第7話 おはよう、一緒に行こう!


 コンッ、コンッ、コンッ



 真っ暗な部屋の中、カーテンの隙間から漏れた朝日の光だけが室内を照らし、僕は目をこすりながらベットから起き上がる。



「う、う~ん?」



 物音がする窓のカーテンを横に開き、ガラガラっと音を立てて窓を開けた。



 少しの雲と光に満ちた朝空、電線にとまってさえずる雀の声、冷たい空気が部屋の中に入り、僕はまだ寝ぼけたままの瞳を手で擦りながら、欠伸をして向かいを見た。



「あっ、惠斗! おはよう、朝だよ」



白い突っ張り棒を伸ばして、上半身を窓から乗り出した陽菜。




「おはよう……何してるの?」



「えへへっ、モーニングコール! 早く惠斗と話がしたくて……もう朝ごはん食べた?」



「まだ、だけど……」



「じゃぁ、どっちが速く食べれるか競争ね! 学校に行く準備ができて先に玄関を出た方が勝ち! よーい、スタート!!」



 状況を把握しきれていない僕を差し置いて、彼女は窓から姿を消すと、白いワンピースを脱いだのか、隣の部屋の窓わくに落ちていく白い布の影が見えた。



「えっ?」



 状況が把握できず僕がその場でボーと立っていると、首元に小さなリボンが付いた袖のないピンクの肌着のまま、再び陽菜が窓から顔を出した。



「早くしないと置いて行っちゃうからね!」



「ちょっと待って、まだ……」



「あっ、朝食抜きはルール違反だからね。わかった?」



「あっ……うん」



 僕の声が彼女に届く前に、ドタドタと階段を降りる音が、向かい側の開いた窓から聞こえた。



「……いまから、ご飯炊いて間に合うかな」



 そう呟き、僕は紺色のパジャマから制服に着替えると、一階に降りた。

 そしてキッチンに行き、シャツの裾をまくると、炊飯器の釜を取り出して、計量カップで米櫃から米をすくい入れる。そして蛇口の水を流して釜を洗面台に置いた。ジャーと静かに流れる水の音、流し込んだ水がが米よりも上になると手でかき回すように洗う。ジャッジャッと米粒がぶつかりあい、水が白く濁った。沈殿した米粒が見えなくなった水をシンクに流すと、再び水を入れる。

 それをあと2回繰り返す。

 4回目に流し込んだ水は透明になり、僕は釜を炊飯器にセットして、設定を早炊きに変えるとスイッチを入れた。


 炊飯器がぶぉーと目を覚ますように音が鳴り、炊きあがる少しの間、ピーンと重力に逆らうように跳ねた寝ぐせや、瞼が半開きの顔を洗った。

 そうしているうちに沸かしたケトルが止まり、お湯をマグカップに入れて、インスタントの味噌汁をすする。

 しばらくしてご飯が炊きあがると、ホカホカと白い湯気を立てた白米を透明なラップに包んでおにぎりにする。



「あちっ、あちちち」



 皮膚から伝わってくる高い温度にびっくりしてラップに包んだ白米を両手で転がし回すように握る。そして出来上がった三角ではない丸いおにぎりに塩をかけてかぶりつく。

 久々に食べた朝食はしぼんだ胃に広がって身体の内側から熱を発して温めていく。

 僕はもう一度噛り付くようにご飯を口に含み、そしておにぎりを口の中へと押しやった。



「ごちそうさま」



 釜の中を水で浸し、食べ終わったラップはゴミ箱に捨てて、僕はスクールバックを持ち、リビングのカーテンに朝日が差し込む様子を横目に見ながら玄関へ向かう。いつもと同じ場所なのに、いつもより早い、いつもと違う特別を感じた。



