第5話詐欺師と詐欺探偵

 少年はきょろきょろと周囲を見回す。その視線は道行く人々に向けられていた。探るように一人の横を飛びながら観察して、また別の者を見つめる。跳ねるように動き回る少年がうっとうしくて、ホムラは誰にも聞こえないほど小さくため息を吐いた。

 少年の行動の理由は、なんとなくわかっていた。先ほど、ホムラは少年に特異な場所を見せた。そこでは幽霊と人間が全く違和感なく混じって生活していた。

 消えていく商店街という、どこか閉鎖的な空間。その場所で生まれ育ち、死んだ者の魂を受け入れるその場所では、死者たる幽霊が普通に人間のように過ごしていた。

 少年がそこに混ざることはできないとホムラは告げた。それは薄々感じていたため、少年は少しだけ落胆はしたものの、ホムラに文句を垂れることはなかった。

 その代わり、少年の脳裏によぎったのは、実は何気なくそばを通り過ぎていった者の中に自分を見ることができる者が混じっているのではないか、という考えで。


 だから少年は、ひょっとしたら近くに幽霊である自分を見ることができる者がいるのではないかという幻想を抱き、人々を観察して回っていた。


 少年が見えれば、視界の周りでウロチョロする少年を嫌に思って表情をゆがめるか、あるいはまっすぐこちらを向いて文句を言ってくるはず――そんなことを思いながら、すでに十連敗。

 少年は少しずつ心折れようとしていた。

 がっくりと肩を落として、それでも少年は次の人物へとふらふらと飛んでいく。そこには、どこか浮世離れした日本人形のような少女がいた。

 少年は、自分のことが見えていないの、とくるくると回りながら自己主張する。

 ホムラは、そんな少年をあきれたように見ていた。

 ぴくり――少女の眉が吊り上がる。おや、と少年幽霊は少女の周りをまわるのを止め、横並びになって少女の横顔を凝視する。

 足を止めた少女は、少年の方に視線を向ける。少年の目が、喜色に輝く。


「……またやってる」


 ぼそりと一言、つぶやかれる。

 少女の目は、少年の体に焦点を合わせていなかった。少年の体のさらに向こう、暗い路地の中で怪しげな看板を立てる店へと入っている人影を見ていた。

 その人影が、店に消えて。少女はふっと視線を逸らして、少年のことなど見えていないように再び雑踏に紛れて歩き出した。


 少年は、じっとその先を見ていた。そんな少年の横を、ホムラが無視して通り過ぎようとして。

 慌ててホムラの前に回り込んだ少年が、大きく両手を広げて少年を止める。


「……なんだ?」


 ぴたりと足を止めたホムラは、やや焦りの見える少年を険しい表情で見ながら、道脇の外壁に背中を預けてつぶやいた。

 誰も、ホムラには注意を向けていなかった。そうなるように、ホムラは動いていた。

 ただ一人、うつむいたままぼそぼそと口を動かすホムラを不思議に思いながら、少年はホムラの視界に入り込んで必死に手足を動かす。

 手で家の形を作って、扉を開く動作。それから、道の奥を指さす。


「あん?……ああ、霊媒師、なぁ?」


 そこには、紫の蛍光ランプで黒地に白い文字で装飾された看板を照らし出した、一軒の店があった。深見霊媒事務所。ホムラが嫌いな、詐欺の類だった。

 これまでホムラは何人ものその手のプロを自称する者と会ってきたが、ただの一人もホムラのように幽霊を見ることができる者も、その存在をおぼろげながらに感じ取れる者もいはしなかった。そのすべてが、何らかのトリックを使うか、あるいは話術やそれらしい儀式によって人々の不安を緩和するだけの似非霊視能力者たちだった。

 少年は、必死に手を動かす。店に入ろうと、ホムラを促す。


「お前のことが見える相手が欲しいってか?やめとけ、本当に幽霊が見える奴はこんなおかしなところに拠点を構えていたりしねぇよ」


「おや、これはなかなか辛辣だね」


 背後からねっとりとした嫌な空気をはらんだ男の声が投げかけられる。足音からその接近に気づいていたホムラは、それ見たことか、と内心でため息を吐いた。

 ホムラは自分の発言が原因で面倒な存在に目をつけられたということから目を逸らして、お前のせいだぞ、と口には出さずに少年を罵倒した。


「……で、誰だ?」


 底冷えするような鋭いホムラの視線を向けられても、ひょろりとした優男はその薄ら笑いを崩さす、役者のような大仰な動きで名刺を取り出した。

 ホムラは自分の名刺を取り出すことなく、さっと男のそれに目を通す。予想通り、そこにはホムラと少年が話題に挙げていた事務所の店主であろう霊媒師深見の名前が刻まれていた。

