第2話 赤いランドセルと黄色い帽子
帰宅する学生や部活に行く生徒で喧騒とする放課後の廊下。中性的な声が周囲に溢れ、近づいては遠ざかっていく上履きの靴音に、オレンジ色の夕日が窓から差し込み、影を落とした木々が静かに揺れた。夕日の色に染まった雲が空に止まったように流れていき通りすぎる窓枠の隅に消えていった。
僕は靴箱で上履きを脱いで外履きに履き替えると、肩に背負ったスクールバックを背負い直し、ローファーのかかとを踏まないように指で靴の後ろを引っ張ってから足を入れ、靴先をコンクリートの地面にコンコンと叩いて、かかとを入れた。革靴の固い感触を足裏に感じながら歩き出し、正面玄関の階段を駆け降りて校門へと向かった。普段と違って少しばかり人が多い校門周辺の人にぶつからないように避けながら通り過ぎて、歩道脇の灰色に黒ずんだ縁石の奥を走る車を目に映しながら、校庭を出てすぐ右に曲がると、見慣れない黄色い帽子をかぶり赤いランドセルを背負った女の子がいた。
青いリボンが襟元に結ばれた白いシャツを、覆うような肩紐付きの紺のジャンパースカート、露出した膝の下には白い靴下と水色のスポーツ系の子ども靴。跳ねる枝毛もなく艶やか黒髪は首筋まで伸びて周囲の目を引いていた。僕は横目で彼女の姿を見て通り過ぎると、何事もないように前を向いた。
きっとこの学校にお兄さんかお姉さんがいるのだろう。
通り過ぎる時、一瞬、少女と丸い大きな瞳と目があった気がした。
いつもこの場所で目にすることのないその子の存在を僕は少し不思議に思った。だけど僕も周りの生徒と同じように、日々繰り返す当たり障りのないグラウンドの草むらに転がる野球ボールのような、変わらない習慣を守るために歩き去った。
「…………」
高校生にしては軽い足音が歩き出し、僕の背後をから一定の距離を保って聞こえてくる。
偶然だろうか、後ろを振り向かず僕は視線だけ向けて観察すると、先ほどの少女が何も言わずついてきていた。
どうして僕の後を……
偶然には思えないような気がしてくる。少女が誰かを待っていたなら、その人と一緒に帰るはずだ。だけど、彼女の隣に人はいない。
背負ったランドセルの肩ひもを握り締め、うつむきながら僕の背後を離れすぎない間隔を開けてついてくる。自意識過剰な僕の思考は彼女が僕に気があるのではないかと勝手に想像してしまう。自分の思い込みの激しさは人一倍だと思うが、これは間違いなく尾行されていると考えてよいだろう。思い違いだったら……恥ずかしい。
彼女がピッタリと僕の背後をついてきたまま、横断歩道の赤信号で止まると、少女も2、3歩後ろで止まった。
信号待ちの間、車が目の前を通り過ぎる。僕と同じ制服を着た学生は他に何人かいる。だけど彼女は僕の後ろに止まった動こうとはしない。
尾行してくる確かめたほうがいいか? ここなら人がいる。変なことはしてこないだろう。だけど、もし変な勘違いで、彼女の目的が僕じゃなかったら?
そうしたら僕は高校生で小学生をナンパした変な奴って明日から学校で噂されることだろう。そんなリスクはできれば犯したくない。うちの学校はそういうことをすぐ話の種にして、いつの間にか全校生徒に広げる人たちがいる。平凡な高校生活にこりごりし、暇を持て余した学生たちにとって他人のゴシップは甘美で、人の尊厳を踏みにじっても味わいたい刺激なのだ。
あぁ、嫌だ。もし噂が広められることがあれば僕は社会的に抹消され明日から部屋に引きこもる自信がある……
しかし、このままではずっと付きまとわれていても埒があかない。
ええい、何を迷っている。男だろ。相手は小学生だ。自分よりもずっと年下の女の子を相手に、年上の自分が話しかけなくてどうする。
僕は覚悟を決めてバッと後ろを振り返る。すると僕のことを見上げていた少女とバッチリと目が合ってしまった。大きくてまん丸いくりっとした瞳に真っ直ぐ見つめられ、思わず「うっ」と声が出る。なぜだか知らないが胸が早鐘を打つようにドクンっドクンっと高鳴り、顔が熱くなる。
気づいたら僕は、横断歩道の信号が青になるとその場から逃げ出すように早歩きで少女から距離を取った。しかし、それに合わせて少女も小走りでついてくる。
どうしてついてくる??
