第58話 敵に送る塩と招待状


 どうしてこうなった……。

 

 <コステリヤ神聖王国>の辺境都市<ボンペイ>。その中心街にひと際、目を引く立派な建物。労働組合の組合事務所の最上階の一室で、労働組合 代表 カビオン・シーリアは頭を抱えていた。

 

 我々、商人組合が始めた新サービス、この誰もが商人になれる”コステリヤドリーム”。その計画はまさに完璧と言って良いものだった。組合内の商品を庶民に卸し、委託販売して貰うことで、そこまで人件費をかけず利益が利益を得ることができる。庶民にとっては新たな職業の機会となり、組合の評判も向上するという一石二鳥の策で――それを証明するかのように、サービスの滑り出しは上々、登録者数を順調に増していた。

 

 しかし、我々は次第に気付くことになる……。

 登録者数に対して、組合の商品が予想以上に受注の注文がきていないという異変に。

 それどころか、徐々に利用者の中から返品を求めるクレームの声まで寄せられる事態に発展していた。

 

 (やられた……)


 その原因は、都市内で密かに売られていた違法商品であり、それが我々の商品よりも圧倒的に安価であったことにある。

 

 本来、商人組合では過度な価格競争を防ぐために「定価」という制約を設けている。しかし、その違法商品は組合の管理外で販売されているため、制限が効かない。更に、その背後にはあの<ボンペイ>の領主 サンジュ=ルクモレン伯が関与しており、手を出しにくい状況が続いていた。

 

 その為の対策、不買運動だったが……それも全くの無意味に終わってしまっていた。

 そう、これは我々が考えている以上に、この違法商品は庶民の間に広がっていたということである。

 

 さらに驚くべきことに、登録者の中には我々の許可なく違法商品を密かに販売している者がいるらしい。つまり、違法商品を流通させている業者たちは我々の新サービスを巧みに利用しているというのだ。

 

 その事に、我々が気がついた時には、すでに手遅れだった。


 もはやこの”コステリヤドリーム”は、となってしまっていた。

 

 商人とは、何よりも信用と利益を追求する存在である。

 組合内ではすでに怒りの声、強い反発が起こり、その矛先は組合の責任者である私へと向かっていた。


 この失敗は商人として致命的。

 すでにこの事はこのサービスの最大の出資者であるヴァセリオン教団にも気づかれているだろう。

 私は何度もその連絡が受けていたが、激務と持病の腹痛を理由に逃げ続けていたのだった。

 

 (ああ……もうなにかも投げ出したい……)


 私は机の下に忍ばせた辞表書をそっとしまい、立ち上がる。

 

 (どこか遠く、誰もいない場所へ……)


 しかし、それがもはや不可能であることを知りつつも、窓の外の風景に思いを馳せていた……その時だった。

 

 「カビオン様……お客様がお見えになられております」


 その秘書の言葉に心臓が跳ね上がる。名前を聞かなくとも、ほぼ予想がついていた。


 「カビオン様? どうかされましたか?」


 (……私は最後の最期まで逃げ出すことは出来なかったか……)


 間接的にとはいえ、あのヴァセリオン教団の手を汚してしまったのだ。

 この後、私はその責任を問われることになるだろう。最悪の場合、理不尽な異端審問にかけられ、死刑にされる可能性だって……ありえる。


 (私はなぜ、ここまで追い詰められているのだろうか?)

 

 しかし、この都市で商人として生き残るには、それほどにまでのリスクを負う必要があったのだ。

 

 (これも今となっては言い訳に過ぎないな……)


 私の脳裏に部下達の必死の形相が目に浮かぶ。

 

 そう、その責任は全て私にあるのだ。


 持病の腹痛は当に限界を超え……そして私は……胃がねじれそうな激痛に耐えながら、重い口調で答えるのだった。

 

 「……分かった、すぐに伺うと……そう伝えてくれ……」

 

 数分後、俺は身だしなみを整え、部屋を静かに出る。

 深い呼吸を繰り返し、自分の頬を何度も叩いて――階段を降りていく。

 一歩……また一歩……と、それはまるで自分が歩んできた道を下っているよう気分だった。

 

 これからどんな罵詈雑言が待っているのか。

 そしてあの男はどのような罰を私に与えるのか、もはや想像したくはない……。

 

 私は応接間の扉をノックし、開ける――。


 しかし、そこに待ち受けていたのは予想外の人物だった。


 「こりゃまた随分と酷い顔じゃ……よっぽどの心労が溜まっているようじゃな……」


 そう、不敵な笑みを浮かべ、杖を突いたまま鎮座する老人。


 その姿に私は驚愕させられていた。

 皺だらけの右手の薬指に輝く黄金の指輪。

 それは、プロフィット家の証であり、老人の権威を示していた。

 