 ホムラから渡されるだろう名刺を待って中途半端な高さにとどまっていた手が、所在なさげに揺れていた。わずかに、霊媒師深見の目にいら立ちが混じる。

 それも一呼吸のうちに消え、相変わらず何を考えているかわからない顔で深見はホムラを事務所へと促した。

 迷ったのは、一瞬のこと。

 たまには詐欺野郎どもをからかって遊ぶのもいいかもしれない――そんな憂さ晴らしの方法を思いついて、ホムラは深見の背を追って路地へと一歩を踏み出した。


 大陸の方のものと思しき風水盤や色とりどりのガラス玉、水晶、干されたハーブ、鮮やかな赤色や黄色や緑色の鉱石、長い針に、鹿の頭部の剥製、人の骸骨を模した置物、紫を基調とした毒々しいタペストリーなど、雑多なものがひしめく部屋の中へとホムラ――と少年幽霊――は案内された。

 部屋を見回すこともなくどっかりとソファに腰を下ろして、ホムラはつまらなさそうに息を吐いた。普通は部屋に置かれた品々を興味深げに見回して感嘆の声をあげるものなのに一瞥もくれないホムラを観察して、深見は頬をヒクつかせた。


「それで、俺はインチキには金は払わないぞ?」


 ひくり、と今度は目に見えるほどに深見の顔がゆがむ。それからすぐに顔を取り繕ったが、その目に宿る怒りはもう完全に燃え盛っていた。


「……いいでしょう。そこまで言うのでしたら、本日はとっておきの儀式を見せてさしあげますよ」


 そういわれてホムラが案内されたのは、地下の一室だった。床に掘られた溝を澄んだ水が流れていく涼しげな場所。程よく冷房が効いたそこで、薄い布一枚を身にまとった妙齢の女性が、淡い白の光の中に立っていた。

 一瞬、顔を上げた女に、別の存在の姿が重なった。腹の奥から怒りがこみ上げたのは一瞬のこと。女の顔はホムラの記憶によぎった存在の者ではなく、その顔を見て「病んでるな」と思いながらホムラはあざけるように口の端を釣り上げて深見へと視線を向けた。


「で?」


「……なるほど。この場の静謐な空気を感じて何も思われないとは、相当危険な状況にあるのでしょうね」


 おかしな状況にあるのは否定できないけどな、とホムラは軽く肩を竦めて見せる。

 不審そうにホムラを見つめる儀式を受ける女性。彼女に軽く笑いかけた深見は、すぐにでも術の雰囲気に飲まれるだろうと、ホムラのことを内心であざ笑っていた。こうしてオカルトに突っかかって来る人ほど、落ちるのは一瞬だというのが深見の持論だった。

 そして、そんな深見の心を見透かしていたホムラはつまらなさそうに息を吐いて、地下室の外壁に背中を預けてぼんやりと儀式の行く末を見守った。


 血の気のひいた色白な肌のせいか、顔にこびりついた黒い隈のせいか、女性はひどく陰鬱とした空気を払っていた。その姿は、まるで幽霊のようで。ホムラは自分の横に漂っている、インチキ霊媒師深見は幽霊が見えないという試験紙の役割を果たした少年へと視線を向けた。

 そこには、目を輝かせ、興奮に鼻息を荒くした――様子の――少年がいた。鼻息が荒いかどうかは、ホムラには分からなかった。


「むしろあの女の方がよっぽど死人じみてるな」


 幽霊よりも幽霊然とした女を、ホムラは鼻で笑った。

 何、と少年幽霊がホムラに視線を問う。なんでもねぇ、とホムラは首を振って再び部屋の中央へと視線を向ける。

 儀式が、始まろうとしていた。

 厳かな空気の中、ローブを頭からすっぽりとかぶった深見が、何語かわからない言語をつぶやき始める。ただの外国語か、意味のない音の羅列か。その言葉に目を潤ませる女性とは対照的に、ホムラは眠気を噛みしめるようにあくびをした。

