苦いブラウニー、痛み止めのボールペン

CHOPI

苦いブラウニー、痛み止めのボールペン

 ――……渡せなかった

   だけど、別の人が拾ってくれた


 すっごく苦い、だけどほんの少し甘い記憶のかけら。

 貴方たちは今、どうしていますか。




 ピンクに飾られたポップアップショップ。この時期に向け、お菓子会社に関わらず様々な企業がこの商戦に乗っかってくる、2月のイベントのひとつ。バレンタインデー。かくいう私もその商戦にまんまと乗っかって、お気に入りのチョコレートを探すのが毎年の楽しみのひとつだ。


 王道の生チョコやトリュフを始め、ブランデーが香る大人のチョコやキャラクターコラボの可愛いチョコ、名高いブランドのチョコなどその数知れず。ショッピングモールやデパートに顔を出せばイヤというほど目に入るのは当たり前だし、最近は近所のスーパーでさえチョコ菓子コーナーを作っている。


「めんどくさ……、今日何にしよう……」

 安く売り出されている豚コマを片手に持って独り言を呟く。……客観的に見たらただのおばちゃんやんけ……、なんてツッコミは飲み込んだ。掴んだ豚コマのパックをそのままカゴに入れて、そのまま精肉コーナーを離れる。今日は魚が値段の割にあまりいいのが見つからなくて、肉でいいかな、なんて適当な考え。


 そのままフラフラ、野菜のコーナーに。野菜、何が残っていたっけ。頭の中に冷蔵庫の中身を思い浮かべながら目の前の野菜と比較して、もやしと水菜をカゴに入れた。今日はこれくらい買えばいいやと思い、足早にレジを目指す。


 レジの列は思いの外伸びていて、最後尾がお菓子コーナーの端の列まで来ていた。と、『すみません』とか細い声が後ろから聞こえる。


「ちょっとその、チョコ取らせてもらっていいですか?」

 声の方向に目を向けると学校帰りに寄ったのか、地元の高校の制服を着た女の子が居た。続いて浮かんだ、スカートから覗く脚に対しての『……寒くないの……?』の疑問。現役当時、自分も散々言われたそのセリフが頭をよぎる側になってしまった悲しさを感じつつ、『どうぞ』とその子がチョコを取れるよう、少し身体を横に動かした。


「すみません、ありがとうございます」

 そう言ってその子は数枚、板チョコを手にとってカゴに入れる。そのカゴには既にバターや生クリームが入っていて、それを見て懐かしさを覚えた。私も学生の頃、友人たちと持ち寄ってチョコの交換をしたな。予想外にくれた子にはホワイトデーに返したりなんかして。そんなことを思い出していると、殊の外早くレジの順番が回ってきた。


「レジ袋はご利用ですか?」

「大丈夫です」

 そう伝えてお会計をして、手持ちの買い物袋に品物を詰めていく。先ほどの女の子がトリガーになって、遠い記憶の中のかけら、今でも苦くて飲み込み切れない気持ちを思い出す。


 ――……あれからどれだけ経ったと思ってるの


 品物を詰めた買い物袋を肩にかけ、そのままスーパーを後にした。ぼんやりと帰路につきながらため息をひとつ。家について荷物を下ろして、買った品物を冷蔵庫にしまっていく。パタンッ、と冷蔵庫を閉めて通勤カバンに目をやった。


 ずっと頭に浮かんでいる、あの年のバレンタインの光景。


 ******


「これ、良かったら!」

「あ、ありがとう」

 憧れだった隣のクラスの男の子。その子はみんなからモテる子で、だからその日も隙あらば誰かがチョコを渡している状況で。結局一日かけて様子を伺ったけど、渡せるタイミングなんて全く見つけられなくて。


 たまたま見つけたその子の姿。放課後、校舎の階段の、2階と1階の階段途中の踊り場から見えた駐輪場。もう帰る支度をしていたんだろう。もう一人、その子の友達しかいなかったから、最後のチャンスだと思って声をかけようとした。


「そのチョコどうするの?」

「んー……、正直要らないんだよなー、お返しも怠いし」

「うっわ、サイテー!」

 