 「なぜ……あなたがここに……!?」


 老人は、私の驚きの反応を気を留めることなく、暢気に広々とした部屋を見回す。

 

 「どうやら、何か大変なことが起きているようじゃのう……」


 この老人は全てを知っている。

 私がヴァセリオン教団と結託し、何を成し遂げてきたのか、そしてその代償を今まさに支払おうとしていることを――。

 

 なぜなら、商人にとって最も重要なのは情報であり、この大陸においてこの老人が知らないことはないからである。

 

 「それは私に対しての皮肉でしょうか……」


 本来、私のような者が直接対話できる相手ではない、雲の上の存在。

 そう、これは最期だからこそ出来る……精一杯の恨み言。

 

 「ふっ……まあ……そんな邪険にするものでもなかろう……」


 そんな私のささやかな抵抗ですら、老人は軽く受け流してしまうのだった。


 「ところで……お前さんは……この国、<コステリヤ神聖王国>をどう見ておる?」


 何気ない会話を楽しむかのように、ゆっくりと投げかけられる質問。それは非常に答えにくい難題である。


 「……? それは、商人としての視点から……ということでよろしいでしょうか?」

 「まあ、それも含め、この国で生きる者としての率直な意見が聞きたいのう」

 「……一言で表すなら……権力と弾圧。……宗教による政治の腐敗によって……経済は支配されております……」

 

 私はその質問に対してできる限り素直に、誠実に答えるよう努めた。

 老人はその私の様子を凝視し、やがて、迎い入れるかのように微笑んだ。


 「……そうじゃな。我々、商人も所詮は庶民……政治については門外漢じゃ……」


 その言葉に私の目じりが熱くなる。

 『商人の中で知らぬ者はいない』と言われる人物に、私はまだ商人として認められている。

 それだけで、何よりの誉れ。これまで商人として生きてきたことを誇りに思える言葉だった。


 「ましてや世界統一なんて酔狂なことを考えるのは商人と宗教ぐらいなもんじゃ。故に相容れんというところじゃな……」

 「――――――な!!?」

 

 次の瞬間、私は絶句していた。

 先程の『商人も所詮は庶民』という発言とは打って変わって、全く異なる意味の言葉。

 まるで、この国に干渉出来なかった事実が既にあるかのような発言だったからである。

 

 「宜しければ……教えてください……一体、なぜ? そこまで、この国にこだわっていらしゃるのですか?」

 「……まあ、そうじゃな……ここは……その……あれじゃ、婆さんとの思い出の地……じゃからな」

 「……はい?」

 

 私は一瞬、聞き間違えたのかと耳を疑い、瞬きを繰り返した。

 国一つを動かすほどの名誉と権力、莫大な財を持つと噂される大商人が、そんな私的な動機で。

 

 「……!? 失礼、理由は本当にそれですか?」

 

 私はそのあまりにも異なるスケール感に驚き、口元が緩む。

 

 「なんじゃあ? 老い先短い老人のちっぽけなお願いをそんなに笑うことは無かろう……」


 年甲斐もなく照れる老人の姿に、緊張した空気が和らいでいく。

 

 「いえ――滅相もありません」

 

 私の眼には、もはや大物のご老人と言うよりは近所のお爺さんと言った親近感を覚えていた。

 

 しかし、次の瞬間。


 「で、こっからが本題じゃ……」


 場の雰囲気が一変し、老人の発する気配が突然重苦しいものに変わる。


 「お前さんの失敗は二つ。一つは消費者の状況を把握する市場調査、もう一つは競合他社を理解する競合調査。この二つの調査が不十分だった、そうのじゃろう……」


 唐突に投げられた指摘と厳しい視線。

 それは胸を突き刺すような鋭さを持っていた。

 

 「……違うとおっしゃるのですか?」

 「確かに利益拡大を最優先する経営戦略という点において、そこに間違いはない……しかし、商売において重要なのはそれだけではない」

 「……?」

 「商売とは『利潤と道徳の調和』じゃ。道理のない商売は、結局は下賤な金勘定に過ぎない。それは持続可能な商売とは程遠いものになってしまうのう……」

 「つまり、私はこの<ボンペイ>の大衆のことを考慮していなかったということでしょうか?」


 その私の問いに、老人は静かに口角を吊り上げる。


 「さあ、どうじゃろうな……それをお前さんと見定めたくてな、ここに来た……」


 そう言って、老人は懐から封筒を取り出し、私に見せる。

 

 「それは……!?」

 

 封筒に押された立派な封蝋印。それは間違いなく、よく見知った貴族の家紋だった。


 「商人カビオン・シーリアよ。儂は今から敵上視察に行くが……お前さんはどうする?」


 老人は楽しそうに微笑むのだった。

 

 

 



 


 

 

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