第6話幽霊の依頼
古びた趣ある木製の扉に、カギを挿して、回す。
ガチャリと響いた音を聞いた後、ホムラはドアノブに手を伸ばして。
ばあ、と扉の先から真っ白な存在が――幽霊が、顔を出した。
動きを止めたホムラは、反応を見せない。
一拍、二拍。戸惑いを覚えた長い黒髪を振り乱す少女の幽霊が、ホムラの体を上から下まで見回し、首をかしげる。
あれ、わたしのことが見えていないの?――と。
「はあああああああ」
盛大な溜息一つ。
乱暴な動きでドアを開けたホムラは、それから勢いよく黒革のソファに全身を預けた。
程よい疲労を訴える足が、開放感に包まれて歓喜の声を上げていた。ゆっくりと、意識がまどろみの中に落ちていく。
だが、落ち着かない。眠りにつこうとする意識が、周囲にいるはずの存在を感じて覚醒を続ける。
座面の上で首をひねり、重い瞼を開ける。
そこには、最近引っ付けてしまった少年幽霊。そして新たに現れた大和なでしこ然とした少女の幽霊が、物珍し気に建物の中を見回していた。
はぁ、と今度は小さな溜息一つ。
その音を聞き落とさなかった少女の幽霊が、ホムラのもとへと一直線に飛んでくる。
ちらりと、ホムラは少年幽霊のほうへと視線を向ける。定位置となりつつある低い棚の上で窓の外を眺める少年幽霊は、いつも通り。その眼には、目の前の少女の幽霊が映っている様子はなかった。
まただ――ホムラは思う。また、俺だけが幽霊を見ている。疎外感が、自身を化け物だと思う嫌悪感が、胸の奥からあふれ、全身に広がっている。
俺はおかしいと、そう思わざるを得なかった。幽霊が見える?幽霊にも見えない幽霊が見える――その、異常性。
幽霊同士であっても基本的に互いに視認することのできない幽霊を見ることができるというおかしさは、時折ホムラの精神を狂わせようとする。
目を、閉じる。強く目を閉じる。
願う。幽霊なんぞ見えなくていいと。幽霊なんて、見るに値しないと。
頼むから解放しろ、もうたくさんだ――そう、思うのに。
開かれた目はにじむ光の先にぼんやりと焦点を合わせていった。
部屋の中に存在する二体の幽霊を捉えてしまう。
「……はぁ」
溜息をついたホムラは、だらりと体をソファに預けて現れた少女幽霊へと視線を向けた。
焦点が合ったことを確認した少女の幽霊が片手をあげる。ホムラもまた、鏡のように手を挙げて、ひらひらと振って見せる。
少女の目が、輝く。絶望に曇っていた目に、人との交流ができるという歓喜が満ちる。
チクリ、と。胸に小さな痛みが走った気がして、ホムラが少しだけ眉間にしわを刻む。
「で、何の用だ?」
突如虚空を見ながら口を開いたホムラへと、少年幽霊が振り返る。不思議そうな視線が、ホムラに突き刺さる。
少女の幽霊は、ホムラの言葉を無視して彼に手を伸ばす。話せたなら、触れることだって――そんな淡い期待は、ホムラの頬をその手がすり抜けることによって否定された。
少女の顔が、凍り付く。
顔をしかめたホムラが盛大な溜息をもらす。
どうしたの――少年が視線で語る。
「ああ、やっぱり見えてないんだな」
不思議そうに首をかしげて。それから、ホムラの言葉の意味を察知した少年幽霊がハッと目を見開き、周囲を見回す。自分の仲間――同じ幽霊がほかにもこの場に存在する可能性に、少年は感づいた。
だが、そこにあるのはまだ目新しさのあるホムラの事務所の一室。どれだけ目を凝らしても、ホムラの視線の先にいるであろう幽霊など、少年には見えなった。
首を傾げる少年の目は、少女幽霊の姿に焦点を合わせることなくホムラに向く。
「……よっぽど波長が合わない限り、基本的に幽霊どうしで互いを認識することはできないらしい。経験則だがな」
例外――パクパクと口を動かす少年の四文字を悟ったホムラが、泣きそうな顔で見つめてくる少女幽霊を一瞥してから再び少年へと視線を向ける。
