27 覚悟

 日曜午前が終わり、文化祭は一つの区切りを迎えた。一般開放の時間の終わりを告げる放送が流れる中、私の心を占めるのは悠里と玲音のことだった。

 二人はもう、開かずの間で愛の言葉を交わしているのだろうか。恋人になれただろうか。ちらりと時計を見れば時刻は十二時半を指していて、ひょっとしたらもう恋人として大手を振って歩いているかも――そんな可能性も考えた。


 けれど、そうならない可能性も、私は考えずにはいられなかった。

 周りに対して思いを隠し続けた玲音は、皆に知られた状態で悠里と付き合うだろうか?


 膝を抱えてうずくまっていた玲音のことを思い出す。小さな子どものように顔を伏せて丸まっていた玲音。

 思い出すのは、自分が男が好きだということを他の人にバラされやしないかと、私をにらみつけていた玲音のこと。

 私一人に対してあれほど疑心暗鬼になっていた玲音は、悠里と付き合うことを選べるだろうか。


 どうかうまくいってと、そう願う以外に私にできることはなかった。

 悠里が別の手段をとっていれば、ひっそりと玲音に告白してくれていれば――そう思わないこともなかった。

 けれど、悠里の気持ちだってわかるのだ。だって玲音は、魅力的だから。玲音が好きな私だから言えるけれど、玲音はかっこいい。クラスのマドンナ?的な鬼頭さんですら惚れていたほどに、玲音という男は魅力的なのだ。

 そんな玲音の隣は自分の場所なのだと、そう宣言したい気持ちが、私にわからないはずがなかった。

 たぶんこんな形でしか、悠里が玲音との関係を周囲に明らかにする機会はなかったはずだから。


 やや弛緩した雰囲気の教室に入って、私は静かに息を吐く。

 気が早いクラスメイトがすでに片付けを始めていて、記念に写真を撮ろうと思っていたのに、と文句をいう女子生徒がいて。

 少しずつ日常に戻っていく中で残りの非日常に全力で身を浸すその場所に、やっぱり玲音の姿はなかった。


「あんた、なぁ、天野!」


 肩をつかまれながら名前を呼ばれて、私はあわてて背後へと振り向いた。クラスの空気が、少しだけぎこちないものになった気がした。

 そこにはさっき思い浮かべたばかりの鬼頭さんの姿があった。彼女は無言で教室の入口を指してみせる。

 その先には、初音と、そして日下部君の姿があった。すでにペルソナ様の姿を脱した日下部君が、一瞬誰だか私にはわからなった。最も、面と向かって話したことなんてない相手だから、それも仕方がないと思うけれど。


 手招きする初音のもとへと駆けよれば「少し話せますか?」と日下部君が言った。

 私は初音の顔を見て、そして日下部君のほうを向いて頷いた。初音が戻り次第お昼ご飯にしようと思っていたけれど、少しだけ後にすればいい。


 場所を変えた先は、以前鬼頭さんと話をした階段前だった。フィナーレの会に向けて急いで昼食を食べている生徒が多いせいか、階段周りに人気はなかった。


「…………君は、坂東君に告白するつもりはありますか?」


 突然の踏み込んだ発言に、私は体を固くした。言葉を失って黙る私に何を思ったのか、初音が日下部君の脇腹を肘で小突いた。困ったように初音に笑いかけた日下部君が、咳払いして私のほうへと向き直った。


「告白は……」


 しない、というつもりだった。けれどいざ言葉にしようとすると、心の奥底から思いが沸き上がった。玲音に思いを告げたい、せめて玲音に知っていてほしい、ろくに誤解を解かずなあなあで終わらせたくない――すでに終わってしまった恋を蒸し返す自分の心が、ひどく恥ずかしかった。

