第57話 マルチ商法だって利用する……そうです。


 これって、マルチ商法じゃねえか。

 

 領主の専属執事ティル・ニクソンの話を聞き――率直な感想がそれだった。

 

 <レサエムル村>の旧領主邸の執務室。

 俺とフィデス、マリーは彼から詳しい報告を受けていた。

 

 どうやら商人組合がとんでもない商業戦略を始めたらしい。


 彼らがおこなった事を大まかに分けると二つ。

 一つは、誰でも商人になれる、夢のようなサービス”コステリヤドリーム”と――もう一つは、我々の事業に対する不買運動だった。

 

 「特にこの不買運動。これは領主様が直接お触れを出して止めさせることも可能ですが……」


 上品な執事服に重々しい雰囲気で話す彼は。

 

 「それは得策ではない……ですか?」

 「ええ……その通りです」

 

 領主の意向をそのまま俺達に伝えていた。


 確かに、相手は都市の権力者であり、「三役」の一つである商人組合だ。

 <ボンペイ>の領主 サンジュ=ルクモレン伯が強引に介入すれば、都市内の全ての商人を敵に敵に回すことになる。

 そうなれば、都市の経済は停止する。

 ただでさえ、疫病の影響で都市経済が疲弊しているのに――それだけは何としても避けたい事だった。


 (しかし、まあ、マルチ商法とは……)


 この商法は個人の販売者を勧誘し、連鎖的に販売組織を拡大する販売形態である。

 しかし、この仕組みには多くの問題が潜んでいた。具体的には、販売員の中で、階級制のピラミッド構造が生まれることである。


 搾取される者とされる者。

 

 必然的に、下層の者は多くの商品を購入させられ、損失を被ることになる。一方で、利益を得るのは上層の者たちとそのルールを運営する商人組合のみ――と。

 つまり、このサービスは、庶民の救済とは程遠く、根本的に誤った本末転倒の事業。

 決して『誰でも商人になれる夢のようなサービス』はないのである。

 

  

 「何です、その詐欺は!? 庶民を馬鹿にしているのですか!」


 その事に最初に怒りの声を挙げたのは、白い祭服に身を包む美女 フィデス・ガリアだった。

 

 元々、ここ<レサエムル村>は疫病の被害者。貧困層の集まりである。その村の人から”聖神女”として慕われる存在の彼女は、その思入れも人一倍強いのだろう。

 

 「それに私たちが一生懸命作った商品を粗悪品だなんて……許せません! あなたもそう思いませんか!?」

 

 全身、白とは対照的な黒の祭服。

 フィデスの激しい感情を静かに聴いていた”魔女”マリー・スクエットの反応は至って冷静と言った感じだった。


 「確かに……気になりますね。なぜ彼らの洗剤だけが油汚れを落とす事が出来たのでしょうか?」

 

 彼女が疑問に思ったのは、都市でおこなわれたという洗剤のデモンストレーションのことである。

 その公開実験において、なぜだか俺達が製造した洗剤だけが油汚れを落とすことができなかった。その結果、世間の評価は、商人組合の製品が優れていて、逆に俺達の製品は劣悪品として負のイメージがついてしまっていた。


 しかし、これは、マリーの作った洗剤の方に問題があるのではない。


 (第一に、マリーの洗剤は実際に村で使用された後に販売されている。したがって、品質が悪くないことは我々が十分に理解しているのだ……)

 

 そして、俺はこれによく事例を知っていた。

 

 「それは――簡単な仕掛けだよ」

 

 俺の突拍子のない発言に、注目がむく。

 

 そう、これは単純なトリックに過ぎない。

 

 そもそも、洗剤が油汚れを落とす原理は、主に界面活性剤の働きによるものである。

 つまり、泡が油汚れを取り除くのだ。

 当然、希釈(水で薄める)して使わなければ、泡立つことはなく、油が落ちることもない。

 推測するに、商人組合のデモンストレーションでは、マリーの洗剤が原液のままで使用されていたため、彼女の洗剤だけが油汚れを落とせなかったのである。

 

 「そんなのインチキじゃないですか!?」


 フィデスは俺の説明を聞いて、さらに声を荒げていた。

 金色の髪を揺らし、「納得できない」と叫び、――今にも商人組合へ抗議に行くかのような勢いで怒っていたので、俺は必死になって彼女を宥めた。


 その後、彼女が落ち着き取り戻した頃……室内は静けさが戻る。

 俺はその状況を見渡していた。

 老紳士のティルさんは顎に手を当て、今後の対応を考えている様子だった。

 

 しかし、これは俺達にはどうすることもできないこと……。

 というより、しなくていい案件である。

 

