しとこっか」

「いや……一ヵ月くらいでいい」

 改人の遠慮気味な返事を聞くと優理は、「えっ、それだけでいいの?」と不思議がりながらシュバルツに意識下の時間旅行をかけた。遠巻きに「すさまじい能力だな……?」と呟く逸輝の意見に、改人は目を点にして無言で同意するのだった。


 MP結社仙帝支部での戦いを締めくくった三人は、優理の零時間旅行(瞬間移動と同義)でMP結社から離脱し、優理お気に入りの、あの裏山に瞬時に移動した。辺りはすっかり夜の闇に染まっており、月の光が淡く、改人達を照らし出す。月は見事に、満月の円を形作っている。

「ここは……?」

「逸輝、ここは私のお気に入りの場所なの! なんたって改人が私にプロ……」

「いいから、その話は今いいから!」

 改人が瞬時に釘をさして、優理の暴露話を食い止める。

「まぁ、なんにしてもだ。――さて、これからどうする??」

 逸輝が真新しいと言った風に仙帝の夜景を見渡しポツリと、そんなことを問いかける。その言葉の意味を、改人は容易に理解できた。これから自分達は、今までの日常の全てを失い、危険だらけの非日常と戦っていかなければならないのだろう。親族の助力を失い、気の許せる学校の友人との繋がりもなくし、それでも前に進んでいかなければならない。日常から外れた明日を思うと当然のように不安は押し寄せてくるが、それでも一体、なぜだろう。改人から窺える逸輝の表情は、これまでにないような、とても真新しく、清々しいものに映る。その表情を目にした後で改人は不敵に、当然のように答える。

「じゃあ逆に聞くぞ? 今の俺達に、できないことなんてあると思うか?」

「……言ってくれるようになったな。確かに、それが今の俺達への、唯一の正解だ」

改人の意見に同意して、逸輝は快く笑って見せる。

「ありがとう二人とも……心の底から感謝します。……本当に、ありがとう」

優理は改まっておじぎをしながら改人と逸輝に深く感謝の意を伝える。すると、いや、礼なら改人に言ってくれと、逸輝はそんな言葉を優理に返した後で、

「……改人、お前のおかげで俺はこれから自分の思うままに生きていくことができそうだ。そこで――この場に際し、秘密は全てさらけ出してしまおうと覚悟を決めた」

「え? 秘密ってなんだ? ランスロットとして自分自身を演じていたことがお前自身の最大の秘密なんじゃないのかよ」

「どことなく伝わらないか、その、例えば……声色が可愛くなっているというか」

「ん? うん、確かに、以前よりだいぶ丸くなったような……?」

 厳密にいえばデフォルトの状態が学生の逸輝、ランスロット状態の逸輝はキレがあり鋭さがあったが、今の逸輝には……可愛さがある。極度の疲労で思考が揺らいでいるのかもしれないが、言語化するとそうなるような、と改人は思う。こんな逸輝は見たことがない。

「身体にしても……以前より丸みを帯びていると思いはしないか」

「あっ確かに、肩もなんだかなで肩で、胸元も気持ち膨らんでいる気が…………いや、まてまてまて」

 そんなはずはない。これまで育んできた男同士の熱い友情は――本物だったと思いたい。

「頼むからこれ以上俺の脳を破壊しないでくれ。逸輝、お前は『男』だ」

「確かに、信じられないのも無理はない。俺……こほん、私の演じる能力の精度は神がかっているし、解放意思の手数も含めると完全犯罪に近い」

自身の技量を犯罪とまで例えた逸輝は、次に改人の右手を自分の肩の上に乗せて、

「再度の反転国家で無効化にすれば明確だろう。改人、もう一度、一時停止だ」

もう後には戻れない改人が逸輝に言われるがまま「反転」とだけ呟くと、逸輝の身体に火花が走り、偽身神器が無効化されたことを示した。

「ちゃんと無効化されているな……よし」

すると逸輝は何を思ったか――ためらいもなく、自分の衣類を脱ぎだした。

「お、おい……!」

「わわっ、ちょっと落ち着こうよ、逸輝」

不意に見てはいけないもののような気がし、視線を逸らす改人。改人同様に目を点にして傍観していた優理は、逸輝が白シャツの第二ボタンをはずした時点で彼(暫定)が心配になった。身を乗り出して逸輝を落ち着かせようとしたその時――優理には見えてしまった。彼女(確定)の胸元の、白いスポーツブラと、それに包まれた女性特有の膨らみを。下は黒めのボクサーパンツだったが、上にカモフラージュは効かなかったようだった。優理の目はまた点に戻り、物言わぬ石像と化した。そして、

