第38話 借金は時として絆となる
<レサエムル村>へ戻った俺は、更なる課題に取り組むこととなる。
新たな公共事業の着手である。
内容は、都市の住民の衛生への意識改革である。
もう、二度とパンデミックを起こさないよう、各家庭の衛生状態を上げる必要がある。
旧領主の部屋に、俺とマリー、そして……白髪の老紳士。領主専属の執事 ティル ・ニクソンが集まっていた。
領主への連絡役の彼には連日、会議に参加頂き、その上で精査してもらうことになっていた。
これは領主の周りを嗅ぎまわる教団達への警戒の為。今後、気軽には領主の元へと行くことは出来なくなったからである。
「これが『おまる』ですか?」
ティルが物珍しそうに目を見張る。
彼の目の前には置かれた木製の桶。その前側には、白いダチョウに似た魔獣
これは、領主に紹介して頂いた生産組合の大工集団<ゲオルグ手工業ギルド>に依頼して試作品を作って貰ったもので、前側のモチーフの部分と用を足す桶は着脱可能式となっていた。
なお、このデザインは
「これを一家に一つ支給し、こちらで回収……その後、畑の肥料として再利用したいと思います」
「なるほど……しかし、これは
こちらを覗く、白髪の鋭い眼光。
長年に渡り、領主と共に辺境都市の政策を支え続けていた執事 ティルの一歩踏み込んだ指摘だった。
この『おまる』の材料は、村の開拓の際出た木材を再利用しているので、そのコストはゼロに等しい。
また、少ない製造数、生産効率は、利用者を絞り込み、製作速度と合わせる様に徐々に増やせば問題はない。
これは当然、彼も承知の上である。
そう、この指摘は単純に『おまる』の製造に限った話ではなく、この村の全体、全般的な話であった。
彼が言う、村の問題は二つ。
専門的な職人の確保と。
新規事業への継続的な資金調達案である。
後者は今後の事業プランに対する資金の問題である。
<レサエムル村>は、都市の財政基金と『謎のあしながおじさん』の資金援助で何とか運営出来ている状態。
早急に商いとして自立して儲けるシステムを作る必要性があるということ。
そして、最も重要な前者。
それは新たな事業に対する専門的な職人が足りないという問題点である。
現在、村の大工集団<ゲオルグ手工業ギルド>は、フル稼働中。増えていく村の患者と従業員。その住居や農園の柵を作ったりとその仕事も多岐にわたり、この『おまる』の製造まで手が回らない現状である。
そして、これは彼らだけの事ではなく、村全体の他の部署にも言えることだった。
確かに長い目で見れば、達成するのは容易だが、問題なのは、そのスピード感である。
これは普通、今すぐに解決できるものではない。
だが、それは……正攻法だったらの話……。
(やはり、あれか……)
俺の頭によぎるある秘策。
多少気が引けるが……。
もはや俺は、『使えるものは全て使った方が良い』という考えに達していた。
そして、その俺の答えを待つように……沈黙を貫くマリー。
膠着する会議に……。
水を入れるかのように。
老紳士は固く閉じた口を緩めるのだった。
「……まあ、村の人材の件は、おいおい考えるとして、まずはその事業計画を聞きましょう……マリー様」
「承知致しました」
そう言うと彼女は、机に様々な商品を置き始める。
机の上に並べられたのは石鹸、洗剤、お香の三点。
どれもマリーのお手製で、都市で売られているものよりも遥かに質の高い商品である。
「これらを衛生商品として都市で売り出します」
これらは、前もって領主にも了承を頂いた件で、利用者には初回限定で無料配布する予定の製品。
要はお試し品というやつ。
「ふむ、物は分かりました。問題は販売方法ですね……」
そう、都市の商いに関して、その全てを統括する機関が商業組合で、主に都市内の販売店の許可、承認を管理している。
そしてその裏にはヴァセリオン教団が付いている。
つまり、市場の露店、一つ出すにしろ、彼らの許可と場所代が必要となるのだった。
「やはり……領主様の権限を使って特例を出すとかは……出来ないのでしょうか?」
「ええ、残念ながら……その裁量は全て商業組合にありまして、都市内の構造状、公平性の観点からも難しいとのことです。それに下手に手を出すと教団に足元をすくわれる危険性がある、とも申しておられました……」
その答えを聞き、俺は思案する……その隣で。
――艶やかな微笑が浮かぶ。
「……なら、直販売はどうでしょうか?」
「……なるほど……」
マリーの話では商業組合の規則が適用されるのは、都市内のみである。
つまり、都市の外から商売は対象外とのこと。
これは<ボンペイ>が辺境都市であり、国で唯一、他国との貿易をしている点に起因していた。
そう、ここ<ボンペイ>では商業組合の認可が無いと出店してはいけないという決まりはあるものの、個人間で物を売ってはいけないという規則はないのである。
それは商業組合がわざと民衆に伏せている暗黙のルール。
他国の貿易商の商品を独占的に買い取り、簡単には商売させないようにする為の商業組合の裏工作である。
これは意外な盲点、抜け穴といっていい。
