第21話 神の人


 『私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。 』 ―― コリント人への手紙 第二 12章 10節 ――



 「意味が分かりません!!どうして、こうなるのですか!?」


 閉鎖的で圧迫感のある冷たい石の四角形の空間に……フィデスの悲痛な声が響き渡る。

 

 手厚く拘束されたままこちらを心配そうに覗く――金髪の娘。

 彼女がここまでの感情を出すのは、正直、驚きだった。


 場内は、まるで路上で喧嘩が始まるような、そんなアンダーグランド感が漂っていた。

 

 対峙する長身の衛兵。

 その真紅の短髪が燃える様に揺らめく。


 最早、この待機所は、猛獣の檻と化すのだった。

 

 これは……常人には分からない、全くもって非合理的なやり方だ。

 だが……それが、今は……

 

 意地でも領主に合わせてもらう……。


 そう、震える拳を強く強く握った瞬間――。


 突如、長身の体躯が消える。


 「――――!!?」 


 次の瞬間――想像以上の衝撃が背中を突き抜け、全身に稲妻が奔る。

 みぞおちに、めり込む拳。


 (おい……噓だろ……)

 

 唇が歪み、腸がねじれるような鈍痛――そのあとから腹の中を這いずるような嫌な感覚が襲ってくる。

 

 (たったの……一撃で……か……)

 

 額から脂汗が一気に噴き出し、視界に黒い靄がかかる。

 歪む眼路の隅。壁に掛かる剣、槍、盾……。それが否応なしに映し出されていた。


 突如、その暴挙に。


 「あなたは何をするのですか!!!!!?」


 フィデスが暴れ、声を荒げる。


 ――しかし。

 

 「黙れ!!」


 ユーグルの怒号が――それを一蹴する。


 「言っただろ……これは漢と漢の勝負だ、と……」


 一瞬の沸点。その殺意を孕んだ声に、一同は静まり返っていた。


 (くそ……痛ぇ……)

 

 俺は呼吸も出来ず……ただ酸素を求めて彷徨うよう、に地べたを這いずり廻らされる。

 

 「どうした……もう、終わりか?」

 

 上から容赦なく叩きつける声。

 

 「立て!」

 

 こちらを覗く、冷酷無慈悲な眼。


 こうなること分かっていた……。

 これはまるで大人と子供、勝ち目のない勝負。

 

 しかし、彼は容赦のない連撃の拳を振るってくる。

 

 飛び散る鮮血。

 揺らめく目路、その輪郭がぼやけていく。

 

 その間、彼の眉は微動だにせず、その顔は能面のように無表情だった。


 (……こいつは……本気で俺を殺しに来ているんじゃないか!?)

 

 立ち上がる間もなく続く、一方的な暴力に――。


 「カミヒトさん!カミヒトさん!……」


 仕切りに呼ばれる、その名――。

 

 瞬間――蹴りが腹に決まり、部屋の隅まで飛ばされ、酩酊するような胸糞悪い圧迫感が全身を侵食していく。


 (死ぬ……)

 

 口からこみ上げる鉄の味。最早、その感覚が無ない……。

 拳が顔面を打ち付ける度、何度も心が折れそうになっていた。


 (もう、無理だ……)


 気を抜いたら、そのまま奈落の底に落ちるような暗転が、何度も何度も何度も繰り返される。


 決して止まむことのない拷問。


 (……甘かった……)


 痙攣するような全身の震え……。


 (……こんなにも苦しく……)

 

 生殺しにされる恐怖。


 (……地獄のような……ものなのか……)


 ――忍び寄る死の足音。

 

 「もう、やめて……お願い……ですから……」


 彼女のすすり泣く声が木霊する。

 

 「隊長。……それ以上は……」


 そう、誰かが呟く、言葉。


 (早く楽になりたい……)


 それらをかき消すように、部屋中に乾いた暴力が鳴り響く。


 (もう、いいんじゃないか……)


 心が折れそうな瞬間。


 (俺には所詮、無理な事だったんだ……)


 これは何度も吐いた――言い訳……妥協。

 

 だが……。

 

 だが……その度に。


 『貴様は社会にとってのゴミだ!』


 兄 天上 のまるでゴミを見るような目が――。


 『今すぐ、俺の視界から消え失せろ!』

 

 父 天仙 の下卑た笑いが――。

 

 走馬燈のように絡みつく。


 (うるせぇよ……)


 あのクソ神官長の嘲笑う声が耳から離れない――。


 (……そうだよ、俺は……)

 

 一瞬の着火。

 燃え上がる――憤怒の火柱。


 例えそれが、意味のない足掻きだとしても……出さずにはいられない叫び。

 

