24 臆病
玲音の姿は、比較的簡単に見つかった。文化祭に熱狂する学園の中、グラウンドの奥、校舎から遠く離れたそこに、玲音はいた。古びた部室棟の二階、陸上部というかすれた文字の金属プレートが掲げられた部屋の前に、扉を背にしてうずくまっていた。
普段玲音がどこに行くかを考えて、そして体育館から人目を避けて向かえる場所は、ここ以外にはなかった。
「……玲音」
体操座りになって膝に顔を埋めていた玲音が、びくりと肩を震わせた。無言の拒絶が、私を襲う。けれど、それに臆する私ではない。
さらに一歩、私は玲音へと近づく。
掃除の行き届いていない廊下に積もった砂利を踏んだ音が響く。
「近づくな」
暗く低い、拒絶の声が私を襲った。強く握りしめられた拳から血の気が引いて白くなっていた。肩を震わせる玲音は、泣いているのだろうか。
顔を隠してしまっている玲音の表情が、私にはわからない。
近づくなと言われてしまって、だから私は、玲音から二メートルほど離れたそこで、玲音と同じように膝を抱えて座り込んだ。
「消えろ」
「嫌だ」
今度の言葉には、承諾できなかった。私は今の玲音を、放っておけない。傷ついた玲音を無視して日常へ帰ることを、私は許せない。
静寂が落ちる。遠くから聞こえてくる喧騒が、ひどく空虚に聞こえた。その無遠慮な笑い声が、楽し気な声が、不愉快で仕方がなかった。
「……私ね、知ってたんだ」
玲音は言葉を返さない。けれどわずかに擦れた靴の裏が響かせた音が、聞いていることを示していた。
「昨日ね、悠里が話しているのが聞こえたんだ。悠里が、玲音のことを好きだって言ってるのが」
そう、私は昨日、悠里が「玲音のことが好きだ」と言っていたのを、この耳で聞いた。盗み聞きしたのだ。その罪悪感できゅっと心臓が握られるような痛みを感じた。
気を紛らわせるように空を見上げる。青い空はにじんでしまって、雲があるかもわからなかった。
「玲音と、悠里が、両想いだって知って……運命みたいだって思った。だって、男同士で幼馴染で、互いに好き合ってるなんて、本当に、運命以外のなにものでもないから」
ああ、駄目だ。こんな言葉を今の玲音に言っては駄目だ。運命なんて言葉は、今の玲音にはきっと呪いのようにしか響かない。悠里の告白を受け入れるしかない、なんてマイナスの考えには持っていきたくないのだ。
玲音にとって、悠里が自分のことを好きだというのは喜ばしいことのはずだった。大切な友人で、好きな相手で、一時期は告白するために私を練習台にしたほどに、悠里に対する玲音の思いは大きかったはずだった。そして、悠里が自分を受け入れてくれると知って、うれしくないはずがなかった。
普通であれば、互いが好きだとわかって、付き合って、それで済むだけの話なのだ。
でも、悠里は自分の思いを、立場を、全校生徒に対して宣言した。玲音には到底できないことをやってのけて、そしてそれは、玲音にとってひどく重いプレッシャーとなったはずだ。
ここで悠里を振ってしまえば、悠里の覚悟を無駄にしてしまう。
悠里が自分のことが好きだとわかったことはうれしくて、けれど悠里と付き合うことになればその情報は瞬く間に生徒たちに知れ渡り、自分が同性を好きだと知られてしまう――そんな葛藤の中に玲音はいるのだと思う。
私にできることなんて、ほとんどない。むしろ、私という存在自体が玲音に更なる精神的な負荷を与えてしまうかもしれない。けれど、それでも。
こうして隣にいてくれる人がいるんだと、自分のことを色眼鏡で見ない存在がいる可能性があるということを、玲音が感じてくれたらうれしい――玲音に性悪だと誤解されている私では、そんな存在にはきっとなれないのだけれど。
それでも、今私がここにいること自体に、きっと意味はある。一人で思い悩んでどこまでも沈んで行かないように。私にとっての初音のように、私は玲音の隣にいる。
近くに止まったセミがやかましく鳴き始める。