「俺が知る限りの例外は、親子レベルで血のつながりが濃い肉親か、あるいは同じ事故なんかで死んで生まれた幽霊である場合だな」
死んで生まれた――意味が分からない響きだと、ホムラは苦く笑って肩をすくめる。
手の甲で目じりをぬぐう少女が、じっとホムラに視線を向ける。
そこに幽霊がいるんだよ、緩慢な動きで指示された方へと、少女幽霊が顔を向ける。
当然、そこには何も見えない。真っ白なカーテンが、やや傾いた西日を浴びて輝いていた。
「はぁ……ここは幽霊を集める事務所じゃねえし、幽霊から依頼を受ける場所でもないんだよ」
少し癖のある黒髪が、白い手の中でくしゃりとゆがむ。苛立たし気に息を吐いたホムラは、少女の幽霊をまっすぐににらむ。
そんな少女幽霊は、ホムラのことなどお構いなしに、そこにいる、と指さされた少年幽霊の姿を探していた。
けれど、見つからない。泣きべそをかいてホムラを見る少女を視界に収めて、ホムラはもう何度目かわからない溜息を吐いた。
「さっさと要件を言え。放り出すぞ?」
実際放り出すなんてできないんだけどな――心の中で思ったことを、けれどおくびにも出さないでホムラは少女をにらむ。
視線をさまよわせる少女が、ぱくぱくと口を動かす。当然、その言葉はホムラには聞こえない。やがてホムラに言葉が届いていないことを理解した少女はがっくりと肩を落とし、身振り手振りでここを訪れた要件を説明し始めた――が、それもまた伝わらない。
少年の方が面白い動きをする――そんなことを思いながら、ホムラは疲れた体に鞭打って、ポケットから取り出したひらがな表を取り出してテーブルの上に置いた。
ひぅ――恐怖を感じたように、少女が一歩、表から下がる。
幽霊のくせにオカルト嫌いな様子の少女を見て、ホムラは少しだけ溜飲が下がる思いだった。
おびえて震える指で、少女は言葉を指示していく。
そうしてわかったのは、娘をなくして打ちひしがれている両親を励ますために依頼をしようと、少女がこの場所を訪れたということで。
眉間に深いしわを刻んだホムラは、こっくりさんの紙をじっと睨みながら考え続ける。
違和感だらけだった。幽霊が見えるホムラのことを、少女が知っていて、この場所に訪れたこと。依頼をしようという考え。
まるで誰かの入れ知恵が透けて見えるようだと、ホムラは思って。
「お前はこの事務所のことを誰から聞いた?」
顎から手を離したホムラが、にらむような視線を向けながら少女幽霊に問いかける。
果たして、少女は相変わらず恐怖に震える指を動かして、きれいな女の人、と言葉を紡いだ。
きれいな、女。その言葉が、ホムラの脳裏に一人の人物を思い起こさせる。すべての元凶であり、ホムラが追い求める排除すべき悪。
そんな敵を思い、ホムラは強く歯をかみしめた。
まるで今にも殴りかかってきそうな形相と、握りしめられた拳。それを見て肩を跳ねさせた少女が、一メートルほどホムラから後退する。
わずかに体を震わせていたホムラは、溜息とともに暴れ狂う怒気を体の外へと追いやって、再び少女へと視線を向ける。
「……どうしてそんなに離れてんだ」
ふるふると首を振る少女は、おびえたように対面のソファの背後に隠れて、ホムラのことをじっと観察し続けていた。
どうしたの、と少年が上からホムラの顔を覗き込む。
うぜぇとつぶやきながら、ハエを追い払うような動きで少年へと手を振ったホムラは、再びソファに横になった。
あの心地よいまどろみは、もう来なくて。
けれどこのくそったれな現実から目をそらすために、ホムラはしばしの午睡に耽った。
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