追いつかれないようにさらにスピードを上げる。すると少女も駆け足になる。
僕は我慢できずに走り出した。少女もつられて走り出す。しかし、身体が大人になりきった僕とまだ未熟な彼女ではどんどん距離が離れていき、僕は角を曲がって近くのコンビニに逃げるように入った。
「…………」
雑誌売り場のところで読もしない週刊誌で顔を隠し、外の様子を伺う。入るところは見られてなかったようだが、気づかれないか不安だ。そうしてしばらく立ち止まっていると、少女があたりをキョロキョロ顔を動かして僕を探しながら、肩を上下させ息を切らし歩いてきた。
どうやら僕のことは完全に見失っているようだ。
しばらくコンビニの中でやり過ごそうと考えた僕は少女の行方を見守った。彼女が僕の目の前を歩いていくと、雑誌の上から覗いていた二つの視線を隠すように週刊誌を高く上げた。そうして彼女が通り過ぎようとしていた時、あたりを見回すことに意識が向いていた少女は足元にある縁石に気づかず躓き転倒した。
「あっ」
ランドセルの錠前をしっかり止めていなかったのか、蓋が開き中に入っていた教科書や筆記用具が散乱した。
僕は助けに近づきたいが、彼女に見つかってしまう。そもそもなぜ少女が追いかけてくるのかわからない。不用意に近づいたらまた付きまとわれてしまう。それは厄介で面倒に思えた。
ガラス越しに彼女の様子をうかがう。少女は涙をグッと堪えて散乱した荷物を拾うと、足を痛そうに引きずりながら立った。膝からは血が流れて、見ていて痛い。そうして歩き去っていく女の子を僕は見ていることしかしなかった。声をかけることも近寄って慰めることさえできたのに、僕はそれをしなかった。
そうして彼女が去って、手に持っていた雑誌を棚に戻し、僕はコンビニを出た。
きっとこれでよかったんだ、そう自分に言い聞かせ、少女と反対方向に歩いていく。だけどすこし、後ろ髪をひかれる思いがして背後を振り返ると遠くに足を引きずり歩く少女の背中が見えた。
それでも僕は見なかったふりをして立ち去ろうとした。だけど、その踵を返した足をもう一度180度回転させると、進もうとしていた道とは反対の方向へ足を進ませた。
どうしてそうしようと思ったのかはわからない。だけど、きっと彼女なら、優子さんならこうすると思った。
僕は一度出たコンビニにとんぼ返りするように入ると、ものの一分もしないうちに出てきて走る。
少女はきっとまだ近くにいるはずだ。手にしたコンビニ袋を激しく揺らして、顔を左右にしきりに振って僕は少女の姿を探した。
そうして息を切らして走り回っていると、しばらくして近くの公園のブランコに座り込んだ彼女の姿を見つけた。
「いた」
僕は走って上がった息を立ち止まり整えて、公園の中に入る。
そうして彼女の前まで近づいた。
「足、怪我しているけど大丈夫?」
僕の声に彼女はうつむいていた顔を上げて僕を見る。その丸い瞳に僕の姿が映った。
「あっ…………大丈夫……です」
少し涙がたまってうるんだ視線、僕と顔を合わすと彼女は驚いたのか目を丸くし紅潮した頬を隠すように下を向いた。
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