 くそが――心の中でホムラを罵倒しながら、深見は儀式を続ける。


 軽く地面を足の裏で蹴る。そこにあった小さなスイッチによって、浅い水路の底に設置されていたライトがぼんやりと光を放ち、不思議な空間が構築される。

 感極まった女の目から涙が零れ落ちる。

 あくびによってホムラの目に涙がにじむ。


『汝、渡良瀬由佳よ。汝の望みは亡き恋人の最期の言葉を知りたいというものであったな?』


 どこかから荘厳な声が響いた。まるで脳に直接響いて来るかのような、重く垂れこむ声だった。特殊なマイクでも使っているのだろうとますます冷めた視線で儀式の推移を眺めるホムラとは違って、女は何度も強くうなずく。震える声で、その声に肯定の言葉を紡ぐ。

 目を閉じ、祈りを捧げる深見は薄目で女を見て、心の中であざ笑う。都合のいいカモだと。


『我は汝に与えるべき言葉を、氷室修哉より受け取っておる』


 女が、愛する者の名を呼ぶ。もう、この世界にはいない彼。事故で死んでしまった彼の言葉を、彼とのただもう一度の関わりを望んだ。あっさりと自分の前から姿を消してしまい、死を実感することもできず鬱々と過ごすことしかできなかった日々。同棲していた彼の痕跡は家の至るところにあって、今にでも彼がふらりと帰って来るのではないかと、そう思って眠れぬ夜を過ごした。

 彼がいなくなって、早一か月。女は、彼ともう一度だけ、別れの言葉であってもいいから、言葉を交わしたいと願った。そして、女は霊媒師深見をたずねた。


「ああ、修哉、修哉……」


 愛おしいその名を、繰り返す。万感の思いを込めて、その名を紡ぐ。

 女は、深見に愛する男の名を教えていなかった。連絡を取って、ただもう一度彼と会いたいと、そう望んだだけ。それだけで、深見は最期の会話をセッティングしてくれた――歓喜と、尊敬と、崇拝じみた感情が女の中に生まれていた。

 女の元恋人の名前を調べることなど、現代社会ではさほど難しいことではない。そして、願いと奇跡に思考が麻痺している女は、そんな現実を直視できない。

 あるいは、直視することを望んでいなかった。なぜなら、女の願いは愛する男の最期の言葉を聞き、現状から脱却することだからだ。何も告げることなく一瞬で消えてしまった彼を思う宙ぶらりんな状況から、少しでも変わることを望んでいて、変わるきっかけを求めていて。

 だから、女にとっては極論、今目の前で繰り広げられている儀式も、愛する男の言葉が本人のものかどうかも、どうでもよかった。ただ、この儀式を経て何かをつかめれば、何かをつかんだ気になれれば、良かった。


 そして、どこからともなく響く声は、「男の最期の想い」だという言葉を紡いでいく。それは、一組の男女のこれまでを想い、失われてしまったこれからを嘆き、そしてそれでも女に、生きて、幸せになって欲しいという願いで。

 陳腐で、けれど、だからこそその言葉は、女の心に強く響いた。


『幸せになれよ、由佳――』


 声は、そこで途切れた。

 女は、膝から床に崩れ落ちて、泣いた。

 深見が女を支えながら、勝利を予感したような目でホムラを見る。そして、不快げに顔を歪める。

 男の視線の先には、どこまでも怜悧な目をしたホムラの姿があった。


「……見つかったか?」


 儀式の途中からホムラに命じられて周囲の壁の奥を見て回っていた少年幽霊が、壁の一か所を指さして何度も頷く。

 ホムラの視線を追った深見が、不思議そうに、それでいて若干の焦りを浮かべた顔でホムラを睨む。だが、泣き崩れる女を支えていて、深見はすぐには動けない。

 カツカツと、ホムラの足音が地下室に大きく響く。それはあるいは、深見の焦燥感の現れでもあった。

 壁の一角にたどり着いたホムラが、軽くその表面を撫で、そして、隠していたスイッチを押す。

 モーター音を響かせて、ただのコンクリート壁に偽装した壁が開いていく。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにした女が、視線を上げる。にじむ視界に映ったのは、大きなスピーカや金属パーツ、点滅を繰り返す無数のスイッチ。制御端末らしきものの液晶には高速で数字が流れ、作動中であることを知らせていた。