 その瞬間――俺はマリーと目が合う。

 美しい黒髪に柔らかな微笑みを浮かべる美女。その瞳は、俺の心を見透かすように――ただ俺の言葉を待っている……そんな風に思えた。

 そして、俺は深い息を漏らし……口を開くのだった。

 

 「ティルさん……この件ですが……そのままにしておきましょう」


 俺の発言に、珍しくティルさんは驚いた様子だった。


 「……その理由をお聞きしてよろしいですか?」

 「はい。ですがその前に一つ確認したいことがあります。これを考えたのは商人組合の代表 カビオン・シーリアという人物で間違いないですよね?」

 「ええ、おそらくそうです」

 「そして、これは非常に巧妙な商法です。おそらくカビオンという商人は、かなりの商才を持つ人物だと思います……ですが……」

 「ですが……?」

 「俺には商売をやる上で大事な事を忘れている、そんな風に感じられるのです」


 その言葉にティルさんは目を見開く。

 

 「それはなんですか?」

 「”マーケティング”という概念です」

 「……?  失礼ですが、”マーケティング”とは具体的に何を指すのでしょうか?」

 

 「そうですね、一言で説明するなら『顧客のニーズを理解し、社会にとっての価値を提供するプロセス』ですかね。まあ、ここでは噛み砕いて『人々の求めるものを提供するサービス』という解釈でいいと思います」

 

 部屋中に俺の声だけが響く。

 いつもながら自分の意見を話すときは緊張する。その重圧に喉を鳴らしながら俺は言葉を紡いでいた。

 

 「<ボンペイ>の消費者の大半が庶民です。そして都市内の情勢は、疫病の脅威からようやく脱し、経済が回復している

 「なるほど……」

 「したがって、消費行動や購買意欲は低いと考えられます。顧客は手の届く範囲の安い商品を求めているはずです。特に、洗剤などの毎日使用する日用品なら、なおさらです」

 「つまり、カミヒト殿が言いたいのは、庶民が物を買えない状況では、この商法は成功しないということでしょうか?」

 「そうです。第一、組合の商品はどれも高すぎます。日用品の洗剤ですら、銀貨三枚(約三千円)ですよ」

 

 うちではマリーの作った洗剤は銅貨二枚(約二百円)という価格設定でも十分な利益が出る。

 価格で見てもうちの方が、より庶民のニーズを合わせている。

 それは、うちの当面の事業方針は単純な利益追求ではなく、顧客の信頼を得るための薄利多売だからだった。

 

 「通常、商人はこのような現場の市場価格を調査することが求められるはずですが……」

 「その点ですが、心当たりがあります。商人組合の商人たちに問題があると思います彼らは裕福な層が多く、主な取引先も大口の商売が中心ですので、一般市民の視点を持っていない部分があるかもしれません」

 「つまり……殿様商売なっているということですか?」

 「ええ……その傾向が強いことは否定できませんな……」

 

 ティルの苦い反応に、辺境都市<ボンペイ>の闇が垣間見えた、そんな気がして俺は黙る。

 

 この世界の差別意識は、私が考えていた以上に根深いものだった。

 

 そして、その沈黙の間に……。

 再びマリーが微笑むのだった。


 「現状と今後についての確認ですが、私たちの商品は顧客の満足度も良好で、固定客もついている状況です。多少の風評被害の影響はありますが、それほど心配する事案ではないというお考えでよろしかったでしょうか、カミヒト様?」

 

 その問いに俺は静かに頷く。

 まるで俺の意図を汲んだ彼女の総括でちょっと気持ち悪いが、その通りだ。

 

 今回の商人組合の商策。手法自体には問題があるが、実際のところ目の付け所としては悪くない。

 

 今、大衆にとって最も必要なのは希望である。

 この都市でも食べていけるという安心感。

 そのための第一歩として、商売や事業への敷居を下げてくれたことは俺達にとってありがたいことだった。

 

 「……ですが……ピンチはチャンスです」

 

 ん? 今……何て?


 「それすらも利用し、更なる一手で返すべきと――カミヒト様はそう、おっしゃりたいのですよね」


 な……なに!!? 

 はぁぁ、何を言ってんだ!!?

 

 「なるほど……」

 

 なるほど?


 「そこまで読んでの事でしたか……感服いたしました」

 

 ちょっと、ちょっと! ティルさんまで!? 何を仰っているんですか!?……

 そこには何もありませんけど!!

 

 「さすがは……カミヒト様です♡」

 

 フィデスの賛同の声と満面の笑顔が決め手となり……。

 

 くっ……。


 何も言えないまま……。

 俺達はその日を迎えることになるのだった。

 

 

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