「さぁ優理には真実を見せた! あとはお前だけだ! 改人!」

 そう言って、背を向けた改人にこちらを向くよう促す逸輝。しかし改人には、どうにも後ろを振り向く勇気が出ない。この場ですぐには、平静を取り戻せそうにない。

「分かった、もういいだろ逸輝。事実確認は優理が済ませたみたいだし。これからのことは後々相談しよう、な?」

「駄目だ、お前自身の目で真実を受け入れろ! できなければ何も始まらない!」

 逸輝の正真正銘の覚悟に、応えなければならないと思い始める改人。確かに、宮代を救った直後がこの艇足らずでは男としてあまりにも不甲斐ない。そう考えて改人は覚悟を決め――逸輝の前に振り返った。

「……どうだ、これが演じることをやめた、ありのままの私の姿だ。何か、言うことはあるか」

「あ、あぁ……整ってて、すごく綺麗だ」

 改人の視界の先には、逸輝の女性としての一糸まとわぬ、ありのままの姿があった。適度に引き締まったスレンダーボディは理想のラインが美しく曲線を描いており、まるで絵に描いたような美しさだった。胸元は控えめともとれるが、整った見事な形をしており、それが美しさに磨きを変えているようにも思えた。

「それは改人! 今お前に見えている私が、女性と認識できるということか!」

「間違いようがないだろ、下はついてないし、上はちゃんと膨らんでるし! お前はちゃんと一人のレディだよ!」

 目線を逸らしながらの改人の言葉を確認すると、逸輝はよし、と小さくつぶやいた。そして脱ぎ捨てていたワイシャツで体を隠した後、また改人に詰めよった。

「さぁ、確認がすんだのだから反転国家の解除だ! 忘れると後々面倒だからな!」

 そう言いながら逸輝はまた改人の手を引いて自分の肩に手を添えさせてきた。改人は言われるまま「反転解除」と告げ、逸輝からその能力を解く。

その後、改人に男性として接していた理由を逸輝は語った。

まず厚生施設で改人と同盟を組んだ当初、改人は逸輝を男性と認識ていることが明白だった。当初、同姓であるほうが共闘しやすいと考えていた逸輝だったが、結局真実を打ち明ける機会を失いそのまま離れ離れになった。その後陽南高校で再会した際、MP結社の規律の闇から改人を守る条件として、皇女守護士の役割を担っていた逸輝。彼女はエージェントとしての任務に支障がでないよう、自身の女性としての『ある感情』を押し殺すため――同姓として親友のポジションを取り、昨日までを過ごしてきたようだ。思い返してみれば改人は、同姓として逸輝の裸どころか、半裸も見た記憶がない。学校生活においてすべての場面を、見事さばき切っている。

「さて改人……まだ意識はあるな。大本として私には女として諦めた一つの願いがあった。ランスロットを辞め女を取り戻した私にはそれを願う権利がある、間違っていないな?」