「触れるな!」


 制御スイッチに――それも数あるスイッチの中から的確に最悪のものへと指を伸ばすホムラを止めるべく、深見が叫ぶ。

 だが、ホムラはまるで悪鬼のごとく笑い、消灯しているスイッチを押す。

 橙色の明かりが灯る。女を突き飛ばすようにして立ち上がった深見が、一直線にホムラの方を目がけて走る。


「今すぐ止めろッ」


 深見が叫ぶ。だが、遅かった。


『汝、渡良瀬由佳よ――』


 先ほどの音声が、繰り返される。それは、地下室中央に立っている者に焦点を当てた、神の言葉。


「お粗末だな」


 ホムラが鼻で笑うと共に、地下室を流れる水の通り道である浅い水路に蹴躓いた深見が勢いよく転倒する。

 振り返ったホムラは、もはや冷笑すら浮かべていない無表情でじっと深見を見下ろした。


「侵入者を排除しろ」


 深見がインカムに向かって叫ぶ。呼び出したのは、深見が雇用している警備あるいは警護用の人員。厄介なところに目をつけられた経験のある深見は、暴力を見せることによる処世術を心得ていた。屈強な男に取り囲まれれば、大抵の者がそれ以上何も言えなくなる。脅すというわけでもなく、あくまで傷一つつけずにお引き取り願うだけ。自分から儀式を見せたにも関わらず、深見はホムラを追い出すことに決めた。

 連絡を受けて、警備班が行動を開始する。それと同時に、ホムラが斜め上へと――天井を通過して下りて来た少年幽霊へと、視線を向ける。


「三人か」


 深見から見れば焦点の合わない眼で虚空を見上げていたホムラが、そう告げた。ぎょっと、深見は目を見開いた。

 少年幽霊は「つるつる」と表現するようにしきりに頭をなで、ゴリラのようなポーズで筋骨隆々な様子を表現する。それから指を二本立てる。続いて肩までかかった髪をふっさぁと手で後ろに払うようなしぐさをして、やっぱり胸筋を膨らませるようなポーズをして、それから人差し指を立てる。

 少年の身振りを見て、ホムラはうすらと笑った。


「スキンヘッドが二人に、ロングヘアが一人……警備の奴らの我が強いな?」


 まるで全てを見透かされているようだと、深見は思った。ホムラが知らないはずの、警備の外見的特徴を言い当てられたことに、深見は動揺しきりだった。ホムラが事前に調べていたという可能性を考えるも、真っ先に否定する。なぜなら、ホムラは深見を知らない様子で、さらには警備のうち一人はつい一昨日新たに雇用した者で。

 深見には、ホムラが薄気味わるい怪物のように見えていた。


 呆然とホムラを見つめる女が、目をしばたたかせる。白衣の裾をたなびかせながら、ホムラは倒れたまま呆然と自分を睨む深見の脇をすり抜け、女の前に立つ。


「いいか、死者は言葉を話さないんだ。死者と会うことも、会話も不可能だ。死んだ者はどうにもならない。死んだ人間は、生者の心の中にしかいないんだよ」


 まるで自分に言い聞かせるように、ホムラは語った。能面のように無表情を張り付けた顔に、女はわずかな痛みを垣間見た気がした。


「……それと、アホみたいに薬を飲みまくるのはやめとけ」


 少年幽霊に調査させた結果を背中を向けたまま語りつつ、ホムラは地下室になだれ込んできた警備隊の隙間を縫うようにして悠然とした足取りで深見霊媒事務所を出て行った。







「……ご苦労。中々の出来だな」


 雑踏の中を歩きながら、ホムラはすぐ横を漂う少年幽霊にだけ聞こえるほどの小声でつぶやいた。少年は少しだけ悩ましそうに顔をしわくちゃにした後、すごいでしょう、と胸を張った。

 実際、少年の調査能力は目を瞠るものがあった。暴力団組織の拠点を単身で捜索したことで度胸がついたのか、少年は素早く、かつ的確な観察眼で必要な情報を集めていた。小声で小さく告げてきたホムラの要求を達成するために。

 霊媒師の事務所内を飛び回り、警備や儀式用の機械、さらには女の私物を検分する早業はホムラも舌を巻くレベルだった。


 意外と良い拾い物をしたかもしれない――少年幽霊の使い道を考えて、ホムラはにやりと下種な笑みを浮かべた。

 ぞわりと背筋に悪寒を感じた少年がきょろきょろと周囲を見回す。

 何してんだ――視線だけで尋ねたホムラを見ながら、少年は不思議そうに首を傾げた。

 意外と少年の勘が鋭いことを頭の片隅に留めながら、ホムラは重い足を引きずるようにして帰路を進んだ。

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