2 おめめ
凛はすぐに落ち着きを取り戻した。なんてことはない、子供じみた悪趣味なキャンディだ。
「変なキャンディだね」彼女は、女の子にわざとらしく笑いかけた。
「これね、キャンディじゃないの」
「そうなの?」
「うん、だって、溶けないし味もないから。そんなのって、キャンディじゃない」
凛はまだ笑っていたが、居心地が悪くなっていた。
「これはね、お人形のおめめなの」
「おめめ?」
「そう」といって女の子は、皿の上のプラスチック製の目玉を指先でつつきはじめた。唾で濡れた目玉が妙に生々しい。たしかに女の子のいう通り、これはキャンディなんかじゃない。
「それ、美味しいの?」
「全然」と女の子は首を横に振る。
「じゃあなんで舐めてるの?」
「お人形の気持ちがわかるから」
「お人形の気持ち?」
「おめめを舐めれば、その人になった感じがするの」
「お人形のおめめを舐めれば、その人形の気持ちがわかるってこと?」小さい子って、なぜか唐突に残酷なことをしたりするんだよな、と彼女は思った。きっと、これはその類の悪い冗談だろう。
「うん、そう。このおめめはね――」女の子は、凛のほうに目玉を向けた。まるで、皿の上からこっちを見ているみたいだ。「ケイティのおめめなの」
「そうなの」
「ケイティはね、最近まわりのお人形にいじわるしてるから、なんでそんなことするのか知りたくて、それでケイティのおめめを舐めてみたの」
「気持ち、わかった?」ケイティがどんないじわるをしているのか質問する気にはなれなかった。
「さみしいみたい」女の子はいった。
人形にしては大きな目玉。そもそも、人形から目玉を取り出せるものなのかな。
「ケイティに会いたい?」女の子が訊いた。
これ以上女の子の相手をしていたくはなかった。だが唯一の知り合いである上司は店主と話し込んでいるし、女の子を拒否し、このまま放っておくにも気が引けた。「うん、会いたいな」と凛はそっけなく答えた。
「じゃあこっち」といきなり立ち上がった女の子は凛の手を取ると、歩くよう促した。渋々ついていく。店主――女の子の母親――の前を通る際、「うちに行ってる」と女の子は声をかけた。店主は女の子を軽く見て頷くと、また会話に戻った。
お店を出るの?という凛の質問に答えは返ってこない。
女の子についていくまま店を出て、二人はダイナーの裏手にある家の前に立った。玄関を抜けた後も女の子はぐいぐい凛を引っ張っていき、二階の部屋のドアのところで、ようやく手を離した。
子供部屋だった。扉を開けると、そこには異様な空間が広がっていた。
棚には人形がずらりと並び、目玉のない人形もちらほら。足元には開いたままの絵本や人形の目玉、おままごと用の包丁にニセモノのりんご、羽を片方失った空飛ぶ妖精のおもちゃ、先っぽの折れた魔法の杖、衣類などが散乱していた。
「この子がケイティ」女の子は、棚にある片目のない人形を指さした。
人形はすべて同じ顔をしていた。アメリカの着せ替え人形だ。人形の顔を見てすぐにわかった。凛も知っているおもちゃだ。若い女性に人気がある、とネットかなにかで見た気がする。子供だけでなく、熱心な大人のコレクターもいる人形だった。その人形は頭が大きくディフォルメされ、印象からすると、ものすごくおしゃれをした子供、みたいな感じだ。どれも同じ顔、同じ表情を浮かべた人形だが、同じ格好をした人形は二つとない。どれも違った装いをしている。おとぎ話のお姫様のような人形もいればハイキングの格好をした人形も、ロカビリー姿の人形もいる。髪型もそれぞれ違って、装いに合ったものになっている。
女の子はそれらの中からケイティを選ぶと、慣れた手つきで人形の頭を半分にかぱっと割った。そして手にしていた目玉――さっきまで舐めていたものだ――を眼窩に嵌めると、割れた頭を元通りにして棚に戻した。
「ケイティはなんていってた?」凛は訊いてみた。「おめめを返してくれてありがとう、とか?」
「なにも」女の子は表情一つ動かさずに答えた。
ケイティは原色の派手なワンピースを着ていた。六十年代のヒッピーみたいな少女。首から、ピースマークのネックレスを下げている。たしかに女の子のいう通り、凛の目にもケイティがちょっぴり寂しそうに見えるから不思議だ。
「ケイティの好きなものはなに?」
「ロックのレコード」女の子はいった。
レコードなんて、こんな年齢の子が知ってるのかな。母親の影響だろうか。
「寂しくないように、音楽を聴かせてあげればいいんじゃない?」
「うちにレコード、ない」
「わたしのスマホでもいいよ」
「音楽かけてくれるの?」
「簡単だよ」と凛はスマホを操作し、それっぽいロックの音楽を流してみた。曲が終わったら、早くこの部屋から出よう。「喜んでるかな?」
「ちっとも喜んでない」と女の子。「そんなの、ロックじゃないって」
あ、そう、と凛は音楽を消した。
「この子はエイミー」女の子は黒ずくめの人形を手に取った。「魔術が得意」
「へえ、魔女なんだ」
「そう。魔女狩りで、火あぶりにされて死んじゃったの」
「死んじゃったの?」
女の子は頷いた。「そう、死んじゃった。なんにも悪いことしてないし、怪我した村人を魔術で治してあげたりもしてたのに、魔女だからって理由で死んじゃった」
「あらら」と凛は小さく笑ったが、笑うべきじゃなかった、とすぐに反省した。「さっきのケイティは、元気だよね」と、取り繕うように訊いてみる。
女の子は首を横に振った。「死んじゃった。戦争で」
「寂しがってるんじゃなかったの?」
「死んでもさみしいんだって」
あらら。
ドレスを着た人形が目に入った。ボリュームたっぷりのピンクのドレスで、フランスの貴族のようだ。幸せそうに見える。
「この子の名前は?」
「メアリー」
「かわいいね。この子はお姫様?」
「うん。ギロチンで死んじゃったけど」
「この子も死んじゃったの?」
「そう。みんしゅーに嫌われたんだって」
あらら。
その子は?
ジンジャー。
死んじゃってる?
死んでる。
なんで死んだの?
生まれた時代が早すぎたから。
あの子は?
エラ。
なんで死んだの?
毒のお魚を食べたんだって。
この子は?
メグ。
なんで死んだの?
ギターで感電。
あの子は?
ピンキー。
なんで死んだの?
空から落ちて。
この子は?
ピザ。
ピザ?
ピザの配達中に死んじゃった。
あらら。
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