「あ、あぁ。それはそうだよな、びょうどうのけんり? だもんな?」

 いつぞやにどこかで似た体験をしたような気がしなくもない改人。混乱しながらまさか、と懸念を振り払いたい気持ちでいっぱいだったが、

「私の女としての願いは、改人、お前を人生の伴侶にすることだ! さぁ、合か否か!」

 次の瞬間に逸輝は、勢いまかせにそんなことを言ってしまっていた。見れば、さすがに恥ずかしいのか、整った顔が少し赤らんでいるのが分かる。

「合否……ごうひって……お前、」

「結婚するかしないかということだ!」

「え、」「――ええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?」

改人はとっさの感情を言葉に変えて叫びたかった。しかしそれよりも早く優理が驚嘆の声を裏山中に響き渡らせてしまう。そしてそのタイミングでついに、

「もう、好きに……してくれ……」

改人の身体と精神――その両方が限界をむかえたのだった。


 次に改人が意識を取り戻した時、それは優理の膝の上だった。どうやら三十分ほど意識を失っていたらしい。優理の表情から察するに、彼女の思考はまだ停止中のようだ。

「……明日の十七時に、仙帝駅の中央時計広場に集合だって。逸輝からの伝言だよ」

「そうか、ライバル出現だな……ちなみに、勝算はあるのか?」

いまだ同様に理解が及ばず、まるで他人事のように聞いてみる改人。

「急展開過ぎて思考が追いつけないよ……勝算はあるけど」

上の空ながらも自信のほどはあるようだった。仕方がない、急には片づく問題じゃない、と深呼吸をしてひとまず自分自身を落ち着かせる改人。そうした後で、再び仙帝の夜景を見渡す。夜空にあわく光る月は確かに、正真正銘の満月だ。そして同時に改人は、優理の願っていた、『夢の一つ』を思い出す。

「ほらよ、と」

 改人は優理のブーツと自分の履いているスニーカーに、解放意思をかける。

「えっ? どうしたの改人、わわっ??」

「約束したんだろ、俺と。革命が成功したら二人で、夜の街を飛び回るって」

「あっ…………改人、覚えててくれたの?」

「靴に能力かけて反重力状態だから、空飛べるぞ。いい気分転換にもなる。ほら、よっと」

 改人はぴょんと飛ぶと、そのまま宙に浮いて見せる。それを見て優理は、目を輝かせる。

「わーほんとだ凄い、むちゃくちゃだねー、改人の能力は!」

「はいはい。それじゃあ行くか、夜の終わり、その果てにまで」

「……うん、行こう改人。夜の明けるその瞬間まで……!」

 改人は優理の手を取って夜空を舞い、高層ビルの立ち並ぶ摩天楼を、自由自在に、縦横無尽に飛び交っていく。本当に、どこまでも行きたくなる。どこへでも行ける気がする。そんなことを、思いながら。 


――この夜が続く限り。二人の、夜間奇行は終わらない。 



■ エピローグ   目覚めの声


仙帝駅前の時計広場は、今日もにぎやかに人で溢れ返っている。改人がMPを改変させた昨晩のできごとがまるで嘘であるかのように、街はいつもと変わらない日常を謳歌する。

現在時刻にして十六時四十三分、改人の旧式の折り畳み端末には、絵美と彩夏から、いくつかのメールと着信が届いていた。同じく優理のオレンジ色のタッチパネル式端末にも二人から連絡が来ているが、それに応じることなく、改人は優理と共に、二人の訪れを待つ。

昨晩、逸輝と別れた後の改人と優理は、仙帝の夜の摩天楼を、心ゆくまで飛び交った。そして夜の終わりを告げる日の出を見届けた後、とある高層ビル屋上の一角にてどちらともなく、落ちるように眠りに就いてしまった。そして改人が次に目を覚ましたのが本日の十六時過ぎ、そこから優理を何とかたたき起こし、寝過ごした、出発までそんなに時間がないと二人であたふたした後、アパートへと瞬間移動し、自らのリュクサックに必要最低限のものだけを詰め込んだ。そして家族のことを少しだけ考えて、現在の心境を簡単な手紙として綴った後、改人は絵美に、優理は彩夏に、「今日の十七時に、二人だけで仙帝駅前の時計広場に来てください」と、短く文面で連絡を送ったのだった。

意外にも現在のところ、改人たちが大騒動を巻き起こしたMP結社に、目立った動きは見られない。優理いわく、事件の規模が規格外すぎるせいで、公にできないのかも、とのことだった。せめて別れのあいさつくらいはさせてくれよ、とそんなことを思いながら改人が端末の画面に目を向けていると、隣の優理が改人、と短く言葉をかけた。

改人は優理のほうを向いた後で、彼女の視線を追う。その先には予想通り、絵美と彩夏の二人が、不思議そうな表情で立っていた。

「二人とも、どうしちゃったんですか? 心配してましたよ、クラスの皆」

「悪いな、ちょっとした急用ができてさ。学校には行けなかった」

 絵美が心配そうな表情で喋るので、改人は濁しながら言葉を返した。

「ダメじゃん二人とも、せめて連絡くらいは入れないと」

「あはは……ごめんね、彩夏」

しかし命をかけて、まさに死力を尽くして戦った後の休息なのだから、それは致し方ないことなのだと、改人は自分自身に言い聞かせる。

その後改人達は、街を歩きながらいろいろな会話を交わした。もうすぐ始まる実力テストのことや、エージェントから改人にお声がかかったこと、優理の花嫁修業に部活動の様子。そして、将来の夢。改人は、横目で二人を覗いながら、自然体を装って話題を振った。

