15 流転
体育祭の熱気冷めやらぬ中、私は速やかに体操服から制服に着替えて教室に戻った。炎天下の中行われた文化祭体育の部――通称体育祭も終わり。明日一日は丸々準備時間ではあるけれど、それだけで準備が終わるとも思えなくて。
私たちのクラスは今日の業後から教室内の飾りつけなどを進めていくことに決まっていた。
部活にも入っていなくて体育祭の片づけ担当でもなかった私はその準備の担当に選ばれるのは当然のことで、私は一人教室へと向かっていた。
自分の教室にたどりつく。教室の外には数人の男子がいて、私の顔を見て小さく首を横に振る。教室ではまだ男子が着替えているらしい。
私は教室と教室の間の廊下の壁にもたれかかり、ぼんやりと窓の外を眺めた。真っ青な空には雲一つなくて、西日がひどくまぶしくて目を閉じる。
そうして私の視界が暗闇にとらわれると、不思議と雑談の声がするりと私の耳に飛び込んできて。私は聞こえてきた名前に体を硬直させる。
『なぁ、坂東ってズルくね』
ズルいとは、どういうことだろうか。いいや、わかってる。だって玲音は、結局文化祭準備に一度も参加していない。参加していない運動部所属という情報だけで、女子たちに忖度されている状況なのだ。そんな特別扱いを、男子がよく思っているはずがなかった。
『だよな。ほんとやめてほしいよ。あいつ、明日学校来るんかね?』
『こねぇだろ。来たって仕事ないじゃん?というか、今更いいとこどりとかやめてほしいよな。だったら当日含めて全部参加してくれるなってんだよ』
やめて、やめてよ。どうしてそんなことを言うの?玲音は確かに準備には参加してなかったけど、そんな陰口を言わなくてもいいだろうに。それより、玲音は教室の中にいないのだろうか。まさか、聞かせるように悪口を言っているわけではないはずだ。
扉の奥から聞こえるくぐもった声だから、誰の言葉かはわからない。もし声の主が分かったら、私はその男子に全力で文句を言っただろう。正直、今にも教室の中に飛び込んでそんなひどいことを言っている人をひっぱたいてやりたい思いでいっぱいだった。けれど、ただでさえ女子からの嫌がらせで精神的にきついうえに、男子たちからも変態だとか暴力女だとか呼ばれて避けられるのはきついから、必死に腕を抑えた。
『ほんとな。鬼頭の奴が玲音をかばうから言い出しにくいんだよなぁ。結託した女子があんなに恐ろしいとはなぁ』
そう、女子の団結は恐ろしい。男子たちにはばれないようにひっそりと私と初音に嫌がらせをしてくるし、互いが互いに隠れて嫌がらせをしているんじゃないかって、そう疑心暗鬼に陥らせるような策を練ってくる。無くしていた初音の携帯が私の鞄に入っていたところを見られた時には終わりだと思った。
初音は私を疑うような表面上だけの友人じゃないから、私のことを信じてくれたけれど。だから逆に、初音が私のことを疑うんじゃないかと思ってしまった自分が、私は許せなかった。
その時、廊下を進む足音が聞こえて、私はゆっくりと目を開けた。まぶしい光の中、その先にいた玲音と目があった。
玲音の顔がゆがむ。
けれど私はそれどころじゃなかった。来ないで、今来ちゃダメ。玲音に、男子たちの悪口を聞かせるのはダメだ。もしそんなことになったら、玲音は学校にも来なくなってしまうかもしれない。
私は何かを言おうとして、けれど玲音の視線に縫い留められたように体が動かなかった。
玲音と私は廊下で向かい合ったまま、動きを止めた。
廊下で会話をしていたクラスの男子が、不思議そうに私と玲音の間で視線を行ったり来たりさせる。
『はっ、このビビりが』
『じゃあお前がこう言ってこいよ。「鬼頭さん、坂東を文化祭準備に引っ張ってきてくれ」って』
『いいぜ?つまりご褒美をもらいに行くってことだろ?』
『鬼頭さんの蔑みの視線をそんな嬉々とした顔で受けに行けるのはお前だけだよ』
『よっ!クラス一のドM!』
『はは、照れるな。そうだ。俺は澪さんの奴隷。澪さんの下僕。彼女に嫌悪の視線を向けられるためならば名前呼びだって辞さないぜ?』
『よっ、漢の中の漢!』
『こんな奴がすごい男みたいな表現やめろよ』
私の不安は杞憂に終わった。
気づいたらクラスの中の雰囲気は全く別のものになっていた。鼻高々に自分はマゾだと宣言する男子に私は心の中で賞賛を送った。話題を変えてくれてありがとう――私はどうしてマゾ宣言する男子を賞賛しているんだろう。
ふい、と私を睨んでいた玲音が私から視線を外し、教室へと入っていく。
それから、何かを思い出したように再び教室の外へと顔を出し、私のほうを向いた。
「もう入れる」
ただそれだけ。業務連絡でしかないその会話が、けれどひどく愛おしかった。すべてを時間が解決するわけじゃないし、時間が経つほどに悪化する問題はある。私と玲音の関係は間違いなく後者で、だからこそ玲音から歩み寄ってくれた証拠のように思えるその言葉が、すごくうれしかった。
「うん!」
私はたぶん、久しぶりに心からの笑みを玲音に向けた。わずかに目を見開いた玲音の顔は困惑に彩られていて。
すぐに眉間に深いしわを刻んだ玲音は私に背を向けて教室の中へと消えていった。
私も彼の後に続いて、教室の中へと一歩を踏み出す。
さぁ、文化祭準備の時間だ。
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