6.この花の腐らせ方

 桜は咲いて、また散って。高校三年生は大学受験。芽吹いたものを、育った花を、どうすることもできないまま。

 三月一日、卒業式。

 大学入試の試験も前期が終わって、合格発表を待っている。合格できたかは分からないけれど、自分なりには精一杯やった。今度は消しゴムを忘れることもなく、手もふるえたりしなかった。

 桐花とはクラスも違うから、受験生だから、前みたいにどこかに出かけることもなくなってしまった。それでも廊下で会えたら嬉しかったし、息抜きにってメッセージのやり取りだってした。

 花は、揺れている。枯れることなく、腐ることなく。

 桐花はかわいい方が好き。それなら佳鈴は、どうだろう。桐花は佳鈴のことを「かわいい」と言ってくれたけれど、女の子を好きになったりするのだろうか。

 手には卒業証書、胸には花のリボン。

「桐花ちゃん」

 校門のところで集まっておしゃべりをしている集団から、桐花はぽつんと離れたところにいた。まるであの合格発表の日みたいに、ひとりだけ。

「佳鈴さん、卒業おめでとう」

「うん。桐花ちゃんも」

 合格発表の日、合格おめでとうと桐花に言われた。あのときとほとんど変わらないはずなのに、佳鈴の中には育ってしまったものがある。

 花が咲いている。花が、揺れている。

 ごうっと風が吹き抜けて、三月になってもまだ少し冷たい風が、スカートを揺らして駆け抜ける。

 一緒に写真を撮るでもない。卒業してもまたあそぼうねとか、そういうことを言うでもない。桐花はただ目を細めて、八重歯を見せて笑っていた。

「懐かしいね」

 そんな、まるで、終わるみたいに。

「入試の日に会って、合格発表で会って。いっぱい遊んだね」

 どうしてだろう。

 今日で終わりのような、気がした。卒業式に告白をして、受け入れてもらって、そんな夢物語みたいなことを、ぜんぶぜんぶ踏み付けるみたいに。

「桐花ちゃん」

「私、佳鈴さんと会えて良かった。楽しかった。何もない高校生活じゃなかった」

 終わりみたいだ。

 何もかも、ぜんぶ、終わりみたいだ。

「ありがとう、佳鈴さん」

 大学に行っても、またよろしく。そうやって言ってくれれば良いのに、桐花はそれ以上何も言わないで校舎を見ていた。

 花が、揺れる。冷たい風にさらされて、それでも花びらを散らすことなく、けなげに咲いている。

「圭祐が佳鈴さんに話があるって言ってたよ」

「……春日野君が」

 それじゃあねって、何もない日みたいに。でもきっと、ここで捕まえなければ、桐花はどこかに行ってしまう気がした。

 くるりと背を向けた桐花の頭、少しだけのびたつやつやの黒い髪。高校一年生の最初、毎日毎日飽きもせずに、この髪を見ていた。

「待って、待ってよ、桐花ちゃん」

「何?」

 お昼ご飯を、一緒に食べた。

 佳鈴さんが楽しければ良いよって桐花は言ったけれど、桐花は楽しかったのだろうか。

 花が揺れている。もうどうしようもないほどに育ってしまった、咲いてしまった。種のまま朽ちることもなく、芽のまま枯れることもなく、蕾をつけないこともなく、花を咲かせずに腐ってしまうこともなく。

 喉に貼り付いて、いつも言えなかった。ひゅうひゅうと喉が音を立てている。たくさんたくさん貼り付けて、そして、あふれて、こぼれて。

「私……私ね、好きなの。桐花ちゃんが、好きなの」

 絞り出た声は、小さかった。

 堂々と胸を張って言えもしない。誰かに聞かれたらどうしようだなんて、そんなことを思ってしまって。

 誰も、佳鈴と桐花のことなんて気にも留めなかった。もう十八歳なんだからいいでしょ、お祝いはするからはやく帰ってきなさいよ。母だってそう言って、先に帰ってしまった。

 好き。

 好きなの。誰よりも、本当に。

「……佳鈴さん」

 じっと、自分より低いところにある桐花の目を見た。桐花はしばらく佳鈴の目を見ていてくれたけれど、ふっと目を伏せて、それからゆるりと首を横に振る。

 ただ、ゆっくりと。何度も、何度も。

「それは、気の迷いだよ」

「そんなことない。消しゴムをくれて、ハンカチを貸してくれて、誰よりもかっこよくて、ずっとずっと桐花ちゃんばっかり見てたんだよ。一緒に出かけるのだって楽しくて、それから――」

「佳鈴さん」

 言い募ろうとした佳鈴の声は、桐花の声で断ち切られる。

「それは、恋じゃないよ。嬉しいのと、楽しいのと、安心したのと、そういうの全部ごちゃ混ぜになっただけ。佳鈴さんのそれは、恋じゃないよ。一時の気の迷いと、錯覚」

 これを恋じゃないと言うのなら、何を恋と呼ぶのだろう。

「圭祐と同じ大学でしょ? 仲良くしてやってね。私は、ふたりがお似合いだと思ってるから」

 ねえ。

 それなら、この花の腐らせ方を教えてよ。それとも圭祐と仲良くすれば、桐花の言った通りにこの気持ちが一時の気の迷いだと、錯覚だと、そう思える日がやってくるのか。

 花が揺れている。冷たい風にさらされて、たった一輪。

 咲かなければ良かったのに、蕾をつけなければ良かったのに、育たなければ良かったのに、芽吹かなければ良かったのに。

「佳鈴さん、かわいいから」

 私も、かわいい方が好きだけれど。だなんて。どうして、そんなことを言うの。

 咲いた花は腐らせ方も分からないまま、たった一輪で揺れていた。共に咲くものも、添うものも、なく。


  ※  ※  ※


 大学生になって、圭祐は同じ学部学科で、よく顔を合わせるようになった。桐花は遠くの大学に行って、メッセージを送っても、既読はついても、なかなか返事が送られてくることもない。

 圭祐と仲良くやってるの、だなんて。そんなことばかり。

 この花は、いつまで咲くのだろう。

 この花は、いつ腐って消えるのだろう。


 今はまだ、この花の腐らせ方が、分からないまま。

 今でもまだ、たった一輪、揺れている。

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