第3話 Warmth


「……? ここは……あ、あの……どなたか居ますか?」

「あぁ起きたか。おはようって言うには遅すぎるけど」


 峠へ向かう山中、火を熾し野営の準備を始めた頃彼女は目を覚ます。濡れた服が体を冷やし始めてきた。食料は無く枷がある状況。まぁ……なるようにしかならない。


「……シュンッ」


 小動物のような嚔。下手に動かれても面倒なので、抱き抱え火の側へ置いた。

 

「水を汲んでくる。粗暴な獣は寄ってこない筈だから何かあっても動くな。分かった?」

「…………ごめんなさい」

「……分かったかどうか聞いてんの。分かった?」


 額に指弾きをすると、情けない声で返事をした。湿気た香りのする方へ向かうと、予想通り川を見つけた。魚は居そうに無いが、小蟹が石の下で蠢いていた。

 私一人なら上等な晩飯だろう。


 ◇


 火の元へ戻ると、私の足音に気が付き安堵の表情を浮かべていた。恐怖感があるということは、生への執着が生まれている証。自覚はしていないのだろうが……大した胆力だ。


「よく私だと分かったね」

「……耳はいいんです。鼻も利く方だと思います」

「そうか……上を向いて口開けて。違う、もっと大きく」


 指示通りにさせ、服を絞り貯め込んだ川水を彼女へ飲ませる。少し驚きはしたが、抵抗なく素直に水を飲んでいる。佇まいこそ立派だが、質素な暮らしをしてきたのだろう。


「腹減ってる?」

「いえ……私は結構ですから……」


 木の枝に小蟹を突き刺し直火で炙る。芳ばしい香りが漂う。意地悪く彼女の眼の前で動かすと、眉が少し上がり腹を鳴らした。


「星が回っている限り腹は減る。食って寝れば明日は来る。あの子が生きたかった明日に私は立っているのならば……食うしかない。私の名前は……アルフ。アルフレイン。さて……アンタの名前は何だっけ?」


 彼女は大粒の涙を零しながら嗚咽を堪え、鼻を何度も啜りながら小蟹を食べた。


「……マクシル」

「そう、それでいい」 


【王女としてのアンタは今私が殺した。もう今までのアンタはこの世に居ない──】


 ……違うな。あれは自分に言い聞かせていたのだろう。

 誰でもいいから、私を殺して欲しかった。


「……あ、あの、足音が」

「耳がいいのは確かみたいだな。首に手をかけて……そう、離すなよ──」

「ふゃっ!!?」


 情けない声と共に、枝を伝い木の上へと身を隠す。もう少し撒いていたと思っていたが……余程この子が大切らしい。

 

「近くに居る筈だ。隈なく探せ──」


 足元と頭上は意識が届きにくい。このまま撒けそうだが、念の為蟹を刺していた木の枝を遠くへ投げた。

 釣られた連中達は音のする方へ雪崩込んでいった。

  

「落ち着くまでこのままでいるか」 

「その後は……どうするんですか?」

「峠を迎える手前……往還を逸れた藪だらけの林道を進むと、地図に乗っていない小さな集落がある。熱りが冷めるまではそこを拠点にするつもりだ」


 ソリオスへ来る前に立ち寄ったが、盗む物すら無いような村だった。幾つか空き家が存在し自由に使っていいと言われたが、苔塗れの湿気た空き家だったのでそのまま立ち去った。

 私一人なら一日も歩けば着くが、この状況だと二日半は見ておいたほうがよさそうだ。

   

「……シュンッ」

 

 飯事をするつもりなんてないが……風邪を引かれても困る。もう何度思ったのか分からない言葉だが……私は何をしているのだろうか。


「あの、何を……」

「服脱いで」

「し、正気で──」

「濡れた場所から体温が下がっていくからな……身体を丸めて……違う、足を屈めて両手で持って」


 服を脱ぎ、丸まった彼女を私の前面で包むように温める。私の晒布さらしが濡れていたので解こうとした時、この行動原理も解かれていった。

 晒布を持つ手が、緩んでいく。


【ねぇアルフ、向かいのレンちゃんが言ってたんだけど……レンちゃんのお父さんとお母さんが夜裸で抱き合ってたんだって。なんで裸だったのかなぁ?】

【……さぁね。裸同士で抱き合うと温かいからじゃない?】

【そうなんだ……ねぇ、私もアルフと裸で抱き合いたい】

【無理だ。サーシャに頼んで──】

【ほら、もう脱いじゃったし。お願い、アルフ♪】 

【…………私は服を着たままだからな】

【うん…………ふふっ、温かいね♪】

【…………そうだな】



 全てナタレインにしてあげたかったことなのだろう。幾ら後悔しても、叶わないことだ。

 こんなことをしても……だけどこの子には…………この子にも、これが必要なのだろう。

 花を摘むより優しく、抱きしめた。 


「あ、あの……その……」

「私は女だ。何もする気なんて起きない。自分のことだけ考えて今は休んでな」

「…………はい」

「……温かいか?」

「……はい。温かい……です」

「そうか……」


 この温もりが、今の私達には必要なのだろう。

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