 「ぁぁぁぁあ”あ”あああああぁぁあ”あ”ああああああぁあああぁあああああぁぁ!!!!!」


 縋るようにみっともなく、腹の底から血の一滴まで全てを出し搾る、瞬間――。


 その自分の声に――。


 幼い頃の記憶が呼び起こされる。


 ……それは昔、拾った野良猫。


 『この世に死んでいい人間など一人もいない』


 ……小学校で習う、綺麗事。

 

 『そんな汚いもの持ってくるな!』

 

 あの日の記憶と重なる……。


 踏みつけられ潰される、弱者の自己投影。

 

 あの時、死の間際に聞いたあの叫び――断末魔。


 あれは……。

 最期まで生きようと藻掻く。

 命の火だ。


 (それでも……まだ……)

 

 何の為に生まれ――。

 何の生き――。

 何の意味も無く、死ぬのか……。


 (生きようとしていた……)

 

 湧き上がる黒い感情が視界を奪い。多くの人々の怒声が脳裏を埋め尽くす。

 その暴れ狂い、押寄せる――弾圧の渦。人が決して抗いようのないまでに膨れ上がる増悪。それは巨大な化物の顔となり朱色の眼光を放つ。そして、嘲笑するかのように横へ広がった顎が、今度は真っ二つ、縦に割れる――瞬間――全てを飲み込み、噛み砕き、咀嚼する。

 

 引き裂くような怨嗟の嘆き――。

 


 轟々――轟々と――繰り返される地獄絵図。



 (神はなぜ……何もしないのだ?)


 

 一瞬の静寂。

 

 

 ……。

 

 

 やがて、世界から音が消える。

 

 

 ……。



 (なぜ……黙る……)

 

 

 ……。 

 


 暗闇へと墜ちていく。

 


 ……。

 


 真っ逆さまに――。


 

 ……。

 


 光も届かない暗闇……。

 

 

 ……。

 


 その深淵へと――。


 

 ……さ……。


 

 微かな残響音。

 

 

 ……?

 

 

 刹那――。

 


 ……ミ……さ……。


 

 一筋の光が差し込む。

 


 『神人カミヒトさん!!!』

 


 (――――――――――――!!!!!!!?)



 三界流転――。


 ――そこに……。

 

 雲の上、悠久の晴天。


 俺は幻を見た。


 合わせ鏡のように映し出す世界。


 目の前には黒い影だけが残り……。

 

 蠢く――。

 

 やがて――それは……姿、形となる。

 


 『お前は……何も出来ない人間だ!』

 


 ――そう、俺を指す。


 誰でもない……

 

 そうか……。


 そう、だったのか……。


 これは幻影……。


 そして。


 俺が一番、腹が立てていた正体……。


 それは……。


 自分自身だ。


 その事に気づいた瞬間――。


 万物流転――。


 怒りさえも置き去りにして――急浮上する世界と肉体。


 それは過去との決別――懺悔。


 (……もしも……だ……)


 ――果ての禊。

 

 もしも……俺に神の力が宿った、というのなら……むしろ喜んで自分の弱さを誇ろう。


 さすれば弱さも、侮辱も、危機も、迫害も、行き詰まりですら甘んじられる……。

 

 折れた奥歯を吐き出し、再び噛みしめる――痛み。


 それを確かめ、意識を繋ぐ――。


 誰よりも痛み、苦しみ、悲しみを受け入れろ!


 なぜなら……





 

 〓:::〓:::〓:::〓:::〓:::〓:::〓:::〓:::〓:::〓::: :::〓:::〓:::〓:::


 

 あとがき

 

 お読み頂き誠にありがとうございます。


 久しぶりの長編物でお見苦しい点があるかもしれません。

 良ければ、コメント頂けると嬉しいです。


 今回はダークな表現と宗教哲学をミックスした難解な話でした。


 元ネタはイエス・キリストの逸話から生まれています。


 彼は信者達に対して、『怒りをやめ、憤りを捨てよ』と教えつつも、

 神への冒涜する者や商売人、イチジクの木にキレています(笑)


 そんな神の子らしからぬ、ちょっと人間臭い逸話から、この作品が生まれました。


 今後、彼がこの世界の救世主となるため……。

 

 その意思を示す、第一章 ”辺境都市での立志編” そのクライマックスでございます。


 良ければ、コメント・感想と評価を頂けると嬉しいです。

 いつも いいね される方ありがとうございます。大変励みになっております。


 なお、この作品の更新は不定期させて頂いております。

 推敲の進行速度とストック状況によって途中、休載するかもしれません。

 

 楽しみにして頂いている方には大変申し訳ございませんが、御理解のほどよろしくお願いいたします。

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