そこで、これから行う営業方法は以下の通りである。
都市内の利用者に『おまる』と配った時に、一緒にこの衛生グッズを初回無料で配り、その感想、アンケートに協力してもらう。
その上で、後日、ゴミ回収の際に、定期的な購入を勧めるという……つまり訪問販売である。
これなら、店を持たず、直接販売するルートを持つことが出来る。
これは企業間の取引。BtoB ではなく……。
企業が消費者に商品やサービスを提供する、BtoCである。
そうこれなら、ゴミ回収を行いながら販売することが出来るのだ。
さらに彼女の話ではこのようなサービスは珍しいとのこと。利用者の中で瞬く間に噂となり、すぐに都市内へと広まっていくだろう。
その最大の利点は、ビラ配りなどの経費や人的労働力を使わず、自動的に宣伝ができる点にある。
マリーが提案してきたこの策は、一石二鳥どころ三、四鳥にもなる、画期的なものであった。
彼女からの説明を聞き終えた老執事は、暫し思案する。
「そうですね……私がこの案に一つ、加えるとするならば、この製品の包装や物自体に領主公認の証、紋章を使用します」
それはこの商品が領主公認であるという証。商品の信用度を上げる提案だった。
「おお! それは大変ありがたい申し出ですが……大丈夫そうですか?」
「ええ……私から領主様へ許可を頂けるよう進言してみましょう」
この老執事は領主からの信頼の厚い。その発言には確かな現実味があった。
「それにしてもお見事です。これなら心配ないかと……」
その執事 ティルが太鼓判を推す。
このマリー・スクエットの案は、それほどのものであった。
最近、彼女の評価は、また一段と上がっている。それは、スラム街の住人はもとい、新規患者や領主も例外ではなかった。
人付き合いの上手さ、商才、雑学知識、そして、この美貌と……。
すっかり、この村のご意見番みたいな地位となりつつある。
それは”聖神女” フィデスと双璧を担う人気ぶりで。
このマリーの才智と、執事 ティルさんの協力も相まって、事業計画は順調に進んでいくのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ある日の事、俺は、母子の患者から呼び止められた。
「カミヒト様、この度はお世話頂きありがとうございます」
「……? 私は何もしてませんよ……お礼ならフィデスさんにおしゃってください」
「いえ、すでにお礼をお伝えしておりまして……その時”聖神女”様から教えて頂いたので……」
「何を……ですか?」
「こうして息子の命を救えるのも『カミヒト様のお導きのおかげ』だと――」
「……んー……」
この時俺は、気恥ずかしいような、後ろめたいような、そんな気持ちになっていた。
なぜなら実際、俺は何もしていないからである。
現在この村は、フィデスとマリーの両名を中心に、多くの者が協力してくれて成り立っている。
だから、この功績も本来、皆の頑張りのおかげなのに……なぜか俺の評価にされていたからである。
「本当に慕われてるのですね……私もこの子の為に頑張りたいと思います」
胸にぐさりと刺さる感謝の言葉――罪悪感。
なぜなら、当初、俺は治療費の請求などせず、無償で行うようにしたかった……。しかし、現実的な話それは到底不可能で、結果、患者達にその負担を強いる形となってしまった。
本当にこれで良かったのか?
そう、疑問に思った俺は、正直にその事を尋ねてみるのだった。
「いいえ、カミヒト様……私達は感謝しているのです。この子が病気に患い看病の為、職にも就けずいたところ……村の方々が救いの手を差し伸べてくれました」
そう言って、息子の頭を優しくなでる母親。
「それに……この子の治療中は温かい寝床や食事まで用意して頂いたおかげで、ずっと近くで看病が出来ました……」
やはり、このパンデミックは、都市の住民の暮らしに、相当なダメージを与えていた。
「こうして無事、息子も元気になったので、これからは……このご恩に報いるためにも一生懸命働いて治療費を返していきたいと思います」
「それが……ゴミ拾いであっても……ですか?」
「ええ、仕事があるだけでも有り難いですし、それに引き続き、寝床と食料の支援して頂けるので本当に助かっております」
この言葉は俺にとって意外だった。
疫病や災害の後、虚無感に苛まれる人は少なくない。
変わってしまった日常。職を失い自分が何をすればいいのかわからず、路頭に迷う人は多いと聞く。
そんな中、こんなにも前向きな発言が出るなんて。
安心して生活できる場所を提供しつつ、簡単な職を与えることによって、今後の整理する余裕が生まれる。
そう、この医療費の借金は、この村への信頼の証、絆であった。
「きょうそさま、バイバイ」
そう、手を振る子供に……。
(ん……? きょうそさま? なんのことだろう?)
この件に対し、俺はわずかな疑問を持ちつつも……これ以上は踏み込まなかった。
皆、この制度を理解した上で、それでもなお、沢山の感謝の言葉を述べていたからである。
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