キャンディ

道上拓磨

1 お父さんはいないの

「お父さんはいないの」そういうと女の子は、バーカウンターのスツールに飛び乗るように腰掛けた。口の中をせわしなく動かしながら、黒いメリージェーンシューズを宙に浮かせる。

「何なめてるの?」スーツ姿のりんが訊いた。


 女の子は黙っていた。


「何味?」

なまの味」と女の子。


 凛は女の子の隣に座っていた。

 さっきまで凛の傍らにいた彼女の上司は、アメリカの瓶ビール片手に、店の片隅で店主と話し込んでいた。熱心に会話する二人は、見たところ同じような年頃のようだ。

 凛は隣の女の子に目を戻した。こんな遅い時間に小さい子供が一人で大丈夫なのかな。

 そこはアメリカンダイナー調のレストランだった。カントリーミュージックが静かに流れ、煌々とした照明のせいで色気がないくらいの明るさ。店内には、脂っこい匂いが充満していた。べとついたメイプルシロップの容器をワッフルの上で傾けながら、凛は女の子に喋りかけた。


「あの人、もしかしてお母さん?」店主をさりげなく指しながら訊いた。


 女の子は軽く頷いて、それっきり黙ってキャンディを舐め続けた。

 ああ、そういうことね。

 ダイナーは平屋で、アメリカの田舎町から移設してきたみたいにな店だった。

 アメリカンダイナーを謳うレストランはここ日本にも多くあるが、ほとんどは五十年代のアメリカのイメージを引きずったような、レトロ趣味かつニセモノっぽい――かえってそれが魅力になっていることもある――店がほとんどだ。大抵そんな店の駐車場には年代物のアメ車、店内には不自然なほど真っ赤なベンチシート、ジュークボックスから流れるBGMは往年のロックンロール。だがこの店は違った。全体が木目調の落ち着いた内装で、レトロ趣味など皆無だった。アメ車もジュークボックスもなければ、コーラの看板もない。おしゃれとはいい難い。料理もまたどれも地味。凛は一度メンフィスに行ったことがあった。あの町の外れで見かけたダイナーは、こんな感じだったかもしれない。いや、もうちょっと全体的に汚かったかもしれない。ここは綺麗だ。

 その店は凛の勤め先の徒歩圏内にあった。ただ、凛は今日までこの店を知らなかった。転職してきたばかりだった。

 この日の仕事が終わり、帰り際に上司の女性とエレベーターに乗り合わせたのは夜の九時を過ぎた頃だった。仕事以外ほとんど会話らしい会話などしたことのない間柄だったから、食事に誘われたのは凛にとって驚きだった。

 いいお店を知ってるのよ、と上司はいい、会社を出て十五分くらいの距離を二人で歩いた。ひっそりとした住宅地にその店はあった。平凡な住宅街に、いきなりアメリカンな世界があらわれて、凛はちょっとばかり面白い気分になった。

 だだっ広い敷地に、ぽつんと平屋のダイナーが建っていて、店の前には駐車場があった。車は停まっていない。ダイナーの裏手、敷地内には店主のものであろう二階建ての住居(これはアメリカンではなく日本式)も建っている。オレンジ色の照明に照らされた派手なダイナーとは対照的に、家の中は真っ暗闇だった。


「お皿使っていい?」女の子は凛の腕をつついて、こちらを見ていた。


 凛は一瞬戸惑ったが、メープルシロップとケチャップで汚れた皿を一瞥し、食べ残しがないことを確認すると皿を差し出した。

 すると女の子は皿に、舐めていたキャンディをぺろっと出した。

 凛は目を疑った。というのも、キャンディだと思っていたものがだったからだ。

 目玉が、皿の上にころりと転がっていた。

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