 革靴のローファーに足を入れるのも楽しみで、肩に背負う重いはずの鞄はいつもよりも軽く感じられた。身体を使ってで押し開ける扉も、今日は手を軽く押しただけで開く。



「いってきます」



 玄関を開けると朝のひんやりとした空気が部屋の中に入り込んだ。

 僕は顔を横に向ける。しかし、隣家の玄関に陽菜の姿はなかった。



「先に行っちゃったかな」



 すこし、がっかりした気持ちが肩の荷を重くした。自分の朝食に時間がかかりすぎているので仕方がないと思い、階段を下りていく。



「ばぁっ!」



 塀の影から突然飛び出してきた陽菜の姿。



 僕は、身体を後ろにのけぞらせて、手を肩まで上げて驚いた。



「うわぁあああぁああ!!?」



「えぇえええええええ!!?」



 同時に陽菜も僕の大きな声に驚いたようで同じようなポーズをとった。



「びっくりした」



「僕もだよ……」



黄色の通学帽子をかぶって、白いシャツにストライプがついたジャンパースカートを身に着けた陽菜、その彼女が驚き終わると両腕を胸の前で握って頬を膨らませて怒る。



「もう、遅いよ! ぷんぷん! ずっと待ってたんだからね」



「ごめん。朝ごはん炊いてなくて……」



 しゃがみこんで彼女に目を合わせる。



「ちゃんと食べてきたの? えらいえらい」



 そんな僕の頭を小さな彼女の手が撫でた。



「なにこれ……」



「えへへっ、こうすると気持ちいでしょう」



「気持ちいけど……」



 久しぶりに頭を撫でられたな心地よさと自分よりも年下の子に頭を撫でられる恥ずかしさが同時にこみ上げてきた。彼女はそんな僕の気持ちを知ってか知らないか、満開の笑みを浮かべて僕の頭を撫で続けた。



「惠斗……顔が真っ赤だよ。どうしたの? お熱ある?」



 そうやって顔を近づけて、僕の額と自分の額をくっつける。



「いや……ちょっと」



目と目が合いまるで時間が止まったかのように心臓の鼓動が遅く聞こえる。



「大丈夫、熱はないみたい!」



「うん……そうだよね」



 僕は何とも言えない表情になって口をもごもごさせ視線を明後日の方向に向けた。



「惠斗、一緒に行こう」



僕の手を彼女の小さな手が掴んだ。朝日に照らされた彼女の笑みはどこか眩しくて、僕にはまるでそれが小さな太陽のように輝いて見える。



「陽菜、部屋の窓を閉めた?」



「部屋の窓……?」



彼女は僕と手を繋いだまま首をかしげて左の人差し指で顎を押さえた。



「あっ! 開けたままだ!!」



 陽菜の手が僕から離れると、赤いランドセルが飛び跳ねるように階段を上がって行った。陽菜は玄関の扉に手をかけたまま振り返り、大きな声で言った。



「待ってて! 先に行っちゃだめだよ!」



 朝の静けさに響き渡る声を残して、彼女は扉の中に消えていった。外からでもドタドタと階段を上がる音が聞こえ、部屋の扉を閉めるとすぐに降りて近づいてくる足音が聞こえた。僕が彼女の家の前で待っていると、ふと一本のマッチが落ちていることに気づいた。そのマッチは先端が黒く変色していて使われた形跡がある。

 ライターが主流なこの時代にマッチなど使われることは珍しい。僕なんか仏壇にお線香をあげる時くらいしか使ったことがない。



  僕はそんな燃え残りが家の前に落ちているのが嫌だなと思い拾い上げた。

 その途端にマッチはボっと赤黒い光を放って燃えた。



「うわぁ、びっくりした」



 急に発火したマッチに驚き、僕はそれを地面に落とした。



「……まだ火がついていたのか? それが持ったことによって風に吹かれて燃えたのか?」



 不自然な燃え方だった。まるで燃料が注がれ爆発するかのような……



「あれ、どうしたの?」



 呆然として立っている僕を見下ろし、陽菜は玄関から外に出た。そして降りてくると僕の顔をうかがうように見上げた。



「なんでもないよ」



「そうなの? でもなんか変なものでも見たような顔をしてるよ?」



 勘が鋭い。まるで先ほどの光景を見ていたかのように指摘され、僕は口にしようとしていた話題を喉に飲み込み押し黙った。



「なんのこと?」



「うーん、きのせいかな?」



 僕から離れ道路に足を踏み出す彼女からはたき火のような、何か燃えたような匂いがした。



「恵斗、早く行こう」



 彼女に手を握られ、早朝の静かな市街地の道を歩き始める。先導していく小さな背中は自信に満ち溢れ輝いていた。



「昨日からずっと楽しみだったんだ。恵斗と登校するの」



 そう言って振り向いた彼女赤く色付いた頬で真っ直ぐに僕の目を見ていた。



「でも小学校と高校は向かう場所が違うでしょう」



「えーっ! 方向は同じだし一緒に行こうよ。こんなに朝早く出て来たんだから」



 彼女は僕の手を握ると、そのまま僕を引っ張って行く。



 その時、僕は気づかなかったけど、誰かが遠くから僕たちを見ていた。

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