まだまだ夏を感じる中、私たちはただじっと、膝を抱えて世界に二人でいた。
「……もう、大丈夫だ」
様々な音を聞きながらぼんやりしていた私の耳に、弱々しくも力のある玲音の声が響いた。私は先ほどの玲音のように膝に顔を押し付けたまま、ひらひらと片手を振って見せた。
訝し気な視線を、感じた。それから、歩き出した玲音が私の前を通り過ぎる。
心臓がうるさかった。
早く行ってくれと、そう願うのに。
遠ざかっていった玲音の足音が、階段前で止まった。
「ありがとな」
おそらくは私を見ることもなく告げられたその言葉に、私はやっぱり一言も言葉を返すことができなかった。
だって、口を開けば嗚咽がもれそうだったから。
駄目だ、私が泣いちゃだめだ。辛いのは、苦しいのは玲音だ。
私じゃない。私じゃ、ない。
何も言わない私に、玲音が手を差し出してくれることはない。玲音が、自分の隣に私を置いてくれることはない。
もうとっくに諦めていたつもりだった。けれど私の中にある熱が、記憶が、いつまでも私の心を包み込んで離さない。
大好きだよ、玲音。
さようなら。
足音が消えて行って、しばらくして。
私はようやく、すすり泣くようにして声を上げた。
ひんやりとした部室棟の壁を背に、空を流れる一筋の飛行機雲を眺めた。次第に輪郭が怪しくなり、足跡が消えていくのは、まるで過去の俺たちを表しているように思えた。
センチメンタルなことを考えてしまうのは、悠里の告白と、そして今なお耳に届く花蓮の泣き声のせいだ。
押し殺したように泣き続ける花蓮が、俺には分からない。けれど、泣いてほしくはなかった。花蓮が裏切ったと――悠里のことが好きだと最初に告白する相手に選ぶほどには信用していた花蓮が悠里と付き合っていることを隠していたと――そんな誤解は、俺の中にはもうなかった。
悠里は公衆の面前で、俺が好きだと言ってくれた。
正直、心臓が口から飛び出るんじゃないかというほど驚いたし、うれしかった。
俺と同じように、悠里も俺のことを想ってくれているとわかって、泣きそうだったし、泣いた。
同時に押し寄せてくる不安で、涙腺が決壊してしまった。
誰にも見られないように、自分の心を押し隠すように逃げて、けれど、花蓮が俺を追って来た。
花蓮は、俺と悠里のことを「運命」だと表現した。最初は、その言葉が気持ち悪かった。俺と悠里の関係は、あらかじめ決まっていたようなものじゃない。俺と悠里自身が紡いできた関係だと思うから。
けれど、考えてみれば奇跡のようだった。
正直、悠里には振られると思っていた。あいつは自分の容姿が女性っぽいことを気にしていたけど、それも昔の話。今の悠里は、女子たちが喚くほどに男前で、だからこそ悠里が誰かと――それこそ花蓮と、付き合ってしまうのではないかとひやひやしていた。
その不安からも、解放された。
すがすがしくて、けれど苦いものが胸の中に広がるのは、悠里との関係を受け入れるだけの覚悟が、自分の中になかったから。
俺は悠里が好きだ。けれど、悠里が好きだから、何がしたいというわけでもなかった。悠里と一緒に居たり、悠里の隣をキープしたい。そんな思いだけだった。俺の中に、悠里と付き合って何かをするというイメージ自体が、かけらも存在していなかった。
それは、男が好きだと周囲に知られることが怖いからで。悠里との関係がバレたら周りの皆に引かれるんじゃないかと、そう思ったら恋人関係を考えることさえできなかった。
未来は、臨んだ関係は目の前にあった。
けれど最後の一歩だけが、踏み出せない。
花蓮、俺はどうすればいいんだろうな?なぁ、俺は――
すすり泣く声は、未だに消えることはなく。
根性なしな俺は、裏切り者と罵倒した花蓮にさえ縋りつくようなクソ野郎だった。
こんな俺が、覚悟を決めて告白した悠里の隣に立つ資格なんてあるのだろうか?
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