造次顛沛
三鹿ショート
造次顛沛
数人の男性に囲まれている彼女は、明らかに困惑している様子だった。
私以外にも多くの人間が存在しているが、彼女に手を差し伸べようとしている人間は皆無である。
だからこそ、私は彼女に向かって歩き出した。
彼女に声をかけると同時に、男性たちが敵意の籠もった視線を私に向けてきたが、怯んでいる場合ではない。
下手な演技で、待ち合わせの時間に遅れてしまったことを謝罪しながら、彼女の手を掴み、その場から足早に去ろうとする。
だが、男性たちは我々を逃がすつもりはないらしく、立ち塞がった。
多勢に無勢だということを理解しているのだろう、男性たちの表情には余裕が存在していた。
彼女に目を向けると、不安そうな顔色だった。
そのような彼女に、私は口元を緩めた後、大きく息を吸い込むと、思い切り叫んだ。
それは、男性たちに暴力を振るわれたという内容である。
男性たちは私の行動に目を丸くしたが、やがて何のつもりかと眉間に皺を寄せた。
しかし、騒ぎを聞きつけた制服姿の人間たちが近付いてくる姿を目にすると、舌打ちをしながらその場を後にした。
制服姿の人間たちに事情を説明した後、彼女は頭を下げながら、感謝の言葉を吐いた。
だが、彼女が顔を上げたときには、私はその場から姿を消していた。
周囲に目を向けて私のことを探している彼女を余所にして、私は自宅へと向かった。
***
数日後、私は駅前で彼女と再会した。
いわく、先日自分が救われた場所から、私がこの駅を使っているのではないかと山を張り、道を行く人々の中から私の姿を探していたらしい。
其処までして、私と再会したかった理由とは、何なのだろうか。
私の問いに、彼女は鞄から財布を取り出すと、口元を緩めながら、先日の謝礼として食事を奢ると答えた。
断ろうとしたが、これから先も彼女に付きまとわれては困るために、私は素直に彼女の言葉を受け入れることにした。
***
食事の間、彼女は何度も私のことを褒め称えた。
相手の人数や体格から、誰もが手を差し伸べることがなかった中で、迷うことも怯えることもなく姿を現した私が、まるで英雄のようだと言った。
その言葉に対して、私が反応を示すことはなく、黙々と食事を続けた。
しかし、酒が入った彼女は、私の無言を許そうとはしなかった。
私が言葉を発さずに食事を続けていると、隣に座り、自身の肉体を押しつけながら甘い声色で、何故あれほどの英雄的な行動に及ぶことができるのかと問うてきた。
彼女の色香に敗北しそうになったわけではなく、腹が満たされてきたために、事情を話した後は帰宅しても良いかと訊ねると、彼女は首肯を返した。
私は酒を一口飲んでから、告げた。
「罪滅ぼしのようなものだ」
***
私には、親しい女性が存在していた。
互いに恋愛感情を抱くということはなく、最も親しい友人として、我々は同じ時間を過ごすことが多かった。
特段の問題にも直面することの無い日々を過ごしていたが、それは突然、終焉を迎えた。
その女性が、私のことを避けるようになったのだ。
気に障るようなことでも口にしたのかと問うたが、女性は首を左右に振ると、私には問題が無いと告げるだけで、それ以上の情報を伝えようとはしなかった。
それだけで納得することはできず、何度も女性に接触しようとしたが、相手は徹底して、私のことを避けていた。
そのことが影響したのか、やがてその女性に対する私の想いは、姿を消していった。
他の人間たちと過ごすようになった中で、私はその場面を目撃した。
くだんの女性が、他の女性たちによって、便所で虐げられていたのである。
腹部に蹴られ、蹲る女性の髪の毛を掴むと、その顔面に向かって、水を打っ掛けていた。
そのような光景を目にしたことがなかったために、私はその場から動くことができなくなってしまった。
其処で、女性と目が合ったが、そのまま便所の奥へと連行されていったために、何をされたのか、私には分からなかった。
その後、連絡の一つでもすれば良かったのだろうが、疎遠になったことから、其処まで心配する必要も無いのではないかと考え、私は何の行動にも及ぶことはなかった。
その日の夜、女性は背の高い建物の屋上から飛び降り、その生命活動を終えた。
そのことを知ったとき、私は女性に手を差し伸べることがなかった自分のことを、責めた。
今にして思えば、女性が私のことを遠ざけようとしたのは、私までもが虐げられることがないようにするためだったのではないか。
それならば、その言動にも納得することができる。
そして、それが事実だったのならば、あまりの光景に怯んでいる場合ではなく、即座に助けるべきだったのだ。
そのわずかな時間に行動することができなかったために、くだんの女性がこの世を去ることになってしまったのだ。
ゆえに、私は其処で決意した。
自分がどうするべきかと悩むことで苦しんでいる人間がさらに苦しめられてしまうのならば、先に行動し、その後で、反省すれば良い。
それが、かつて友人だった女性を見殺しにした私に可能な罪滅ぼしなのである。
***
話を終えた後、彼女に目を向けると、彼女は眠っていた。
酒に弱いのならば飲むべきではないと思いながら、私は知り合いの女性に彼女の面倒を任せることにした。
何故なら、酔った彼女に何かをしたと誤解されては困るからである。
くだんの女性が生きていれば、このような時間も存在していたのだろうかと考えたが、罪悪感に押し潰されそうになったために、誤魔化すように酒を飲んだ。
造次顛沛 三鹿ショート @mijikashort
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