 どうして私は、こんななのだろうか。


 そんな気恥ずかしさに、あるいはみっともなさに体を縮こませた私に対して、日下部君は膝を曲げて私と顔の高さを合わせて、口を開く。


「……告白する勇気が、ありませんか?」


 どう、だろうか?わからない。つい今まで告白するなんて考えてもいなかった私は、とっさに判断できなかった。悩む視線は揺れ動き、日下部君の後ろで私を見ていた初音と目があった。ふわり、と花が咲いたような笑みを浮かべて、初音がこぶしを握る。ファイト、あるいは頑張って、だろうか。


「……私は、」


 私は、告白をしたい。その言葉は、けれどやっぱり私の口からは出てこなかった。

 怖い、と思った。それ以上に形容のしようがない思いが、私の中で渦巻いていて。

 けれどおそらくは私以上にたくさんのことを考え、たくさんの相談に乗ってきただろう日下部君は、そんな私の思いを汲み取ってくれる。


「怖いのですね?」


 小さくうなずく。日が陰ったせいか、周囲が一段暗くなる。視界に、ペルソナ相談所の暗幕の中の光景が重なる。周囲に揺れる橙色の光が見えた気がした。その光の先に、ペルソナを身に着けた美しい女性がいて――


 太陽が顔をのぞかせる。階段上の明かりに照らされた日下部君から、重ねた幻影が消える。けれどその顔は、その姿は、どこまでもペルソナ様にそっくりな、人の心に何かを刻むものだった。


「覚悟、という表現が分かりにくいのでしょうね。諦め、とそういえば考えられるでしょうか」


 諦め、ひどくマイナスな印象を抱かせる言葉だと思った。諦め、告白を諦めるということだろうか?

 私の心を読み取ったように首を横に振った日下部君が、ゆっくりと口を開く。


「……前に進むための覚悟は、あるいは過去が失われることに対する諦めの側面も持っています。天野君の場合では、幼馴染という関係が完全に壊れてしまうことに対する諦め、それこそが、貴女が思いを告げるのに必要だったものではありませんか?」


 関係が壊れてしまうことへの、諦め。その言葉は、まるで欠けていた私の思考のパズルの最後の一ピースがはまるように、するりと私の思考に組み込まれた。

 視界が開けた気がした。

 吹き抜ける秋の涼しい風が、私の髪をもてあそんで駆けていく。


 そうだ、私は怖かったのだ。私にとって唯一といってもいい玲音とのつながりが、仲が良かった幼馴染という関係が、完全に意味を失ってしまうことが怖かったのだ。告白をして振られたら、きっと幼馴染という関係に全く意味がないことを突きつけられてしまうから――幼馴染という関係には、意味はないのかもしれない。

 けれどそれは、私の唯一の、最大の心のよりどころだった。玲音を好きなライバルがたくさんいる中で、私が唯一持っていたアドバンテージだったから。

 臆病な私がすがってきたその言葉が意味を失ってしまうのが怖くて、あるいは振られること以上に怖くて、私は告白に踏み切れずにいたのだ。


 視界が開けた私の目には、見えるもの全てが違って見えた。灰色にかすんだ世界は、鮮やかなほどに色づいていた。


「……行ってくるよ、初音」


「うん、行ってらっしゃい」


 「頑張って」でも「大丈夫だよ」でもなく、行ってらっしゃい。けれどありふれたその言葉は、強く私の背中を押してくれた。


 ああ、と私は思い出したそれを告げるべく足を止めて振り返る。

 不思議そうな初音と日下部君と目があった。


 私はいたずらっ子のような笑みを浮かべて、祝福の言葉を告げた。


「おめでとう、二人とも」


 恥ずかしそうに後頭部を掻くシンクロした二人は、まるで熟練の夫婦のようだった。そんな言葉を飲み込み、私は照れの混じった初音の視線に押されて、今度こそ玲音たちのもとへと歩き出した。


 体育館へ向けた移動開始の放送が響く。

 きゅう、と小さくお腹が鳴って、昼食をまだ食べていないことを思い出した。それを意識してしまえば途端に体から力が抜けて行ってしまい、私は逸る気持ちを抑えながら、教室へと舞い戻って弁当をかきこんだ。

 ぱちくりと瞬きをする初音の視線が、ひどく居心地が悪かった。

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