 喉元まで出た声を慌てて飲み込んで、思わずしゃがんで隠れた。外から聞こえてきた会話に頭が追い付かない。


「ま、適当に処理するわ」

「モテるのも大変ですねぇ(笑)」

「……困るんだよな、有難迷惑って感じで。欲しいなんて言った覚え無いし」


 少しずつ遠くなる会話。視界に入る、透明で中身の見える袋でラッピングをしたブラウニーと、短い文字を連ねたメッセージカード。視界がぼやけて、慌てて制服の袖で目元をこすった。人の気配を感じる前にここから離れなきゃ、そう思って絶望する。……スクバ、教室におきっぱだ。


 あの子にどうしてもお菓子を、気持ちを渡したくて。今年渡さなかったら卒業だから、最後のチャンスだから。だから、必死で校舎を探し回った。3年間の想いを伝えたかった。その一心だった。


 その結果がこれだ。人を見る目が無かった。私も、ほかの子たちも。


 渡せなかったお菓子と気持ち。加えてそんな子に3年間も憧れ続けていた自分の浅はかさ。言葉にできない想いが募って、呼吸がうまく出来なくて。足取り重く、自分の教室に向かう。


 教室の扉は開いていた。中に一歩入るとちょうど帰りの支度をしていたのだろう、クラスメイトの男子が居た。その子とはまさに「クラスメイト」って関係性。話はするし、仲も悪くない。でも学校以外で会うことも無い。そういう感じの子。


「え、どうしたの?」

「荷物おきっぱにしてた」

「なるほ」

 自分の席、机の横にかけていたスクバを卓上に置くと、渡せなかったお菓子を仕舞う。ファスナーを閉めようとして、あれだけ練習して作れるようにしたんだけどな、なんて思うと、さっさと閉めればいいファスナーをなかなか閉められなくて。そんな私の様子を何か変だと思ったんだろう。クラスメイトが声をかけてくる。


「どしたの?」

 なんでもない、そう言えばいいのに。その言葉がつっかえて出てこない。ようやく絞り出した声は言葉にならなくて、その音は蚊の鳴くような細さだからクラスメイトには届かなくて。


「大丈夫?」

 クラスメイトが隣に来る。それでも私は動けない。固まったままの私の手元、ずっと閉められないスクバから覗いていた悲しいブラウニーがクラスメイトに見つかった。ラッピングされたソレを、ひょいっと持ち上げたクラスメイト。ラッピング袋が視界から消えて、同時にクラスメイトのデリカシーを疑う。でもだからと言って身体はやっぱり動かないまま。透けて見えるメッセージカードに書かれた相手の名前に、流石にクラスメイトも気が付いていると思う。


「……要らないの、これ」

 クラスメイトの言葉が宙に浮かぶ。


 ゴソゴソ


 袋のこすれる音が聞こえて、そこでようやく首が動いた。目線をクラスメイトの方に向けると、手元で既にあけられているブラウニーの入った袋。


 あ、と思った時のはもう、クラスメイトの口の中にブラウニーが消えていく。もぐもぐ、目の前で動くクラスメイトの口。え、食べてる? あの子にあげようとしてたブラウニー?


「……うま」


 クラスメイトは一言そう言って、『じゃ』とだけ言って、帰っていった。この短時間に処理しきれるはずもない情報を受け取った脳は、そこで機能停止したんだと思う。覚えているのはその辺りまでで、あとはどうしたのか、どうなったのか、ぼんやり霧がかかったみたいになっている。


 翌日、登校した私の机の上には、『ごちそうさま』と書いた付箋が張られた、どこでも買えるけどそこそこ値段のする4色+1の多機能ボールペンがひっそりと置かれていた。心当たりは一つしかなくて、すでに来ていて他の数人の子と会話をしていた件のクラスメイトの方を見る。視線が合うと、クラスメイトは私にだけわかるくらいの小さな頷きだけして、そうしてそのまま何事も無かったみたいに私から視線を外したのだった。



 ******


 その後、卒業してから今の今まで、あの憧れだった子とも、件のクラスメイトとも会ったことは無い。だからあの日の、憧れだったあの子の言葉が本音だったのか、それとも別の意図があったのかわからないし、件のクラスメイトのあの行動が何を根拠にしたものかもわからないまま。だけど一個だけ、私の中で確かなことは、あの日の思い出はすっごく苦くて苦しいもので、今でもまだ消化不良のままで、


 でも、だけど。


 通勤カバン、小さなポケット横の、さらに小さなペン刺し部分。そこには今でも、あの時の多機能ボールペンが刺さっている。


 あのバレンタインを、ただただつらい、だけじゃなくした、優しさで出来てる痛み止めボールペンが。

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