「そういえば、もうすぐ資質調査の結果が分かるよな。ちょうど明日の放課後くらいか」

「そのことなんだけどね? 私、家業を継ぐのって大事なことだと思う。でもそれと一緒に……追いかけてみようと思うの。自分の夢……プロのテニスプレイヤーを」

「はい、私も……諦める必要はありませんよね。何をしていたって、その合間に絵画は描けます」

二人は以前とは打って変わって、しっかりとした面持ちで、そんなことを言ってみせる。

「何だよ二人とも、心境の変化でもあったのか?」

 改人が口元に笑みを浮かべながら質問をすると、初めに絵美が肯定の口を開いて答える。

「信じて貰えないかもしれませんが……誰かの声が聞こえたんです。ちょうど昨日の、流星が流れ始めたときです。どこからか不意に……未来を決めるのは、いつも自分自身の意思だって。誰も、代われる人なんていないんだって」

「え、絵美も!? 私だけだと思って誰にも言わないつもりだったけど……嘘、何の偶然?」

 二人に聞こえた天の声の正体について、改人は考えるまでもない。改人は立ち止まって瞳を閉じ、決意を強く固める。これが自分の望んだことなのだと。自らで導き出した選択は、間違ってなんかいないのだと。

「ねぇちょっと、改人。改人はどうなの?」

前を歩き話をする絵美と共に、振り返りながら彩夏は、改人に返答を求める。優理と共に改人は、絵美、彩夏と一メートルほどの距離を置いて、溢れ返る人混みの中、交差点の途中で立ち止まっていた。

「……がんばれよ絵美、彩夏。俺達、二人のこと応援してるからな」

それを聞いた絵美と彩夏は何を改まってと、意表を突かれた表情でこちらを見つめる。

「……俺達は今日、ここでお別れだ。じゃあな」 

「彩夏、絵美……またね……!」

 別れの言葉を告げる。できる限り、二人に悟られることのないように。

「ああそうなんだ、それなら仕方ないね。優理ちゃん、改人、また明日」

「ではお二人とも、また学校で会いましょう」

 そう言って二人は、人混みの中に交じって消えていく。改人と優理は立ち止まって、二人の後姿を見つめる。


「――この国を変えた後の世界で……いつか、また」


見えなくなっていく二人に、改人はつぶやく。そして二人に背を向けて振り返ると、当たり前のように背後には、ありのままの逸輝が立っていた。陽南の学生服姿で、左肩から黒のスポーツバックを下げている。その表情は、昨日にも増して生き生きしているようにも見える。

「逸輝ちゃん、でいいんだよな?」

「ああ、お前の言うとりに、私は全てをさらけ出したんだ。責任は取ってもらうぞ、改人」

「その辺りは応相談だよ、逸輝っ。改人のパートナーは私なんだからー!」

「ははっ、それなら私は改人の右腕、参謀役を担おう――時に二人とも、もういいのか?」

「ああ、十分だ。ちゃんとあいつらは、自分で未来を切り開いていけるよ。そう、思った」

「本当に、楽しかったから……だからこそ、行こう。私たちで、この国の未来を救おう」

 そう言う優理の表情も、大きな名残惜しさで満ちている。

「それじゃあ……俺達三人はこれから、この国を変えるために革命家として動いていくことになる。二人とも、覚悟は決まってるか??」

改人のリーダーとしての言葉に、確かな意思で同意する優理と逸輝。

「ああ行こう。この三人なら、必ず世界を、正しい形に戻せる」

「寂しくないって言えば嘘になるけど……それでも進むよ。チーム黒兎、結成だねっ!!」

「ん、……黒兎?」

優理が組織名を高らかに宣言すると、その名称に逸輝が不思議そうに反応する。

「まぁ、そこら辺は後で決めればいいや。とりあえず、歩くか!」

三人は意見をまとめ、彩夏、絵美に背を向けて歩きだした。今まさに、世界は変革の時へと、緩やかに歯車を回し始める。この今の――終りと始まりを噛みしめて。



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私と結婚してくれる? それともこの国ひっくり返す? にしき @nisiki0222

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